第12話 湖に沈む死体
湖の探索は塔の付近から始め、今はだいぶ真ん中の方へ移っていた。
朝から泳ぎ続けて、そろそろ太陽の位置は真上になりつつある。一度昼食に戻ろうかしらと、リーシェが水面に顔を出して考えていると、ふと近くに白いアヒルがいることに気付いた。
湖にはちらほらとアヒルや水鳥の姿があったが、手を伸ばせば触れる位置にいるのは初めてだった。
「食べられるかしら……」
ぼそりと呟くと、まるでその言葉の意味が分かったように、アヒルはバサバサと拒否するように羽を動かす。
リーシェは声を上げて笑った。
「嘘よ嘘。食べたりしないわ。住み家でうるさくしてごめんね。まだまだ掛かるだろうけど許してね」
リーシェの言葉に返事をするかのようにアヒルは一度首を上下に動かすと、ついと向きを変え泳ぎ去って行った。
アヒルって美味しいのかしらと思いながら、リーシェは岸まで泳ぐと午前中の仕事を終わりにした。
軽く昼食を食べまた湖に戻ったリーシェは、さきほどまで潜っていた辺りにアヒルが数羽泳いでいる姿を見つけた。
「あらら」
まだ探しきっていない場所だが、ゆったりと寛ぐように水面に浮かんでいるアヒルたちを見ると、あの場に泳いでいくのは忍びなく感じてしまう。
リーシェは少し考えてそこよりも少し岸寄りを探すことに決めた。なんとなく岸近くにはないような気がして今まで探してこなかったので丁度良い機会だ。
水に入りアヒルを横目に泳ぐと水に潜る。今日はよく晴れていて水の中はよく見渡せた。優雅に泳ぐ魚を尻目に、湖底を目指す。それほど深くもない場所だが、それでもしっかりと泳がないと湖底までは届かない。
徐々に湖底が見えだしてきて周囲に目を配ると、湖底で何かがキラキラと太陽の光を反射させているのが見えた。
(ガラスかな?)
すでに何度か拾ったことがあるのだが、割れたガラス瓶の欠片が湖底に沈んでいることがたまにあって、それが太陽の光に反射してキラキラ輝いているのだ。
最初は王笏かと勘違いして喜んだが、今では冷静に確認する程度になっている。
湖底に近付き輝きに目を凝らしたリーシェは、そこに何かが揺らめいていることに気付いた。
湖底に沈んだ布か何かが浮いて揺れている。もっと近くに行って確かめようと、両手を動かそうとしてピタリと動きを止めた。
(ドレス……?)
揺れている形がスカートのように見える。ただの布がそう見えているのかもしれないと思う先で、何か嫌な予感がして動けない。
じっと見つめていると、水の流れが変わりスカートが沈むように動いた。その影から人が見えた。
驚きに思わず息を吐きだしてしまう。慌てて水をかき水面に向かう。気が動転して手足が上手く動かない。
それでもどうにか水面に顔を出すと、荒く呼吸を続けた。
「し、死体……」
はっきりと目に焼き付けてしまった。折り重なるように沈んだ男女の死体。揺れていたのは女性の着ていたドレスと長い髪だった。
輝いて見えていたのはたぶん、ネックレスか何かだろう。
思い出してしまってリーシェはぶるりと震える。もうここにいるのは一時も無理だと感じ、慌てて岸に向かって泳ぐと、そのままの勢いで塔に戻った。
「ルゼ!!」
珍しく6階のリビングで本を読んでいたルゼを見つけ、リーシェは名前を呼ぶと駆け寄る。
「リーシェ! その格好で塔の中をうろうろするなと言っただろう!」
水着の格好のままのリーシェにルゼは顔を顰めたが、そんなことはお構いなしにリーシェはルゼの足元に座り込んだ。
「ルゼ! 湖の底に、し、し、死体があったの!!」
ルゼの膝をガクガクと揺らして訴える。さすがにルゼもリーシェの言葉に表情を変えた。
開いていた本を閉じてローテーブルに置くとリーシェに顔を向ける。
「なに? 死体?」
「そうなの!! 二人……重なるように湖底に沈んでて……。私怖くて……」
「ここは断罪の湖だ。死体があってもおかしくはない。お前は50年ぶりの死刑囚だったが、その前にも何人かはここで処刑されている」
「そんな昔の物じゃないわ! 骨とかじゃなくて、まだ……、綺麗なままの死体だった……」
思い出したくもないが、説明していると否が応にも頭にはあの二人の死体の姿が思い浮かんでしまう。
「綺麗? まだ腐乱していないということか?」
「うん……」
ルゼのズボンを握り締めたまま小さく頷くと、ルゼは真剣な顔になり考え込んだ。
「この真夏で、水に落ちてもまだ腐乱していないとなると、本当に数日の内に死んだということになるが……」
「ええ……? なんで? だって私毎日ここに潜ってたのよ?」
「その二人の性別は分かったか?」
「若い男性と私と同じくらいの女の子だった」
「男女の死体か……」
リーシェは考え込むルゼが答えを出してくれるんじゃないかと、縋るような気持ちでじっと見上げる。
ルゼは顎に手を添えると、足を組んでリーシェから視線を外した。
「そのくらいの男女ならば、心中か……。夜にでも湖に入ったかな……」
「自殺……ってこと?」
「そうなるな。まぁ、こんないわくつきの湖で死ぬのは相当の理由があるのだろうが、調べようもない」
この話はこれで終わりだというように、ルゼがまた読んでいた本を手にしたので、リーシェは慌ててまたルゼの膝を揺らす。
「ちょ、ちょっと! あの死体、調べたりしないの!? えっと、引き上げたりとかして」
「俺がどうこうできることじゃない」
「でも……」
このままでは湖に潜るのが怖すぎるとリーシェは思ったのだが、どうやらルゼは本当に何もする気はなさそうだ。
現代では水死体なんて見つかったらすぐに警察が動くものだけれど、中世に警察などいないだろうからこんなものなのかもしれない。
それでも床に座り込んだままルゼのズボンを放さないリーシェに、ルゼは大きく溜め息を吐いてから頭をポンポンと叩いた。
「分かった分かった。少し調べておいてやる。お前はとりあえずその辺りには潜らなくていい」
ルゼの言葉に少し嬉しくなったが、やはり王笏の探索は続けなくてはいけないのかと少しがっかりする。
返事をしないリーシェを置いてルゼは立ち上がると、本を持って階段を上がって行ってしまう。
「私もう今日は潜らないからね!!」
今日はもうそんな気分にはなれないと、リーシェはルゼの背中に向かって叫ぶ。ルゼは了承したのか片手を軽く上げた。
リビングに一人になったリーシェはのろのろと立ち上がると、寒さを感じてソファにあったひざ掛けを肩に羽織った。
「着替えよ……」
今日は最悪の日だわと思いながら、重い足取りで自分の部屋へ戻った。
◇◇◇
日が暮れて夕食を食べ終わる頃に雨が降り出した。次第に強くなった雨は、ベッドに入る頃には窓を叩くほどになった。
リーシェは横殴りに降る雨を窓から見つめ、大きな溜め息を吐くとベッドに入った。
いつもはランプの火を消して眠るが、今日は気持ち的に火が消せない。
寝つきは良いはずなのに、目を閉じてもまったく眠気がおきない。目を閉じては開けるを何度も繰り返し、その度に室内に視線が行く。
ランプの小さな火は、何もしていないのにゆらゆらと揺れる。ぼんやりと室内を照らす灯りは、色々な影を揺らして恐怖を煽った。
(もう慣れたと思ってたけど……)
最初の頃は塔の中の暗さも、ランプのぼんやりとした灯りも怖くて仕方なかった。けれど住んでいる内に慣れてきて、今ではまったく平気になったと思っていた。
目を閉じるとどうしてもあの二人の死体が思い浮かんでしまう。
女の子の蝋人形のような白い肌。揺れる長い髪に、美しいドレス。
その姿がくっきりと浮かんだその時、ガタガタと激しく窓が鳴った。リーシェは飛び起き、窓を睨み付ける。
真夏なのに肌寒く感じて、両腕で自分を抱き締める。まったく眠れる気がしない。
(どうしよう……怖くて眠れない……)
リーシェはしばらく考えた末、どうしようもなくなって枕と上掛けを丸めて持つと、階段を上がった。
7階のルゼの扉の前に立つと、小さくノックする。
「ルゼ、ルゼ。起きてる?」
「どうした?」
少し間を置いて扉を開けたルゼは、こちらの格好を見て眉を顰めた。
「お願い! 今日ここで寝させて!!」
「ダメだ」
「お願いよー! 怖くて眠れないの!!」
「子供みたいなことを言うな」
心底嫌そうな口調でルゼは言うが、引きさがる訳にはいかない。扉を閉めようとするのを阻止しつつ、必死で言い募る。
「お願い!! 今日だけでいいから!!」
「ダメだと言ってるだろ! コラッ! 手を放せ!」
「邪魔しないから!! 床で寝るから!! お願いー!!」
半泣きで訴え、「入れてくれるまでここで泣くからね!」と叫ぶと、ルゼは盛大な溜め息を吐いて扉から手を放した。
「今日だけだからな」
「やった!!」
諦めたように肩を落としたルゼは、踵を返してベッドにドサリと座る。嬉々として部屋に入ったリーシェは室内を見渡す。
ソファもあったがルゼは自分の物に触れるのを嫌がるので近付かず、ベッドから一番遠い床に座り込んだ。
「そこでいいのか?」
「うん、大丈夫。ありがとうね、ルゼ」
「ああ」
短くそれだけを言うと、ルゼはこちらに背中を向けて横になる。リーシェも床に横になると、その背中を見つめて息を吐いた。
ルゼの存在がとても心強い。恐怖はすっかり消えて、あっという間に眠くなってくる。
「おやすみ……ルゼ……」
微かに呟くと、それきりリーシェは眠りに落ちた。
◇◇◇
パチリと目を開けたリーシェは飛び起きると、そこはなぜかルゼのベッドの中だった。驚いて首を巡らせると、ソファに座って本を読んでいるルゼがいた。
「え、なんで私、ルゼのベッドで寝てるの?」
ルゼは本に視線を落としたまま何も答えてくれない。
(まさか寝ぼけて勝手にベッドに入っちゃったのかしら……)
リーシェは首を傾げそんなことを考えてみるが答えが分かる訳がない。ルゼの様子をちらりと見ると怒っている様子もないので、まぁいいかと考えるのをやめた。
ベッドから出てルゼの前に立つと、ルゼが視線を上げる。
「よく眠れたか?」
「うん。ありがと」
「ああ」
にこりと笑って答えると、ルゼも仕方ないなというように笑って頷いた。