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端っこに住むチビ魔女さん。  作者: 夜凪
隠れ里

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89/148

8

お久しぶりです。

思わせぶりな所で長らく止めてしまい、申し訳ありません。

言い訳は後で。どうぞご賞味ください。

カーン


微かに聞こえた鐘の音に、ラインはふっと目を覚ました。

日常の中に紛れる事のない高い音は、微かであっても耳につく。

ベッドから体を起こさないまま、耳を澄ます。

すると、すぐに荒々しい足音と何かを叫ぶ声が聞こえてきた。


「クゥ」

そのころには二つのベッドの隙間に体を横たえていたレンも体を起こし、小さく鼻を鳴らしてラインの様子を伺ってきた。


「あぁ、面倒なお客さんが来たみたいだな」

 安心させるようにレンの頭を軽く撫でてやりながら、ラインも体を起こした。

 手早く靴を履くと、窓から外を伺う。


「……おじさん、どうしたの?」

 慌ただしい気配を察知したのか、ミーシャも目を覚ました。

 ベッドの上に体を起こし、不安そうにラインに声をかける。


「どうやら、厄介なことが起こったみたいだ。ミーシャ、服を着替えて、一応荷物をまとめておけ」

 低い声でそう警告した瞬間、カーンカーンカーン、と激しい鐘の音が響き渡った。

 ミーシャの顔がサッと険しくなる。


 それは事前に説明されていた「海賊が来た時に鳴らす鐘」だった。

 最初に長く三回、一拍置いて短く二回。

 この鐘が聞こえたら、部屋で静かに隠れているように言われていたのだ。


 ミーシャは素早く立ち上がると服を着替え、広げていた荷物をまとめる。

「……マントも着た方がいい?」

 薬箱をリュックの一番上に入れ込みながら、ミーシャは首を傾げた。


「一応、その方がいいだろう」

「分かった」

 言葉少なく答えたミーシャがマントを手に取った時、ドーンッと腹に響く低い音がした。


「砲撃が始まったみたいだな」

 思わず耳を抑えて蹲ったミーシャをよそに、窓の外を覗きながら、ラインが冷静につぶやく。

「……大丈夫なの?」

「さてな。噂では、複数の船で囲んで襲ってくるみたいだし、一方向だけの砲撃でどれくらいやれるかが鍵だろうな」

 呟いた後、ラインが突然ベッドを持ち上げた。

 貴族用の部屋というだけあり重厚なベッドは、船の揺れに負けないようにねじで固定されていたはずなのに、お構いなしだ。

 まるで薄い板を持ち上げるように軽々と動かすと、窓を塞ぐように立てかけた。

 


「ま、ここから突入するには窓が小さいから大丈夫とは思うが、一応な」

 突然のラインの暴挙に目を丸くするミーシャに笑って見せると、ばさりと自身もコートを乱暴に羽織った。


「てわけで、少し様子を見に行ってくるから、ミーシャはここに隠れてろ」

 そのまま、ちょっと散歩にでも行くかのような気軽さでドアに向かうラインを、ミーシャは慌てて捕まえた。


「駄目だよ、伯父さん!危ないよ!」

コートをしっかりとつかんで足止めしようとするミーシャの頭をラインが乱暴に撫でる。

「危ないものか。この船で、俺が一番強い」

 何の気負いもなく、あっさりと言い放つラインに、こんな時だというのにミーシャは呆れたようにぽかんと口を開けた。


「……それって、どうなの?」

 思わず肩を落として気の抜けた声を出すミーシャに、ラインがニヤリと笑う。

「まぁ、大丈夫だとは思うが、せっかくの戦力を温存しててもしょうがないだろう。さっさと終わらせて、俺は静かに寝たい」

 力の抜けたミーシャの手からコートの裾を取り返すことに成功したラインは、あっさりと扉を開けた。


「俺が外に出たら、しっかりと鍵を閉めて俺が呼ぶまで隠れてろ。レン、しっかり見張ってろよ」

 最後にそう言い残すと、ラインはさっさと外に出て行ってしまった。


「行っちゃった……」

 言われたとおりに鍵を閉め、ミーシャはずるずるとその場に座り込んだ。

 砲撃の音はやむことなく続いているけれど、唯一の窓をふさがれてしまったミーシャには外の様子を伺うことはできない。


「くぅ」

 座り込んでしまったミーシャを気遣うように、レンが側に寄り添う。

「……おじさん、強いもん。大丈夫だよね」

 自分に言い聞かすようにつぶやいて、ミーシャはもそもそと唯一残されたベッドの方へと戻った。だけど上に乗る気にはなれず、鞄を抱きこむと何となくベッドと壁の間に座り込んだ。

 狭い空間の方が、隠れているような気がして落ち着いたのだ。


「ワウ」

 レンが、器用にベッドの上から毛布を引きずり下ろし持ってくる。

 それで一緒にくるまりながら、ミーシャはじっと耳を澄ました。


 叫び声は遠く、砲弾はまだやまない。

 牽制はうまくいっているのだろうか?

 沸き起こる不安をかみしめながら、ミーシャはレンの毛皮に顔をうずめた。

 フワフワの感触と自分よりも高い体温が、少しだけ安心を連れてきてくれる。


「レンがいてくれて、良かった」

 一人だと、不安で泣いていたかもしれないとミーシャは思った。

 砲撃の音は止まない。

「だれもケガ、してないといいな」

 ミーシャが小さくつぶやいた次の瞬間、ドンッと、船が揺れた。


 途端に、甲板からであろう怒声が部屋の中まで届く。

「ロープを切れ!」

「船に乗り込ませるな!!」

 切れ切れに届く声に、ミーシャは先ほどの揺れは、海賊船がぶつかってきたのだと知った。


 ミーシャの脳裏に、昔読んだ本の内容が思い浮かぶ。

 海賊を退治する勇敢な船乗りのお話。

 あの絵本の話が、今、現実として自分の身に降りかかってきているのだ。


 その可能性はあるという事は事前に周知されていたし、実際に訓練をしている水夫たちの姿も見ていたけれど、「本当に海賊がいるのか?」とどこか現実感が薄かったのも事実だ。

 戦場戻りの兵士たちの治療に携わっていたし、父親の生死をさ迷う姿も見ていたのに、ミーシャにとって戦場はどこか遠い場所の出来事だった。

 そう錯覚してしまうほどに、大切に囲われていたともいう。


 しかし、今。

 鳴り響く砲弾の音が、聞こえてくる怒号が、ひしひしと現実を突きつけてきた。

 今、頭上では命のやり取りが行われているのだ。

 そしてその中には、ラインや仲良くなったたくさんの船の乗組員たちがいる。


「……伯父さん」

 ちょっと散歩にとでもいうように、サラリと部屋を出ていったラインの背中が思い浮かんで、ミーシャは、ぎゅっとレンに抱きついた腕に力を込めた。

「クゥーン」

 レンが慰めるように、ミーシャの頬を舐める。


 ミーシャは戦争を知らない。

 だけど、戦場帰りの兵士たちの治療を任されていたことがある。

 切り傷や矢傷。火傷に欠損。

 衛生面の怪しい環境で受傷しろくに消毒もされなかった傷はひどいありさまだった。

 それでも、戦場から帰ってこれただけでも幸運だったのだと暗い目で呟いていた兵士を思い出す。

 戦場で命を散らし、帰ってこれなかった者達はその何倍もいたのだから……、と。


 遠くに聞こえる怒号に砲撃の音にその時の会話を思い出し、ミーシャの体がブルリと震える。

(もし、伯父さんが死んでしまったら?)

 恐怖に心が支配されそうになったその瞬間。


 ミーシャは、両手でバチンと自分の頬をはさむように叩いた。


「伯父さんは誰よりも強いもの!」

 自分に言い聞かすように大きな声を出すと、ミーシャはスクッと立ち上がった。

「それでも、怪我をする人はいるかもしれない。から、私ができる事をしよう!」

 ばさりと被っていた毛布をはねのけると、ミーシャは手元に置いていたリュックを手に取った。


「まずは薬の確認!」

 小さく縮こまっていたかと思ったら、突然立ち上がってバタバタと動き出したミーシャを、レンがキョトンとした顔で見ていた。


 先ほどまで、青い顔で縮こまっていたミーシャはそこにはいない。

 まだ夜明け前で暗い部屋の中、羽織っていたマントのポケットから光る石を取り出すと、その明かりの中でリュックから薬箱を引っ張り出し、中身の確認を始めた。


「傷薬と消毒薬はある。けど包帯が少ないなぁ。念のため、作っとく?シーツ破いたら怒られるかしら?」

 ぶつぶつと呟いているミーシャに、レンは大きく伸びをすると、ラインが乱暴に立てかけたベットから落ちてしまったシーツをずるずると咥えて運び出した。


「レン!そうだよね!非常事態だし、許されるよね!最悪、伯父さんに弁償してもらおう」

 シーツを引きずってきたレンにパッと顔を輝かせると、ミーシャはナイフを取り出し、器用にシーツを細長く引き裂き始める。


 そんなミーシャに、もう一つのベットからもシーツを引きはがしながら、(やっぱりミーシャは、こうじゃなくっちゃね!)というようにレンの尻尾がゆらりと揺れる。

 無事、もう一枚のシーツをミーシャに届け終わったレンは、見張りのために部屋の扉の前に陣取ると、体を横たえた。





 どれくらいの時が過ぎただろう。


「砲撃の音、聞こえなくなった?」

 二枚のシーツを見事細長く裁断し終えたミーシャは、使いやすいようにクルクルと巻き取っていたのだが、ふと砲弾の音が止んでいる事にようやく気がついた。

 作業に集中していたため、恐怖と共に周囲に気を回す事を怠っていて、いつの間に静かになっていたのかきづかなかったのだ。


「どうしたのかしら?」

 ミーシャが首を傾げた時に、ワッと歓声が響き渡った。

 先ほどまで響いていた怒号や悲鳴とは違う、明らかに喜色の混じったそれは、勝鬨かちどきの声だった。


「……終わった…、の?」

 そっとレンを顔を見合わせるが、部屋の中から外の様子を窺い知ることはできない。

 唯一外を覗くことができる窓は、ラインがふさいでしまったし、重いベッドはミーシャの力ではほんの少しも動かすことも不可能だ。


 カンカンカンカン!カンカンカンカン!!


 その時、鐘が鳴った。

 響き渡る音は短く切られている。その意味は……。

「……脅威は去った、だっけ?」

 ぽつりとつぶやくミーシャの手から、丸められていた包帯が転がり落ちる。


 ミーシャは、ヘニャリとその場に倒れこんだ。

 安堵のあまり体の力が抜けて、体勢を保っていられなかったのだ。

 突然倒れ伏したミーシャに、レンが慌てて駆け寄る。


「あ、ごめん。なんでもないの。ホッとしちゃって…」

 心配そうに顔を舐めてくるレンの顔を押し返し、ミーシャは苦笑しながら体を起こした。

「そうだよね。安心するのは、まだ早いよね。怪我した人がいるかもしれないし、船の被害だってあるかも……」

 そう言ってミーシャが床を転がって行ってしまった包帯に手を伸ばした時、コンコン!と扉がノックされた。


「ごめん。ミーシャちゃん、いますか?」

 突然のノックの音に驚いてびくりと体をすくませたミーシャは、聞こえてきた声に緊張を解いた。

 それは、いつも給仕をしてくれた青年の声だった。


「いるなら、申し訳ないけど出てきてほしい。怪我人がいて、治療をしたいから呼んでくるように頼まれたんだ」

 そして、続いた声にミーシャは慌てて立ち上がった。

「グルルゥ」

 迷いなく扉を開けようとしたミーシャの体を遮るように、レンが扉とミーシャの間に体をすべりこませる。


「レン、邪魔だよ。だって、鐘の音、聞いたでしょう?戦闘は終わったんだよ。それで伯父さんが呼んでるなら行かなきゃ。怪我してる人、治療するのは私たちの仕事よ?」

 不満そうに喉を鳴らすレンに、ミーシャは不思議そうに首を傾げる。

「あ、そうか。薬箱持っていかないとだよね。私ったら慌てて、駄目ね」

 それから笑いながら振り返ると、机の上に置かれていた薬と治療道具の入った箱を手に取った。


「お待たせ。行こう」

 薬箱にも幅広の紐がついていて、肩にかける事ができるようになっている。

 重たいそれを斜めにかけて、ミーシャは再び扉に向かう。

 堂々としたその姿に、レンは(あれ?そうだったっけ?)というように首を傾げながらも、その場を譲った。


「すみません。お待たせしました」

 開いた扉の先には、想像通り給仕の青年が少し青い顔で立っていた。

「いや、出てきてくれて嬉しいよ。こっちだよ」

 そういうと青年は、ミーシャの腕をつかんで足早に歩き出した。

 少し乱暴に引っ張られて、ミーシャの顔が痛みにしかめられるが、非常事態だしとミーシャは口をつぐんだ。


 船内は、先ほどの喧騒が嘘のようにいつも通りだった。

 おそらく、ならず者に船内に入り込まれることなく、全てが終わったのだろう。

 客室の並ぶエリアを抜け、船首の方へと足早に進む青年に引っ張られながら、ミーシャは首を傾げた。


「中央甲板に出るなら、あっちから上がったほうが早いと思うけど?」

「ああ、船首の方に怪我人が集中しているから、そっちに回ってほしいって言われてるんだ。少し遠いけど、ごめんね?」

 振り返ることなく答える青年に、ミーシャは素直に頷く。

 早足の青年についていくには、小柄なミーシャではほとんど駆け足のようになっているのだが、青年は相当急いでいるのか、息を切らすミーシャに配慮する様子はなかった。


(そんなにひどい怪我人がいるのかしら)

 ミーシャの脳裏に、青い顔でうつぶせになる父親の姿が浮かぶ。

(輸血も必要?でも、あの道具は伯父さんしか持っていないし……)

 手を引かれるまま船首に近い船上に出たミーシャは、当たりに漂う硝煙と血の匂いに眉をしかめた。

 そして、辺りにまるで人気のない事に、いまさら気がつく。


「ねぇ、みんなあっちにいるみたいだけど?」

 背後を振り返り呟いたミーシャに、青年が小さく舌打ちをした。

「いいから、こっちだって。早くしろよ」

 足を止めようとするミーシャの手を強く引いた青年が、ようやく振り返る。


 いつも柔和な笑みを浮かべていた青年は、瞳を血走らせてミーシャを睨みつけてきた。

 そのギラギラと輝く瞳の異常さに、ミーシャは小さく息をのむ。

 何かにおびえるように、辺りに目を走らせるその姿に、給仕をしていた時の穏やかな雰囲気は微塵もなかった。

 強く引かれた時にバランスを崩したミーシャを、青年は背後から腕を押さえつけるように片腕で抱きとめた。


「襲撃は失敗だ。このままだと殺される!けど、お前を手土産にすればきっと助かるはずだ!お前ひとりで三人の命が助かるんだから、本望だろう!?」

 支離滅裂なことを叫ぶ男の手には、大ぶりのナイフが握られている。

「いいか。大声出したら刺すからな。黙って言う事を聞け!」

 喉元にナイフを突きつけられ、ミーシャは、混乱するまま身を固くした。


 苦しいほどに強く体に回された腕に、喉元に突き付けられるナイフ。

 そのナイフを持つ手が細かく震えていることにミーシャは気づいていた。

 おそらく、この青年は荒事に慣れていないのだ。それゆえに、下手に刺激をすれば反射的にそのナイフを突き立てられそうな危うさがあった。


「ヴヴゥ~」

 ミーシャの後を付いてきていたレンは突然の青年の暴挙に喉を震わせた。

 いつも食事の給仕ついでに、魚や肉の切れ端を持ってきてくれていた穏やかな青年の変貌に驚いたけれど、レンにとってミーシャに危害を加えようとする相手はすべて敵だった。

 牙をむくことに、微塵のためらいもない。

 むしろ、嫌な予感がしたのに、みすみすミーシャに扉を開けさせてしまった自分を後悔していた。

 

「な!なんだ、お前!犬ころ風情が、こっちに来るな!!」

 低い体勢をとり鼻にしわを寄せ、牙をむき出しに自分を威嚇するレンの迫力に、男の目が見開かれる。

 青年の膝にも満たない大きさの犬だが、むき出しになった鋭い牙は十分に脅威になりえるものに見えた。

 反射的に、ミーシャの首元に突き付けていたナイフをレンに向けてしまう。


 男の意識がレンに向いたその一瞬の隙に、ミーシャは動いた。

 青年が抱きとめる時に反射的に胸元で肘を張るよう組んでいた腕を、小さく小さく縮めると同時に、思いっきり青年の足を踏みつけたのだ。

 突然の痛みに上がる悲鳴と共に力の緩んだ腕の中から、ミーシャは抜け出すように膝を折る。


 スルリと自身の腕の中から抜け出していったミーシャに、青年が慌てて再び手を伸ばした時を好機とレンは、男の喉元めがけてとびかかった。


 全ては、一瞬の出来事だった。


「ウワァァァ!!」

 青年はとびかかるレンに悲鳴を上げた。反射的にのけぞったのは、命に対する執念のなせる業だったのかもしれない。

 結果、首筋を狙っていたレンの牙ははずれ、肩口に食いつかれることになる。

 そしてもう一つの不幸は、がむしゃらに伸ばした手が、ミーシャを捉えてしまっていたことだろう。

 正確には、ミーシャの肩にかけられていた薬箱の紐を……。


 肩口に噛みつかれた痛みと恐怖で恐慌状態に陥った青年は、掴んだ手をそのままに、レンを振り払おうと体と腕を大きく振り回した。

 その結果、ミーシャの小柄な体は勢い良く振り回され、吹き飛んでしまう。

 

 船の手すりへと向かって……。


 ミーシャの勢いに耐え切れず、薬箱の紐が切れた。

 振り回された勢いで大きく空を飛んだミーシャは、そのブツリという音を聞いたと思った瞬間、背部を激しく手すりに打ち付けた。

 衝撃に息が詰まり、意識が遠のくミーシャの体がバランスを崩し、グラリと手すりを越えていく。


 ミーシャが手すりの向こうに消えていく瞬間を見ていたレンは、一瞬牙の力を弛めてしまった。

 男を制圧するか、ミーシャを追いかけるか。

 経験の少なさ故に産まれた、レンの一瞬の葛藤が致命傷となる。


 痛みと混乱の中も放される事のなかった青年のナイフが、レンを襲ったのだ。

 脇腹に深々と突き刺されたナイフの痛みが、レンの脳裏を怒りに染める。

 組み敷いた青年の首に、レンは今度こそ深々と牙を突き立てた。




「なんだ!何事だ!?」

 ようやく海賊どもを制圧して、息のあるものを縛り上げていた船員たちは響き渡る悲鳴と物音に、残党がいたかと駆け付けた。

 そして、見つけたのは、血に染まって倒れる給仕役の船員と、脇腹にナイフを突き立てられ白い毛並みを紅に染めながらなお、船の手すりを越えようと壁に縋り付くレンの姿だった。


「おいおい、これはどういう状況だよ」

 カーターはとりあえず倒れる男に駆け寄りその様子を確認する。

 痙攣する男は虫の息ではあるが、まだかろうじて生きている様だった。


「これは、ミーシャのものだな」

 いつの間にか背後に立っていたラインが、男が手に握っている紐のようなものを見てつぶやいた。

「レン、もしかして、ミーシャは落ちたのか?」

 それから瀕死の男には目もくれず、手すりをカリカリとひっかくレンへと声をかける。


「ヒューン」

 柄元近くまで押し込まれたナイフの傷の為、下半身に力が入らない様子のレンは、それでもどうにか手すりを乗り越えようとあがいたのだろう。

 その場には血の海ができ、手すり付近の壁にもひっかくような血の跡がべっとりと残っていた。


「いい子だ。これ以上は傷に触るから、大人しくな」

 もがくレンの体を抑えながら、傷の様子を見るラインにカーターが駆け寄る。

「嬢ちゃんがどうした?まさか海に落ちたのか?!」

 叫ぶ声に、ラインがうるさそうに眉をしかめる。


「恐らくな。詳細は分からないが、誘い出されて連れ去られそうになったんだろう。悪いが、人手があるなら探してもらえるか?俺はこいつをどうにかするから」

 レンの体を抱き上げながら、ラインがつぶやく。

「どうにか、って。おい?」

 そのまま去ろうとするラインの肩を、カーターが掴んで引き留める。


「少し時間をくれ。このままだと死んじまうからな」

「死んじまうって」

「言っとくが、そいつよりレンを優先だ。当然だろう?」

 何か言おうとしたカーターは、ラインの顔に浮かぶ酷薄な笑みに口をつぐむ。

 静かな声に騙されていたが、その瞳は怒りに埋め尽くされていて、邪魔立てするならお前も敵だとはっきりと告げていた。


 そのまま力を失ったカーターの手からすり抜けて、悔しそうに唸るレンを手に、ラインは足早に船室へと向かった。

「あぁ。ちゃんと見つけに行くためにも、死んでる場合じゃないぞレン。頑張れ。……ミーシャは強運だからな。きっと大丈夫だ」


 




 

 

 


読んでくださり、ありがとうございました。


裏切者の正体でした。

皆さん当たりましたか?


今回の航海が二度目のまだ新人枠の船員さん。家に残していた家族を人質に取られ、情報を流したり、海賊の身元を偽り船員として侵入させたりしていました。

真面目ゆえに目をつけられたかわいそうな人。

とはいえ、ちゃんとカーターとかに相談していたら救済されていたはずなので、ほぼ自業自得。

職場で報連相はとても大事です。


三巻の原稿作業で時間がとられて止まっていましたが、ひと段落したので、この隙にまた頑張ります。

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