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病の内容はフワッと。
ミーシャの世界ではそんな感じ、と解釈してツッコミ不要でよろしくお願いします。
出来上がった毒消しの薬を持って行った時には、ラインはすでに傷の治療を終え、包帯を巻き付ける所だった。
「抉れた肉には、消毒した後、肉体の再生を補助する軟膏を塗りこめて様子を見ることにしたから。薬を飲ませておいてくれ」
包帯を巻き付けながら、処置の内容を伝えてくれたのは、ラインなりの教育しようという志だろう。
素直に頷いたミーシャは、ほぼ意識のない男性の頭を自分の膝に乗せることで高さを確保し、ほぼ意識のない青年の口に少しずつ液体を流し込んだ。
反射的に飲み込んでいく様子をしっかりと観察しているうちに、ラインは、次の患者の方へと移動していく。
そこにいたのは幼い少女だった。
側には、これまた顔色の悪い女性が付き添っていた。
と、いうか、ラインの手を拒むように立ちはだかっている。
「あのなぁ、患者の様子を見ないで薬は出せないんだが」
困ったというより、呆れた顔でラインは、その前に立ち尽くす。
無理に押し退けるような真似をしないのは、気遣いというより面倒だと思っているのが、その表情からはよく分かった。
身分の高い女性が、見知らぬ男性に肌を見せる、または触れさせる事を嫌がり診察を拒否するのは、よくある事であった。
さらに、この手の場面で無理を通せば、下手したらヒステリーを起こし、手がつけられなくなることがあるのも、悲しいかな、ラインは経験済みである。
特に、今立ちはだかる女性は、今にも倒れてしまいそうな顔色も相待って、色々とギリギリなように見える。
強行すれば、面倒なことになるのは、火を見るより明らかだった。
「おじさん、どうしたの?」
患者を(というか立ちはだかる女性を)前に、立ち尽くしているラインの元に、無事指示された薬を飲ませ終わったミーシャがやってきて首を傾げる。
「大切なお嬢さまを、何処の馬の骨ともしれぬ輩に触れさせるのは嫌だってさ」
肩をすくめて、立ち塞がる女性を顎先で指し示すラインはとてもお行儀の良い態度とは言えなかったが、しょうがないかとミーシャはお小言を飲み込んだ。
たとえ一方的にとはいえ、助けの手を差し伸べようとして睨みつけられれば、腐りたくなるのも致し方ない。
自分達は聖人君子などではない、ただの通りすがりの薬師なのだから。
かといって、このまま何もせずに固まっていてもしょうがない。
ミーシャは、ラインの前に出ると、立ち塞がる女性に向かってしっかりと視線を合わせた。
女性は、やつれた面持ちながらも、目をギラギラと光らせて仁王立ちしている。
その姿は、子を背に庇う手負の獣のようだった。
「私の名前はミーシャ。あっちはお母さんの兄のラインおじさん。薬師をしながら旅をしてます」
ピリピリと逆立っている女性の神経を刺激しないように、極力穏やかな声でミーシャは挨拶をした。
突然自己紹介された女性の瞳に、戸惑うような光が浮かぶ。
「たまたま知り合ったグリオさんに頼まれて、様子を見にきたんです。向こうの騎士の方の治療はすみました。どうか、そちらのお嬢様の様子も見せていただけませんか?」
「………あなたも薬師なの?」
警戒した様子ながら、初めて女性が口を開く。
それに、ミーシャはこくりと頷いて見せた。
「はい。伯父には劣りますが、独り立ちはさせてもらっています。大切なお嬢さまを旅の医師に見せるのは不安でしょうが、少しは足しになりましょう。どうか………」
あえて自身を下げることで女性の警戒心を解きつつ、ミーシャはジッと女性を見つめた。
鮮やかな翠の瞳が真剣な光を灯して煌めく。
しばしの沈黙の後、スッと女性が身をひいて、少女の枕元の方へ腰を落とした。
警戒心を完全に解くことはできないけれど、他に手はないため妥協したという所だろうか。
「ありがとうございます」
少し口元に笑みを履くと、ミーシャは少女のそばへと膝をついた。
そして、少女の顔を覗き込み、呼吸の様子や口の中、しっかりと閉じられた瞼をめくったり、喉に手を触れ、腫れや脈拍などを確認していく。
ラインは、何も言わず少し離れた場所からその様子を見守っていた。首尾よく患者に近づくことのできたミーシャにとりあえずは任せてみることにしたのだ。
そんなラインの視線に頓着せず、少し少女の胸元をはだけさせて胸や腹部の音を聴き、ミーシャは顔を上げた。
「いつから意識がない状態ですか?」
「昨夜、少し水を飲んでからずっと意識が戻りません」
慣れた様子で診察するミーシャの様子に何か感じるものがあったのか、女性が、すがるような瞳で答えた。
「何か持病は持ってらっしゃいますか?」
「いえ。ただ、お嬢様は生まれた時から体が弱くて、季節の変わり目やちょっとしたことで体調を崩されていました。こんな生活が耐えられる方ではないのです………。それなのに………」
女性の唇を噛み締める様子に、ミーシャは少し考えるように黙り込む。
「ちょっと、良いですか?」
それから、女性の方に手を伸ばすと、少女にしたように簡単な診察を行う。
最後に袖を捲って腕の様子を見て、さらに了承を経てから、足を眺める。
そこには、山を歩き回るときにぶつけたのか幾つものアザが浮き出していた。
「これは………」
女性は、自分でも気づいていなかったようで、無数に浮き出るアザに目を丸くしてた。
「痛みはありますか?」
「いえ、それほどは。いつの間にこんなにぶつけたのかしら?」
ついでのように、近くの倒木に腰をかけさせた後、軽く膝を叩いて、ミーシャはようやくラインの方を振り返った。
「おじさん、どう思う?」
「お前の見立ては?」
質問に質問で返されて、ミーシャは少し考えた後、口を開いた。
「ろくな準備もないままの過酷な山越えに、元々の虚弱体質。
疲労が溜まり食欲が落ち、胃腸が弱った所でさらにまともな食事が取れなくなって、体内のバランスが崩れた?」
栄養失調からの意識混濁を訴えれば、ラインが首を横に振った。
「それだけだと70点だな。侍女の体のアザや膝の刺激に対する反射の様子を見ると、特定の栄養物質が足りていないのがわかる。分かるか?」
導くようなラインの言葉に、ミーシャは何かを思い出すように考え込んだ。
「あちらからは見えなかったが、彼女達の口内粘膜が腫れたり出血していたんじゃないか?」
さらなるラインの追求に、ミーシャがハッとしたような顔をした。
「………もしかして、“船乗り病”?」
長い船旅で、新鮮な野菜や果物、肉などを摂ることができず、乾物や馬鈴薯など長期貯蔵できる食料だけの偏った食生活をすることで起こる病気である。
最初は、倦怠感や食欲不振。
情緒の不安定などから始まり、節々の痛みや頭痛に発熱。歯茎から出血したり、ときには治ったはずの古傷が開いたりする。
ひどくなれば、幻覚や幻聴が起きたり錯乱状態になったり、意識不明に陥る。
軽いうちに陸に上がれば改善することから、原因が解明されるまでは、海の呪いなどと言われて恐れられていた病だ。
「おそらく干し肉や固パンなんかの携帯食で凌いでいたんだろうが、元が甘やかされたお嬢さんじゃそんな食事に耐えられず食も細くなってたんだろう。山に慣れていなければ、野草や果実を見つけることも難しかっただろうし、それでなくても追手を警戒する逃避行じゃ、そんな余裕もなかっただろうしな」
「船乗り病?とは、なんなのですか?お嬢様はご病気なのですか?!」
話し合う2人の間に割り込むように、女性が口を出した。
それに、ミーシャが言葉を選びながら、病の様子を解説すると、女性は顔を覆って泣き崩れた。
「お嬢様は、食欲がないからと携帯食も食べやすそうな干し果物など幼い弟君に与えておられました。体が弱り出してからは、足手まといになるから、置いていっていいと何度も。もちろん、そんなことできないと皆で交代で背におぶって進んできたのです。それも気に病んで、お荷物な自分など早く儚くなりたいと最後は食事も拒まれるようになられて………」
「体調不良に加えてうつ状態になりやすいのも特徴です……。悪循環に陥っていたのですね」
体が弱いけれど、弟思いの優しい性格だったのだろう。
泣きながら訴えられた少女の様子に、ミーシャは肩を落とした。
「とりあえず、滋養強壮の薬と共にビタミン剤、だな。たしか、レントの粉とキャドの実を干したものがあったはずだ」
そんなミーシャの肩を叩いて気合を入れ、ラインは、次に何をすればいいか考えろと促す。
「そうね!他のみんなも同じような食生活だったなら、症状がで始めてる人もいるだろうし、その対策も必要よね!」
少女を襲った悲劇に嘆いている暇があったなら、少しでも改善するために足掻く方がいい。
ムン!と拳を握りしめて、ミーシャは、薬を作るべく走り出した。
「ほら、お前さんも。お嬢さんに必要なのが栄養なのは変わらないんだ。材料は提供してやるから、せいぜい食べやすくて栄養たっぷりのスープでも作ってやれよ」
打ちひしがれる女性の腕を取り立たせると、火のほうへと促す。
「切ったり煮たりはあいつらでもできるだろうが、味付けまで任せたら大変なものが出来上がるぞ」
指し示された先では、戻ってきたグリオを中心に、何かが作成されていた。
「あぁ!皮のまま馬鈴薯を投入してはなりません!坊っちゃまやお嬢様も召し上がるんですよ」
途端に魂が戻ったように走り出す女性の様子に笑いながら、ラインは、改めて少女の診察をするべく傍に膝をついた。
「さて、薬にしろスープにしろ食べてくれるといいけどな……」
読んでくださり、ありがとうございました。
食生活は大切です。
意識障害までは行かずとも、栄養の偏りのせいで体調不良、は、意外と簡単に引き起こされます。
みなさん、夏の暑さに負けずにバランス良く召し上がってくださいm(_ _)m




