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「おい、お前!森の魔女の娘だろう!」

唐突に後ろから声をかけられ、ミーシャは後ろを振り返る。

そこには、明るい茶色の髪の少年が、仁王立ちでミーシャを睨みつけている姿があった。

『森の魔女』

それが母親につけられた呼び名であることは、この2日の間にミーシャの耳にも届いていた。

もっとも、こんな風に憎々しげに呼ばれたのは初めてのことだったけれど。


「ローズマリア様のご長男、ハイドジーン様でございます」

部屋へと誘導してくれていたメイドがこそりと耳打ちしてくれる。

ローズマリア様、というのが、未だに会ったことのない父親の正妻の名前である事は知っていた。

つまり、この少年はミーシャの腹違いの弟に当たるらしい。

ミーシャは、初めて会う義理の兄弟を思わずまじまじと観察してしまった。


明るい茶色の髪に青い瞳。唇が引き結ばれ、険しい表情さえしていなければ、整った顔立ちの可愛い男の子だった。

(少し、年下かな?)

ぼんやりと考えていれば、その視線が癇に障ったのか更にその瞳が険しくなった。

「俺は、お前達なんか認めてないからな!お父様に何かあったら、お前達を処刑してやる!」

一方的に叫び、駈け去っていく後ろ姿をミーシャは呆気に取られて見送った。

「………何?あれ?」

思わず溢れた言葉に側にいたメイドが困ったように目線を下へとさげた。

「………普段はとても明るく優しい方なのです。今は、いろいろあって気が動転されていらっしゃるのだと思います。どうか……」

少年、ハイドジーンを庇うメイドに、ミーシャは首を横にふった。


「気にしてない……って言ったら嘘になるけど、……気にしないようにするわ。だいたい、何を言いたかったのかいまいち分からなかったし」

胸の奥に浮かぶモヤモヤを見ないふりして、ミーシャはニコリと笑ってみせた。

初めて会った異母弟はどうやら自分と母を嫌っているようだ、という事は分かったけれど、その理由にはサッパリだ。


世間一般に考えれば、側室というのは嫌われるものかもしれないけれど、この国では貴族というものは複数の妻を持つことが普通であった気がする。

つまり、公爵が2人の妻を持つ事は普通であり、むしろ他に比べれば少ない方だった。しかも、普段は遠い山の中で姿も見せない側室など箸にもかからぬ些細なものでしか無いはずで……

(あ、やっぱりなんかムカついてきたわ。なんで、死に瀕した父親や騎士達を助ける為にやってきて努力しているのに、処刑とまで言われなきゃならないのかしら)


思考の海に沈み込んでしまったミーシャは気づいていなかったが、黙り込んでしまった少女の表情がじょじょに険しくなる横で、やはり不興を買ってしまったかと可哀想なメイドがオロオロしている、という光景が廊下の片隅で展開されていた。

「そんなところで立ち止まって何をしているんだ?」

だから、たまたま通りかかったカイトが不思議そうな顔で声をかけてきた事で、メイドがホッとした顔をした事にも、ミーシャは当然気づいてはいなかった。


「あら、カイトさん」

すぐ側に立つカイトに今気づいたと言わんばかりに、キョトンと目を見開くミーシャにカイトは苦笑した。

「2日ぶりに領主様の部屋に行くんじゃなかったのか?」

促され、ミーシャはハッと我に帰った。

重症者の部屋に行って以来、次々と戦地から運び込まれてくる怪我人の対応に追われて、父親の様子を伺いに行くどころか、同じ部屋を使っているはずの母親ともここ2日程、顔を合わせていなかった。

先程、昼食をとっている時に「時間があるなら」とメイドが呼びに来て急いで移動していたところだったのだ。


「ちょっと、未知との遭遇してて……」

ミーシャは、なんと言っていいのか思いつかず、曖昧な事を言いながらへらりと笑ってみせた。

「待たせてごめんなさい。案内してください」

その微妙な表情につられたように変な顔をするカイトを見なかった事にして、ミーシャは少し離れた場所で黙って立っていたメイドに

ペコリと頭を下げた。



そうして、案内された部屋でミーシャが見たのは、2日前とは比べ物にならない程顔色が良くなった父親の姿だった。

未だ意識は戻らないが、傷口も少しずつ快方に向かっているそうだ。

そっと触れた指先は温かく、脈拍も力強さを取り戻していた。

(母さんの治療が上手くいったんだわ)

ホッとして肩の力が抜ける。

多分、1番危ない所は抜けた。このまま、よほどの事がない限り快方に向かうだろう。


「………母さんは?」

安心したミーシャは、ようやくその場に母親の姿が見えない事に気付いた。

不思議に思い、控えていたメイドへ尋ねれば、先程まで居たのだが足りない薬草に気づき裏庭に向かったとの事だった。

昔、母親がこの屋敷で暮らしていた時に手慰みに作った薬草園が半ば野生化しながら残っていたらしい。


偶々、タイミングが悪かったのだろう。そう、思いたいがミーシャは、なんだか嫌な感じがした。

(だって、私を呼んでおいて薬草を取りに、だなんて……。まるで、避けているみたいじゃない)

1度、そう思ってしまえば、不安が次々に湧いてきた。

顔色の良くなった父親。明らかに強くなった脈動。そうして、娘の目を避けるようにする母親。その導く先をミーシャはひとつしか思いつけなかった。


「ちょっと、母さんを迎えに行ってきます」

一方的にそう宣言すると、ミーシャは引き止める声を無視して部屋を飛び出した。

この2日、ほぼ決まったルートしか歩いていなかったが、山の中をなんの目印もなく歩き回っていたミーシャにはなんとなく屋敷内の見取り図は見当がついていた。

裏庭への最短距離の当たりをつけ、気づけば半ば駈け出すようにしてそちらへと向かっていたミーシャの耳に女性の甲高い声が飛び込んできた。


廊下の突き当たり、階下に降りる階段の手前。

母親と向かい合う複数の女性の姿があった。

一方的に詰られている母親の顔色が、化粧でごまかしているものの随分青白い事にミーシャは気づいて眉をしかめた。

ミーシャの想像通り、母親はあの後も何度か父親に血を分けたのだろう。

それがどれほどの量かは分からないが、あの顔色からして、母親はひどい貧血に陥っているように見えた。


「さっさと森に帰りなさいよ!貴女がいたってお父様は目を覚まさないし不快なだけだわ!!」

先頭に立った少女が先程から1人で叫んでいるようだ。

服装からして主人と侍女達、といったところだろうか。

前に立つレイアースは少しうつむきがちに黙っているが、それは、貧血による気分不良を起こしているようにミーシャには見えた。

が、さけぶ少女には自分の言葉を無視されていると感じられたのだろう。

「なんとか言いなさいよ!」

叫びと共に伸ばされた手がレイアースの肩を押した。


「アァッ!」

叫んだのは、誰だったのか。

肩を押されたレイアースはバランスを崩し、後ろへとよろめいた。そして……。


「母さん!!」

階段の向こうへと母親が消えていくのがまるでスローモーションの様にミーシャの目に映りこむ。

何かをつかもうとする様に伸ばされた手は虚しく宙をかき、落ちていくレイアースの視線が驚きに見開かれながらもミーシャの姿を捉えた気がした。


「「「キャァァァ〜〜!!!」」」

複数の叫びが響く中、ミーシャはその横をすり抜け階段を駆け下りた。

そうして階段の下に倒れる母親の側へと辿り着くと、絶望感に立ち尽くした。

「………か……さ……ん」

しっかりと閉じられた瞳。唇の端からツッ……と一筋紅い血が流れ……、首が、あり得ない角度へと曲がっていた。

おそらく、頭から落ち受け身を取ることも叶わなかったのであろう。


足から力が抜け、へなりと傍に座り込む。

息の根が止まっているのは一目瞭然だったが、ミーシャはそろりと手を伸ばしレイアースの呼吸を探した。

だが、指先に触れる呼吸はなく、無意識に探る脈も捉えることは出来なかった。

どんなに薬師としての知識があろうと首の骨を折り息を止めてしまった者の命を救う術などあるはずがなかった。

たとえ、その体が未だ温もりを失っていなかろうと、レイアースは既に死んでいるのだ。

その事実は、ミーシャの心を打ちのめした。




「何があったんだ!」

「なんの音だ?!」

騒ぎに駆けつけた人々は階段の上と下で繰り広げられている光景に息を飲んだ。

階段の上で泣き叫ぶ少女とそれを守る様に抱きしめる2人の侍女。

階段下で事切れた母親の横に座り込んでいる娘。

静と動。そして死と生。

明らかな対比がそこにはあった。


「ミーシャ、何があったんだ?!」

駆けつけた中の1人にいたカイトは、固まった様に動かないミーシャの肩を乱暴に揺すった。

「………や」

瞳を母親から離さぬまま首を横に振るミーシャの口から微かに声が漏れた。

「ミーシャ?」

その異様な雰囲気にカイトがもう一度名を少女の名を呼んだ時、慟哭の声が響き渡った。

「イヤァァァ〜〜!!!」

目の前の現実を受け入れる事が出来ない、受け入れたくない少女の悲鳴。

その叫びは、その場にいる人々の心を刺し貫き動きを止めた。

階段の上で泣きわめいていた少女すらも。

「ああああああああああああ〜〜〜〜〜」

すべての音が消えた空間で、ただ少女の叫びだけが長く重く響き続けた。







ベッドへと横たえられたレイアースをミーシャは傍に置かれた椅子に座りただ見つめ続けていた。

唇の血は拭かれ、首をまっすぐに戻した母親はただ眠っているだけの様にも見えた。

だけど、薬師としての視線はミーシャにそんな甘い夢を抱かせてはくれなかった。

血の気の失せた白い肌も上下することをやめた胸部も、全てが目の前の死をミーシャに突きつけてくる。


(なんで………。なんで、こんな事になったの?)

もう2度と開かれることのない閉じられた瞳を見つめ、ミーシャはもう何度目になるかも分からない問いを繰り返す。

階段の前で止められていなければ。

貧血で足元がふらついていなければ。

足が悪くなければ、踏ん張れたんじゃないか。

そもそも、血を分け与える治療などしていなければ。

せめて……、せめて自分が側にいれば。

幾つもの「もしも」が浮かんでは消えていく。


だけど、今更そんなことを考えたって、取り返しなどつかないのだ。

(だって、母さんは死んでしまった)

ほろほろとミーシャの頬を涙がつたい落ちる。

どれほど泣いても涙が尽きることは無いのだと、何処か不思議な気分でミーシャは考えていた。


どれほどの時間、そうしていたのか。

ミーシャにはよく分からなかった。

1時間かもしれないし、半日かもしれない。

母親の死を確認したあの時から、ひどく時間の流れが曖昧だった。


「ミーシャ様、せめてコレだけでもお飲みください。体から水分が無くなってしまいます」

初めてこの屋敷に来た日から、ずっと側にいてくれた年配のメイドがそっとグラスを差し出してくる。

それを反射的に受け取り口に含めば微かな甘味とミントの爽やかな香りが感じられた。

カラカラに乾いた喉にその水は優しく染み渡った。

「………おいし」

ポツリとつぶやきが漏れる。

それは静かな部屋に思いの外大きく響いた。

「………こんな時でも、美味しいって感じたり、するのね」

「人は、生きていかねばいけませんから」

何気なくつぶやいた言葉に返事が返ってきて、ミーシャは驚いた様に母親から視線を上げた。

いつものお仕着せを着たメイドが伏し目がちの目でそこに立っていた。

「どんなに辛い日でも、人は超えていかなくてならないのです。それが、生きている、ということですから」

「………生きて?」

ミーシャは、ぼんやりと緩慢な頭にメイドの言葉が染み込んでいくのを感じた。

「そうです」

ただ一言。頷かれて、ミーシャはギュッと目を閉じた。


「………もう一杯、何か貰えますか?今度は温かいものが良いです」

ミーシャの絞り出す様な言葉に、メイドは静かに頷いて踵を返す。

その背を見送り、ミーシャはもう一度ベッドへと視線を移した。

「………生きる、わ。私。…………母さん」




父親の意識が戻ったと連絡が来たのは、ミーシャが温かい紅茶を飲み干した時だった。











暗闇の中、ボンヤリと立ち尽くしていた。

いつからそこに居るのか?

どうしてここに居るのか?

全てが曖昧で、何もわからない。

そもそも立っているのか、横になっているのか、それすらも曖昧で自分の存在さえ見失ってしまいそうだ。

ただ、そこが凍えてしまいそうに寒い事だけはなんとなく感じていた。


(なんでこんなに寒いんだろう。おかしいな……)

そろりと自分の体をさすり、緩慢な動作で辺りを見回すと、遥か遠くに光の様なものが見えた。

何かに呼ばれているかの様に、あれほどピクリとも動かなかった足が動き始める。


(そうか。あそこに行けば良いのか)

自分の意思とは関係なく歩を進める足を、不思議に思う事なく身をまかせる。

きっとあそこは暖かいのだろう。だって、あれほど柔らかな光が見えるのだから……。


少しずつ光に近づいていたその時、突然ドクン、と鼓動が跳ねた音を聞いた。

そう、思った時、ジンワリと凍え切っていた体が温かくなってきたのを感じる。

トクン、トクン、トクン………。

自分の鼓動と重なる様に誰かの命の音が聴こえる。

そうして凍え強張っていた体が内側から温かくなってくると同時に、ボンヤリと何も考えられなかった頭が動き出す。


(そうだ、私は戦場で怪我をして……、何故、こんなところに?ここは、どこだ?)

見渡す限りの闇の中、見えるのは遠くに仄かな明かりのみ。

光は温かく、安らぎに満ちている気がしたが、本能的に行ってはいけない、と強く感じた。あそこに行けば、自分は2度と愛しい者たちに会う事は出来なくなるだろう。


(だが、何処に行けば良いのだ?)

迷い悩む耳が、微かに自分を呼ぶ声を捉えた。

それは、誰よりも何よりも大切な人の声。

どうせ何も見えぬ暗闇と割り切り目を閉じると声の聞こえる方へ向かって足を踏み出す。

心配そうに、不安そうに響く自分を呼ぶ声。

その声だけを頼りに重い足を必死に前へと運んでいった。


(……大丈夫。今すぐ戻るから、そんな声を出すな、レイアース)




読んでくださり、ありがとうございました。



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― 新着の感想 ―
クズ女はそのガキもクズ
[気になる点] 事情を鑑みるに、母子には、常時護衛を張り付かせておくべきかと思うのですが。 先代当主は、ナニをやっていたのやら。 まさか、未必の故意ではないでしょうね。
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