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よろしくお願いします。
ミーシャは、自分が思っていたより疲れがたまっていたらしく気がつけば深く眠り込んでいた。
ふと何かを感じて目を覚ますと、カーテン越しにほんのりと明るかったはずの部屋は闇に沈み、一瞬自分の状況が把握できずに混乱してしまう。
「ミーシャちゃん、起きてるかい?食事の準備ができたよぅ?」
(そうだ!ここ、ガンツさんのお家。お風呂入って寝ちゃってたんだ!)
そこに、柔らかな女性の声が響き、ミーシャはガンツの家にたどり着いてからのことを思い出した。
「ミーシャちゃん?」
「はい。起きてます!」
再びかけられた女性の声でようやく、目を覚ました原因に思い至ってミーシャは慌ててベッドから飛び出した。
勢いよく飛び出してきたミーシャに目を丸くしたアンジェリカは、次いでクスクスと笑いだした。
扉を開けた体勢のままこちらを見上げてくるミーシャの髪を、そっと優しい手つきで撫でる。
「髪がクシャクシャだよぅ。ちゃんと乾かす前に寝ちゃったんだねぇ」
くすくす笑いながら髪を整えてくれるアンジェに、ミーシャは懐かしさと切なさに泣きたいような笑いたいような不思議な気持になった。
長い髪を乾かす前に寝てしまうミーシャに、レイアースもよく笑いながら同じように髪を整えてくれていた。
『はい、きれいになったわ』
最後に、ポンと軽く頭を叩くと優しくキスをしてもらうのがうれしくて、わざと髪をくしゃくしゃにしていた自分を思い出したミーシャは、くすくすと笑いだしてしまった。
「ありがとうございます」
「どういたしましてぇ。さ、お腹もすいただろぅ?たくさんごちそう作ってるからねぇ」
お礼を言うミーシャに、ニコリと笑ってアンジェリカはその背中を押した。
そうして招かれたテーブルの上には、確かに所狭しと料理が並べられていて、先に席についていたラインとガンツは、すでに酒の入ったグラス片手に談笑していた。
その足元では、いつの間に合流したのかレンも肉の塊をもらっておいしそうにかじりついていた。
首に見慣れないスカーフを巻いているが、なんだか、先ほどより調子がよさそうに見えてミーシャは首を傾げた。
「レン、なんだか元気になってる?」
「あぁ。ハーブの香りを気に入っていたみたいだから、スカーフに包んで首に巻いてみたんだよ。ついでに、嗅覚を鈍らせる薬草を少しだけ足してみたんだ」
ミーシャのつぶやきを拾ったガンツが、さらりと答えた。
「嗅覚を鈍らせる?」
「そう。麻痺薬の一種だけど、一過性のものだから心配しなくてもいいよ。すぐに効果は切れる」
聞いた事のない効用に首を傾げるミーシャに、ガンツの隣で飲んでいたラインが笑い出した。
「気付け薬があるだろう?あれを作るときの対策でガンツが考えたんだよ。カードゲームの罰ゲームになってたことがあったんだけど、こいつ素直だから負けることが多くてさ」
「気付け薬って、あの?」
つい先日、グリオに使った薬を思い出して、ミーシャは顔をしかめた。
うっかり風下にいたせいで巻き込まれ的にかいでしまったそれは、死人も目を覚ますのではないかと思うほど、まさに激臭だった。
その後、作り方も聞いたのだが、厳重な防護服とマスクが必要で少しでも皮膚に付着すると、一週間は匂いが取れず、悲惨な目に合うとラインが嫌そうな顔で言っていた。
ちなみに小瓶に入っていた気付け薬は10倍に薄めたものだと聞いて震えたのは記憶に新しい。
「それは……、後遺症とかないなら欲しいかも…です」
レンほどではないが、人よりも鋭い嗅覚を持つミーシャは(万が一原液が体についたら死にそう)と、真剣な顔をして頷いた。
「村に行くんだろう?レシピは残してきてるから、作ってみたらいいよ。需要は意外とあるんだよね」
ガンツは笑いながら、食事を止めて顔をあげたレンの頭を撫でた。
硫黄の激臭から逃れられた恩を感じている様子のレンも、嬉しそうに撫でられている。
「そっか。よかったね、レン!」
町に入る前からの焦燥ぶりを知っていたミーシャはホッとしてレンに笑いかけると、レンも小さく返事をして食事を再開させた。
減退していた食欲も無事、戻ったようである。
「さ、いつまでも立ち話してないで、ミーシャちゃんもお座りよぅ」
陽気に背を押されて、ミーシャは開いていた席に腰を下ろした。
改めてテーブルを見れば、根菜の煮物に鳥を焼いてソースをかけたモノ、揚げ物にサラダなどいかにも手の込んでいそうな料理がたくさん並んでいた。
「なにが好きか分からなかったから、いろいろ作ってみたんだよぅ。口に合うものがあればいいんだけどねぇ」
大皿に盛られたものをそれぞれに取り分けて食べるスタイルで、あまりに多彩な料理の数々に、ミーシャは何から手を付けようかと迷ってしまう。
「ミーシャ、これ食べてみろ。故郷の村でよく食べられる郷土料理なんだ」
そんなミーシャに、ラインがポイポイと豚肉と野菜の煮込みらしいものを皿にのせてくれる。
少し癖のあるスパイスの香りをかぎ取って、ミーシャは首を傾げた。
「これ、食べたことあるわ。向こうの料理だったの?母さんがときどき作ってくれていたけど」
「おや、そうなんだねぇ?じゃあ、スープも大丈夫かい?少し辛味があるから、ミーシャちゃんには出してなかったけど」
ミーシャの言葉に、台所の方からアンジェリカがパンの籠を持ってきながら首を傾げる。
「食べたいです!辛いの平気!」
「はいはい。ついできてあげようねぇ」
元気よく返事するミーシャに、アンジェリカが笑いながら再び台所へと戻っていく。
「あ、私、自分で!」
慌てて後を追いかけようとするミーシャを、グラスを傾けていたガンツが止める。
「すぐだから座ってなよ。今日は二人が主役なんだからさ」
「ていうか、鍋ごとこっちに持ってきたらいいだろ?お代わりも欲しいし、いちいち立たなくてすむ。ガンツ取って来いよ」
「それもそうだ」
ミーシャが戸惑っている前に男二人で話し合いがなされて、ガンツがさっさと席を立ってしまった。
台所の方で微かに話している声を聴きながら、ミーシャは首を傾げる。
「奥さんなの?」
アンジェリカは、お手伝いに来ているようなことを言っていたが、二人の雰囲気はもう少し近いものにみえた。
「そうなる一歩手前ってとこだろうな。次来るときにはくっついてるんじゃねぇか?」
さっさと料理に手を付けながら答えるラインに、ミーシャはなんだかワクワクしてしまう。
「そうなんだ。結婚式とか、するのかなぁ?」
ミーシャは、森の家にあった両親の結婚式の時の絵を思い出していた。綺麗なドレスととても幸せそうな二人の笑顔が大好きで、大切にしまわれてあるのを良く強請って出してもらっては、うっとりと眺めていたのだ。
「さぁ、な。まぁ、そうなったら連絡くらい来るだろう」
「そうだね。カインに此処の場所覚えてもらわなくっちゃ」
おそらく近くの森でのんびりしているだろうカインを思い出し、ミーシャは小さくこぶしを握った。
レン以上に自由を愛するカインは、呼ばれなければだいたいどこかを飛び回っているのだ。
手紙を運んでほしい時は、連絡用の笛を決められたリズムで吹くことで、呼び出すことができる。
「あぁ、一回顔合わせして名前教えとけばカインなら覚えるだろ。いいんじゃないか?」
グラスに勝手に酒のお代わりを注ぎながら、ラインが適当に答える。
「うん。明日呼んでみる」
二人がそんな相談をしていると、スープの入っているらしき鍋と注ぎ分けようのスープ皿を持ったガンツとアンジェリカが戻ってきた。
「ミーシャちゃん、とりあえず味見用に少し注いどくから、お代わりしたいときは遠慮なく言ってくれていいからねぇ」
自分の座る席の近くに鍋を置いて笑うアンジェリカがさっそくスープ皿を手渡してきた。
結局、給仕自体はしてくれる様子のアンジェリカに、ミーシャも素直に笑顔で頷く。
「おいしいです、アンジェリカさん」
アツアツのスープを飲んで、ミーシャは声をあげる。
母親の作ってくれたものより少し辛味が強いけれど、これはこれで美味しかった。
おいしい料理を食べながら、ラインの旅の話やガンツの温泉愛を聞いて、ミーシャは大いに笑ったり感心したりした。アンジェリカは食事をとって会話に参加しながらも、料理の減り具合を見てはちょこちょこと席を立ってはこまめに動いている。
それをさりげなくガンツが手伝っていたりして、ミーシャはラインの言っていた「まぢか」の意味をほのぼのかみしめたりしていた。
しかし、その和やかな時間は突然の来訪者によって破られた。
「先生!助けてくれ!!子供が馬車に轢かれたんだ!」
扉をけ破る勢いで飛び込んできた男の叫びに、ガンツが驚いたように席を立った。
「馬車に轢かれたって、どうしてこっちに連れてくるんだ?町のチャット先生がいるだろう?」
戸惑いをにじませながら玄関の方に向かうガンツの背中を、ミーシャは落ち着かない様子で見送ったが、ラインは我関せずで料理をつついている。
「おじさん、いいの?」
思わず非難めいた目を向けたミーシャに、ラインは肩をすくめて見せた。
「俺はここでは通りすがりの客人だ。この町の事はガンツの管轄で、勝手に干渉することはできない」
「…それは一族の掟?」
冷たく聞こえる言葉に、ミーシャは首を傾げた。
ラインは面倒くさがりではあるが、本来情に厚い人間だと、共に過ごした時間の中でミーシャは気づいていた。
「そうだな。特にガンツはこの場所に居を構えている。その立ち位置を変えるような事を、勝手にはできないのさ」
呟きながらも、グラスに残っていた酒をぐっと飲み干すとラインは、にやりと笑った。
「まあ、お人よしのガンツが、多少デメリットがあるとしても助ける手があるのに使わないわけはないだろうけどな」
悪辣な顔で笑いながらも、手を伸ばして水差しから水を注ぎ、いつの間にか懐から出した粉薬を口にに含み、一気に飲み干した。
「それ…?」
「酔い覚まし。アルコールを分解してくれるんだ。しっかし、相変わらずくそ不味いな、これ。改良しろって何回も陳情してるのに、あいつ等ちっとも言う事聞きゃしねぇ」
ラインがわずかに眉をしかめながらぶつぶつと文句を言っていると、困り顔のガンツが戻ってきた。
「僕じゃなくて、君をご指名だよ、ライン。おかしいと思ったんだよ。怪我は専門外だって周知してるはずだから」
「そんな事だと思った。アンジェリカの時の惨状を知ってる医者が、お前を頼るわけがねぇ。ここに来るまでにどっかですれ違ったんだろうな」
笑いながら立ち上がるラインに、展開についていけないミーシャはどうしていいのかわからず二人を交互に見つめた。
「複数の骨折と腹部の裂傷。町の医者はさじを投げたけど、運が良ければここに腕のいい医者がいるかもと言われたんだって。アンジェリカの時の医者と同じ人」
「てことは、状況は深刻だな。こっちの方が設備は整ってるだろうから運ばせるか」
「というか、もう向かってきてる。さっきの男は先ぶれだよ」
そんなミーシャの戸惑いを無視して二人の会話は続いていた。
「どこを使っていい?」
「離れの方に、一部屋手術室を用意しているから、そっちだね。輸血は使う?」
「恐らくな。血縁者が一緒についてきてればいいが。協力者はいるか?」
「当てはあるけど、患者の血液型次第だね」
「っち、血液だけでも先に持ってきてれば検査薬につけられたのに、つかえねえ」
「そんなこと言ったって、一般的な処置じゃないんだからしょうがないだろう?」
息をつく間もないやり取りと共に、二人は足早に食堂を出て行ってしまう。
思わず見送っていたミーシャは、遠くから響くラインの声に慌てて腰を上げた。
「アンジェラ、そっちでもお湯を沸かしてくれ。ミーシャ、何してる!さっさと来い!!」
「はい!!」
思わず反射で返事をしたミーシャは、二人の後を追って走り出した。
(離れの方って言ってたから、あっちでいいのよね?)
ミーシャは、昼に入浴する際にざっくりと案内された場所を思い出して向かう。
風呂場のある棟の案内された場所の一つに、不思議な部屋があったのだ。
真っ白な壁紙につるつるした石の床の部屋は殺風景だったが清潔感はあった。中央には高さのあるベッドがポツンと置いてあって壁際には大きな棚が並んでいた。
何より異様だったのは壁に一定の間隔で据え付けられたランプの数だ。
そう広くない部屋に十ほどもあっただろうか。さらには天井にも吊り下げるタイプのものがいくつかあった。
何のためにそれほどの数のランプがあるのか、半ば温泉に気を取られていたミーシャは後で聞こうと思って忘れていたのだが、本能が、「きっとあそこだ」とささやいていた。
「なに?まぶしい?!」
そして、その部屋の扉を開けたミーシャは、思わず声をあげた。
その部屋はまぶしいほどの光で満ちていたのだ。
すでに外は陽が沈み、食事の席でもランプがともされていた。
しかしこの部屋は、その比ではないほどに明るく、まるで昼の日射しの中にいるかの様だった。
「慣れないとまぶしいよね。細かい作業が予想されるから、特殊な油を使ってるんだよ。後は単純に数の問題。まあ、これでも半分しか火をともしてないんだけどね」
目をすがめるミーシャに、笑みを含んだ声がかけられた。
「何度か瞬きをしてごらん。すぐに慣れるよ」
声の方を見ると、油さしと火をつける道具を持ったガンツが立っていた。
ミーシャはガンツの忠告通り、何度か瞬きをするうちに目が慣れたのか、視界が良好になる。
「ぼうっとしてる暇はないぞ。患者が来る」
鋭さを増したラインの声に、ミーシャはハッと背筋を伸ばした。
(そうだ。馬車に轢かれた子供が運ばれてきてるって言ってた。町のお医者様では手に負えないほどひどいけがをしてるって)
「そっちの水場で手を洗って、服を整えてね。そしたら、僕の手伝いをお願い」
いつの間にか擦り鉢や計りなどの道具を用意しながら、ガンツが部屋の隅を指さした。
そちらの方に水場があり、筒から水が流れ出していた。ほんのり湯気が出ているところを見ると、温泉を流用しているのだろう。
爪の間まで念入りに手を洗ったミーシャは、側に用意されていた布の一枚を拝借すると、手を拭いた後、髪を覆うように頭に巻いた。
「なにをしたらいいですか?」
「ライの実の消毒液の作り方は分かる?」
「……っ!!」
ガンツの言葉に、ミーシャは無意識に息をのんだ。
唐突にミーシャの脳裏に、あの日の情景が浮かんでくる。
薄暗い部屋の中、立ち込める薬と血と腐臭の入り混じった匂い。微かに響く父親のうめき声と人々のざわめき。そして、擦り鉢で何かを擦っている真剣なレイアースの横顔。
『消毒液を作って傷を洗うわ。今、お湯を沸かしてもらっているから、ミーシャはライの実を擂って』
それは、永遠に母親を失うことになる出来事への第一歩だった。
湧き上がる恐怖に息が詰まる。意識しないのに、体が小さく震えだした。
(なんで、いまさらこんなに怖いの?)
あの日から、何度も薬師として働いてきた。
薬を処方するだけでなく、つたないながら縫合を行ったこともあるし、人の死に立ち会った事すらある。緊張はしたけれど、こんなふうに固まったことなどなかったのに、今、ミーシャは説明できない恐怖に襲われ、逃げ出したいと思っていた。
震える体を、こぶしを握り締めることで耐えて、ミーシャは俯きそうになる顔をあげた。
そして心の中で強く自分を鼓舞する。
(今まで学んだのは何のため?もうすぐ、怪我をした子供がくるのよ?!ここでうずくまって、母さんの教えを無駄にするつもりなの?!)
それでも動こうとしない体に涙がにじみ、唇をかみしめようとした時、ふいに母親の声が脳裏に響いた。
『緊張した時は大きく息を吐いて。そうしたら、体が勝手に新鮮な空気を取り込んでくれるわ。呼吸ができたら、頭もスッキリするでしょう』
ミーシャは、息を吐いた。
震える吐息は細くとぎれとぎれだった。
それでもどうにか吐ききると、同じくらい、新鮮な空気が体の中に流れ込んでくる。
もう一度。…そしてもう一度。
繰り返すごとに呼吸は深く大きくなっていく。
それと同時に、重く靄がかかっていたようだった頭がはっきりとして、恐怖が薄れていくのを感じた。恐怖が薄れれば、固く強張っていた体からも力が抜けていく。
ミーシャは、最後にもう一度体中の空気を絞り出すように大きく息を吐いた。
再び空気が取り込まれ、最後の靄が腫れていく。
次に吐く息に、ミーシャは声を乗せた。
「できます!任せてください!!」
読んでくださり、ありがとうございました。
急展開です。
まあ、急患は時と場合を選ばずに飛び込んできます。決して、作者がほのぼのに飽きたからではありません(笑)
そしてミーシャちゃん、トラウマ発動です。
些細なキーワードで、トラウマは突如襲ってくるものです。
今回はどうにか乗り越えましたが、今後も何度もぶり返すでしょう。
そして、きっとガンツ君が冷静に観察してたんだろうなあ、なんて思います。
次回もよろしくお願いします。




