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なぜでしょう。話しが全然進みません……。
キン‼カン‼キン‼カキーン!
抜けるような青空の元、白い帆がいっぱいに風をはらんでいる。
本日も快晴、およびすがすがしい風が吹く中、周囲には、聞きなれない金属音が響き渡っていた。
上甲板の上から、ミーシャは下甲板の広間で剣の稽古をしている船員たちを眺めていた。
船長からの伝言として、いつも食事の配膳をしてくれる船員がやってきたのは、昨日の夜、出航直後の事だった。
「どうやらここから先の海域で海賊が横行しているらしく、その対策として警備強化のために、船員の戦闘訓練を予定している。
専門の警備兵以外にも交代で訓練を行う為、三食の食事提供後二時間程、下甲板は危険なため立ち入らない事。
また、夜間訓練も予定しているので、その際は部屋から出ないようにしてほしい」
真面目な顔で船長の言葉を伝える船員に、ミーシャは驚きと共に神妙に、ラインは興味なさそうに横目で聞いていた。
「おじさん驚かないのね」
船員が去った後に声をかければ、出航直前の最後の船で戻ってきていたラインが、眠そうにあくびをしながらベッドに転がった。
「あぁ。俺の情報網にも引っかかってたからな。船を降りるか悩みどころだったが、結局陸路も荒れてるんだよな。この船は警備にも力を入れているし、労力が少ない分、こっちの方がましだと判断した」
ふらりと下船したラインが、まじめに諜報活動をしていたことに驚いて、ミーシャは目を丸くした。
「足りない薬草を補充しに行っているのかと思った」
乗客・船員二日酔い事件の後、ラインはなぜか船医に懐かれてしまい、何かあれば相談という名の雑談をしに訪れるようになっていた。
そのうえで、足りない薬を提供したり、新薬を奪われたりしていたため、予想以上に手持ちの薬草や薬が減っていたのだ。
「それももちろん補充してきた。そっちにミーシャの分もあるから、鞄に入れておけ」
指さされた机の上の薬草に目を走らせて、ミーシャは無意識のうちに眉間にしわを寄せた。
「傷薬や消毒液、痛み止めの原料がずいぶん多いのね。……そんなに危険なの?」
「まぁ、念のためだ。あって困る物でもないだろう?降りる時に何もなければ、そのまま売りつけて置いていくだけだ」
ラインの作る薬が気に入ったと、船医が割と高値で買い上げてくれるため、今回購入した原材料費分を差し引いても、懐が潤っているラインは、実はご機嫌であった。
それゆえに、定期的に突撃してくる船医も追い返したりせずに相手をしているのだ。
「使う機会があったとしても、なかったとしても買い上げてくれる先が確定してるんだから、良いだろう。ミーシャも暇つぶしに手伝えよ?」
長い船旅でできる事も少ないので暇つぶしに最適だろうとラインが悪い顔で笑う。
「まぁ。復習になるから良いんだけど」
どう見ても小遣い稼ぎをする気満々のラインに、ミーシャは呆れたようにため息をついた。
とはいえ、旅を続けるのに資金が必要なのは事実だし、他に比べても自身の提供する薬の品質には自信がある。適当なまがい物をつかまされるよりは、買主にとっても利益は大きいはずだ。
「あ、じゃあ、おじさん。前にいっていた消毒作用もある傷薬の作り方教えて。材料あるんでしょ?」
薬を塗るときに患部を清潔にするのは基本であるが、水が乏しかったり緊急の場合、のんきに消毒していられない状況も多数ある。
そんな時に応急処置用の薬があるという話を船医としていたのをミーシャはちゃんと聞いていたのだ。
「ああ。船上では丁度いいだろうと原料そろえてきたからな。明日になったら教えてやるよ。とりあえず、今日は寝かせてくれ」
新しい薬にワクワクしているミーシャをよそに、ラインは面倒くさそうに目を閉じた。
船が港にいる短い時間に、馴染みのない町で薬草をそろえ情報を探しと走り回っていたのだ。
「はーい。また明日」
疲れの見えるラインの顔を少し眺めた後、ミーシャは小さくつぶやくと、ふっとランプの灯を消した。
そして、次の日からさっそく「戦闘訓練」が、始まったのである。
最初は部屋で大人しくしていたミーシャだったが、剣斬の音が聞こえてくると、何をしているのかと好奇心が刺激されてうずうずし始めた。
目的の薬の調合レシピも教えてもらったし、午前中にたっぷり実践もしたため、そちらの好奇心は満たされていたのだ。
そわそわとドアの方を気にしながら薬を丸めているミーシャに、ラインは「気もそぞろにするくらいなら、いっそ潔く休憩しろ」と苦笑と共に部屋を追い出したのだった。
そして、ミーシャは現在レンと共に、下を見下ろすように見学しているわけである。
「あ、カーターさん、見つけた」
下甲板は危ないから降りる事は禁止されているが、上甲板や船尾甲板はその限りではなかったため、ちらほらと人の姿が見受けられた。
ミーシャの部屋は窓があるのでそれほどでもないが、窓もなく薄暗い部屋に押し込められていると息が詰まると一般客室の乗客は時間が許す限り甲板に出てくることが多いのだ。
一番安い客室は、大部屋にぎっしりと並べられた二段ベッドの上だけが個人のスペースであり、その場を離れる時は荷物を持って移動する。仮に置いていって盗まれたとしても、自業自得と笑われるだけである。
ちなみに乗客用の食堂もあるが、一食幾らの売り切りであり、節約したい客は自身で保存食を持ち込んですませたりするのが普通だった。
窓のある個室も、三食部屋に運ばれてくるのが特別待遇であることも、ミーシャは知らなかった。
ミーシャが無邪気に船内を闊歩できているのも、上客室の客という事で船員からも注視され、足元に大型の犬を引き連れているというのが大きかったのだ。
もっとも、同じ時を過ごすうちにそれだけではなくなっているのだが。
乗客の居場所といえば狭い船内のさらに一部の場所だけとなれば、一日二日と過ごすうちに自然と顔見知りになってくるものだ。
しかも、大漁の恩恵を受けていることも大きい。
固く焼きしめたパンや塩辛い干し肉で過ごす中ふるまわれた温かいスープは、幸せを感じ、感謝の思いを抱くには十分だった。
そのうえで、誰に対しても分け隔てなく、無邪気に慕って来るミーシャを邪険に扱う事は難しい。たまたまではあるが、他の乗客に幼い子供がいなかったことも大きいだろう。
結果的に、今では顔を合わせれば気軽にあいさつしたり、おしゃべりに興じたりするようになっていた。
「カーターさん、すごい。船員さんだと思ってたけど、警備のひとだったのかしら?」
素人目から見てもわかるほど、カーターの動きは抜きんでていた。
今も、複数相手の乱取りで危なげなく相手を捌いていく。
それも、一方的に叩きのめすというよりは、動きの指導をしているように見えた。
「カーターは、水夫たちのとりまとめ役だからね。成人前から船に乗っているベテランだし、荒事にも慣れてる。というか、必要性を感じて当時の警備隊長に弟子入りして鍛えてもらったって言ってたよ」
素早い動きに見とれるミーシャの横に、スッと誰かが並んできた。
「あ、先生」
顔をあげれば、ここ数日ですっかり見慣れてしまった船医の姿がそこにはあった。
「やだなぁ、先生なんて他人行儀な。テリーさんって呼んでよ」
まだ20を超えたくらいの線の細い優男で、珍しいストロベリーブロンドとオレンジの瞳のどこかフワフワとした雰囲気を持っていた。
柔らかなほほえみは、荒くれものの多い海の男のイメージからはかけ離れているし、実際、本人も望んでこの船の船医についたわけではないそうだ。
ただ、もともとこの船に乗っていた医者とテリーに医術を教えてくれた師匠が旧知の仲であり、出航直前にぎっくり腰を起こしてしまった船医の代わりに一航海だけという約束で乗船したと言う。
「と言うか、まだまだ修行中の身だったのに、兄弟子たちみんな逃げちゃって押し付けられたんだよ。最初のうちは船酔いがひどくてむしろ自分が薬飲んでたくらいだし、やってくる患者ときたら二日酔いや、古い食材をつまみ食いして腹壊した馬鹿ばっかりだし。本当に向いてないと思うんだよ!」
薬の事で相談、という名目の元部屋に押しかけては愚痴っていくテリーの話を聞くと話に聞いていたミーシャは、お医者様にも色々いるんだなぁ、と思ったものだった。
「カーターさん、そんな偉い人だったんだ」
隣に並ぶテリーから視線を元に戻しながら、ミーシャは首を傾げた。
「普通にいろんなところにいて、年若い水夫たちに混ざって働いていたのは、指導してたのね」
いつかの朝、メインマストに登っていったカーターが、足がすくんで動けなくなった新米水夫を背中に背負っておりてきたことをミーシャは知っていた。
ほかにも、甲板に掃除後の汚水をぶちまけたのを文句言いながら一緒に片づけていたり、客の荷物を運んでいて海に落としそうになったのをフォローしたりしていたらしい。
暇をかこって甲板でたむろする乗客たちの目は侮れないのだ。
「面倒見がいいんだなぁ、って思ってた」
打ちかかってきた相手の剣をすくい上げるように跳ね飛ばして、がら空きになった腹を蹴り飛ばしているカーターは実に楽しそうだ。
「面倒見がいいのは確かだろうね。僕も船に乗ったばかりの頃はいろいろお世話になったし」
手すりに肘をついてのんびり答えるテリーの手は、剣など握ったことがなさそうな滑らかさだった。
まあ、そもそもの土俵が違うのだから、しょうがない。
「……私も稽古したくなってきちゃった」
次々とカーターの指導を受けている船員たちを眺めながら、ミーシャがぽつりとつぶやく。
「え?ミーシャちゃん、剣を使えるの?」
小さなつぶやきを拾ったテリーが、驚いたように目を見張る。
「うぅん。剣は危ないからダメって止められたの。だけど、いざという時に身を護る術はあったほうがいいからって、最近はおじさんに杖術を教えてもらってるの。結構楽しい」
母親の形見の長い杖を見て、ラインが、ある物を使えるようになる方がいいだろうと、杖術を旅の合間にミーシャに教えていた。
初めの頃は自分の背丈よりもある杖の取り回しに苦労していたが、最近では、だいぶ様になってきていた。
もっとも、ここ最近は馬車での強行軍からの乗船と、ちっとも稽古する時間が取れずにいたのだが。
「うわ、動き忘れてそうだなぁ」
頭の中で決められた型を思い出しながらおさらいを始めたミーシャは、隣で聞いていたテリーの目が、面白そうにキラリと輝いたことに気づかない。
「ふーん、いいんじゃない?端の方で一緒に稽古したら?ラインさんの闘ってるところ、かっこいいんだろうなぁ」
ニコニコと悪気なくそういうと、テリーはミーシャの手を引いて下へと下りていく。
「え?えぇ?今は下に降りたらだめなんだよ?」
慌ててミーシャが制止しようとするのだが、テリーは気にせずどんどん下へと進んでいってしまった。
「カーター、ミーシャも稽古に混ぜて、ってさ」
「あ~?なんの話だ?」
丁度良く手を止めていたカーターは、突然現れて訳の分からないことを言いだしたテリーに首を傾げた。
ついでに手をつながれたままその隣に立つミーシャにも目線を投げれば、困ったように微笑まれた。
「ミーシャちゃん、ラインさんに杖術習ってるんだって。船に乗ってから遠慮して稽古できてなかったみたいだから、一緒にどうかと思って」
「一緒に、って……。本当にか?ミーシャ」
にこにこ笑顔のテリーに、カーターは驚いたようにミーシャに尋ねた。
カーター達の行っている訓練は、刃は潰しているものの、それ以外は本物の剣を使用している。
打ち合いをすれば火花が散るし、耳障りな金属音は慣れていない者には恐ろしいはずだ。
現に、訓練中は乗客は部屋にこもっているか、後部甲板に逃げている者が半数だった。
残り半数が、暇つぶしに見学としゃれこんでおり、その中に小さな影が混ざっていること
にカーターも気づいてはいたが、まさか参戦したいと言ってくるとは思わなかった。
「ちがうのよ?さすがに皆さんに混ざってお邪魔になるのは分かってるから、後で端っこの方でおじさんに稽古つけてもらえないかなって、思っただけで……」
困ったような顔で言い訳するミーシャを、これまた困った顔で眺めるカーターの側に、テリーがスススッと近づいてきた。
「いいじゃないですか。見たくないですか?ラインさんが稽古つけているところ。カーターさん、ラインさんの所作を見て底が知れないってつぶやいてたじゃないですか」
耳元で低くささやかれ、カーターは眉をひそめた。
茶髪に暗い青の目は、どこにでも見られる組み合わせだ。
はつらつとしたミーシャはともかく、おじのラインの方は、俯き加減で口数も少ない。
服も緩めのものを着ているため、身体つきも良く分からないありさまだ。
だが、ふとした時に足音がしない事や気配が薄くてわかりにくい事や、さりげなく端々に目を飛ばして観察している様子を見るにつけ、只者である気がしなかった。
何より、それなりの場数を踏んだ自信があるカーターだが、どうにもラインと闘って勝つイメージが掴めないでいた。
重い剣を振り回し、切るというよりは叩き折るという叩き潰すというパワータイプの戦い方をする自分とは違い、ラインは技術を駆使して戦う頭脳タイプの様な気がしていた。
足音や気配をとらえることが難しい所を見ると、それよりも暗殺者タイプかもしれないけれど……。
何にしろ、知らないという事はそれだけで不利であることを知っていたカーターが、ラインを気にしていたのは事実だ。
だからと言って、実際に自分で戦いたいかというと、その気は皆無だった。
おそらくラインは自分よりも強い。
理由などない勘のようなものだが、間違いではないはずだとカーターは確信していた。
「別に、邪魔にならないところなら使って大丈夫だ。有事に自分の身を護ってくれるのはありがたいしな」
結局、好奇心に負けたカーターが許可を出すと、ミーシャ本人よりも、なぜかテリーの方が歓声を上げていた。
「やった!ついでにラインさんと一戦手合わせ頼んでみてくださいよ、カーター。あぁ、ラインさん絶対かっこいいだろうなぁ」
テリーの欲望まみれの声に、カーターはやっぱりそんなところかと、肩を落とした。
何があったのか知らないが、この年若い医師がラインに信奉を捧げていることは、この数日で明白である。
親切顔してミーシャを連れてきたのも、あわよくばラインの新たな姿を見られるのでは、という欲望の下だろう。
「えぇ~~、いいの?本当に?じゃまにならない?」
突然の事に、目を白黒させていたミーシャは、少し迷った後「おじさんに聞いてみる」と嬉しそうに走っていった。
「あ、僕も一緒に(説得)行くよ~」
いそいそとその後をテリーが付いていく。
二人の後姿を見送ると、カーターは小さくため息をついてから、自分たちで打ち合いを始めていた仲間たちの元へと足を向けた。
(あの御仁が、そうそう手の内を見せるようなことはしないだろうから手合わせはないんじゃないかな?)
テリーはともかく、ミーシャにはめっきり弱そうな感じだったから、真剣にお願いされたら、重い腰をあげるだろうと当たりをつけて、カーターは、二人のために少しスペースを開ける事にした。
(杖術とやらも気になるし、な。教えてる動きを見れるだけでも、分かるものはあるだろうさ)
傍からは冷静に見えても、実はカーターはワクワクしていた。
ことさら戦闘狂のつもりはないが、新しい事を知るのは楽しい。
戦う術を知ることは、生き延びる可能性をあげる事だと思っていたからだ。
それに、突如入れ込まれた訓練に大半の人間が不安を感じてピリピリしている事に気づいていた。本日の予定はあらかた済んでいるし、ここらで息抜きをしてもいいだろう。
もともと、目立つ下甲板であからさまな訓練を始めたのも、どこかでこちらを監視しているかもしれない誰かに対して、この船はこれだけの戦える人間が乗っているんだぞ、という示威行動でもあったのだ。
すべてを見せる気にはならないが威嚇にはなるだろうと、夕刻には飾りじゃないんだと見せるために派手に砲弾も試し打ちする予定だった。
だから、カーターは仲間たちに、いつもの軽い口調で声をかけた。
「お~い、お前ら。可愛らしいゲストが来るってよ」
読んでくださり、ありがとうございました。
そして、話が全然前に進みません。
某少年漫画並みに進まない……。
あれ?サクサク進めるのって、どうやるんだっけ?どこまで書き込むのが適正だったけ?と自分でもなっております。確実に書籍化作業の弊害ですね。あちらはねっとりねっとり書いていたので(当社比)。
なろうベースに慣れている方はまだるっこしいでしょうが、調子取り戻すまで少々お待ちください。
……て、なんの言い訳してるんでしょうね、私。
さて、戦う隠密系薬師、次回本領発揮なるか!?(笑)
あ、でも珍しく連続投稿頑張ってますが、お休みも終わるし、次回は少し間あきますm(__)m




