表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

 メリルを訪ねると、使いで外出しているらしく留守だったので、下宿の主人が話し相手になってくれた。下宿の主人とも顔見知りだ。

 話題はやはりメリルの事になった。イストの顔を意味ありげに見つめながら、「そろそろ結婚を考えてもいい歳だけどねえ」と言ってくる。主人はかねてより、メリルにいい相手が見つかって欲しいと願っていたそうだが、どうやらイストは合格らしい。

 頷いて、「年下でも立候補出来るでしょうか?」と真面目な顔で返しておいた。

 主人も満足げに、「メリルちゃんも、やっと幸せになれるかね」と微妙にかみ合っていない会話を続けた。


 メリルにとっての幸せとは、一体なんだろう。家族が戻ってくる事は無い。貴族の暮らしに戻りたいようにも見えない。現状では、この下町で平穏に過ごす事が、最良なのではないか。

 イストがしようとしているのは、幸せにするどころか、彼女の生活を全て壊す事だ。

 メリルは気を許した友人に裏切られた挙句、慣れ親しんだ町を強引に連れ出されるという不幸に見舞われる。

 かわいそうなメリル。こんな自分に好かれたばかりに。


「メリルちゃん、遅いねえ」

 主人の妻が、心配そうな顔で出てきた。イストが来る随分前に使いへ行ったのに、まだ戻らないのはおかしいと言う。うろうろと落ち着き無く歩き回り、主人にしきりに話しかけている。ゾランの事があるから、また誰かに捕まっているのではないか、うちのメリルちゃんは美人さんだから、等と言って、おろおろとしている。

 メリルが美人だというのは認める。内面は冷静で物怖じしない彼女だが、見た目は大変可憐な女性だ。見知った町の人々なら心配無いだろうが、余所者ならしつこく付き纏うかもしれない。


「僕、探してきてもいいですか?」


 イストが言うと、主人の妻はその言葉を待っていたとばかりに食いついた。


「本当かい?」

「ええ。少し見てきますね。彼女が向かった場所と、通りそうな道を教えていただけますか」

「すまないねえ、イスト君……ええとね……」


 紙に書き出したので、素直に受け取り、説明を受ける。渡された紙をさっと見て記憶すると、大体の目星を付けた。

 ――ゾランの住まいが近いのが気になるな……。

 先にメリルに目を付けていた男を思い出し、少し嫌な予感がした。



 下宿を出ると、人気のない路地に入る。壁に背を預けた。程なくして、イストの耳に聞きなれた声が入ってくる。


「殿下、御耳に入れたいことが」


 密やかに告げられる声。驚く事無く、「それは、メリル・アーガストの事か?」と聞き返す。


「はい。先ほど報告がありました。メリル様がゾランの手の者に連れ去られたようです。申し訳ありません、護衛が目を離した一瞬の隙に」


 メリルには、イストが手配した護衛を付けていた。自分が彼女を連れて行く前に、万が一の事が無いようにだ。

 保険程度のもので、大して心配はしていなかった。しかし、あれほど忠告したというのに、ゾランは救いようのない愚か者だったようだ。

 護衛を任せていた者にも呆れながら、溜息を吐く。


「追っているんだろう? 場所は」

「はい。さほど遠くありません。ご案内します」

「いい。俺が行ったほうが早い。先に教えてくれ」

「しかし……」

「言っておくが、お前達より俺の方が先達だ。王子の自覚が芽生えたのはつい最近だからな」

「……そうでしたね」


 言いくるめ、行き先を聞いて頭に入れる。「先に行っている」と告げ、導き出した最短の道に向かい、駆け出した。


 存在を忘れられていた頃の自分が顔を出す。

 王家を裏で支える者達に自ら教えを乞うた。自分が王子として見てもらえる日が来るとは思っていなかった。

 ただただ生きるために、逃れるために、ひっそりと、王子らしからぬ事を身につけてきた。

 暴力に耐える体。力を逃がし、痛みを受けているように見せる方法。毒に耐える体。物を見分ける力。生きる事には貪欲だった。

 自分の生き方はこれしかない。生きるためには、裏方に徹するのみ。殺される側では無く、殺す側に回りたいと、どこかで思っていたのかもしれない。

 その力は、母を守るためには発揮されなかった。攻撃することしか、覚えていなかったから。守る力を身に付けようと思ったのは、母が死んでからだ。


 表舞台に引きずり出されるようになって、生き方は変更せざるを得なくなった。

 今は何に耐える必要も無い。やられたら、やり返す。

 確かに横取りしたのは自分だが。

 唯一の王子がメリルを望んでいるのだから、ゾランには諦めてもらうほかないだろう。



 メリルが連れ去られて、それほど時間は経っていなかった。連中に追いついた時、メリルは中間地点にあるゾラン所有の家に連れ込まれるところだった。

 これまでも悪事に使われてきたであろう、人の寄り付かない古い家だ。あちこち壊れかけている。

 お誂え向きに周りに林があるものだから、こそこそと入っていく姿を見れば、これから悪い事をしますと言わんばかりである。

 後に本邸へ連れて行くつもりだろう。しかし、こちらとしても好都合だった。林の中なら、人目につかずに済む。

 犯人は三人居た。全員大柄な男だ。一人が大きな布袋を担いでいる。

 よくあれで道中捕まらなかったな……と思った。ゾランは雇っている者も似たような馬鹿なのだろうか。運良くここまで来られたようだが、残念ながらここで彼女は回収する。


 ドアを開けようとする連中の背後に降り立ち、三人全員にすばやく衝撃を与え昏倒させた。一人が担いでいた布袋を受け止める。人が入っている感覚があった。

 もう一人気配を感じたので、反射で蹴りを繰り出しながら振り返ると、かわされた。

 一人の男がぎょっとして、「げ!」と叫ぶ。両手で体を庇いながら、一瞬で後退した男は、イストの顔を見て、まずい、といった表情を浮かべた。


「で、殿下。お早いお着きで……」


 ははは、と笑いながら、地面に倒れた男三人を眺めている。彼は目線を彷徨わせ、再びイストを見た。


 ――馬鹿が!

 メリルの意識があるか、まだ分からない。“殿下”という呼び名が聞かれたかもしれないと焦った。

 布袋に目を向ける。反応は無い。声を出せない状態なのか、それとも眠っているのか、確かめる必要があった。

 その場にゆっくりとおろし、布袋の口に手を掛ける。


「役に立たない護衛は、随分遅かったな」


 紐を解きながら、最初にまんまと出し抜かれた護衛に嫌味を言う。


「すみませんでした!」


 勢いよく頭を下げてきた。


「許さん。減俸だ。伝えておく」

「え、減俸で済むんですか?」

「……向こう十年休み無しだ」

「急に重過ぎる!!」


 余計な事を言わなければ良かったと言って、護衛の男が項垂れた。


 袋の口を開いて、出てきたのは、メリルでは無かった。

 口を塞がれて、瞼を閉じた、見知らぬ女性の顔に驚愕する。若い女性だ。意識は無いようだが、生きていた。恐らく、メリルの他にも攫われた人間がいたということだろう。

 つまり、メリルは。


「まずい、メリルはまだ中だ。おい、この女性を頼む」

「え、ちょ、殿下! 俺も行きますって」


 油断しすぎた。ゾランが家の中に居なかったとしても、他に雇われた男にメリルが乱暴される可能性はある。一刻も早く助け出さなければ。


 家は二階建てだった。ぼろだが、結構広い。

 一階には、数人の若い女性が、意識を失った状態で倒れていた。近くに、運び込まれた際に使われたであろう、布袋も放り出されている。

 拘束はされていなかった。開放された後といった様子である。


 おかしい。


 意識が無いとは言え、手足を自由にしたまま放置するだろうか。普通は袋から出しても、縛るなり何なりしておくだろう。それとも、よほど強い薬で眠らされているのだろうか。

 ここにメリルは居ない。

 不審に思いながらも、二階に続く階段に足をかけた。


 階段を上がる途中で、大きな音が響いた。床に何かを叩き付けたような音だ。二階から聞こえてくる。

 ――メリルに危害を加えてはいないだろうな……もしそうなら……

 きっと彼女なら、勇ましく反抗する。もし意識があれば、大人しくしているはずが無い。

 抵抗した事で、彼女が暴力に晒されているのなら……犯人達には、同等以上の苦しみを与えた上で、その四肢を二度と使い物に出来なくしてやろう。完膚無きまでに、その精神までも徹底的に砕いてやる。

 焦る思考で、犯人達の悲惨な最期を想像した。

 階段を叩くようにして、二階に辿り着く。


 イストの実力ならば、ドアの向こうで待ち構えられていると、気付けたはずだ。だがメリルの安否を気にするあまり、冷静になりきれていなかった。

 取手に手をかけて、回す。開けた瞬間、目に映ったのは――


 視界が白で埋め尽くされる。

 それが自分に向かって投げられた布袋だと気付く前に、強い力で後ろに引っ張られた。体勢を崩し、中腰になった頭の上を、勢いよく蹴りが通過するのが、感覚で分かった。

 布を顔に被ったまま、「殿下!」と護衛が口にしたのが聞こえ、二度目の失態を叱責しようとも思ったが、今その護衛に助けられたところなので、止めておいた。まともに蹴りを頭に食らっていたら、意識が飛んだかもしれない。

 布袋を掴む。


「“殿下”だと……? そこにいるのは、まさか!」


 思わず手を止めてしまった。

 止まったのは一瞬で、頭の中を整理するよりも早く、布袋を取り払う。


 ――ああ、やっぱり。

 部屋の中には、やはり他にも男達がいた。その内の一人に、ゾラン・ステヴンもいる。しかし数人いる犯人達は皆、床に倒れていた。

 必然的に、彼らを伸したのは、今蹴りを繰り出した人物だと思われる。恐らく、他の仲間が二階に上がってきたと思い、迎え撃ったのだろう。


 ――布袋、取り払わなければ良かったな。

 イストにメリルの顔が見えているのだから、彼女にも自分の顔は見えている。

 “殿下”と呼ばれた自分の顔が。


「イスト……」


 戦闘態勢のまま目を見開いたメリル・アーガストが、イストを見ていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ