幼馴染みは引きこもり
「小僧。いい目をしているな。俺の若い頃にそっくりだ」
と、ゴミ捨て場でゴミの中にに埋まっているおっさんに言われてから数日後、俺はゴミ捨て場で埋まっていた。
「……予言者かよ。あのおっさん」
落ちた先がゴミ捨て場だったのは幸いだった。
全身が痛むが、骨が折れたりはしてないし、臭くて汚いだけだ。
携帯端末から少女の声が聞こえる。
『イクセくん、大丈夫だと思うけど一応形式的に聞いておくね。大丈夫?』
そんな少女の声に俺ではなく、別の男が答える。
「大丈夫だと思うよ。イクセは丈夫だからね」
四階からの落下したのだから少しぐらい心配しろ。
ゴミを払いながら立ち上がる。
「……お前らな。最悪死んでたからな? よくて骨折だ」
「余裕そうだよね」
『余裕っぽいね』
「そんなことより、そろそろ逃げないとやばいかもよ」
人の駆け足の音が聞こえ、会話を打ち切る。
少女と通話したままの端末をポケットに突っ込んで、追われているというのに余裕そうに欠伸をしている男と共に走り出す。
「イクセ、ペース合わせてよ。むしろ背負って」
「自分で走れ。シオン」
ああ、ゲームをしていただけなのに、なんでこんな目に遭うのだろうか。いつ何を間違えたのか、
路地裏に入り込み、追っ手の視線から逃れてから、男の腕を掴み、走る勢いのまま壁に脚を付けて駆け上がる。
「わー、俺、飛んでる」
「舌噛むぞ」
筋力により力づく壁を駆け上がって、たまたま三階の開いていた窓にシオンを投げ入れて、自分も入り込む。
なんでこんなことになったのか。ため息をついて、俺は数日前を思い出した。
◇◆◇◆◇◆◇
俺こと、神林 生世は自分でも似合わないと分かっている花屋の前に立ち、中に入る。
花を買っていくような彼女がいるとか、何かの祝い事とかではない。
花に目を向けることなく歩くと、ひとりの女性が俺に気がついて作業をしていた手を止める。
「あっ、イクセくん。こんにちは」
「こんにちは。ユラはいますよね?」
「あー、うん。えーっと、ありがとうございます。いつも娘が面倒を掛けて」
「いえ、別に気にしていませんよ」
顔なじみ……というか、幼い頃からの知り合いである父の友人の女性は、申し訳なさそうに俺にぺこりと頭を下げた。
俺の家と、この花屋を経営している家族とは、家族ぐるみでの付き合いがあり、この女性のこともよく知っている。
親と同じ年齢だが、昔は「お姉ちゃん」と呼んでいたこともあり「おばさん」呼びにはしにくい。
見た目がとても若いというのも相まって、何て呼べばいいのか難しく、最近は話すことにも気まずさを感じるようになってきた。
「オヤツも持っていきますね。イクセくん、アンパンニャンチョコ好きでしたよね」
「……いえ、そんなに長居しないのでお気遣いなく」
もう高校生になったというのに、この女性の中の俺はまだ幼稚園児のときと同じなのだろうか。顔もそこそこいかついし、背も結構あるんだが。
そんなやりとりをして、自分の家と同じほど慣れた家の中に入る。階段を上がって見慣れた扉をノックすると「入っていいよー」と、少女の声が聞こえる。
鍵も掛かっていない扉を開けて中に入ると、半分ほどパジャマがはだけた、白い肌を露わにした少女がこちらを見て微笑んでいた。
「イクセくん、おはよー」
「……服をちゃんと着ろ!」
上も下も、下着が見えてしまっている。背が低く華奢、小柄、幼い、薄い肉付きの少女だが、それでも俺と同じ年齢の女子であり、少ないながらも胸もある。
同級生の男に肌を見られたというのに、少女は照れた様子もなく不思議そうに首を傾げて、パジャマに手をかけてするすると脱いでいく。
「着ろと言っただろ」
「んー、だから着替えるために脱いでるんだよ?」
俺が目を逸らしながら言うと、少女は不思議そうに俺の顔を覗き込んで答える。
「着替えてる途中なら、入っていいと言うな」
「イクセくんは僕の裸なんて見慣れてるから気にしないかなぁって」
自分のことを「僕」と呼ぶ彼女は、水元 優良。昔からの……それこそいつ知り合ったかすら分からないほど幼い頃からの知り合い。いわゆる幼馴染という存在だ。
身長は俺よりも30cm以上低い140cmほど、それに体の線も細く筋肉も脂肪も薄い。
顔立ちの幼さも相まって、数歳は差が開いて見える。
「見慣れてたまるか」
「んー、でも、この前まで一緒にお風呂入ってたよね?」
「何年前の話だ!」
「4年くらいかなぁ」
部屋着に着替え直した彼女を見る。
ゆったりとしていて薄手の部屋着は着心地が良く落ち着くのかもしれないが、それでも男の前に出るには露出過剰で見ているこちらが落ち着かない。
だが、意識していると思われるのも気恥ずかしく、ユラの服装には触れずに鞄から夏休みの宿題を取り出す。
「ほら、ちゃんと渡したからな? 宿題ぐらいやれよ?」
「なにこれ?」
「夏休みの宿題」
「……夏休み?」
ユラの言葉に思わず頭を抱える。あまりに白い肌を見れば分かるように、ユラは引きこもりだ。
ベッドから落ちるように伸びた白く細い脚は、長らく陽に当たっていないことや、ほとんど歩いていないせいだろう。
「お前な……」
「あー、世間は夏なんだったっけ」
「ここも世間の中だろ」
鎖骨が見えている首元から極力目を逸らしながら言う。
「あんま説教じみたことは言いたくないんだけどな。今こんな調子で、将来どうするつもりだよ」
「イクセくんが面倒みてくれるから、イクセくんは心配しなくても大丈夫だよ」
「色々とおかしい」
ユラの形の良い薄桃色の唇が小さく動く。
「おかしくないよ。イクセくんは、僕のことが大好きなんだから、僕のお世話を出来てイクセくん幸せ、僕も幸せ、ついでにお母さん達も安心出来て幸せ」
ユラは寝癖のついた長い黒髪を揺らすように、首をこてんと傾げさせ「ね?」と嬉しそうに笑みを浮かべた。
「『ね?』じゃねえよ。いいから夏休みが終わったら学校に行け」
「んぅ……なかなか難しいことを言う。まぁ、そんなことよりね」
学校をそんなことよりで済ませるな。
彼女はベッドの下からゴソゴソと漁って本を取り出す。
「これなんだけどね」
ユラが取り出したのは、どう見てもエロ本である。意味が分からないと思いながらページをめくると、裸の女性が扇情的なポーズをしている写真が並んでいる。
これは……と、見ていると、顔を赤くしたユラに頭をぽこんと叩かれる。
「間違えた。これ、藍くんから没収したものだった」
「ああ、弟の物か。返してやれよ。というか、なんで叩いた」
「イクセくんがエッチな目で見てたから……。えっと、そうじゃなくてっ! これ、新しいゲーム買ったの!」
またゲームか。ユラの母にアンパンニャンチョコを渡されないためにも、さっさと帰る予定だったがもう少しかかってしまいそうだ。
ユラがベッドの下から新たに取り出したゲームは、普段彼女としかゲームをしない俺でも知っているほど有名なゲームだった。
「それって、確か、あれだよなAR(現実拡張)ゲームの」
「うん。アナザーモンスターズってゲーム。最近流行ってるって聞いたお父さんが買ってくれたんだけどね」
その言葉を聞きながら、ブカブカの部屋着から伸びるユラの細腕を見る。
ARゲームとは、最近ではさして珍しくもないジャンルのゲームだ。
特殊な端末を用いて現実の光景とゲームの映像を併せることで、実際にゲームの世界に入り込んだかのような感覚にさせるというものだ。
その性質上、普通のゲームのように室内でするわけではなく、外に出て遊ぶもので……。
「この通り、僕って引きこもりだから、外には出れないんだよ。お父さんもちゃんと調べて買ってほしいよね」
「いや、出ろよ。それ、おじさんがユラに引きこもりを脱却してほしいから買ったんだろ」
「でも、興味はあるんだよ」
「じゃあ外に出てやれよ」
ユラは首を横に振って俺に言う。
「だから、イクセくん、僕と通話しながらこのゲームの実況をしてほしいなって」
おじさんが可哀想だ。俺はユラの父親に同情を覚えながら、そのゲームを押し付けられた。