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術師見習いの少女

作者: 楠木鷹矢

 街からは少し離れた、やや寂れた場所に、その洞窟はあった。1000年以上前に、遊牧の民がそのオアシスに定住してから見いだされたその場所は、暑い昼日中であっても、一歩入れば、ひいやりとした、少し湿り気を帯びた空気に包まれていた。

 自然に刻まれた内部の回廊は、歳月をかけて人の手により、より複雑な迷路となっている。ところどころに掘られた玄室は、かつては食料の保存や、記録媒体の保管場所に使われていたが、そのほとんどが今は街の中心部にある図書館や、水源に近い街はずれに建てられた、よく管理された倉庫に移されており、ほぼ空になっていた。

 埃にまみれたサンダル履きの足で数歩踏み入り、少年は立ち止まって身震いする。太陽が降り注ぐ眩しい外界に慣れた目が、ところどころにに置いてあるろうそくの光に照らされた、暗い洞窟内に慣れるまで、彼はゆっくりと瞬きをしながら待った。頭のてっぺんから足の先まで覆った布を、少しきつく自分に巻きつける。

「寒いか」深く落ち着いた男の声が、静かな洞窟内の壁に反響する。ろうそくの淡い光と、入り口から差し込む外の明るい太陽の照り返しが、豊かな赤銅色の髪と髭に縁どられた、褐色の顔を照らし出す。

「いいえ」答えて子供は首を横に振った。「大丈夫です」まだ子供らしさは抜けないが、かと言って、幼いあどけない声ではない。

「目が慣れるまで、少しかかるだろう。足元に気を付けなさい」男は言って壁のくぼみに置いてあったランプを手に取り、静かに燃えるろうそくの一本に近づけて火を移す。くすぶるような音を立ててランプに火が灯ると、奥へと向かって歩きだした。

 暗さに慣れて来た目で、興味深げに暗い回廊を見回していた少年は、置いて行かれまいと小走りに男の後ろを追った。

 回廊はぐねぐねと曲がりくねって続いており、分岐している場所も多かった。外部の者がうっかり奥まで踏み込めば、そう容易くは出てこれないように思われた。所によって高くなったり、大人が屈まねば通れないくらい低くなっている天井には、むき出しの岩盤の中にところどころ輝くものが見られる。岩に含まれている小さな水晶石が、ランプの光を反射しているのだった。

 男は黙ったまま、先を歩いて行く。サンダル履きの乾いた足音が、岩壁に響く。

 涼しい回廊内部を5分も歩いただろうか、背の高い男の後を早足で追っていた少年は、自分に巻きつけた布を緩めた。頭を隠していた部分が少し後ろにずれて、汗のにじんだ白い頬が露わになった。子供は少し足を止め、布を目深にかぶりなおすと、また、足早に先を歩く影を追った。

 ややしばらくして、外の光が差し込んでいるのが見えたと思ったとたん、角を曲がった案内人の姿が光の中に消える。少年は目を細めると、自分も角を曲がった。ふっと息を吐きだし、布で顔を覆う。曲がった先で、明るい真昼の陽光が再び彼の視界を奪い、布から出ていた手を焼いた。

 子供は慌てて手を引っこめると目を細め、布に隠れるようにして今度は眩い光に慣れようとした。

しばし立ち往生した少年の背に、庇う様に腕を回した男は、巨大な樹の影に子供を導いた。

「目は大丈夫か」ややしばらくして、葉を密生させた古い大木の影で、男が尋ねる。「大丈夫です、叔父さん」少年は答えると、頭を覆っていた布をずらした。

 年は8つか9つくらいだろうか。肩まで伸びる、乳のように真っ白な髪に、木の葉を縫って差し込む日の光が斑を作る。痩せて骨が出た頬は、乾いた砂漠の色をしており、その眼孔には、血の赤の瞳が暗く目の前の男を映していた。

 洞窟を抜けた先のその場所は、広い中庭のようになっていた。古い大きな木が数本、蒼空に向かっていく本もの太い枝を広げて、心地よい影を作っていた。入り口の遥か右手の壁の崖にはもう一つ入り口があったが、中は薄暗く、少年のいる場所からはよく見えなかった。おそらくそこが居住の場所なのだろうと、彼は推測した。

 ふいに気配を感じて、少年は振り向いた。するといつ現れたのか、そこには少年と同じくらいの年に見える、一人の少女が立っていた。

 カーナ大陸の砂漠の民の特徴がよく表れた、ウェーブのかかった蜂蜜色の長い髪は無造作に頭の後ろの少し高い位置で束ねられている。細い体躯を覆った丈の短い麻の服からは、ひょろりとした茶褐色の手足が突き出ている。それは、はっとするような、美しい、そしてどこか高貴な顔立ちをした子供だったが、空を映したオアシスのような、彼女の深い青緑の瞳に、少年は違和感を感じた。

「あなたが言ってた甥って、その子かしら」少女が口を開いた。良く澄んだ声が、からくり仕掛けの魔法人形のように、若干たどたどしく言葉を紡ぐ。細部がどこかちぐはぐしている少女に戸惑いを覚え、少年は叔父の顔を見上げた。

「名前は、なんて言うの」埃に白く汚れた素足が草を踏み、なんのためらいも見せずに少女は少年に近寄って、野ざらしの骸骨に埋められた紅玉のような目を見つめた。

 同族内では不吉とされるその容姿故に、ものごころついてから、彼に不用意に近づいて来る者はほとんどいない。少し気後れがして、少年は二、三歩後ずさる。「ア、アシャ…」子供の口から、つぶやきのように声が漏れるやいなや、少女は若干苛立ったように、とげとげしく言った。

「アシャ。アシャですって。そんな変な名前、虫にも付けない。ちゃんとした名前はないの。私を馬鹿にしているのかしら。それとも、あなたは這う虫かなにかなの」

少女の言葉の意味がよくわからないというように、アシャはちょっと首を振った。「オグダ」少女は大きくため息を付き、そばで黙って二人を見守っていた男を見上げた。

 男がはじかれたように笑いだした。

「この子にきちんと名乗ってほしければ、まずおまえから名乗りなさい。初めて会う相手が、いつも自分の国の決まり事を理解していると思わない事だ。」少女の頬に少し赤みがさす。もう一度大きくため息をつくと、右の手を自分の胸の上に置いた。「私はカハディナ・ゼノンの娘、シーリス・ゼノン。偉大なる賢者オグダ・エレカーダの弟子にして、カーナ―ディーナ首…」

「失礼ながらシーリス」オグダが少女をさえぎる。「名乗りにも節度が必要だと、私は教えたね。」優しく微笑みながらも、男の口調には力が込もっていた。シーリスははっとしたように口をつぐんだ。

 短い沈黙のあと、少し相手の意を解したアシャが、おそるおそる口を開いた。「ぼ、僕の名前はアシャ…ディ・エレカーダ。オグダ・エレカーダの甥で、彼の弟子になるべく本日参りました」まだ戸惑いを隠せない少年は、少し微笑んで見せた。「どうぞよろしく、シーリス」

 黙って聞いていたシーリスが、とっておきのいたずらを思いついた子供のように、大きな笑みを作った。翠玉のような瞳が一瞬きらりと光る。

「あなたもオグダの弟子なのね。ははは。兄弟が、双子じゃない兄弟ができた。この私に!」叫ぶように、少女は歓喜の声をあげた。と同時に、風を切るような甲高い音が、彼女をとりまき、突如アシャの足元の土が抉られた。少年は咄嗟に後方に飛び退いた。

「何を…」再び風を切るような音が響き、言いかけたアシャの頬を何かがかすめた。むずがゆさを感じて手をやると、白い指先は赤く染まっていた。本能が警告をならし、彼はなにかをつぶやく少女を見やる。

 翠玉が彼を捉え、再度風の刃を打ち据えて来ると思ったとたん、少年の唇から言葉が転がり出た。「ジャールシュ・アバラ」声は小さかったが、はっきり発音されたその言葉に呼応するように、子供の前に薄い水の盾が現れた。少女の顔に驚きが走るが、勢いがつきすぎていて止まれない。

 風でできたシーリスの刃は正面からまともにぶつかり、そして霧散した。アシャの水の壁も勢いを吸収するまでは至らずに裂ける。抉られた箇所から大粒の水滴が飛び散り、二人の顔を濡らした。唐突に遮る物を失い、シーリスの体はアシャに激突すると、その勢いで二人は一緒に地面に叩きつけらえた。

 一体なにが起きたのか、少年にはわからなかった。地面に押し倒された自分の上に馬乗りになって荒い息をしている、奇妙な感じのする姉弟子がいきなり襲い掛かって来た理由に、皆目見当がつかない。

 それに加えて、彼は自分が今しがたやった事にも面食らっていた。あれほどはっきりした形で、術が発動したのは初めてだった。以前から水の術との親和性の高さはいくらか自覚があったものの、これまではっきりと形に出来たことはなかったのだ。

「悪いけど、どいてくれるかな。」半分混乱した頭で、アシャは無意識に両腕で顔をかばいながら言った。

 そんな困惑した少年の顔を見下ろして、こみあげて来るものに耐えられないという顔をした少女は、ひきつった笑いをもらした。

「すごい。すごいわ。捧げられた子じゃない兄弟なんて」ようやくそれだけつぶやくと、彼女は大声で狂ったように笑い始めた。

 それまで沈黙したまま、二人の子供を見守っていたオグダ・エレカーダが、兄弟を地面に縫い付けたままけたたましく笑い続ける少女を後ろから抱え上げ、ようやく可哀想な少年を助け出した。

 アシャは慌てて体を起こすと、大きく深呼吸し、そして立ち上がった。その頃までに少女の笑い声はだいぶおさまり、小刻みな忍び笑いに変わっていた。それをぼんやりとながめながら、この奇妙な術師見習いと、これから一緒に暮らす先の思いやられる状況について、アシャは思いを巡らしていた。


カーナディーナの物語の一作目。時系列は常に前後しますが、少しずつ書いて行く予定です。

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