1
お久しぶりです。
再び始まったミーシャの旅に、お付き合いくださると幸いです。
「おじさん、このリンゴいくら?」
道端に広げた布の上に、商品である野菜や果物を並べていた男は、突然かけられた声に顔を上げた。
そこには小柄な少女が1人、男のすぐ目の前にいつの間に現れたのか、チョコンと座り込んでいる。
柔らかな新緑の色に染められたローブを頭からすっぽり被り、背中には大きなカバン。
おそらくこの街道を旅する1人であろう。
ローブよりも鮮やかな翠の瞳が人懐っこそうな笑みをたたえ、じっとコチラを見つめていた。
「嬢ちゃん、1人か?」
真っ直ぐに見つめてくる瞳にどこかムズムズとするような座りの悪さを感じながらも、男は軽く首を傾げた。
目の前の少女は1人で旅をするにはいささか幼いように感じたためだ。
尤も、たくさんの旅人が通り過ぎるこの街道沿いの市場には、そういう幼い子供の1人旅だって稀にとはいえいないわけでもないし、いつもなら、こんな言葉をかけたりもしない。
だが、なんでか、この少女には手を差し伸べてしまいたくなる何かがあった。
果たして、少女はキョトンと首を傾げた後、大きく首を横に振り彼方の方を指差した。
「伯父さんと一緒。向こうで買い物してるわ」
行き交う人混みの中、指差された方を仰ぎ見れば、それらしき黒いローブの後ろ姿が見えた。
そこは保存食や調味料を扱う露店で、おそらく旅路の食料の補充をしているんだろう。
男は、なんとなく入っていた肩の力を抜くと目の前の小さなお客さんにようやくニッと笑い返した。
いささか強面気味の男の笑顔は、安心感よりも山賊に会ったかのような恐怖心を与えるともっぱらの話題だが、少女は気にした様子もなく、並べられた他の果物にも目を走らせていた。
「そっちのオレンジも欲しいの。まだしばらくは日持ちするでしょう?」
「リンゴとオレンジだな。今日、最初のお客さんだ。こっちの木桃もサービスしてやろう」
小さな指で指された物を少女の差し出してきた麻の袋の中に放り込んでから、コインと引き換えに熟れすぎて商品には向かない木桃を1つ握らせてやった。
「ありがとう、おじさん!」
自分の手のひらほどもある大きな木桃に目を丸くした後、少女が満面の笑みを浮かべ、その場でかぶりついた。
柔らかな果肉を大きくかじり取った後、溢れる甘い果汁にパタパタと足踏みをしている。
気に入ったらしい。
その可愛らしい動きに、男は、自分の頬が柔らかく溶けるのを感じた。
先ほどの作った愛想笑いではない心からの笑みは、………しかし、ヤッパリ山賊風味ではあったが。
「ミーシャ、大人しくしとけって言っただろ?」
美味しそうに木桃をかじる少女の後ろにふいに長身の影が立った。
どうやら買い物を終了した保護者がお迎えに来たようだ。
「ちゃんと見えるところにいたでしょ?」
心外だと言いたげに背後を振り返る少女の頭をあきれ顔の青年が軽くこずいた。
「親父さん、連れが邪魔して悪かったな」
そのまま小さな頭をぐりぐりと撫でまわす青年の瞳は、少女と同じ美しい翠色をしていた。
「いいや。邪魔なんてとんでもない。嬢ちゃんがいい客引きになってくれたからな」
首を横に振りながら、八百屋の男は肩をすくめて見せる。
その言葉通り、さっきまで誰もいなかった露店の前には幾人かの客の姿があった。
無邪気なしぐさで果物をかじる少女の姿に、そんなにおいしいのならと足を止めたのだろう。皆、そろって果物を購入してはかじりながら去っていく。
「もう!おじさん、痛いよ」
首がぐらぐらするほど撫でまわされていた少女
が、ついに我慢できなくなったようで、小さく叫ぶとその手から逃げて行った。
すると、強引な手から逃げ出した反動で少女のかぶっていたフードがはらりと外れ、そこから美しい白金の髪が現れた。朝のひかりを受けて角度によっては銀色に見えるほどに淡い色。
「ほ!きれいな髪だな」
思わず感嘆の声を漏らすと、少女が照れ臭そうに笑った。
「ありがとう。おじさん、ばいばい」
小さく手を振ると少女はフードをかぶりなおし、保護者らしき青年に促されて去っていった。
と、思うと、連れの青年に何か声をかけて、慌てたように戻ってくる。
「あのね、おじさん、お腹痛いんでしょ?このまま放っておくと、もっと痛くなるよ?良かったら、桃のお礼にコレ、飲んで?」
そう言って手渡されたのは、何かの葉っぱに包まれた………。
「丸薬?」
「そう。おじさん、薬師なの。おじさんのお薬、よく効くよ?」
突然のことに呆気にとられて手の中の丸薬を見つめているうちに、少女は再び手を振ると足を止めてコチラをみている青年の元へと走って行ってしまった。
「あ、ご飯の後に2つずつ、無くなるまで飲んでね〜〜」
連れの元へとたどり着いた少女は大きな声で叫ぶと、今度こそ背を向けて行ってしまった。
その凸凹の2つの背中が人混みに紛れて見えなくなってしまうまで、男はボンヤリと見送っていた。
「おやじさん、ついてたな。あの男は腕のいい薬師だよ。昨日宿で一緒だったんだが、宿屋の女将に薬を煎じたらしくって感謝されてたぜ?」
店先に立っていた客に声をかけられ、我に返った男は、手の中の小さな包みに目を落とした。
この街にも薬師はいるが、薬はそれなりに値がはるもので、庶民はいよいよ辛くなった時にしか手を出さない。
男も数日前から胃の不調で悩んではいたが「まぁ、まだ我慢できるし……」と様子見をしていたところだった。
あの熟れすぎた桃だって、コレなら食べられそうだと自分の昼食用に持ってきたものだったのだ。
「売り物にもならない桃が薬に化けやがった」
ポツリと呟き、男はもらった薬を大事に懐にしまった。
(なんだったか……ガキの頃親父がしたり顔で言ってたな。「人には親切にしろ、自分のためだ」って。当時は「何言ってんだか訳ワカンねぇ」って笑っていたが……)
帰ったら、息子に今日の事を親父の言葉と一緒に教えてやろう、と心に誓って、男は今日の糧を稼ぐために顔を上げた。
「さっきのおじさん、ちゃんと薬飲んでくれるかなぁ?」
取り出したリンゴを渡しながらミーシャは、隣を歩くラインを見上げた。
「さあな。見た感じ、胃炎の症状も進んでるみたいだし、飲むんじゃないか?」
軽く答えながらも、渡されたリンゴに齧り付き「甘い」と満足げに笑った。
「そっか、ならいいや」
自分の分も取り出して、少し考えてから、もう一度しまい込んだ。
先程の木桃の甘さがまだ舌の上に残っている。
昨日の昼に何気なく通り過ぎた市場で八百屋のおじさんを見かけたときから、どうにも気になっていたのだ。
顔色が悪く、窶れた様子。
無意識にだろう、庇うように腹部に置かれた手の位置から胃の辺りに問題があるのだろう、と予想がついた。
時折顰められる顔から、痛みも強いのだろうと思っていると、お使いらしい少年が、そのおじさんの店の前で盛大に転んだのだ。
子供の顔がぐしゃりと歪んだ瞬間には、素早く立ち上がったおじさんに助け起こされていた。
つい先程まで動くのも辛そうに腹部をさすっていたのに、それは瞬きの間の素早さだった。
少し強面の顔をぎこちなく緩ませながら、少年を慰め、散らばった荷物を拾ってもたせてやる。
泣き止んだ少年に、何か言いながら商品の中から小さなオレンジを1つ、握らせていた。
おそらく、泣き止んだことを「偉いな」「強いな」とでも褒めているのだろう。
涙をぬぐった少年は笑顔でペコリと頭を下げて去っていった。
それは、なんともほのぼのする光景だった。
少年を見送って商品の奥に引っ込んだ後、おじさんが蹲ってしまった姿さえ見なければ。
(急激に動いたから、体がビックリしたんだろうなぁ。というか、アレは座ってるだけでも結構辛いレベルになってるんじゃ……)
見つめているうちに先に行ってしまった伯父の背中を慌てて追いかけながら、ミーシャはどうやったらあのおじさんに薬を渡せるかなぁ、と考えていた。
口内に残る優しい甘みを楽しみながら、ミーシャは、おじさんの笑顔を思い出していた。
食事を満足に取ることも難しくなっていたのだろう。
近寄ってみれば、頬はこけて、口臭も感じられた。
元々の人相の悪さが強調されていて、一見山賊か何かのようだったけど、優しく細められた目は穏やかで、おじさんの人の良さが伝わってきたから、ちっとも怖いとは思わなかった。
きっと、昨日の少年も同じ気持ちだったのだろう。
「ちゃんと良くなると良いなぁ」
ミーシャは鼻歌を歌いながら、ラインの隣に並んだ。
「あの程度なら、ちゃんと薬飲んで大人しくしときゃ治るだろ。何しろ俺の特製レシピだからな」
ふふん、と鼻で笑いながらラインは芯だけになったリンゴを沿道の茂みへと投げ込んだ。
「さて、野宿したくなけりゃサクサク歩けよ?次の街までは山1つ超えるからな」
「はぁ〜い」
元気よく返事をして、2人は足取り軽く早朝の山道を進んでいった。
『森の民』の故郷へ向かう旅は、ミーシャの考えていた以上にノンビリしたものになっていた。
城を出発して、しばらくすると集団から1人抜け2人抜け………。
気がつけば半数へと人数が減っていたところで、ラインからようやく本当の旅路の予定を聞かされたのだ。
当初は港から船で移動だったのだが、撹乱のためにも1人ないしは2人の行動になる。
そもそも、里に帰るのは長老組とラインとミーシャ達くらいらしい。
「元々、外をそれぞれふらついてたやつらが緊急に集められた感じだしな。それまでいた場所に戻るか、またフラつくかのどっちかだろう」
アッサリと答えるラインにミーシャは目を見張った。
てっきり、みんなで里から来たのだと思っていたのだ。
「そんなに沢山の『森の民』が色んな場所をふらついてるの?」
「まぁ、それなりにな。自分の研究している薬や手法の実験と検証は、里の中じゃ出来ることは限られてる。何より、薬にしろ治療法にしろ患者がいなきゃ、どうしようもないからな」
予想以上に活動的だった一族の話にミーシャは目をパチパチと瞬かせる。
「その割には、一族の噂ってあんまり聞かないんだけど」
「んなもん、わざわざ自分が『森の民』の一員だって宣伝して回るわけ無いだろう。トラブルの種以外の何モンでもない」
「それは、そうだけど………」
アッサリと返って来た答えに腑に落ちないものを感じつつ、ミーシャは言葉を濁す。
「旅の薬師なんて、そんなに珍しいモンでもないしな。一族の見分け方なんて髪と瞳の色に卓越した医療技術、て曖昧なもんだし。自分の苦しい時に助けてくれた相手を害しようって人間はそうそういないのが現実さ」
そんなミーシャの様子に笑いながらラインは柔らかな髪を撫でた。
「て訳で、俺らは陸路をノンビリ行く予定だから」
「え?すぐ帰らなくて良いの?」
他の人はともかく、自分たちこそ最短距離で戻るんだろうと思っていたミーシャは思いがけないラインの言葉に首を傾げた。
「里に入っちまえば年単位で外に出れなくなるのは確定なんだし、ちょっとくらい見聞を広めたっていいだろ?」
そう言って、悪戯っぽく笑うラインに、ミーシャもつられて破顔した。
「うん。おじさんと旅するの、嬉しい」
そうして、ミーシャとラインのノンビリ2人旅が始まったのだ。
読んでくださり、ありがとうございます。
仲良し伯父姪のほのぼのな様子が書けると良いなぁ、と思ってます。
のんびり不定期更新予定です。




