①
毒見が終わった後の冷めた食事は、いくら高級な食材で、一流の料理人が作っていようとも、不味く感じる。
兄弟達はことごとく毒殺された。出される食事に口をつけるのも、嫌にもなるだろう。
気を張らずに、安心して温かい料理が食べたいものだ。
慣れてはいるが、一人の食事も味気ない。母がいた頃を思い出しては、一層虚しく感じた。広いテーブルに並んだ豪勢な料理を一人で食べていると、腹の代わりに胸が空っぽになっていくようだった。親しい人と共にする、質素でも賑やかな食事に憧れた。
下町に出向くようになったのは、それが理由だ。
身分を隠して髪を染め、大衆食堂に通う。すると、隣の席にかけた顔見知りが気軽に話しかけてくる。
食堂の常連は大体知り合いだが、彼らは話しかけている相手の身分など知らない。歳若い自分に、人生の先輩として色々な話を語って聞かせてくれる。その態度が心地よかった。
ここでは自分は、ただのイストという十六歳の少年だ。
殺伐とした、暗殺に怯える日常を思い起こさせることのない、穏やかな時間が流れる場所だった。
注文した料理が運ばれてくると、イストはナイフを持ち、焼かれた直後で湯気を出している肉を大きめに切り分けた。
初めてここで食事をした時、小さく切って口に運んでいたところ、「ずいぶん上品に食うんだなあ」と言われたので、それからは気を付けている。その時一口ずつゆっくりと咀嚼している者は、イスト以外に居なかった。
この店に女性客あまり来ない。イストのような若者も少数派だが、常連は殆ど中年男性だ。
周りに倣って、なるべく豪快に見えるように、大きく口を開ける。もう慣れたものだ。自分は違和感無く店に溶け込めているだろう。
料理を味わっていると、イストの隣に座っている男性客が、店主のダリマーと話し始めた。
「そういやあ、また例の貴族の悪い癖が出たよ」
最初に口を切ったのはダリマーだ。
「今度は、メリルちゃんに目を付けたらしい。あの子も元貴族だからよ、どこか品があるだろう? 気に入って、妾にしようとしているみたいだ」
「そんなの、あのメリル嬢が了承するわけねえだろ」
否定した男性客に対して、ダリマーは首を振った。
「了承も何も……拒否権なんて無いじゃねえか。逆らったら何をされるか分からん。気の毒だが……」
「強欲貴族が……何人女を囲えば気が済むんだ。これだから貴族は嫌なんだよ。いや、メリル嬢は別だけどよ。彼女も被害者だからな……だけど大概の奴は、俺達平民を同じ人間とすら思っちゃいねえ」
ダリマーと男性客は大きく溜息を吐いて、二人揃って顔を歪めた。
このような話題は度々出る。下町の近くに居を構える貴族が、悪徳で有名なのだ。
知ったのは下町に来るようになってからだ。特に珍しくも、いちいち出て行くような問題でも無い。地方にいけば、もっと酷い扱いを受けている平民もいる。例の悪徳貴族は、まだましな方だろう。
権力ある者が下位の者を虐げている事実は、イストの心に何の感慨も残さなかった。噂を耳にしてから、何か行動を起こした事も無い。
イストもまた、虐げられてきた者だが、ずっと耐えてきた。耐えすぎて、もう心は麻痺してしまった。
イストは大衆食堂を出ると、通りの店に顔を出した。
下町ですることといえば、ダリマーの店で食事をする事と、後は知り合いの店を見て回るくらいだ。町の人々も、愛想良くイストに話しかけてくれる。
必要な物は自分で買わずとも手に入るが、こうして実際に眺めるのもいい。自分が本当にこの町の住人になったかのような錯覚に陥る。要はただの現実逃避だ。
果物を売る中年女性の店員と会話を楽しんでいると、不意に彼女が嫌そうに眉を顰めた。目線はイストの後方、大通りに向いている。
どうしたのか問う前に、「ああ嫌だ、またあの貴族が来たよ」と店員が言ったので、彼女が不機嫌になった理由が分かった。
店員に合わせて、イストも困ったように眉を下げた。いかにも気弱そうな、権力に怯える少年の顔を作る。
――貴族ねえ。貴族の何が偉いんだか。
苦い表情の裏で、イストは毒を吐いた。
イストは基本的に、貴族に対して良い印象を持っていない。
兄弟達が生きていた頃、陰では下賤の子と罵られ、でしゃばれば彼らに排除されそうになり、生まれてきた意味を否定され続けた。
目立つ事をしなければ、率先して始末される事はなかった。代わりに他の有力候補が先に殺されていった。彼らは最初から、末の王子が脅威になり得るとは考えていなかった。
イストは忘れ去られていただけの存在である。兄弟達がイストを無視して、勝手に殺し合っただけだ。そして下賤の子だけが生き残ったのだから、誰も得をしない結果になったと言える。勿論イストにとっても。
イストの事を散散見下し、扱き下ろしてきた貴族連中が、唯一の跡継ぎとなった自分に今更媚を売ってきた所で、どうしようとも思わない。イストは冷静に、掌を返した貴族達を排除した。平民の側室だった母を死に追いやった者達には、相応の報いを受けさせた。
復讐という程のものでもない。イストは何の努力もしないで、権力を手に入れたのだから。
見返してやったという気持ちは起きなかった。寧ろ、全てが虚しかった。
実を言うと、この町で評判の悪徳貴族を見た事は無かった。
興味など無かったが、町で遭遇すると面倒だ。顔くらいは覚えておいた方が良いかもしれない。馬車の音は聞こえなかったから、何処かに停めて歩いて来たのだろう。どんな顔か見てやろうと思い、イストは遅れて店員の視線を追った。
イストが振り向いた時、丁度悪徳貴族らしき男性と目が合ってしまった。
瞬間、まずい、と思う。彼の目に嫌悪が見えたからだ。
平民と目を合わせる事が嫌だったのか、それとも別の理由からかは分からなかったが、その貴族は眉間にしわを寄せて、イストの立っている方へ足を向けた。つかつかと歩いてくる。面倒を避けようと思ったのに、先に面倒を呼び寄せてしまったようだ。
はっきりと顔を見られている。どうせここで逃げても、厄介な事に変わりは無い。諦めて、彼が来るのをその場で待った。
貴族男性は、イストの前まで来ると、上から見下ろし睨みつけてきた。彼の方がやや背が高い。
彼は舌打ちして、忌々しげに言い放った。
「おいお前、見ない顔だな。気に食わない顔だ」
顔がお気に召さなかったらしい。言いがかりだと思いつつ、この町の住人ではない事を告げる。
「ここへは旅行で来ているのです」
「気に食わん。名前は」
理由も気に食わないと言う。この男はとにかくイストのやる事成す事否定したいのだろう。
少し懐かしさを覚えた。嫌な感じだ。
「イストといいます」
それでも善良な一般人を装い慇懃に答えると、彼は「ふん」と鼻を鳴らした。
「お前、この町には二度と来るな。私の行く所に顔を見せるな。イストという名の男は町に入れないように手配しておく」
当然のように理不尽な要求をしてくる。
適当にこの場を流そうと思っていたが、流石に町に入れないのは困る。数少ない息抜きなのだ。今すぐ強制的に追い出されては厄介なので、対処するために彼の名前を聞き出しておこうとした。
「貴方は何という名前なのですか」
名前さえ分かれば、イストの権限でどうとでも出来るだろう。軽く考えて口にしてしまったが、彼は顔を真っ赤にして怒鳴り散らしてきた。
「お、お前!この私を知らないのか!」
思ったより幼稚で扱いづらい相手だ。旅行者だと言っているのに、名前を知らないと怒る。
後で調べれば良かったと、少し後悔した。周りには遠巻きに町の住人が集まって来ており、心配そうな表情でこちらを見ている。イストの事を案じてくれているようだ。
あまり目立ちたくは無い。今からでも何とか穏便に済ませたいと思い、言葉を選んでいると、貴族男性が「ゾラン・ステヴンだ! 二度と言わんぞ」と喚いていた。
耳には入っていたが、考え事をしていたので、結果的に無視する形になってしまう。
はっとして何か言おうとしたが、彼が激昂して拳を振り上げる方が早かった。




