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山道を隣町へ向かい、黙々と歩く。
こっちが近道だからと、キチンと舗装されていた道から逸れて獣道のような細い道なき道を進んでいくが、山育ちのミーシャにとっては苦になるはずもなく、結構な速度で進むラインに遅れることなくついて行っていた。
もっとも、流石に喋る余裕までは無く無言の時間が続いている。
辺りには、ただ、少し荒くなったミーシャの息遣いと茂みを掻き分け地を踏みしめる音だけが響いていた。
と、そこにガサリと大きな音と共に、白銀の毛並みを持つ狼の頭がヒョッコリと飛び出して来た。
「レン!」
紅いルビーのような綺麗な瞳と目があって、ミーシャは思わず足を止めた。
「クゥ」
甘えるように小さく鼻を鳴らすと、茂みの中からレンがガサガサと飛び出してきた。
拾った頃は膝に乗るほどだった体躯は、ふた回り以上大きくなり、ボサボサだった毛並みも艶やかな白銀に輝いている。
そこにいたのは、成獣一歩手前の美しい狼だった。
街の中に連れていけないこともないだろうが、紐につなぐのも可哀想だし、一泊の予定だったので街の手前で別れて森に離していたのだ。
「ご飯食べた?怪我してない?」
嬉しそうにじゃれついてくるレンを受け止めながら、ミーシャはザッと全身に目を走らせた。
「オンッ!」
ミーシャの肩に前足を置いて立ち上がり、頬を舐めながらレンが元気に返事をする。
1匹でも問題なく自由な時を楽しんだのであろう、レンの顔が楽しげにキラキラと輝いて見えた。
その様子に、ミーシャはホッとして笑みを浮かべる。
良く懐いて人の言葉も理解している様子を見せるほど賢い子だが、流石にこんな大きな狼を人の多い場所に連れていくのは色々と問題があった為、すでに同じようなことを何度も繰り返していた。
とは言え、ミーシャの脳裏には拾った時の傷つき独りぼっちで鳴いていたレンの姿が焼き付いていた為、どうしても不安が先立ってしまうのだ。
その為、無事に合流して元気な姿を見るまでは、どうにも落ち着かない。
また、元々群れで暮らす狼であるレンも、仲間と離れるのは微妙な気持ちらしい。
人の多い場所も落ち着かない為、1人で森で自由に遊ぶのだってそれはそれで楽しいのだが、「それとこれとは別!」とばかりに再会した時は嬉しそうにはしゃいでいる。
そんな2人の様子を半ば呆れたような笑い顔で見守っていたラインは、お互いが落ち着いたところで「出発するぞ〜」と声をかけた。
で、ないといつまでも戯れていそうだったし、そうなると本当に野宿する羽目になる。
食料や必要な備品は前の街で仕入れてきたばかりだから、普段ならそれでも良かったのだが、残念なことに、商品とともに不穏な噂まで仕入れてしまったのだ。
曰く「最近、山賊紛いが出るらしい」。
幸い今の所は命までは取られた者はいないようだが、やはり気持ち良い話ではない。
君子、危うきに近寄らず。
そんな場所でのんびり野宿をしようとするのは愚か者か、相当に腕に自信のある者だけだろう。
「は〜い」
不安にさせるのもなんだろうと、ラインはその事をミーシャには教えていなかった。
だが、何か感じるものもあったのだろう。ミーシャは素直に返事をするとレンを伴って歩き始めた。
(まぁ、こんなデカイ狼を連れてるような変な一行を襲うような山賊もいない、か?)
先頭を歩きながら、チラリと後ろを振り返りラインは軽く肩をすくめた。
それは、突然だった。
道半ばまで来たあたりで、昼食を取ろうと少しひらけた場所を見つけて、火を起こす事にした。
予定よりも進む距離は稼げていたし、合流したレンがふっといなくなったと思ったら良く肥えたウサギを1匹咥えてきたので、折角だからお相伴に預かろうという算段である。
今のうちにさっき見かけた薬草を摘んでくるとラインが姿を消し、1人残されたミーシャは、手早くウサギの始末を開始する。
(本当は少し熟成させた方が美味しいんだけどね……)
鼻歌まじりに肉にハーブを刷り込んでいたミーシャの耳がガサリと草葉が不自然に揺れる音を捉えた。
「おじさん?早かったね」
ラインが帰ってきたのかと顔を上げたミーシャは息を呑んだ。
すぐ側の茂みの影から、半身を覗かせた男が引き絞った弓矢を、真っ直ぐにミーシャへと向けていたからだ。
「動くな。変な動きをしたら、その身を射抜く」
低く潜められた声にミーシャはピクリと体を震わせてから、ソロソロと肉から手を離し両手を顔の横へと上げて見せた。
抵抗の意思がないことを示すミーシャに、それでも男は油断することなく弓を向けたまま、ゆっくりと近づいてきた。
泥と埃に塗れたボロボロの衣服に、所々汚れで固まった脂ぎったボサボサの髪。
目の下には濃く隈が浮かび、肌は荒れてガサガサで疲労の色が濃い。栄養状態もよろしくなさそうだ。
向けられた矢尻に恐怖を感じながらも、ミーシャの中の薬師としての目が冷静に男を観察していた。
(浮浪者‥…に、しては弓矢の扱いが手慣れてる。猟師‥‥ううん、人に武器を向けることに躊躇いがなさそう。兵士‥…崩れの山賊、かな……?)
ミーシャの手前3メートルほどの距離で男は足を止めた。
「食い物と金だ。袋にまとめろ」
冷たく響く声に従い、ミーシャは、言われた通りに食料と金子の入った小袋を用意した。
現状、逆らったところでミーシャに勝ち目はない。
真っ直ぐに向けられた殺意は、少しでも逆らうそぶりを見せたら、すぐさま解き放たれるだろう。
「こっちに投げろ」
ミーシャは、ズッシリと重い袋を持ち上げると男へ向かい投げた……が、重すぎた袋にバランスを崩し袋を手放した反動で横によろけ、倒れた。
こちらに飛んでくる袋と、倒れ込むミーシャ。
刹那、男の意識が2つに分散された。
その、瞬間。
「ガウゥゥッっ!!」
「うわぁっ!!」
白銀の影が男の背後から躍りかかり、組み伏せた。
鋭い牙が躊躇いなく男の首筋を狙い、突き立てられようとした瞬間。
「ストップ!レン!!殺さないで!!」
ミーシャの叫びを耳に捉え、レンは僅かに牙を食い込ませた所でかろうじて止まる。
「グウゥゥ」
尤も、不機嫌そうな唸り声付きであり、男が少しでも身動ぎすれば最後、躊躇いなくその顎門を閉じる気満々であったが。
「形勢逆転、ですね。ごめんなさい」
巨大な狼に背中からのしかかられ牙を食い込まされた男の顔に、ミーシャは躊躇いなく手にした小さな布袋を押し付けた。
そうしてしばらく待てば、男の体からスゥーと力が抜けていく。
「レン、ありがとう。もう離しても大丈夫よ」
グルグルと喉の奥で唸り声を上げるレンの体をポンポンと優しく叩いて促すと、レンは、渋々と言うように男の背中から降りた。
一羽じゃ足りないかな、とさらなる獲物を求めてミーシャの側を離れた自分も悪い。
だけど、嫌な匂いがして戻ってきてみれば、身の程知らずにも汚い人間がミーシャに危害を加えようとしていたのだ。
怒りに身が焼かれたような気がしたが、かろうじて踏みとどまったのは、勢いのままに飛びかかれば、大事なミーシャに怪我をさせてしまうかもしれないと思ったからだ。
音を立てないように男の背後へと回り、隙を窺う。
と、瞬間、ミーシャと目があった。
微かな動きで待てを指示される。
幸い、男に仲間はいないようだったので、大人しく指示に従い「その時」を待った。
そうして、ミーシャの作った隙を利用しての逆転劇。
不埒者は見事に捕まえる事ができた。
とどめの牙を突き立てることが出来なかったのは不満だが、人間には人間のルールがあることを知っていたから、レンは素直に諦めた。
もちろん、再び男が反逆の意を示したときにはその限りではないが。
気を失った男の姿を油断なく見張りながら、レンは、しっかりと心に誓う。
次、同じ事があったら(勿論、そんなヘマをするつもりはないが)、ミーシャが止める間も無くその命を刈り取ってやろう、と。
「で、薬使って意識刈り取った、と」
予定通り薬草を集めて帰ってきたラインは、肉を炙っているミーシャと、隅の方に転がされている男を交互に見てため息をついた。
手足を頑丈な蔦で拘束された男は、未だ目を閉じてぐったりと倒れていた。
「そう。ただ、私も慌ててたから、薬草袋丸まま押し付けちゃって、どれくらい吸い込んだのかよく分からないの……」
目を合わせないまま呟くミーシャの表情を、一言でいうなら「やっちゃった……」であろう。
本来、一つまみもあれば1時間程は夢現になる麻酔薬を袋に入った丸まま押し付けたのだ。呼吸と共に吸い込んだ量によっては、当分起きないだろう。
「まぁ、初めての経験でパニックになってたんだろ。生捕りに出来ただけ上出来だ。後は‥……放置するか、目覚めるまで待つかだが……」
大型の獣が少ない森ではあるが、皆無ではない。
手足の拘束は外していても、無防備に倒れている内にそれらの獣に襲われない保障はなかった。
担いでいくのは論外だ。
自分とさほど体格差のない成人男性1人を連れて越えられるほど、この山は甘くないし、そんな労力を払う気にもなれない。
まぁ、人を害しようとしたのだから自業自得、とラインなら放っておくところだが……。
ミーシャの眉がションボリと下がるのをみて、ラインはため息をついた。
(放置して行ったら、こいつの事だからズッと気に病むんだろうなぁ)
情に厚く、かつ幼い少女にそこを割り切れと言うのは厳しいだろうか?
自問自答して、ラインはもう1つため息をついた。
「まぁ、急ぐ旅でも無いし、目が覚めるまで待ってみるか?」
「ありがとう、おじさん!」
パッと表情を明るくしたミーシャが、肉の焼き加減を見るために焚き火の方へと意識を移す。
その後ろ姿を見ながら、ラインはうっそりと笑った。
(襲った人間に逆に捕まった犯罪者の末路なんて、ろくなもんじゃないんだけどなぁ。ま、ミーシャには良い勉強か)
チラリと意識のない男のすぐ側に伏せて、油断ない目つきで見張っているレンを見る。
(ま、最悪ミーシャにバレないように始末する手はいくらでもあるしな)
心の中で嘯いて、ラインは「焼けたよ」と呼ぶミーシャに「おう」と短く返事を返すと差し出された肉を受け取る為に腰を上げた。
読んでくださり、ありがとうございました。




