③
王族が相次いで亡くなり、今まで注目されていなかった末の王子が、王位継承権第一位となったのは、国民の誰もが知る話だ。
彼の名前は、エイスリード・シャルレイン。
母親は平民出の側室で、強い後ろ盾も無かった。しかし王の寵愛を一身に受けていたため、他の妃たちの嫉妬を買い、早々に殺されてしまった。
母親の感性を強く引き継いでいた王子は、王宮の暮らしに馴染めず、母が亡くなってからはさらに王族や貴族に猜疑心を抱くようになっていた。
彼らは常に互いを監視しあい、蹴落とそうとする。暗殺は当たり前に行われ、エイスリードは息を潜めるように生活した。
王位になど興味は無く、争いに参加する気も無い。他の王子達に蔑まれ、見下されようとも、陰湿な嫌がらせや暴力を受けても、彼は黙って耐えた。
死にたいと思うほど絶望はしていなかった。母が死んだ時より辛い事は、もう無いと思っていたからだ。
母の時には何も出来なかったが、彼は自分のために何かしようとも思えなかった。少しでも反抗すれば殺される。味方のいない王宮で生き延びるには、目立たないようにするのが一番だった。
十人以上いた兄弟は、いつの間にか数を減らしていた。
最後の数人は、互いが差し向けた毒や刺客で同時に命を落とし、気が付けば生き残りはエイスリードただ一人。誰も想定していない事だった。
王位争いで亡くなったのは、王子達だけではない。次期国王を産む可能性のある側室達も狙われた。
国王も高齢で、妃もどんどん減っていく。エイスリード以外の王子が全員死に絶えたところで、王位争いは収束を見せた。
多くの人が死に、誰もが疲れていたのだろう。周りは掌を返し、エイスリードを持ち上げ始めた。彼が王位を継ぐのは、殆ど決定事項だった。
王宮の隅で、ひっそりと過ごしていたのに、急に重責が増し、エイスリードは疲れ切っていた。
王族として教育だけは一応されていたとはいえ、学ぶ事は多い。彼に拒否権は無いのだ。毎日の忙しさに嫌気が差し、彼は王宮を抜け出すばかり考えるようになった。
今まで逃げて、隠れて生きてきた。逃れるのは得意だ。しかし一人で外に出るのは無理がある。
最初は一人きりだったが、王宮で少しずつ、信用出来る味方を増やしていった。そしてある時、下町へ行くことに成功する。
協力者を言いくるめて、一人で外出するようにした。戻るとは言ったが、いずれはそのまま帰らないつもりだった。彼は、外の世界で生きていこうと考えていたのだ。
何度か下町で過ごしてみると、食堂のダリマーを始め、気のいい人たちと親しくなり、別の気持ちが芽生え始めた。
国民の姿を、日常を見る事で、もっと国を良くしたいと思う自分に気が付く。段々と、彼らのためになることをしたいと思うようになっていった。
自分では擦れていると思っていたエイスリードは、下町の温かさを好きになった。
だが心にあるのは、綺麗な感情だけでは無い。困っている人を端から助けるほど、イストは善人では無かった。
自身の経験から、「酷い事」の基準も低くなっていたから、よくある話、些細な話だと、捨て置く時の方が多いのも事実だ。
“エイスリード”では、いかにも王族らしい。下町では、イストという、母親が二人きりの時に呼んでくれた愛称を名乗った。
平民は短い名が主流だ。貴族は、王家の血縁ならば長い名前の者もいるが、普通は遠慮して、短い名前にする。
エイスリードは王族によく現れる金髪だ。王族以外は貴族平民関係なく、茶髪や黒髪が多い。
金髪だと目立つので、髪は黒く染めた。王家の伝手で質の良い染髪剤を使っているので、髪はあまり傷めずに済んでいる。
平民で、黒髪、十六歳の少年イスト。
それが、王子エイスリードが下町に来る際の、仮の姿だ。
イストも毎日下町に出るわけではない。
たまに来る時は食堂や大通りの店を見て、必ず下宿にも寄るようにした。
数回通う内に彼女の仕事が終わる時間を把握すると、それに合わせて会いに行くようにした。長話はしない。通りかかったから、友人に声をかけただけという体で、挨拶を交わすだけだ。
しつこいと思われないように、彼女の中に良い印象が残るように心がける。下宿に行く時は、気合を入れて猫を被った。メリルと親しくなるのは、そう難しいことではなかった。
ゾランの件については、早々に手を打ってある。今頃彼は青い顔をしているだろう。ゾラン・ステヴンなど遠く及ばない、王家に縁のある貴族が、メリル・アーガストに関わるなと言っているのだ。「メリルはいずれその貴族に嫁ぐ予定だから、手を出せば分かっているな」と忠告しておいた。
時期的に、イストとの関係性に気付かれたかもしれないが、分かったところで彼に手立てはないので、別に構わない。少々きつめに脅させたので、ゾランはもう下町には来ないだろう。
メリルにも、ゾランがもう町に来られる状況では無い、という情報は流れるようにしておいた。町の住人の反応は、一安心といったところだ。貴族に嫁ぐ云々は、有耶無耶にする事が出来た。
イストは上機嫌だった。
これで心置きなく彼女に会える。
王宮ではにこりともしない、冷めた表情のイストだが、メリルと会っている間は顔が崩れるので、幼く見られる事もしばしばだ。
誤算ではあるが、それでメリルも気を許しているようなので、まあいいかとイストは思った。
下宿の出入り口近くにある椅子にメリルと二人で腰掛けて、彼女の話を聞く。
メリルは、貴族としての交友関係しか築いていなかったため、この町に来てからは同世代の友人がいなかったらしい。新しい生活に慣れるのに必死で、暇も無かったが、こうしてイストと知り合えて嬉しく思う、とメリルは語った。
周りは世話になった人ばかりで、砕けた会話を出来る相手はいない。しっかり自立して見える彼女は、ふとした時に寂しくなるのだ。彼女も友人に飢えていた。家族はもう、いないから。
「私が王族を恨んでいる理由を、気にしていただろう?」
家族の話で、メリルは辛そうな顔をする。以前言いかけた続きを、王族への恨み言を、彼女は口にした。
「父も母も、屑みたいな王族のせいで死んだ」
聞き役に徹して、彼女の横顔を見つめる。
「私は王族が嫌いだ。イストに、私の考えを押し付けるつもりは無い。これは個人の意見だ……
王子達が勝手に殺し合っていたのは、国民も知っているさ。だけど何で、王子が乗るはずだった馬車に、両親が乗らなければいけなかったんだ?
崖から突き落とされると知っていた、殺されると分かっていたなら、そもそも馬車に乗らなければいいじゃないか。だけど身代わりを用意した。他の王子達を、罠を仕掛けた相手を出し抜くためだけに!
勿論私も両親も、その事は知らなかった。王族のために死ぬつもりなんて無かった。でも噂はどうしたって流れてくる。どの王子が死んだ、また暗殺だ。跡継ぎが最後の一人になるまで殺し尽くして……身勝手な王族に振り回されて、一体何人死んだと思う?
どうせ残った奴も、ろくなものじゃない。どうして恨まずにいられるか。……吐き気がするよ」
メリルは最初、周囲を気にした様子で声を小さくしていたが、感情が高ぶった時には、抑えきれずに荒れていた。
穏やかではない話だ。令嬢の声に似つかわしくない。
王位争いで、何人も死んだ。王子も、妃も、それぞれの派閥の貴族達も。
彼女の話にあるように、身代わりを立てることもあったようだ。
身内に平気で毒を盛る彼らは、邪魔だと思えば、周りの貴族も平然と殺した。利用するだけ利用して、口封じに殺した。まだ産んでもいないのに、王子を産むかもしれないという理由で、若く美しい妃から先に殺した。イストの母も、あっけなく。
メリルの嘆きも、恨みも深い。王族を庇うような事を言うつもりは無かった。イストも同意見だからだ。
その“ろくなものじゃない”最後の王子が、イスト自身というのは、皮肉でしかないのだが。
強い憎しみの篭った瞳も美しかった。
彼女に惹かれるばかりだが、その目を自分に向けられる覚悟は、まだ無い。自分は死んでいった王族とは違うと言ったところで、彼女を無理やり自分のものにしてしまえば、説得力など皆無だ。彼女が真実を知った時、今と同じように接してもらえるとは思っていない。イストはいずれ、憎しみをその身に受ける事になる。
もう少しだけ、ただのイストとしてメリルの友人でいたかった。
「すまない、少し取り乱した」
メリルが、申し訳無さそうに眉を下げ、イストに顔を向ける。
「いいえ、気にしないで下さい」
イストはゆるく首を振る。いつも通り微笑んだつもりだ。
「イストは、礼儀正しいな」
「そうですか?」
「ああ。聞き上手だから、つい口が滑る。言い方も丁寧だし、柔らかい印象だ。話していて心地よい」
「僕も、メリルさんと話していると楽しいです」
月色の瞳が、三日月に細められた。
自分も、上手く笑えているだろうか。