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お久しぶりです。
「だいたい、こうなるのが分かっててなんで居留守使おうとするかね」
居間に通されて出されたコーヒーを飲みながら、ラインが肩をすくめる。
どうやら、訪ねてくるたびの恒例行事のような物らしい。
「それはね、来るたびに君が貴重な薬や道具を強奪していくからだよ?」
自棄になったような口調で、ラインの正面に座ったガンツが据わった眼でコーヒーを飲んだ。
だけどそんな視線もどこ吹く風で、ラインは出されたサンドイッチを美味しそうに食べていた。
「人聞きの悪い。代わりに欲しがってた薬草採ってきてやったろ?」
あくまで等価交換を主張するラインに、ガンツは苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「それはね、ありがたいと思ってるよ?ここら辺では手に入りにくい貴重な薬草送ってきてくれるし探してた文献見つけてくれるし。だけどね、君はいつも唐突なんだよ。せめて前触れをくれるかい?!」
文句を言いつつも、サンドイッチが足りなさそうだとお代わりを持ってきてくれたり、コーヒーが苦手なミーシャのために果実水を出してくれたりとかいがいしい。
硫黄の匂いに巻かれて元気のないレンには、気分がすっきりするかもと、乾燥したハーブを持ってきてくれていた。少し清涼感のある香りに気分がまぎれるのか、レンはハーブに鼻先を突っ込むようにして休んでいた。
(こういうところが伯父さんに付け入るスキを与えてるんだろうなぁ。すっごく良い人そう)
だされたサンドイッチを美味しくいただきながら、ミーシャは二人のやり取りを観察していた。
すごく楽しそうなラインの様子に、少しガンツに同情をしながらも「沈黙は金」とばかりに口をつぐむ。
その間にも(一方的にラインが)楽しそうな会話は進み、本日の宿は無事に確定したようだった。
「この部屋を使ってね。二階の端で少しお風呂からは遠くなるけど、レン君の事考えたらその方がいいだろう?ミーシャちゃんも疲れているだろうし、お風呂に入って少し昼寝したらいいよ」
客室の一つに案内しながら、ガンツはふわっと微笑む。
ちなみにラインは先に風呂に入ると荷物を抱えたままどこかに消えていった。
「お風呂!温泉なんですよね!」
ミーシャの目が期待に輝く様子に、ガンツは嬉しそうに笑った。
「そう。うちの泉質はちょっと自慢なんだ。白濁湯でとろみが強い。肌のきめが整ったりしっとりする効果があるから、近所の奥さんたちが化粧水代わりに使いたいともらいに来たりするんだ。お湯のせいで洗い場が滑ると思うから気を付けてね?ラインは最初に入った時に思いっきり滑って頭打ってるから」
思わぬラインの失敗談にミーシャは目を丸くするとくすくすと笑いだした。
この様子だと、ラインが知っているガンツの恥かしい話と同じ数だけ、ガンツもラインの事を知っていそうだ。
「そんなこと話したら、伯父さんに怒られませんか?」
笑い出したミーシャにきょとんとしたガンツは、自分の言葉を反芻して少し慌てた顔をした。
それから、人差し指を唇に持ってくる。
「今のは内緒で」
「はーい」
子供のようなしぐさにさらに笑いを深めながら、ミーシャは案内された部屋へと荷物を置くために入っていった。
ガンツ自慢のお風呂は一階にあった。
正確には、裏庭に渡り廊下で繋がれた小屋があり、そこが風呂場とガンツの研究施設となっていた。
温泉の泉質が体に与える影響や効果的な入浴方法など、協力者を募り、統計をとっているそうだ。
詳しく聞きたい好奇心もあったが、それよりも、まずは体を清めたい欲の方が勝ったミーシャは、着替えを手にいそいそと風呂場へと向かう。もちろん、レンは部屋でお留守番だ。
教えてもらった風呂場はなんと内湯と外湯があった。
研究用の個室タイプの一人用が二か所。
ガンツ曰く癒されたい時用の広めの外湯が一つ。
「僕的には広々とした外湯の方がお勧めだけど、外湯は屋敷街の人にも開放しているから、他人と鉢合わせることもある。抵抗があるなら個室を使うといいよ。泉質は変わらないからね」
「町の人が入りに来るのですか?」
驚いて目を丸くするミーシャに、ガンツは笑った。
「最初は個別に研究に協力してもらっている人たちだけに開放してたんだけどね。そうもそこからあそこのお湯は泉質がいいと評判になって、もらい湯に来る人が増えたんだよね。いちいち対応するのも面倒で。敷地の端に作ってたから、塀の一部を改造してそっちから入れるようにしたんだよ。一応、建物の中の方の扉は施錠よろしくね」
浴室を通過して中に入れないように、家人が入るとき以外は扉を施錠しているようだが、それにしても剛毅だ。
(繊細そうに見えて結構適当なのは、一族の特徴なの?)
「まあ、昼前のこの時間はみんな働いているし、外からの利用者はそんなにいないから大丈夫だと思うよ?町の大衆浴場に行けば、知らない人とはいるのなんて当然だし、何事も経験だと思って入ってみたら?一応、外の人に開放するにあたって男湯と女湯は分けてるしね」
内心こっそりと失礼なことを考えているミーシャに、ガンツはそういって背中を押した。
ついこの間まで山の中の簡易風呂で入浴していたミーシャとしては、外湯には抵抗ないし、ガンツが「癒し」と言い切るお風呂にも興味がある。
渡されたカギを手に脱衣所に入った。
ちなみに、ガンツは研究データのまとめをするために研究室の方にいると、扉の前で別れた。
言葉にはしなかったけれど、慣れないミーシャのためにあえて近くで作業してくれているのだろうと思って、ミーシャはこっそりと笑った。
さりげない気づかいがとてもうれしかったのだ。
脱衣所の中には三人ほど腰掛けられそうなベンチの上に、籐で編まれた籠が置いてあった。
壁際にはシンプルな棚が据え付けられ、体を拭くための布が多数折りたたまれて入っていた。
隅の方には大きめの籠が置いてあり、使った布や脱いだ衣服はそこに入れておけば、通いの使用人が後でまとめて洗濯してくれるそうだ。
ミーシャはどきどきしながら服を脱ぐと、一応大きめの布を体に巻き付け、そっと扉の前で外の様子を探った。
しばらく耳を澄ますが、人の気配は感じない。
首にかけれるように長い紐が付いたカギで、そっと扉を開け、脱衣所の外へと足を踏み入れた。
ふわりと暖かな湯気に包まれ、最初に感じたのはこの町に入った時から香っていた硫黄の匂い。
そして・・・・・・。
「ふわぁぁ~~、なにこれ、すごい」
湯船は大きな石をゴロゴロと組み合わせて囲ってあった。自然の中の岩をそのまま持ってきたような荒々しさの中にも、不思議と統制が取れた美が見られるのは、配置が絶妙なためだろう。
敷き詰められた石畳はアイボリーで艶やかな光沢を放っている。
だが、それは体を洗う場所と湯船に向かう道のみで、大きな湯船の周りには、影を作る大きな樹木や草花などが所狭しと咲き誇っていたのだ。
しかも、そこにある草花はよく観察してみれば見知った薬草も混ざっている。の、だが。
「え~、なんでこの時期に夏の薬草が花開いているの?あ、あっちにはチトの新芽が芽吹いてる!あれって春の薬草なのに!」
目を丸くするミーシャは、当初の目的であるお風呂の事などすっかり忘れて、植物の間を飛び回った。
季節の違う薬草たちが生き生きと共生している光景が不思議でしょうがない。
「なんで?これも温泉効果?」
首を傾げながら、そっと柔らかな新芽を傷つけないようにチトを観察する。
森の中でよく採取していた万能鎮痛薬の原料だ。飲んでもよし、軟膏に混ぜ込んで傷薬にしてもよしとかなりお世話になったため、間違えることは絶対にない自信がある。
それゆえに、秋の終りのこの時期に新芽が付いている現状がどうしても信じられなかった。
「お嬢さんも薬師さまなの?」
呆然と目を見開くミーシャに、楽しそうな声がかかったのはその時だった。
「だれ!!」
びっくりして勢いよく振り返ると、湯船の奥の方から人影が近づいてきた。
広い湯船の中ところどころに配置された大岩の影になって、ミーシャは人がいるのに気づいていなかったのだ。
「驚かせてごめんなさいね。屋敷の方の扉から入ってきたからガンツ様の関係者だと思って大人しくしていたんだけど」
少し申し訳なさそうに眉を寄せるのは、妙齢の美しい女性だった。
滑らかな白い肌に、すらりと伸びる首筋から鎖骨のラインが同性のミーシャから見てもなまめかしい。
全体的にほっそりしているのにたわわに揺れる胸元は、どうしたらそこまで育つのかと聞いてみたくなるほどだった。
そこにお湯に温められてほんのりと薄紅に染まる頬と赤い唇が加われば、目を奪われてしまうほどの色気がミーシャから言葉を奪ってしまった。
(愛と美の女神さまってこんなお姿をしているんじゃないかしら?)
ぼんやりと見とれてしまったミーシャに、女性が少し困ったように笑った。
「いくらここが温かくても、いつまでもそんな恰好で立ち尽くしちゃ風邪を引くよ。かけ湯をして、中にお入りよ」
「あ!はい」
促されて我に返ったミーシャは、急いて洗い場の方にある大きな桶から湯を汲むと、少し悩んでからそっと体に巻いた布を外して隅に置いた。
湯船につかる女性は何もつけていなかったから、ミーシャもそのままお湯に浸かってはいけないと思ったのだ。
(少し恥ずかしいけど、その土地のルールに従うのが礼儀だよね)
ミーシャは心の中で気合を入れてから、お湯をかぶれば思ったよりも体が冷えていたことに気が付く。
このままでは本当に体調を崩してしまいそうだと、そそくさと湯船に向かった。
もちろん、ラインの失敗談を覚えていたので走る様なことはしない。
こんなところで滑って転んだら、恥ずかしいどころの騒ぎではなさそうだ。
「お邪魔します」
そっと湯船に足を差し入れる。
ガンツが言っていた通り、お湯は白乳色でまるでミルクを溶かしたみたいだった。
暖かな湯に包まれて、思わずほうッとため息がもれる。わずかにトロミがあるお湯が、ミーシャを中心に柔らかな波紋を広げた。
(すごく気持ちいい。体が溶けてしまいそう)
手足を伸ばしてもどこにもあたることのないほど広いお風呂は初めてだった。
硫黄の匂いとそこかしこに咲く花や薬草の香りが溶け込んだ独特の香りがお湯と共に優しくミーシャを包み込み、長時間歩き続けて疲弊した筋肉と精神を柔らかくほぐしていくようだった。
幸せそうな表情のミーシャに先に湯船にいた女性がクスリと笑った。
「本当にガンツ様のお仲間は、皆様お風呂が好きですねぇ」
「はぁ~い。幸せですぅ~~」
優しく響く女性の声に、筋肉と共に警戒心や緊張感まで溶けてしまったミーシャは気の抜けた返事を返す。
謎の美女がガンツの名前を呼んだことも大きい。
親し気な口調は、美女がただ温泉に入りに来た人物という以上の関係性を感じさせた。
ガンツのお仲間という意味深な言葉も、真意を問いただしたいような気もしたけれど、ミーシャは、後でいいかと放置することを選んだ。
これだけ特徴的な美女ならば、どこの人物かを突き止めることはたやすいだろうし、何より難しい事を考えるには温泉が気持ち良すぎたのだ。
元々、道なき道を歩き詰めで、久しぶりのお風呂で憧れの温泉だ。
(今はこの幸せをかみしめよう。何者かは、後でガンツさんに聞こう)
ふにゃふにゃのミーシャは柔らかに感じるお湯をゆるゆると手でかき混ぜては、掬って顔につけた。
そんなミーシャの様子を面白そうに観察していた女性は、静かな動きで立ち上がる。
何気なくそれを目で追ったミーシャは、女性の腹部に大きな傷があるのに気付き、ひそかに息をのんだ。
明らかに人工的なそれは、女性の白い肌の中で異質に浮き上がって見えた。
そんなミーシャの視線に頓着することなく、女性はミーシャの入ってきた扉とは反対方向に向かう。木立の影に隠れるように小さな扉があり、そちらが”外からくる人用”の脱衣所なのだろう。
「私は堪能致したのでお先に上がりますね。また後でお会いしましょう」
ごゆっくり、とあでやかな笑顔を残し扉の向こうに消えた女性に、ミーシャはぱちりと目を瞬いた。
(綺麗な人だったな~~~。ミランダさんや母さんともまた違った感じで……。あれが色気って奴かしら?)
「後で」と言われた以上、また会えるのだろう。
「次に会ったらちゃんと自己紹介しなくっちゃ」
呟きと共にもう少し温泉を堪能しようと、ミーシャは顎先までお湯の中に沈んだのだった。
読んでくださりありがとうございました。
ミーシャ、初めての温泉体験でした(笑)
温泉。いいですよね、温泉!
今回ミーシャの入った温泉のイメージは作者の一押しの嬉野温泉をイメージしております。
柔らかでとろみのある白乳色のお湯はまさに浸かる化粧水!と言いたくなるほど肌がプルプルすべすべになります。
状況が許すなら引っ越してしまいたいほど大好きな温泉です。
少しでも伝われこの思い!
もし機会がございましたら是非入られてください!
あ、謎の美女(笑)の正体は次回判明します。




