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「さて、今後はどうするかね?」
エディオンたちと別れを告げたミーシャとラインは、慣れた足取りで山道を下っていた。
本来の目的地であるレガ山脈へと向かっているのだが、予定外の出会いのため目減りしてしまった食料や調味料、その他の補充のため一度近くの町へと寄り道する予定なのだ。
「どうにもアンバー王国はきな臭いし、足止めを食らった10日は痛い。頂上付近はもう雪が降りだしてる気配もあるし、山を越えてアンバー王国に抜けるのは諦めたほうがよさそうだな」
もっとも、元々の予定自体を取りやめにする方向でライン的にはいきたい所
森暮らしのミーシャだが、住んでいたのは一番高い場所でも千五百程である。
山歩きに慣れていてもやはり勝手が違うため、雪が積もる前に越えるつもりだったのだ。
それに加えて、今回のグリオ達からの情報である。
なさぬ仲とはいえ、王弟一家を冤罪で追い落とした国が平穏であるはずもない。
ライン自身は治療技術の実証実験のため戦場を度々経験しているが、荒事に慣れていないミーシャを心構えもなく連れて行くわけにもいかないだろう。
「・・・・・どうしても、だめ?」
足元にじゃれつくレンをあしらいながら、ミーシャは残念そうに肩を落とした。
自宅からもレガ山脈の様子は遠く見えていたため、実際にそこへ行けることをミーシャは楽しみにしていたのだ。
さらに、レガ山系にしか生えていない薬草もあると聞いていたから、簡単にはあきらめがつかなかった。
中には、伝承にあるだけでラインですら見つけたことがない植物もあると聞けば、好奇心は倍増しだ。
運よく見つけたりして……なんて、ワクワクしていたミーシャを知っているだけに、ラインも無下にしずらいものがあった。
しばらく考えた後、折衷案を出す。
「実際に登って、雪の気配が見えたり、俺が危険だと判断したら引き返すこと。山頂まで登れても、アンバーの方には降りずに、ジョンブリアンへ抜けて海路でオーレンジ連合国へ向かう。それでいいなら、連れて行ってやるよ」
結局、ラインはミーシャに甘いのである。
「それでいいです!少しだけでもいいから行ってみたい!!」
嬉しそうに声を弾ませるミーシャの足元で、その声に触発されたようにレンもはしゃぐように跳ねまわった。
「わかった、分かった。いいから大人しく歩け。転ぶぞ?」
呆れたように笑いながらも、ラインは少しだけ足を速めた。
町まではたどり着けないとしても、出来るならば野営に向いている場所を確保したい。
頭の中の地図をたどりいくつかの候補を思い浮かべながら、ラインははしゃぐミーシャとレンを促した。
無事に予定していた野営地につくと、適当に石と枝を組み合わせて簡易のかまどを作る。
テントと寝袋などはあのままグリオ達に提供してしまったので、今夜はこのままマントにくるまって寝るしかない。夜は冷えるが、炎を絶やさないようすればしのげるだろう。
明日には町に着く予定だから、そこで代わりのものを購入する予定だ。
さすがにこれからの季節、連日寝袋なしでは体を壊してしまう。
ミーシャは、いそいそと落ち葉と枯れ草を集めて、寝床予定の場所に敷き詰めた。
それだけでも、大地からの冷気やごつごつとした固さを、だいぶ和らげてくれるはずだ。
「冬ごもり前の野リスみたいだな」
焚火の中に直接獣除けの香木を放りこみながらラインはその様子を見て笑った。
歩きながら採取していた野草と干し肉のスープに、わずかに持ってきた小麦で団子を練って入れたもので簡単な夕食を済ませたら、後は寝るだけだ。
寝る準備の傍ら荷物の整理をしていたラインは、今回大活躍だった道具を見つけ、ふと手を止めた。
お茶を飲みながらなんとなくそれを眺めていたミーシャは、何か問題があったのかと首を傾げる。
「そういえばミーシャ、一つ聞いていいか?」
普段、どこか人を食ったような表情の多いラインの無表情は、真剣な話を始める前兆だと知っていたミーシャは居住まいを正した。
「あの時は聞けなかったが、これを見た途端、一瞬表情が強張ったな?これをどこで見た?」
見せられた鼻腔栄養に使う道具に、ミーシャは一瞬迷った後、首を横に振った。
「正確には、同じものじゃない。私が見たものには先端に針がついてたから。血の道に刺して、血液を補充するための道具だって、お母さんが言ってた」
ミーシャの言葉に、レインの眉間に深いしわが刻まれる。
「お母さんが昔、おじさんと研究してて、数年前にもらったものだって」
「・・・・・そうだ。正確には四年前だな。血の秘密がいくらか解明されて、他者の血液を体内に入れても拒絶反応を起こさない方法を見つけた記念に渡した。もっとも、レイアースはけじめだからと内容までは聞こうとしなかったんだが・・・・」
頭痛がするとでもいうように眉間を揉みながら、レインはため息をついた。
「・・・・・あいつに使ったんだな?」
苦虫をかみつぶしたかのような表情に、責められているような気分になりながら、ミーシャはコクリと頷いた。
「拒絶反応の危険性はわかっていたはずなのに、ずいぶんと思い切ったものだな」
「お父さんの怪我はひどくて、もう、他にできることがなかったの。同じ死んでしまうなら、出来ることをやったほうがいいって、母さんが・・・・」
しょんぼりとしながら答えると、ラインが耐え切れないように苦笑した。
そして、ミーシャの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「レイアースが、おとなしい顔して思い切りがいいのは昔からだ。
別に責めてるわけじゃない。そもそも、いらないというあいつに針と管を押し付けたのは俺だ。
・・・・・だから、ミーシャ。自分を責めるな」
うつむいた顔をそっと上げられてラインと顔を合わせたミーシャはハッとした。
ラインは、悲しそうな、だけど厳しい目をしていた。
「自分の夫を助けたいと決断し、自身の血を使ったのはレイアースの判断だ。誰に強要されたわけじゃない。いくら足が悪いと言っても、子供に体を押されたくらいでふらついたのは、血を与えすぎて貧血状態だったんだろう。じゃなきゃ、とっさに踏ん張れたし、落ちたとしても受け身ぐらいとれたはずだ」
突然始まったラインの推測についていけず、ミーシャの目が戸惑いに揺れる。
そんなミーシャの状況も分かっているはずなのに、ラインは、お構いなしに言葉を続けた。
「そして、レイアースなら、どれくらい血を抜けば自分の体に負荷が出るか分かっていたはずなんだ。だが、夫大事さにその判断を誤った。つまりあれは、レイアースの自業自得が引き起こした事故なんだよ」
「そんなこと!!」
言い切ったラインに、反射的に何かを言い返そうとして、だけど何を訴えればいいのか分からずにミーシャは唇をかんだ。
脳裏に浮かぶのは、階段下に倒れるレイアースの姿。
まだ温かいのに、もう二度と動くことのない体にふれ、命の気配を探し母に触れた記憶が蘇る。
それは、ミーシャの体験した初めての深い絶望の記憶。
翠の瞳が陰り、すべてを拒絶しようとした時、両ほほに痛みが走った。
ラインが、その手で強めにミーシャの両頬を挟み、覗き込んできたのだ。
「ミーシャ、逃げるな」
ミーシャを鋭く射貫く、母と同じ色の瞳。
「いいか、ミーシャ。前にも言ったと思うが、薬は使い方を誤れば毒にもなる危険なものだ。治療の知識も同じだ。加減を誤れば、命を奪うことになる」
いつもよりもゆっくりとした口調で、まるでミーシャの心に刷り込ませるようにラインは続けた。
「そして、その加減を誤った時、時として、それは患者だけでなく、治癒者に跳ね返ってくることもある」
「・・・・どういう、こと?」
ラインの瞳に宿る真剣な光に、ミーシャは、どこかぼんやりとする頭で首を傾げた。
「レイアースのように、直接的に自身を痛めることもある。だが、それ以上に俺たちが直面するのは・・・・・残された者たちからの恨みだ」
そう言って、ラインは、着ていた服の裾をあげて見せた。
そこには、大小いくつかの傷跡があった。
「それは・・・・」
「俺たちの持つ医療知識が、他に比べて優れているのは確かだ。だが、たかが人間のすることなんだ。すべてを救えるわけじゃない。
だけど、それを勘違いしている奴らは大勢いるのさ。そして、努力の甲斐なく患者が死んだとき、その悲しみが、牙をむく・・・・」
バサリとラインが持ち上げていた服を落とした。
ミーシャの脳裏に、レッドフォードの王城で大人たちに詰め寄られた記憶がよぎる。
目の色を変えた自分より大きな男性たちは、ただそれだけで震えるほど怖かった。
お互いの呼吸まで聞こえてきそうなほどの静寂がその場に落ちる。
「怖いか、ミーシャ?だがな、知識を誰かに施した時、そこに結果が生まれる。それが、良いものでも悪いものでも、それは、自分が生み出した結果だ。その責任は自分でとるべきものだ。レイアースは、そうなるべくしてなったんだ」
「・・・・お母さんが、間違ったから死んでしまったっていうの?」
ミーシャの声が震える。
その瞳いっぱいに涙をためて、それでも、もうその瞳が逸らされる事はなかった。
森の翠を宿す二つの瞳がしっかりと絡み合う。
「レイアースは間違ってはいないさ。あいつは、自分の大切な人を救いたいという思いのために動いた。その事に対して、後悔はないはずだ」
ゆっくりと首を横に振って、ラインは、もう一度、今度は優しくミーシャの頬に触れた。
「後悔しているとしたら、こんな形でお前を残してしまった事だろうな。自分のせいで、何より大切な娘が苦しんでいて、それなのに、もう自分にはそれをどうにもしてやれないんだから」
ヒクリ、とミーシャの喉が鳴る。
それを見守るラインの瞳は、いつになく慈しみに溢れていた。
「どれだけ泣いてもいい。悲しいのは当然なんだ。怒ったっていい。理不尽だと恨んだっていい。ただ、明日には笑え、ミーシャ」
優しい声に、ついにミーシャの瞳から涙がこぼれ落ちた。
せめて声は出すまいとかみしめた唇に、困ったように笑ってラインは小さな体を抱きしめた。
そのまま、あやすようにポンポンと背中を叩く。
そのリズムは、幼いミーシャが泣きじゃくる時、慰めを欲していた時、折に触れ母親に与えられていたそのままであった。
優しく微笑むレイアースの顔が浮かぶ。
ミーシャはこらえきれずに声をあげた。
「お……かぁさ……。お母さん!!」
静かな森の中に、母を呼ぶ悲痛な声が響いた。
心のままに声をあげ泣きじゃくるミーシャに、ラインは何も言わずただその小さな体を抱きしめる。
それまで大人しく伏せていたレンが、静か起き上がるとそっと二人に寄り添った。
抱きしめる腕はないけれど、自分もここにいるのだというように……。
やがて、泣き疲れたその声が小さくなり、消えるまで。
二人と一匹の影が離れることはなかった。
そっと、力が抜けたミーシャの体を枯葉の寝床に横たえてやると、しっかりとマントでくるんだ。
いそいそとレンが、その横にぴったりと張り付いて横になったから、風邪をひくこともないだろう。
涙の残るまだ幼さを残した丸い頬を撫で、ラインは放り出したままになっていた荷物の片づけに戻った。
「あ~~、薬もだいぶ目減りしてるな。あの町、誰かいたか?」
一から作っていてはそれこそ雪に間に合わないだろうと、ラインは頭をかいた。
ここから街を通過して一直線に目的の山頂を目指したとしても、到底間に合わず途中で引き返すことになるのは確実だが、少しでもミーシャの希望をかなえてやりたかった。
「七合目くらいまで行ければ、ミーシャの喜びそうな薬草の群生地があるんだがな……。それをエサに強奪するか」
寒くなって霜が降りた時にした芽を出さない変わった薬草で、手に入れることは難しいが、とある目の病気の特効薬になる。
険しい山道を好んでいきたがる同族ばかりではないため、後で採取した薬草を送るといえば多少の無理は聞くはずだ。
「ああ、思い出した。確かガンツの奴がいたはずだ。あいつには貸しがあったし、丁度いい」
にやり、と浮かぶのはどう見ても悪人の笑みである。
「薬以外にもいろいろため込んでるだろう」
憂いが無くなったとばかりに晴れ晴れとした表情で背伸びをするラインを止めるものは、幸か不幸か何処にもいない。
引っ張り出して確認していた荷物をしまいなおしていたラインは、ふと指先にあたった固い感触に手を止めた。
鞄の底にある隠しポケットの中から取り出したのは、油紙に包まれた一冊の本だった。
「……まだ、これを渡すには早いみたいだなぁ」
それは、あの日森の家から持ち出してきたレイアースの日記だった。
再会してからのバタバタですっかり忘れていたけれど、ミーシャの先ほどの様子を見ると、今、これを渡してもいいことはないように思えた。
もう少し。思い出しても悲しい涙が流れなくなるまでは……。
「まぁ、そのうち渡すからさ」
誰ともなくつぶやくと、ラインは、それを丁寧に隠しポケットへと戻した。
読んでくださり、ありがとうございました。




