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第13話 ベルナール

 夜から降り続いた雨は、朝になっても止んでいなかった。水に入るには気温も低く、朝食を食べている最中にルゼから「今日は休みでいい」と言い渡された。

 朝食の片付けと自分の部屋の掃除をし終わるともうやることもなくなって、リーシェは6階に向かった。

 ハイバックスチェアにゆったりと座って本を読んでいるルゼを見つけて、正面の二人掛けのソファに腰を下ろす。


「暇だわ」


 リーシェの独り言にルゼが顔を上げる。


「たまにはゆっくりすればいいだろう?」

「それはそうだけど。さすがになにもやることがないとねぇ……」


 今ここにゲームがあれば絶対やるだろうが、そのやりたいゲームの中にいるのだから笑ってしまう。

 最推しのルートは一体どういうラストを迎えるのだろうかと考えていると、ルゼは肩を竦めた。


「本でも読めばいいだろう? お前に丁度良い本がある。ちょっと待ってろ」


 ルゼは良い考えを思い付いたとばかりに立ち上がると、いそいそと階段を上がっていく。

 リーシェはリビングにも散乱している本を見渡し、確かにこの本の量ならば面白い本があるかもしれないと思った。

 すぐに戻ってきたルゼは一冊の本をリーシェに手渡す。


「マナー本だ。お前は少しその辺のことが抜け落ちているようだから、少し勉強し直すといい」

「えー!? マナー本?」


 明らかに面白くなさそうな内容に文句を言いながら本を開いてみる。

 そして身体を固まらせた。


(え……?)


 適当に開いたページにはびっしりと文字が書いてあるのだが、それがまったく読めなかった。

 英語を崩したような、でも見たこともない記号のような物も混じった文字列。

 リーシェは驚き慌ててペラペラと他のページを捲ってみるが、どのページにも読める文字は一文字もない。


(ええ!? 嘘でしょ!?)


 最初から言葉が通じたから、勝手に文字も読めると勘違いしていた。

 確かによく考えてみたら、どの本の表紙も読める物はなかった。掃除の時に本を触っていたが、読む気がまったくなかったからか、そのことに対して違和感を抱かなかった。


「ん? どうした、リーシェ?」


 ルゼに声を掛けられ、リーシェは困惑した顔のまま視線を上げる。目が合うと、こちらの様子から察したのか、ルゼは眉根を寄せて聞いてきた。


「まさか……、字が読めないのか?」

「……その、まさか、だったりして……」


 乾いた笑いを漏らしつつ、リーシェは答える。


「お前、本当に伯爵令嬢か?」

「そうだと思うけど……」


 完全に呆れた様子でルゼは首を振る。

 自分だってまさか字が読めないなんて思わなかった。言葉が分かるようになっているなら、字だって分かるようにしてくれたっていいじゃないと文句が頭を巡る。

 黙ってしまったリーシェにルゼは重い溜め息を吐くと、開いていた本を閉じた。

 その仕草にこのまま放っておかれては困ると、リーシェは慌ててルゼの袖を掴む。


「ルゼェ……」


 惨めな声を上げて名前を呼ぶリーシェに、ルゼは面倒くさそうな視線を向ける。

 少しの間睨み合うと、根負けしたルゼが仕方ないという風に小さく頷いた。


「……仕方ない。文字を教えてやるから、しっかり勉強しろよ」

「やった! ありがとう! ルゼ!!」


 なんやかんやでルゼは根が優しいのだろう。嫌々ながらも面倒を見てくれるルゼを嬉しく思う。

 ルゼはまた上に行くとペンと紙と数冊の本を持って戻ってきた。


「いいか? 最初に俺が書く文字を真似して書いてみろ」


 ルゼはそう言うと隣に座り、さらさらと紙にペンを走らせる。その美しい文字にリーシェは驚いた。


「うわぁ、ルゼって綺麗な字を書くのね」


 まるで本に書かれているように均一な文字の羅列に目を見張る。


「誰だってこのくらい書ける。ほら、やってみろ」


 ルゼに促されて羽ペンを持つ。一文字書いてみて思ったのが、羽ペンの書きづらさだった。インクペンなど使ったことがなかったからか、いまいち力加減が分からない。

 それでもどうにかへろへろの字でルゼの文字を真似て書いてみる。ルゼはそれを何も言わずにじっと見つめていた。

 結局午前中は文字の練習に費やした。なぜかルゼも付き合ってくれて、少しだが単語も分かる程度にはなった。

 昼食を挟み、午後はルゼもやることがあるからと自室に戻った。一人になったリーシェは少し勉強を続けたが、一時間ほどで飽きてしまった。

 窓の外を見ると、まだどんよりとした灰色の雲は掛かっているが、雨は上がっている。


(散歩にでも行こうかな)


 エイミーから湖の周辺は食べられる果実が結構あると聞いていたから、それを探しに行ってみようかなと立ち上がる。

 外をうろつく時は髪を隠せとルゼに口うるさく言われているので、頭にエイミーからもらった布を被る。端にレースが縫われたもので、可愛い花の刺繍もある。

 村の娘たちは皆こういう物を被っているのよと言われて、ルゼの言い分を受け入れる気にようやくなったものだ。

 藤カゴを持って外に出ると、湖に沿って行ってみようと歩きだす。迷子にならない程度に森に入り、しばらく探すと木苺を見つけた。赤い小さな果実を一つ摘んで食べてみると、甘酸っぱい味が口に広がる。


「これでパイを作れるかしら」


 エイミーに作り方を教わりたいと思っていたので丁度良いと木苺を摘み始める。

 つまみ食いをしつつ一時間以上そこで木苺摘みを楽しむと、カゴは木苺でいっぱいになった。

 リーシェは大満足で塔に戻り、階段を駆け上がる。


「ルゼー、木苺見つけたよー」


 散策の成果を見せたくて声を掛けながら階段を上がると、6階のリビングに見知らぬ男性がいてリーシェは驚いた。

 明らかに兵士の格好をした男性が振り返る。


「誰だ!?」

「え!? わ、私は……」


 激しい声に驚いて身が竦む。よく見ればリビングには他にもう一人兵士がおり、リーシェを厳しい視線で睨み付けている。

 突然の兵士の出現に気が動転してしまい、リーシェはどう答えていいか分からない。


(兵士? 私のことがバレたの!?)


 セドリックもエイミーも口が固いから大丈夫だとルゼは言っていたけれど、やっぱり兵士に知られてしまったのではないだろうか。

 このまま自分は捕まってしまうのだろうかと怯えていると、階段を下りてくる足音がした。

 ルゼが助けに来てくれたのだと嬉しくなって目を向けたリーシェは、そこに現れた男性に目を見開いた。


(ベルナール・グラニエ!!)


 階段を駆け下りてきた男性はリーシェがよく知る人物だった。長い銀髪に氷のような薄青の瞳。涼やかな目元に端正な顔立ち。凛とした立ち姿はほれぼれするほどカッコイイ。

 この『薔薇の乙女』というゲーム内屈指の美貌キャラで人気も高く、リーシェの最推しキャラだった。王太子を落とすメインシナリオをクリアしたら、次は絶対ベルナールでやろうと考えていたのだ。

 その本人を実際に目の当たりにして、リーシェは危機的な状況をすっかり忘れてしまった。


(嘘嘘! ベルナールが目の前にいるなんて!! はぁ、なんてカッコイイの……)


 惚れ惚れするほどの麗しさにリーシェはぼんやりと見つめてしまう。

 ベルナールは明らかに不審な目をこちらに向けて口を開いた。


「なんだこの女は」

「はっ! 突然下から上がってきまして」


 ベルナールの問いにどうやら部下らしい兵士が答える。


「お前、何者だ?」

「わ、私……」


 ゲーム内でメインシナリオを進めていると、ベルナールとはそれほど出会うことがない。それでも何回かは会話するイベントがあったはずなので、顔見知りであるはずなのにと戸惑っていると、慌てた様子でルゼが階段を下りてきた。


「その娘はケイル村の者だ」

「村の娘?」

「ああ。エイミー、挨拶しろ」

「え!?」


 突然エイミーと名前を呼ばれ驚いたリーシェだったが、ベルナールの後ろで視線を送るルゼと目が合って、その強い視線に促されるように小さく頷く。


「あ、えっと……、エイミー、です。あの、私、木苺を届けに……」


 おどおどと言いながら持ってきた藤カゴを差し出す。それをベルナールは一瞥し、ルゼに振り返った。


「随分と礼儀のなっていない娘ですね」

「村娘などこの程度だ。仕方なかろう。エイミー、下に行って夕食の準備を始めろ。いいな?」

「は、はい……」


 これはルゼに従った方がいいだろうと、リーシェは踵を返して階段を下り始める。


「あのような下賤な者を出入りさせているなど、落ちたものですね」

「生活のためだ」

「まさかあの村娘をそばに置くなどという愚かなことは考えていないでしょうね」


 背後から聞こえる冷たい印象の言葉にリーシェは眉を顰める。

 もっと素敵な人かと思っていたけれど、どうやら自分は考え違いをしていたようだ。


「あの娘はただ食事の世話をしに来ているだけだ。おかしな詮索はするな」


 ルゼの言葉を最後に会話は聞こえなくなる。1階のキッチンに戻ると、リーシェは藤カゴをテーブルに置き、ゆっくりと椅子に座った。


(なぜベルナールがここに来たのかしら……。私のことを探しに来たの?)


 だがベルナールは自分の顔が分からないようだった。それならば捕まえに来たという訳ではないのかもしれない。

 考えていてもしょうがないかと立ち上がり、ルゼの言葉通り食事の用意を始める。まだ夕食には早い時間だったが、言われた通りにした方が良い気がした。

 それからしばらくして、複数の足音が階段から聞こえてきた。料理を作りながらそっと視線を送ると、ベルナールが通り過ぎる。一瞬目が合ってリーシェはビクッと身を竦ませる。

 その後、兵士二人と最後にルゼが通り過ぎた。


「それではまた3ヶ月後に参りますので」

「毎度、ご苦労なことだな」

「仕事ですので」


 ベルナールは感情のない目でそう言うと、兵士に「行くぞ」と言って塔を出て行った。

 それを見送ったルゼが大きな溜め息を吐きながらキッチンに戻ってきた。


「上手くやり過ごせたようだな」

「今のって、ベルナール・グラニエよね?」

「ああ。知っているのか」


 リーシェは曖昧に頷く。まさかゲームで知っているとは言えない。


「私を探しに来たわけじゃないわよね?」

「ああ。ベルナールは定期的にここに来るんだ」

「定期的に? なぜ?」

「それは……、お前には関係ないことだ」


 明らかに言葉を濁したルゼにリーシェは首を傾げる。

 ベルナールは王国騎士隊の隊長だ。そんな人が定期的に会いに来るとは、ルゼとはどんな人物なのだろうと今更考える。

 けれどそんなことよりも、もっと不思議なことがあった。


「なんで私のこと、分からなかったのかしら」


 顔見知りのはずだ。それなのにベルナールは初対面のような反応だった。

 それがリーシェには不思議だった。


「それは当たり前だろう。その格好じゃ、誰も分からない」

「格好? そんな変な格好してないでしょ?」


 自分の姿を見下ろすリーシェにルゼは鼻で笑う。


「ベルナールは伯爵令嬢であるお前の姿しかしらん。質素なドレスを着て、髪もぼさぼさ。はすっぱな言葉で顔に汚れまで付けていれば、もはやリーシェ・エルナンドだとは思うまい」


 ルゼはそう言いながら手を伸ばし、リーシェの頬を撫でる。


「顔?」

「木苺をつまみ食いしながら摘んでいたな?」


 笑いながらルゼが指先をこちらに向けると、そこには赤いシミが付いている。

 リーシェは慌てて手の甲でゴシゴシと頬を擦った。


「そういえば、お前、ベルナールを見て顔を赤くしていたな」

「え!? そ、そんなこと、ないわよ」


 ふと思い出したように言ったルゼの言葉に、リーシェは慌てて首を振り否定する。

 動揺を隠すようにまた料理を再開させると、背後でルゼが笑うのが分かった。


「からかわないでよ……」


 そう言うが返答はなく、ふと振り返ってルゼの様子を見ると、どこか真剣な目で物思いに耽っている。


「ルゼ?」

「ん? ああ、いや……。心配には及ばない。あまり気にするなよ」

「うん……」


 ルゼのその言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだった。

 リーシェは小さく頷きながらも、少しだけ不安な気持ちが胸に広がった。

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