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よろしくお願いします
「ひどいじゃないか、あたしが戻ってくる前に全部終わってるなんてさ!」
一歩前を歩きながら不満を垂れ流すエラに、ミーシャは困ったように肩を竦めた。
「だって、本当に最後の仕上げをするだけだったんだもの。それでも、実際に投薬するのを少しの間は待ってたんだよ?」
隣に並びながら、顔を覗き込むようにして答えるミーシャに、エラが哀れっぽい声をあげる。
「しょうがないじゃないか!お義母さんにチビを渡そうとしたら、腹減ったって泣きわめかれたんだもん。子育てはままならないんだよぅ」
そもそもエラは、二軒隣りにある家にいた義母に子供を預けに行っただけのつもりだった。
走ればすぐだし、往復で3分もかからないだろうと考えていたのだ。
ところが、いざ子供を義母の手に渡した瞬間、置いていかれることを察知したのか子供が癇癪をおこした。
小さいのに頑固な我が子は、こうなると母親以外の手を受け付けなくなる。
誰があやそうと、好物のおやつやお気に入りの玩具を渡そうと、おのれの要求が聞き入れられるまで、ひきつけを起こそうと泣き続けるのだ。
「こうと決めたらてこでも動かないエラにそっくりだ」と周りのみんなには笑われるが、ここまでひどくはなかったはずだと、エラはいつも思う。
誰も賛同はしてくれないが……。
貧しく若者の少ないこの村で、小さな子供は宝だ。
しかも弱くてすぐに死んでしまう3つまでの子供はなにをおいても優先される。
それは、この村の不文律であった。
どれほどエラが「大切な薬の作り方を~~」と訴えてみても、むずかる子供を置き去りにすることなど許されるわけもない。
手っ取り早く乳をくわえさせてみたのだが、敏感に母親の気持ちを察知する幼子は、ウトウトしてもそのぬくもりが離れようとするたびに、ぱちりと目を覚ましてしまった。
(こんなことなら、背中に括り付けとけばよかった)
後悔しても後の祭りだ。
エラは可愛くも恨めしいと、必死にしがみつき乳に食らいつく我が子を見下ろした。
もっとも、子供にしても死にかけるというストレスを与えられたばかりであり、最も安全とする母親のぬくもりから引き離されるのを拒否したのは道理にかなっているだろう。
本能には何物もかなわないのである。
結局、開き直ったエラが腰を据えて子供を寝かしつけたころには、結構な時間が経過していた。
布団ですやすやと眠る我が子の汗に湿った髪をそっと撫でつけてやってから、コソコソと家を出て、猛然とマヤの家に駆けこんだ時には、全てが終わっていたのである。
そう、全て。
息を荒げて玄関に飛び込んだエラが見たのは、道具や薬は綺麗に片づけられ、当のミーシャが暇そうに縁側に腰かけて足をぶらぶらと子供のように揺らしている姿だった。
すでにマヤは、両眼に薬が投与され、午前中のバタバタもあり疲れたと午睡に入ってしまっていた。
崩れ落ちるエラの肩を叩いたのは、縁側から飛び降りたミーシャで、マヤからの伝言付きであった。
「村近辺で採れる薬草の説明と案内をしておくれ、だって」
そうして、冒頭に戻るのである。
「どうせ、後で一から説明しながら作るんだし、いいじゃない」
唇を尖らせるエラに、ミーシャは呆れたような視線を向けた。
だいたい、話も聞かず飛び出してしまったのはエラであり、同情の余地はない。
「そうだけど、そうじゃないんだよぅ」
まるで小さな子供のように駄々をこねるエラに、ミーシャはもう何を言っていいのかもわからず、諦めて周囲に視線を向けた。
先ほど村長たちが語っていた通り、切り立った山の斜面の下のわずかな土地にひしめき合うように家屋が張り付く小さな村だった。
よく見れば、山の斜面も麓の方はいくらかは開墾してあるらしく、細い段々畑が見える。
対して、海の方はと言えば。
湾状になった小さな港の先は、小島が折り重なるようにいくつも並び、船から見慣れていた水平線は少しも見えない状態だった。
きっと海側から見れば、村の存在は綺麗に隠れて一つの山に見える事だろう。
「あぁ、そっか。海から見えないように、あまり高い位置まで畑にしてないんだ」
連なる小島と村の方を見比べて、ミーシャは納得したようにつぶやいた。
小さな段々畑の高さは、連なる小島の高さよりも低い位置でとどまっていた。
斜面が急すぎたり岩肌だったりで開墾に向かなかったのかもしれないけれど、それ以上に、海からの発見を恐れたのが分かる。
「本当に隠れ里なんだね」
山の斜面はごつごつとした岩肌にしがみつくように針葉樹がひょろひょろと枝を伸ばしていて、道らしきものは見当たらない。
「そうだね。船で外に出ようにも、隠れた岩礁がいくつもあってあんな小舟が精いっぱいだし、沖に出る海路は船を出す漁師たちしか知らない。山の方もあんな感じだし」
ミーシャのつぶやきを拾ったらしいエラが、丁度港に戻ってきた小舟を指さしながら答えた。
人が三人も乗ればいっぱいになりそうな帆も付いていない小さな平舟は、どう見ても長期間の航行には向いていないし、沖に出ても時化にあえばすぐにひっくり返ってしまいそうだった。
(それでも村長達は、調達部隊っていっていたんだから、どこかに道はあるんだわ)
一見脱出不可能のように見える環境でも、そうではない事は、村長の言葉とさりげなくそこかしこにある鉄製の道具が物語っていた。
この小さな村では、頑張れば麻を育てて布を作ることはどうにかできるかもしれないが、鉄製品を作ることは不可能だろう。
つまり、完全な自給自足ではなく、いくらかは外との交易で手にいれているのだと分かる。
(引き換えにしているのはなにかな?簡単に思いつくのは海産物の加工品だけど。それだけで、少人数とはいえ村人全部の必要なものをまかなえるかしら?)
「で、薬草だっけ。ババ様の薬に必要なのはなんなんだい?」
物思いに沈んでいたミーシャを、エラの声が引き戻す。
「あぁ。必要なものは、リンデの実・ゲラゲラの根・クリャントの新芽に……」
「ちょっとストップ。最初っから分かんないから」
つらつらと必要な素材をあげ始めるミーシャに、エラが慌ててストップをかけた。
「リンデなら聞いた事がある。確かババ様が持ってるはずだ。でもゲラゲラ?クリャント?それはどんな形でどんな場所に生えているんだい?」
「ゲラゲラはコケ植物で湿地に生えていることが多くてクリャントは低木の広葉樹なんだけど……」
見上げた斜面はヒョロヒョロとした針葉樹ばかりだ。
「多分、海からの風のせいで自生する植物の種類がかなり偏ってそうだから、とりあえず今の時期に採れる薬草を見せてもらっていいかな?」
「今の時期なら一番採れるのは海だね」
エラはそういうと山側に向かっていた足を、反対方向へとむけた。
「海?」
「そう。今時期っていうか一年中採れるんだけどさ。トンブって海草が痛み止めに使えるんだよ。歯痛や腰痛、何でもござれ」
「そうなんだ!海草で作る薬って初めて!」
スタスタと前を進むエラの横を、ミーシャは嬉しそうについて歩く。
初めて知る植物に、どんなものなのかとワクワクしているのが、弾む足取りに表れていた。
そんなミーシャに、エラは変わったものを見る目を向けた。
エラは別に薬草に興味があるわけではない。
ただ、村のみんなが生きていくために誰かがマヤの知識を引き継ぐ必要があり、それに自分の特技が役に立つと思ったから手をあげただけだ。
後、自分の立場を投げ出した年の離れた姉に対する反抗心と、これからもこの村で暮らしていく自分を含めた身内の立場を少しでも良いものにしたいという下心もあった。
大切な知識を分けてもらったのに、外の世界へと逃げ出した裏切者の身内というのは、なかなかに肩身が狭いものだったから。
村を飛び出す人間は一定数いたため表立って責められることはなかったけれど、顔色を悪くして頭を下げていた父母の姿は、まだ6つほどだったエラの記憶に強烈に焼き付いていた。
明け透けな言い方をするなら、勉強は面倒だし、礼儀作法や丁寧な言葉遣いを覚えるのは苦手だ。
状況が許し、他に適任がいると思えたら、投げ出しているだろう。
「そうなのかい?あんたの所ではどんなのが一般的なのさ?」
「う~ん、よく使われるのはセデスかなぁ?すっごく苦いけど、わりと場所を選ばずに生えるから採取するのが簡単だし、それ一種類でも効果はあるから、最悪そのままかじったりするみたい」
だから、目の前の少女が目をキラキラさせて薬草の事を語るのが、エラは不思議でしょうがない。
同じような効果があるのに複数ある薬草や、それの効果を最大限に引き出すための複雑な手順も、エラにとっては覚えることが増えて、面倒にしか思えなかった。
「ふーん。トンブはそのままじゃ無理だね。すごく磯臭いし、固いからとても食べれたもんじゃない」
「セデスもそのままだとすごく苦いよ。薬にしたら少しはましだし、丸薬にして溶かさないように丸のみするのが基本」
だけど、鼻にしわを寄せて主張しながらも、次の瞬間には笑いながら語るミーシャと話していると、薬を作るのも悪くないんじゃないかと思えてくるから不思議だ。
「岩場の方なら、そんなに水に浸からずに取れるから、そっちにしよう」
家が密集している場所から離れるごとに、少しだけあった小石の積み上がる浜もなくなり、ごつごつとした岩場へと変わっていく。
(初めて見た海は砂浜だったな)
脳裏に、初めて家を出て旅をしていた光景が浮かんだ。
波に洗われ、指の間をすり抜けていく砂の感触をミーシャは、はっきりと思い出す。
ひらひらと翻るドレスの裾と青い海……。
「今日は波が少ないから良いけど、シケの日は最悪なんだ。波飛沫でびしょ濡れになるし、下手したら海にひきこまれちまう。だから、今日みたいな日にたくさん採って保管しとくんだよ」
岩から岩へと飛び移るようにドンドン進んでいくエラに、思い出に捕らわれかけていたミーシャは我に返り、遅れないように足早に走り出した。
しかし海水で濡れた岩場は勝手が違う様で、山の生活で岩場には慣れているつもりだったミーシャは、張り付いた藻のようなもので滑りそうになり足を止める。
(足場を見極めないと転んじゃう)
ミーシャは、注意深くエラが足を置く場所を観察する。
無造作に進んでいるように見えて、エラは平らで歩きやすい場所を選んでいるようで、同じ場所を通るようにしたら格段に歩きやすくなった。
(へぇ、やるじゃん)
滑りそうになって踏みとどまった場面からこっそり横目で見ていたエラはひそかに感心する。
(慣れないと村の奴らでもここら辺の岩場は足をとられて転んだり、岩の隙間に足を突っ込んでひねったりするのに)
徐々にコツをつかんだのか、ミーシャは迷いない足取りでエラへと追い付いてきた。
エラの胸に、良く分からない高揚感が湧き起こってくる。
それは、仲間を得た高揚感だったのだが、エラ自身はその感情に名をつける事ができず、ただわずかに口元をほころばせた。
やがて二人は、トンブの生えている場所へと辿り着いた。
薬草の生える場所も薬師だけに伝えられる秘密の場所である。限りある薬草を訳も分からず乱獲されないための措置で、エラも弟子入りしてしばらくしてから、マヤからこの場所を教えられていた。
本来、よそ者に簡単に教える場所ではないのだが、マヤ自身が連れて行くようにと言ったのだから、問題ないのだろうとエラは、気楽にミーシャに指をさして見せる。
「ほら、あれがトンブだよ」
波の打ち寄せる岩場の岩と岩の狭い隙間に薄い緑色の幅広で、ミーシャの手のひらほどの長さの海藻がぽつぽつと生えていた。波に遊ぶようにひらひらと揺れている。
エラは「波の少ない日」と言っていたが、海に慣れていないミーシャにとっては岩場の上まで打ち上げている波は十分激しく見えた。
わずかにしり込みするミーシャに気づく様子もなく、エラが波が引いた一瞬の隙に、慣れた様子で腕まくりすると海水の中に手を突っ込んだ。
そして、再び打ち寄せる波から逃げるエラの手には、摘み取られた海草が一束握られていた。
海水から引き揚げられたトンブはしんなりとエラの手から垂れ下がっている。
波に踊っている時にはひらひらと力強く踊っていたトンブは、クシャリと萎れて見えた。
「思ったより肉厚なんだね」
そっと手を伸ばして受け取ると、ミーシャはトンブをまじまじと観察する。
水上から見ていたせいで短く見えていただけらしく、受け取ったトンブは二十センチほどの長さがあった。
薄緑と思っていたものは光の加減だったようで、今は濃いめの緑に見える。
真っ直ぐに伸びる茎の周りにひらひらとまるでフリルのように優雅なカーブを描く葉がぐるりと取り巻いていた。
握った表面に少しぬめりを感じて、指先で葉を潰すように摘まんでみると思ったよりも柔らかく、それほど力を入れずに潰すことができる。
「ヌルヌルするだろ?それが多いほうが効果が強い薬になるんだってさ。新芽だと葉が薄くて駄目だし、かといって成長し過ぎると葉が厚くなりすぎてつぶすのに苦労するし、なんでかヌルヌルが減っちまう」
横からミーシャの手元を覗き込んだエラが、ミーシャの手から緑の色が薄い一本を抜き出した。
「これが新芽。小さいし、役に立たない」
ポイっと海の中に投げ捨てたかと思うと、再びサッと腕を伸ばしトンブをむしり取った。
「で、こいつが成長し過ぎたやつ。覚えてね」
差し出されたものは、ミーシャの手の中にあるものよりも一回り大きく、色も緑というより茶色っぽく見えた。
二つを手に取ったミーシャは、まじまじと見比べた後、エラに「最適」と教えたもらった方のトンブにおもむろに噛り付いた。
「うわぁ、確かに微妙な匂いと味」
磯臭い香りが口中に広がり、ミーシャは眉間にしわを寄せる。
「磯の匂いっていうか、それに変な癖をつけたみたい……なんだろう?この匂い……」
「だから、そのままじゃ無理って言ったじゃん。洗って乾燥させると匂いが落ち着くから、それを砕いて使うんだよ」
止める間もなく口に入れてしまったミーシャに呆れたようにつぶやくエラに、ミーシャは少し照れたように笑った。
「昔っから、こうして覚えてたから、癖になっちゃってて」
そう言いながら、今度は成長し過ぎた方に噛り付くも、固くて噛み切ることができず断念する。
「あ~、こっちはあんまり匂いがしないんだね。って事は、このぬめりが匂う元なのかしら?」
「……そんなこと、考えたことないよ」
不思議そうに首を傾げるミーシャに、あっけにとられながらエラが答える。
そもそもまずいと言っている物を、必要もないのに口にする行動が信じられなかった。
(こうして覚えてたって言ってたし、ミーシャにとっては必要な事なのか?)
ポカンとした顔を向けられて、ミーシャは、ようやく我に返る。
初めてみる薬になる海草に夢中になって、一度ならず二度までも、ついいつもの行動をしていたことにようやく気づいたのだ。
(薬草園の人たちにも、この癖ビックリされたっけ)
見て触れて嗅いで食べる。
五感をフルに使う事でより鮮明に記憶に残す方法は、知らない人からは奇異の目を向けられるのだと知ったのも、レッドフォード王国の薬草園で、他の薬師たちとかかわるようになってからだった。
「それにしても、早業だね。どうやって見分けているの?」
誤魔化すように笑いながら、ミーシャは、海の中を覗き込んだ。
相変わらず打ち寄せる波にヒラヒラと動くトンブは、ミーシャの目からは一塊にしか見えなかった。
「う~ん、どうやってって。勘と経験だね。最初は適当に手当たり次第にむしって、使えないのは海に戻す感じ」
尋ねられたエラは首を傾げながら答える。
そのあまりに大雑把な答えに、ミーシャは目を丸くした。
「慣れてくると分かるようになるんだよ。……あえていうなら、大きくなり過ぎたやつは波になびく動きがモッタリしてるっていうかさぁ」
先ほどとは反対に、今度はミーシャに驚いた目を向けられたエラが、きまり悪そうにこめかみを指で掻いた。
日々の中で身に着けた技術を説明するのが、これほどに大変だとは思ってもみなかったエラは、自分に分かりやすく様々なことを教えてくれたマヤを改めて尊敬した。
「そうね。とりあえず経験が大切よね!」
そんなエラの葛藤をどう受け取ったのか、ミーシャは、何かを振り切るように大声でそういうと、エラの真似をして腕まくりをした。
そして、波が打ち付ける岩場の端へと向かい、水面を覗き込む。
「波が引いた時を狙って、摘めばいいのよね」
自分に言い聞かすようにつぶやくと、ミーシャは真剣な面持ちでじっと波の動きをにらんだ。
あまりに真剣なミーシャの背中に、エラはかける言葉を失って、ただ黙って見守ることにする。
「……たんに海の中での様子を見せたかっただけで、あっちの方には海面に顔を出してる場所もあるんだけど……。まぁ、あの子の着ていた服は乾いてるし、濡れても大丈夫……かぁ?」
「キャ~~!」
呟くエラの視線の先ではミーシャが、海中に手を伸ばし前かがんでいた所を見事に頭から波に襲われ悲鳴をあげていた。
読んでくださり、ありがとうございました。




