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あけましておめでとうございます。
今年もよい年になりますように。
けもの道のように細い山道を越え、辿り着いた街はまさにこれから登ろうとしているレガ山脈の一つであるリュスト山のふもとに張り付くようにあった。
リュストは三千メートル級の高山であるが、レガ山脈系の中では標高が低く傾斜も穏やかではある。隣国へと抜ける道も一応通っているため山越えをする旅人のための補給処の一つとして栄えた街だった。
けもの道というか、ほとんど藪に飲まれたような道なき道を進んできた二日間を越え、ようやく目にした人の気配に、ミーシャはほっと息をついた。
山に慣れたミーシャからしても、かなり過酷な道のりだったのだ。
すれ違う人どころか山賊の気配すら皆無だったのだから相当である。
「よく考えたら、今じゃここもレッドフォードの一部なんだから関所気にせずに街道使えばよかった」
失敗したというように、ラインがぼそりと呟いた。
その言葉にミーシャが首を傾げる。
「なんで関所を気にしているの?」
「国と国の間を越えるのはいろいろと規制が厳しいし、記録が残される。『森の民』は権力者に大人気だからな。極力居場所を特定されるような行動は避けてるのさ」
ラインは肩をすくめて何でもないことのように軽く答えるが、居場所を特定されとらえられた先に待ち受けたものを思い、ミーシャは眉をしかめた。
「そんな顔をするな。そうならないために磨いてきた知恵と技もたくさんある。今回使ったルートだってその一つだ。誰にも会わずに国境を越えれただろう?ま、今回はそもそもの国境がなくなってたんだがな」
数年前に仕掛けられた侵略戦争を返り討ちにしたレッドフォード王国は、隣国アザレを飲み込み併合していたのだ。
元々複数民族が合わさってできた国であったため、国としての形はなくなったが、元の部族ごとに分けられ管理役の監視のもと一応の自治を持たされている。
「他にもそれぞれの国境を超える秘密のルートが目白押しだ。村に帰ったら地図付きで教えてやるから楽しみにしてろよ」
「……出来るならお布団で眠れる旅の方がいいなぁ」
ブルーハイツからレッドフォードへとたどった旅路を思い出し、思わずぼやくミーシャにラインは楽しそうに笑った。
「ま、たまにはそんなのもいいだろうが、刺激がないと面白くないだろう?」
けらけらと笑いながら先を行くラインの背中を、ミーシャはため息一つで追いかけた。
レッドフォードを旅立ち、『森の民』の一行と別れてラインと二人旅になってからの日々を「刺激的」の一言で片づけていいのか迷うところではある。
何しろラインときたら、好奇心の塊のような人物だったのだ。
通りすがりの人たちの会話にさりげなく入り込んでは、「面白そうな民間治療の話を聞いた」と寄り道をして教えを請いに押しかける(最初はしかめっ面をした怖そうな老人と、最後にはお酒を飲みながら盛り上がっていた)
刃傷沙汰に飛び込んだと思えばあっという間に制圧した挙句に、怪我人を新薬の実験に使う(効果は高いがものすごくしみたようで悲鳴を上げていた。後で、傷の痛みより痛かったと涙目で語りラインは「要改良」と呟いていた)
当然のようにその全てに巻き込まれて、ミーシャは何度も目を回しそうになった。
とはいえ。
ミーシャ自身も、気になる咳をする人がいるとラインの袖を引いたり、足を引いて歩く子供を見ては声をかけたりしていたのだから、どっちもどっちなのだが。
「確かに、いろいろあって楽しいけど、そろそろあったかいお風呂に入りたいなぁ」
「気が合うな。その意見には同感だ」
ぽつりとつぶやくミーシャに、ラインがにやりと笑った。
庶民には毎日入浴する習慣などないのが一般的だが、そこは清潔を重んじる薬師の一族である。
ミーシャの暮らしていた森の家には当然のようにお風呂があったし、ラインも同等だ。
温かいお湯につかる幸福は何物にも代えがたいと思っていた。
何しろフローレンたちの治療のために山の中に逗留することが決まった時点で、簡単なつくりとはいえ小川の側に入浴するための場所を作り上げてしまったのだから筋金入りである。
「そんなミーシャに朗報だ。リュスト山は、今は休眠しているが活火山だ。つまり、あの町には温泉がある」
「温泉?!それ、本で読んだことがある!地面から熱いお湯が沸き出ているんでしょう?」
ラインの言葉にミーシャの目がきらきらと輝いた。
お風呂は大好きだが水をためて温めるのは重労働だ。時間もかかるし、薪も大量に消費する。
それが、勝手に湧き出てくるのだからミーシャにとってはまるで夢のような現象だ。
しかも、そのお湯には傷をいやしたり病気を治したりする効果があるという。
昔本で読んでから、ミーシャにとっては憧れの場所であった。
「行きたい!入りたい!!」
ミーシャの弾む声に、足元でレンもぴょんぴょんと跳ねる。
「あ、でもレンも町に入れるのかな?」
ふと気づいたように視線を下に向けるミーシャに、レンが「なに?」というように首を傾げた。
その体は、すでに成獣と言ってもいいほどに大きく、立ち上がればミーシャの肩に前足がかかるほどになっていた。
「ああ。狩りに犬を使う猟師もいるし、ちょっと窮屈だろうが綱つけとけば大丈夫だろう」
「そうなの?レン、我慢できる?」
自分をじっと見上げるレンの頭をそっと撫でてやりながら尋ねるミーシャに、レンは機嫌よくしっぽを振って目を細めた。
「レンは賢いし、大丈夫だよな?ミーシャの側を離れるなよ?」
「オンッ!」
ラインの言葉に胸を張って返事をするレンに、ミーシャは楽しそうに笑った。
「あの町には知り合いがいるはずなんだ。温泉の効能を調べて、それを病や怪我の治療に有効活用する方法を研究してる。その関係で自宅にも温泉を引いてるから、レンも入れるぞ。大きな湯船につかりたければ町の共同風呂もあるからな。楽しみにしとけ」
「すごい!どっちも入りたい!!」
今度こそもろ手を挙げて喜んだミーシャは、それまでの疲れも忘れて足早に街に向かって歩き出した。
お目当ての町の名前は「ティンガ」と言った。
山のすぐ際にある小さな町だが、隣国へ向かう人でそこそこにぎわっている。
特徴としては町のいたるところから上がる白い湯けむりと辺りに立ち込める独特の香りであろう。
「これが温泉の香り」
けして芳しいとは言えない硫黄の香りを、しかしミーシャは感激したかのように胸いっぱいに吸い込んだ。
そんなミーシャの足元には、間に合わせの綱でつながれたレンがうな垂れていた。
鼻のいいレンにとって、硫黄の匂いは苦痛のようで、町の方に近づくほどに表情が険しくなり落ち着かない様子になっていった。
あまりにいやそうな様子に、いつものように別行動も考えたのだが、ラインに
「どっちにしろ山の方にも硫黄の香りはあるだろうし、鼻が利かなくなって合流できない危険性もあるからやめた方がいい。そのうちマヒしてくるだろうから、あきらめろ」
と言われてしまった。
レンとしても、ミーシャと離れ離れになる危険は避けたいところだったのだろう。ラインの言葉にシオシオと従っていた。
尻尾が力なく下がりとぼとぼと歩く姿は哀れを誘ったが、そのおかげで第三者からも同情をされ、危険視されなかったのだから、何が幸いするのか分からないものだ。
「お嬢ちゃん、この匂い平気なのかい?変わってるねえ」
ミーシャ達の後から街に入ってきた行商人の男は、そんなミーシャの様子を見て少し呆れたように笑った。
「俺なんか何回来てもこの匂いには慣れないね。少ししたら鼻が慣れて気にならなくなるし、湯に浸かるのは気持ちいいんだけどなぁ」
町に入るための手続きの列の前後に並んでいた縁で話をするようになった男性は、ジョンブリアンから魚の干物などを売り歩く行商人で、売り切ったら今度は代わりに山の幸をもって帰るそうだ。
「海が遠い内陸の町では、海の魚はよく売れるし逆もまた然りさ」
大きな瞳をキラキラさせて話を聞くミーシャに末の娘を思い出すと、短い間にずいぶんと気に入られて、商品の干物を味見させてくれたりもした。
その後、干物を気に入ったミーシャがラインにねだってお買い上げしたのはご愛敬だ。
さらに、ミーシャの「おいしい!」につられて近くに並んでいた人たちまでつられて買いはじめ、儲けさせてもらったからと随分おまけしてくれた。なんとレンにも商品にならない切れ端を分けてくれる大盤振舞だ。しょんぼり顔にいたく同情していたが、どうやら硫黄の匂いが苦手な仲間認定されていたのだろう。
「こっちに当てはあるのかい?何なら、俺の定宿紹介するぞ。そこなら猟犬も部屋に入れてくれたはずだ」
「いや。知り合いが住んでて、訪ねてきたんだ」
一緒に行こうと誘う行商人の男に、ラインが愛想よく答えた。
それに、男も人のよさそうな顔で笑う。
「そうかい。じゃあ、大丈夫だな。またどこかであったら声かけてくれな」
そう言ってあっさりと立ち去る男の背中をしばし見送ると、ラインも踵を返した。
「連絡先きいたりしないの?」
自分以上に話がはずんでいるようだったラインのあっさりとした別れに、ミーシャは首を傾げた。
それに、何でもないことのようにラインが笑う。
「こんなんでいちいち連絡先聞いてたらキリがないからな。縁があればまたどこかで会えるさ」
「そっかぁ。また会えるといいね」
ミーシャはちらりと振り返ったが、もうどこにも行商人の男の姿は見えなかった。
「それより、腹減ったし、何より温泉だ、温泉。早くいくぞ」
「ちょっと、待ってよ伯父さん!」
中途半端に干物を食べたため食欲を刺激されたらしいラインが足を速め、ミーシャは慌ててその背中を追いかけた。
「ガ~ンツ君、遊びましょ~~」
門の外から声をかけるラインをミーシャはぽかんとした顔で見上げた。
とても楽しそうな顔で笑っているラインに、なんとなく一歩後ろへと下がってしまう。
が、そんな不審なミーシャを気にすることなく、ラインは扉のノッカーをガンガンと鳴らした。
「おーい、ガンツ。いるのは分かってるんだぞ。出てこ~い」
「お留守なんじゃない?」
何度目かの呼びかけに、ミーシャはそっとラインの袖を引いた。
町はずれの一軒家のため他に人目はないが、何度も大声を出しているのでそろそろだれか様子を見に来そうである。
「いや、最初の時、二階の部屋のカーテンが揺れたから中にいるはずだ」
首を横に振ると、少し何か考えた後、ラインはにやりと笑った。
「まあ、これじゃあ俺が不審人物みたいだし、せっかくだから知り合いの証明として思い出話でもしてみるかね」
隣のミーシャに聞かせるにはいささか大きな声でラインが話始める。
「同郷のいわゆる幼馴染でな。年はあっちが二歳ほど上なんだが、子どもの少ない村だったからほとんど一緒にいたな。当然、初恋の人から恥ずかしい思い出までいろいろ知ってる。たとえば、最後におねしょしたのは「ちょっとまった~~~!!!」」
ラインの声を遮るように派手な音を立てて玄関の扉が開き、中から男性が飛び出してきた。
「何の話を大声で始めてくれちゃってるのかな?!」
短く刈り込まれた髪は濃いめの金髪で瞳もミーシャに比べると濃い翠で、どちらかというとビリジアングリーンに見えた。
「一族の人?」
『森の民』の色としてはぎりぎりのラインに見えて、ミーシャは首を傾げた。
ミランダのように色を変えている可能性もあるが、そうならば、わざわざ似た色にする意味が分からない。
「幼馴染だって言っただろう?」
そんなミーシャにそう言って笑いながらも、ラインはガンツの肩に腕を回した。
そうして逃げられないようにがっつりと捕まえ、とてもいい顔で笑った。
「そんな数少ない幼馴染に居留守使おうなんて、ひどい奴だよなぁ?」
「ひぃぃ~~」
暴露されそうになった過去に思わず飛び出してきたガンツは、耳元でささやかれて思わず細い声で悲鳴を上げていた。
「……おじさん、いじめっ子だったのね」
「ヒューン」
そんな様子を見て、ミーシャは二人の関係性を説明されるまでもなく悟る。足元では、レンが力なく小さく鳴いて同意を示していた。
読んでくださりありがとうございました。
皆様うすうすお気づきとは思いますが、ラインはジャイアン系です(笑)




