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父親に森に帰ると宣言してから数日が過ぎたが、ミーシャはまだ屋敷に留まっていた。

興奮したのが祟ったのか、夜間より熱が上がり、父親の状態がまた悪くなった為だった。

熱さましを飲ませ、朦朧とする父親の喉を水で潤し、付きっ切りで看病した甲斐があって2日ほどで熱は下がったが、傷の炎症が再び起こってしまったのだ。


父親の傷が回復してきたのを確認して、ミーシャは安堵の息を吐いた。

もう傷が膿む事はなく、新しい肉が再生し始めていた。

元々騎士として鍛え上げられていた体である。回復に向かえば、早いのだろう。


まだ当てた布に血や汁が滲んで入るが、透明に近い水分は細胞が活性化している証拠だ。悪い印ではない。

(いっそ、縫合してしまった方が治りが早いかしら?でも、後々の事を考えれば、このままの方が……)

相談できる相手がいない事がとても歯がゆかった。知識はあっても経験の少ないミーシャでは、最善を選び取るのがとても難しかったから。



(……カインにおじさんを探してもらう?一応、顔合わせはしているし、もうそろそろ訪ねてくる頃合だと考えれば、この国にいるか近隣には居るはず……)

母親以外に頼れる唯一の存在を思い出し、首を横に振った。

母親が、故郷との縁が切れていると言っていたのには何か意味があるはずだ。

その意味が分からない以上、迂闊な行動は控えた方が良いだろう。


ミーシャは、自分の持つ知識と技術が、この国では異質なものだと気付き始めていた。

戦場から帰ってきた医師と父親の今後について相談したのだが、なかなか話が噛み合わなかったのだ。

そもそも、怪我の後遺症に対して何かをする、という概念がない様なのだ。

傷が治り命が助かったのだから、多少の不自由はしょうがない、とか。歩けないのは傷の為でしょうがない、とか。


背中の傷は確かに深かったが幸い下半身不随となるほど神経は傷ついていなかった。今、歩けないのは長い間ベッド上で動かなかったことによる筋肉の衰えの方が大きいのだ。

出来るだけ早くそれらの筋肉をほぐし、歩く練習をしなければ、本当に動けなくなってしまう。

唖然としながらそれらを説明し、理解してもらうのは本当に大変だった。


(森の民って、なんなんだろう?)

叔父を見る限りは自由な旅人なイメージだった。

旅の話を面白おかしく話してくれたかと思えば、母親と新しく発見した薬草について夜通し討論したりする。

陽気で真面目。頑固で、でも新しい物に興味を示す大らかさもある。

叔父に話してもらった経験談は、ミーシャの貴重な知識の一つとして蓄えられていた。


さらに、母親がポツリポツリと漏らした話を思いだしてまとめれば、薬師としての知識を持ち、山奥でひっそりと薬草や医療技術の研究をして暮らしている一族らしいということだった。

その話からすると、自由に各地を巡っている叔父は変わり者となるのだろうか?



ぼんやりと思考の海に沈みながらも、ミーシャの手は的確に動き、父親の傷の手当てを行っていく。

最後の包帯を巻いた時、慌ただしいノックの音にミーシャは我に返った。

隅に控えていたメイドが素早く扉を開き対応してくれるのを横目に見ながらミーシャはベッドから降り乱れた衣服を整える。

なにしろ、少しは動ける様になったとはいえ、自分より体の大きな人間に包帯を巻くのは大変なのだ。

助手を買って出てくれた従者に手伝ってもらい2人ががりの大仕事だ。


「ディノよ、王からの手紙を持ち使いが来たんじゃ。なにやら火急の用で、返事がほしいらしく待機しておる」

杖をつきつつやってきたのは領主代理をしている祖父で、その手には蜜蝋の施された封書が握られていた。

横向きに寝たまま差し出された手紙を受け取った父親の目が、取り出した手紙の中身をたどるうちに驚いた様に見開かれた。

「どういう事です、これは?!なぜ、ミーシャを隣国へ差し出さねばならないのですか?!」


叫ばれた言葉に、ミーシャは驚いて息を呑んだ。

(私が隣国に?)

脳裏に父親とローズマリアの会話が蘇る。

異母姉が行くと言っていた、アレの事だろうか?

「あの話はライラが行くと返事をしていたはずじゃろう?何故、ミーシャに?」

寝耳に水だったのは祖父も同様だった様で、怪訝そうに首を傾げている。

「どうも、ミーシャが薬師としての力を持っている事が伝わった様で隣国が興味を示した様です」

眉をしかめつつ、父親が手紙を差し出してくる。

それを受け取り目を通した祖父が、今度こそ驚きの声を上げた。

「手紙をもたせた使者とともに、登城せよと書いてあるではないか!なんで無茶をさせるんじゃ、あやつ!」


「そんなの無茶です!」

その言葉に、ミーシャはとっさに前に出た。

だいぶ良くなったとはいえ、まだ動かせる様な状態ではない。今、無理をすればせっかくふさがりつつある傷が再び開いてしまうのは明白だった。

何より、弱りきった体は未だ立つ事さえできないのだ。


泣きそうな顔で止めるミーシャに2人は顔を見合わせ、首を振った。

「そうではない。ディノが動かせんのは周知の事実だし、そこまで無茶は言わんよ。来いと言われておるのはわしとそなたじゃ、ミーシャ」

祖父はそう言って、ミーシャに手紙を見せてくれた。

そこには、隣国からの使者がきて、「森の民の薬師」に会わせろと言っていて、本物ならば、こちらに寄越せと主張している旨が書かれていた。


「………これ、母さんの事なんじゃ?」

思わずつぶやけば、困った様に頷かれる。

「おそらく、何処かで情報が混濁したんじゃろう。レイアースの死はあやつにも伝えておる筈なんじゃが」

「………私は反対です。何があるかもわからない場所にミーシャをやるなど」

きっぱりと言い切る父親に祖父が眉を寄せた。

いくら王弟とはいえ、王様の招集を簡単に退けられるものではないのだ。

そもそも、隣国の使者が望んでいる以上、弱い立場のこちらが無下に断る事もできないだろう。


「………私、行きましょうか?あちらが望んでいるのが「森の民の薬師」なら、私を見て母が亡くなっていることを伝えれば、諦めるのではないでしょうか?」

にらみ合いの様になっている2人の空気に耐えられず、ミーシャは自ら提案した。

あちらが何を思ってのことかは分からないが、いかにも子供な自分を見れば興味も覚めるのではないだろうか。


「だが……」

渋る父親を説得し、自分も行くというのをまだ動いては傷に触ると宥めると、ミーシャは、自分の持って来た服の中で一番まともな物を身につけた。

シンプルな麻のドレスだが、つい最近仕立てたばかりだし、暇つぶしにと母親と施した刺繍がそれなりに華やかに見せてくれる。

「まぁ、何か言われてもこれしかないのは事実だし、しょうがないよね」

せめてもと髪を緩く編み込み髪飾りの代わりに花をいくつか刺せばそれで完了、だ。


玄関で待ってた祖父にエスコートされ馬車に乗り込むと、一つ息をついて車窓を眺める。

頭の中では母親に教えられた目上の人に会った時のマナーを必死に思い出していた。





(なんで俺が王の新たな側室候補を眺めに来なきゃなんないんだよ)

ジオルドは非常に不機嫌だった。

彼は大国で一応近衛兵をやっていた。が、元々は傭兵上がりの平民だ。ある戦場でたまたま王を助けて、気に入られてしまい、取り立てられた人間である。


この度めでたく新たなる同盟国(という名の属国)が増えたというニュースも、ましてやその国から新たに差し出される側室という名の人質の娘も本気で興味がなかった。

基本、日々を恙なく過ごせればそれで問題ない。出世欲もないし、面倒だから、訓練だって最小限で済ませたいタイプだった。


それが、何が悲しくて噂の真実を確かめるためにわざわざ隣国までやってこなくてはならないのか。

更に、噂が真実なら、他国に取られる前にサッサとさらって来いという無茶振りつきだ。


少し面白そうな顔で自分にそんな命を下した王に本気で食ってかかりそうになった。

周りに他の人間もいたからどうにか飲み込んだが、2人きりなら間違いなく散々文句を言って断っていただろう。


そもそもしがない一近衛兵でしか無いジオルドになんでこんな面倒ごとが押し付けられたかといえば、遠い昔、本物の「森の民」に遭遇し、命を助けられた経験があったからだ。

会ったことがあるのなら本物かどうかの判断もつきやすいだろう、との事だった。

「そんな無茶な」と嘆いたジオルドに仲間の近衛兵はかなり同情的だったが、変わってやろうという優しさを発揮する人物はついぞ現れなかった。


挙句、「森の民の薬師」の話を出せば、なぜか非常に鈍い反応を返された。

その存在を把握していないわけでも無さそうなのだが、どうにも口が重い。

それを大国の強みを前面に押し出し、口を割らせれば、確かに弟の側室だったがつい先日不幸な事故で命を落とした。娘はいるが、その少女がどういう存在かはよくわからない、との事だった。


どうも、森の奥でひっそりと暮らしていたらしく姪にあたる存在ではあるが1度もあったことが無いそうだ。

その時点で、ジオルドにはなんのことだか、という感じだったが、此方も一応自国の王名を背負ってきた身である。

どうにか、その少女に合わせてもらえる様に都合をつけてもらい、現在、登城を待っているのである。



気分を落ち着けるために入れられた紅茶を飲みながら(冷たいエールが飲みたいなぁ)とぼんやり考えた。

家に戻ったら速攻で行きつけの店へ行こうと心に誓った時、ようやく待ち人が現れた旨を伝えに侍従がやってきた。

(サッサと終わらせよう)

ジオルドは残りの紅茶を飲み干すと重い腰を上げた。




そもそも、森の民とはどういう存在なのか。

ミーシャの住む国はあまりにも遠国であった為それほど伝わっては居なかったが、大国や戦の多い国では有名な存在だった。


東の小国の霊峰と呼ばれる山奥にひっそりと住み、その詳しい場所は一族のもの以外誰も知らない。

まれに山から下りてきては貴賎を問わず怪我や病に苦しむ人々を救い、そのものの手にかかれば死人でも歩き出すと噂されている。

「薬師」と名乗ってはいるがその腕は医師にも勝り、また、誰も知らぬ独自の技術を有していた。

基本は何処の国にも仕える事はなく、例え財宝を積まれても気が向かねばその技が振るわれる事は無い。

また、捕らえようとも隠密行動に優れている為容易には足取りが追えず、運良く捕らえたとしても前述の通り気が向かねば指一本動かさないという徹底ぶり。


何しろその秘術を手に入れようとしたものが拷問にかけても、笑って死んでいったというのだから凄まじい。

更に恐ろしいのは、手にかけた者たちが一族郎党に至るまで全て滅ぼされた事にある。

数度同じ事が繰り返され、「森の民」に手を出してはならないとの暗黙のルールが出来上がったほどだ。

秘術は手に入れたいが、下手したら国が滅ぶ危険を犯したい者は誰もいないだろう。


また、その技術を試す為か戦場に良く現れる為「緑の死神」「救いの天使」と呼び名も多いのが実情だった。


ちなみにジオルドが救われたのも戦場で、傭兵になったばかりの頃下手をして腹を割かれ朦朧としていたところを拾われたのだ。

意識を取り戻した時、隣に先程まで殺し合っていた敵兵が同じ様に治療され転がされていた時にはかなり驚いたものだった。


せめて場所を区別して置いてくれよ、と後にこぼしたところ、治療効率のいい様に配置していたんだと教えられた。

かの男にとっては敵も味方もなかったのだから当然の主張でそれでも争おうとする奴は容赦なくどつかれていた。


曰く、「せっかく俺が救った命を俺の前で散らすな。ヤるなら目の届かないところでやれ」だそうで、本気でその場から叩き出していた。

唖然とする周りに「喧嘩できるくらい治ったなら俺の手はいらんだろう。後は勝手にやればいい」とあっさりとしたものだった。


なんだかその主張に妙に納得してしまったジオルドは怪我が癒えてくると、なんとなくその男の手伝いを買って出ていた。

更には、何処からか少しでも技術を手に入れようと集まった医師や薬師でちょっとした医療団が出来ていた。

しかし、男は戦局が治まってくるとある日ひょっこりと姿を消してしまったのだが。


置き手紙の一つも無い出奔に驚くジオルドに、その場にいた医師の1人がそういう人だと教えてくれた。

束縛されるのを何よりも嫌う一族だ、と。

呆れながらも僅かながらも交わした男との会話を思い出せば、さもありなんという感じで、そういえば助けてもらった礼を言い忘れたと気付いたのは戦が終わり家に帰り着いた後だった。


まぁ、戦場によく出没するというし縁があればまた会えるだろう。その時に礼でも言って酒の一杯も奢れば良いかと軽く考えているうちに、気づけば結構な年月が過ぎていた。



そんな折、新たに同盟国となった国の死にかけた王弟を「森の民の薬師」が救ったとの情報が入ってきた。

しかも、王弟と縁を結んだ女であり、娘がいるらしい。元々それの腹違いの姉が側室にとの話だったが、どうせなら付加価値がある方を望んでは、との進言だったのだ。


別段望んでいなかった側室だが、その情報が本当ならば、願ってもいない話だ。

かの国ではその価値を十分に把握していないからこその進言だったのだろうから、気づいてしまう前に本当ならばサッサとさらって来い。と言うのが王の主張であった。

恐ろしい事に、国の重鎮達も首を縦に振ってジオルドを送り出したのだから、どれ程「森の民」が尊ばれているか分かるというものだろう。


まぁ、ジオルドにしてみればやはり「面倒くさい」の一言に尽きるのだが。

確かに男の治療の腕は神がかっていたが、助けられずにその手から溢れてしまった命だってあったのだ。

所詮神ならざる身で、すべてを救う事も出来ないし奇跡だって起こせない。

幾つもの戦場を生き延びてきたジオルドにしてみれば、結局は本人の運次第で、その幸運をつかむ確率を他より少しばかりあげるだけだ、としか思えない。

人間死ぬときは死ぬものである。


そもそも本物だった場合、例えさらってきたとしても、その相手が望まなければあっという間に取り返されて終わりだろう。

その場合、下手したら蛇の尻尾を踏むはめになるのでは無いか?


(もしかして、それも踏まえた上での「俺」なのか?……勘弁してくれ)

嫌な可能性に思い当たった時、目的の部屋の扉が開かれた。


その時、飛び込んできた色彩にジオルドは付きかけていたため息を飲み込んだ。

白金の長い髪は一部編み込まれ飾りにピンクの花がかざられていた。そして、自分を見つめる深い森の緑を宿した大きな瞳。

それは、どちらも遠い記憶の中にある色彩そのままだった。


(しかし、子供じゃねえか)

シンプルな麻のワンピースを身にまとった華奢な肢体はとても成人している様には見えなかった。

この国でも成人して社交界デビューした娘は足首まで隠すドレスを見に纏い髪を結い上げるのが慣わしだったはずだ。

目の前の少女はくるぶしより少し上の長さのワンピースに上半分だけをあげた髪型だ。


緑の民の特徴は持っているが、見るからに成人前の幼い少女。

妖精を思わせる華奢な肢体と整った顔立ちは庇護欲をそそるが、これを側室に迎え、手を出した時点で、不名誉な称号を与えられそうだ。


「お初にお目にかかります、使者様。リュシオン=ド=リンドバーグと申します。不肖の息子が身動きとれぬ身ゆえ、代わりを務めさせていただいております。老人の身ゆえ見苦しい事もございましょうが、ご了承くだされ」

不躾に凝視してしまったジオルドの視線を遮るように、一歩前に出た老人が優雅な礼と共に名乗りを上げた。


そこで、ジオルドはその場に少女以外の人が複数いた事にようやく気付いた。

慌てて居住まいを正し、礼を返す。

「ジオルド=シーマインです。不躾な願いを叶えていただき、ありがとうございます」


読んでくださり、ありがとうございました。


新キャラ登場です。


そして「緑の民」の説明がようやく出来ました。意訳すると山奥引きこもり系医療(研究)特化集団、です(笑)

偶にミーシャの叔父さんみたいな変わり者が、外の世界をウロウロして新しい思いつきを持ち帰り、みんなでさらに研究する感じですね。

その技術を使って何かしよう、とかはあまりありません。復讐は……まぁ、薬って毒にもなるよね〜、みたいな。因みに隠密行動が優れているっていうよりは山奥で暮らしていく為、身体能力が上がった感じですね。

因みに人体のツボも研究し尽くしてるので、それらを使って結構戦えます。


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[気になる点] まあ公爵夫人とその側近のやった事は正直、国賊級の所業ですな。 周辺国の森の民の認識云々別にしても、森の魔女とその娘は公爵家や国にとっても重要だったのにわざわざ他国に漏らすとかしょうもな…
[気になる点] >(……カインにおじさんを探してもらう?一応、顔合わせはしているし、もうそろそろ訪ねてくる頃合だと考えれば、この国にいるか近隣には居るはず……) この「カイン」はカイトさん? それと…
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