口元を緩ませるように彼女は笑う
ゲームをやっているところを見ていたら外に出たくなるかもしれない。
なんて頭の中で言い訳じみた考えを巡らせながら、仕方なくゲームを受け取る。
本当のところは、ユラの頼みを断るのが非常に苦手なだけだ。
とは言っても、彼女に買ったものをただで受け取るのも悪いし、何とかしてゲームの代金分ぐらいは返したい。
下の花屋で花でも買えばいいか、俺の家には飾る場所もないが。
「これ、どうしたらいいんだ」
既に一度は開けたらしい箱からゲーム機を取り出す。
携帯端末のような機械と、シンプルな形をした黒縁眼鏡。
ユラは手にとってそれを掛ける。
「似合う?」
「ああ、似合う似合う。だから自分でやってくれ」
「んぅ、僕よりイクセくんの方が似合うよ?」
そんなに外に出たくないのか。ユラの幼いながら整った顔が少し俺に近づいて、自分から外した眼鏡を俺に掛けた。
「うーん、賢そう」
「その発言が馬鹿みたいだ」
「ちょっと待ってね。起動するから」
ユラは慣れた手つきで携帯端末を弄ると、俺の視界に光る文字が浮かび上がった。
『ログイン認証、パスワードを入力してください』
「パスワード?」
「ん、先にアカウントを作っていたから。パスワードは『ユラ大好き』だよ」
「後で変更することにする。『ユラ大好き』」
『パスワードを確認しました』との言葉が視界の端に浮かび上がり、すぐに消える。
「いひひ、僕のことが大好きだなんて、照れちゃうよ」
無理矢理言わせておいてなんだこいつ。頰を押さえてくにくにと腰を動かすユラを冷めた目で見ながら尋ねる。
「……何も表示されなくなったんだが、壊れたか?」
「『メニュー』って言ったら、メニューが出てくるよ。もしくは、こっちのコントローラーでも」
まだその携帯端末のようなコントローラーの方がやりやすいかと思い、ユラから受け取って操作をする。
端末のメニュー画面にあるのは
・モンスター
・アイテム
・マップ
・フレンド
・オプション
の五つだ。文字の表記やフォントから、子供向けなのかと思ったが、ゲーム機の入っていた箱には15歳以上推奨と書かれていた。
「モンスターは私が一匹作ったから、その子を使ってね」
「作った?」
「うん。最初のモンスターはステータスとかスキルとか自分で弄れる幅が広いの」
言われるがまま操作してモンスターを画面に表示させる。
紅黒い毛並みと紅い眼をした狼。犬ではなく狼だと分かったのは、少し荒れた毛並みに野生的な印象を受けたからだ。
「名前はルフです。こっちのボタンを押したら召喚出来るんだよ」
そう言ってユラがボタンを押すと、視界の端に黒い亀裂が走る。
まるで空間にヒビが入ったように割れていき、ピシピシと音を立ててヒビが大きくなっていく。
「お、おい、これ」
「あっ、僕には見えないので、眼鏡かけてないと」
その言葉にゲームであるということを思い出して、落ち着く。ひび割れた中から、獣の脚が蹴破るように現れて、黒い空間の割れ目から紅黒い毛並みをした狼が現れる。
思った以上にリアルな光景に驚き、一度眼鏡を外してそちらを見ると当然ながら狼はおらず、ユラの部屋があるだけだ。
「ルフはまだレベル1なので、弱いので強くしていくところからだね」
「お、おう。……とりあえずどうやったら戻せるんだ。狭い部屋だと結構圧迫感がある」
一度狼を亀裂の中に戻して、ステータスを見る。
「ステータスの項目は『HP』『SP』『攻撃力』『速度』『範囲』『賢さ』……か。最初の3つはなんとなく分かるけど、あとの3つはよく分からないな」
「『速度』はモンスターの動きの速さだよ。ターン制じゃなくて実際に動いて戦うので、かなり重要らしいよ」
「『範囲』と『賢さ』は?」
「『範囲』はプレイヤーからどれだけ離れられるかで、『賢さ』はプレイヤーの命令をどれだけ聞くか。どれも重要だと思うよ」
ユラの説明を聞いて頷いてから、ルフのステータスを見直す。
HP:250
SP:0
攻撃力50
速度:35
範囲:5
賢さ:5
「基準は分からないが、これはどうなんだ? SPって特殊な攻撃をするためのポイントだよな」
「うん。物理戦特化型にしたの。範囲はその数値と同じメートル分だけ離れられるの。ルフの場合5メートルだね」
「近くないか?」
「うん。そこも削って攻撃力に割り振ってるからね」
「……賢さは?」
「普通のワンちゃんぐらいかな」
「それ、ほとんど命令出来ないってことだよな」
他のモンスターを知らないからなんとも言い難いが、少しばかり戦うのが難しいのではないだろうか。
「でも、その代わり近接戦に持ち込めたらめちゃくちゃ強いよ」
「……そうか。まぁちゃんと考えているならいいが」
「うん。今、鳥のモンスターが魔法で遠距離攻撃してくるのが一番流行してるらしいけど、イクセくんなら何とかなるよね」
ちゃんと考えてなさそうだ。
適当にいじってパスワードの設定を変更したりしているうちに、ユラの母がアンパンニャンチョコとアイスココアを持ってやってきてしまった。
「はい。イクセくんはココア好きでしたよね」
「……どうもです」
「もー、お母さん、勝手に入ってこないでよ」
俺の食の好みが幼稚園に時代で固定されている。断るのも悪いので受け取って、出ていくのを待つ。
「あっ、せっかくだから、今日ご飯食べていきますか?」
「帰りますよ……」
ニコニコしているユラの母は、ユラとよく似ている。
珍しく恥ずかしそうにしているユラに追い出されて、姿が見えなくなった。
「もー、恥ずかしいなぁ」
「いい親だと思うけどな」
いつまでも子供扱いされているが、いい人ではある。あんないい人から、こんなわがままな娘が発生したことが不思議でしかない。
いや、優しすぎて甘やかしたからだろうか。おじさんもユラにはめちゃくちゃ甘いしな。
俺が彼女の母親を褒めると、ユラは眉をひそめて、俺の表情を伺うように顔を近づける。
前屈みになったことで、ブカブカの部屋着の襟から覗く薄い胸に一瞬だけ目を奪われ、すぐに目を逸らす。
「もしかして、僕に似てるからってお母さんを狙ってる?」
「なんでだよ」
「だって、イクセくんは僕のことが大好き。お母さんは僕に似てる……となると、お母さんのことも……!」
「色々とおかしい」
時計を見ると、もう結構な時間だ。ココアの残りを飲み干し、チョコレートをユラに押し付けると、ユラはくすりと小さく笑う。
「んぅ、昔も、よく僕にくれてたね。このお菓子」
「……昔から、甘すぎて苦手なだけだ」
「昔から僕の気を引きたくて仕方ないんだから、やれやれだ。イクセくん」
「あまり長居するのも悪いし、元々宿題渡すだけのつもりだったから、もう帰るからな?」
「……うん」
努めて普通そうに頷いたユラに、俺は携帯端末を見せる。
「ちょっとだけ帰りにゲームをしていくから、家から出たら電話かけるぞ」
そう言った途端にユラの表情が「へにゃり」と柔らかそうに崩れて「仕方ないなぁ」と口にした。
「帰り道がそんなに寂しいのか、可愛いやつめ」
「……夏休み、宿題教えに来ないぞ」
「そんなこと言って、困るのはイクセくんの方だからね?大好きな僕に会えない日が出来るなんて、イクセくんが耐えられるはずがない……。僕が勉強苦手なのは、イクセくんのためなんだよ?」
さっさと帰ることにする。
帰りに下の花屋で、ユラの母が店員をしていたので花の購入を諦めて、そのまま外に出た。
夏の日差しが、少しばかり不快で、先ほどまでの部屋が嫌に恋しい。