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一月ぶりの更新です。
遅くてすみません………。
ライアンが出ていった後、部屋には沈黙が残された。
閉じた扉を見つめ、ミーシャは、言葉を探すように視線を宙に彷徨わせる。
そんなミーシャを気にする事なく、ラインは、ゆったりと腰を下ろしたままカップを傾けていた。
「………あの、おじさん。この後、どうするの?」
ついには、さらに綺麗に盛られた菓子を楽しみだしたラインに、ミーシャは困り顔で声をかけた。
「さっき、ライアン様に助けを求められてたでしょう?行かなくていいの?」
そんなミーシャに、ラインは、あっさりと肩をすくめてみせた。
「まぁ、今行ったところで俺に出来ることなんてないしな。……そうだな。暇なら、少し、話をしようか、ミーシャ」
そうして、ニッコリと笑った顔が何か恐ろしいものに感じて、ミーシャは隣り合わせたソファーの上で少しでも逃げようと無意識に身動いでいた。
「そんなに怯えなくても、怖い話じゃないさ。ただの確認だ」
少し青ざめたミーシャの様子にさらにその笑みを深めて、ラインは手にしていたカップをテーブルへと戻した。
「赤眼病が発覚した時、更に、対処法がわからず打つ手がなくなったとき、なんでミランダを探そうとしなかったんだ?」
唐突に問いかけられ、ミーシャは、質問の意味を取りあぐねて首をかしげた。
「ミランダならば、お前の知らない情報を持っていたかもしれない。確かに、どこにいるかは分からなかったかもしれないが、最初にミランダからいくつかの拠点があることは聞いていたはずだろ?詳しい場所は分からなくとも、闇雲に怪しい場所に行き、『森の民』の合図をして回るくらいは出来たはずだ」
じっと目を見て、言葉を重ねられ、ミーシャの表情が徐々に強張っていく。
考えなかったわけではなかった。
世間から見れば奇跡のようにすら映る力を持つ『森の民』の医療の力。
たまに訪ねてくるラインはいつだってミーシャの知らない知識を教えてくれていたし、その知識は、母親の薬草学とはまた違うものだった。
おそらく、他にも色々な知識が一族の中にはあるのだろうと、教えられるまでもなくミーシャも感じ取っていたのだ。
もしかしたら、「赤眼病」の対処法だって知っているかもしれないと、考え付かないはずもない。
しかし、ミーシャはそれをしなかった。
「だって、『森の民』の力は無闇に使っちゃダメだって………」
「お前の知識だって元々は一族のものだろう?」
小さな声での答えは、あっさりと切って落とされた。
ミーシャは、自分の手が小さく震えているのに気付きながらも、どうにか言葉を重ねようとした。
「だって、一族以外に助けの手を出すことは滅多にないって」
「そうだな。だが、お前が救いを求めれば、少なくとも他の誰がそうするよりも助けてくれる者はいたはずだ。『森の民』の結束は固い。一国の王が懇願するよりも、半分とはいえ同じ血が流れる同胞の手を取るほどに、な。そう、ミランダから教えられなかったか?」
《いい?困ったことがあれば、私に会った時のように「挨拶」してみて。同胞ならば、きっと助けてくれるはずだから………》
ラインの言葉に被さるように、ミーシャの脳裏に、かつてミランダに教えられた言葉が蘇る。
じっと自分を見つめるラインの翠の瞳が、ミーシャは初めて怖いと思った。
心の底まで見透かすようなその色に、隠していたいものが暴かれてしまう恐怖に襲われ、ミーシャはぎゅっと目を閉じた。
(そう。私は知ってた。『森の民』に助けを求める手段を知ってたのよ。だけど、それをしなかった…………のは………)
フッとラインのため息をつく気配に、ミーシャはハッと閉じていた目を開いた。
すぐ目の前に翠の瞳があった。
そこには憐れみと憤りが浮かび、じっとミーシャだけを写していた。
青ざめて震える罪の意識に飲まれた小さな少女。
ラインの瞳に映るその姿にミーシャは言葉をなくして見入るしかなかった。
静かな、断罪の言葉がそこに降り注ぐ。
「感謝されもてはやされ、自分を取り違えたな。最初に教えたはずだ。『無知の知』を忘れるなと。
感謝と賞賛の瞳に天狗になり、恐れたんだろう?自分以上に特別な者が現れる事を」
「…………ちがっ!」
「では何故、動かなかった。随分早い段階で分かっていたはずだ。自分の知識の中にこの状況を打破する力は無いと」
「それ…………は。…………それは………」
ミーシャの頬をポロポロと涙が零れ落ちる。
ラインは、哀れむ様にその涙を優しく拭ってやった。
「確かに、この広い王都の中闇雲に駆けずり回って『森の民』に会える確率は低い。だがな。お前はそうすべきだったんだ。それが、病に苦しむ人達にお前のできる「最善」だと分かっていたはずだからな」
ラインの言葉にミーシャは唇を噛み締めた。
一言も、言い返す言葉が思いつかなかった。
それは、ラインの言葉が痛いほどの真実であるからに他ならない。
いつもなら、考える前に浮かんでくる病に対する有効な対処法。
それは、幼い頃より蓄積されてきた膨大な知識に基づく無意識の選択だったのだが、その事を不思議に思うでもなくミーシャはこれまで素直に利用してきた。
しかし、今回。
どれほど考えても、初めて意識して過去の知識の山を掘り返しても、『どうしていいのか』さっぱりわからなかったのだ。
それが、有効な手段に対する知識の不足である事は明らかだった。
しかし、初めての事態にミーシャは混乱すると同時に恐ろしくなったのだ。
良くも悪くも、ここに頼るべき存在はなく、むしろ周囲は『森の民』の影をミーシャに見て期待をかけてくる。
答えられない期待に対するプレッシャーとこれまで積み上げてきた矜持が、ミーシャを雁字搦めにしてしまっていた。
血が滲むほどに唇を噛み締め涙をこぼすミーシャに、ラインはもう一度大きくため息をついた。
(お灸が効きすぎた………か。だけどミーシャ、お前が本当に辛くなるのはこれからだ)
プライドとプレッシャーに動けなくなっていた間にも進行した病に命を落とした患者はいたはずだ。
その全てがミーシャのせいでは勿論無い。
責める人間も居ないだろう。
ただ1人、ミーシャ本人を除いて。
なりふり構わず走り抜けた結果ならば、泣こうがボロボロになろうが、ミーシャはやがて立ち上がり前を向けたはずだった。
でも、そうできなかった結果が、今、声を上げず涙をこぼす結果へと繋がっている。
「…………つらいか?」
ぼそりと問いかけたラインに、ミーシャは少し俯いたままコクリと頷き、直ぐに打ち消す様に首を横に振った。
「死者がお前を追いかけてくるだろう。だが、その辛さを忘れるな。それから逃げるな」
ラインは静かな声でユックリと語りかけると、ミーシャの涙で濡れた頬を両手で挟み俯いていた顔をあげさせた。
そして、ミーシャの涙で揺れる翠の瞳をじっと見つめた。
「…………薬師として生きていきないのなら、な」
ラインの言葉にビクリとミーシャの体が揺れた。
「…………私………いいの?」
触れ合うほど近くにいてもようやく聞こえるほどの小さな声だった。
しかし、その声をきちんと拾ったラインは、少しだけ口角を上げて見せた。
「それを決めるのはお前自身だよ、ミーシャ」
それは、静かな、だけど包み込む様な優しい声だった。
「…………1人で、辛かったな」
ミーシャの顔が、クシャリと歪んだ。
そうして。
「うえぇぇぇ〜〜〜ん」
まるで、幼子の様な泣き声とともにミーシャは崩れ落ちた。
自分の膝の上で泣きじゃくる姪の頭をラインは少し困った顔でユックリと撫でる。
それは、ミーシャの涙が枯れるまで止まる事は無かった。
「さぁ〜て、反省会も終わった事だし、もう1つの結果も確認に行くとするか」
号泣した影響でシャックリが止まらなくなったミーシャにお茶を渡してやりながら、ラインが軽い調子で呟くと立ち上がった。
すっかり冷めてしまったお茶を飲んでいたミーシャは、そんなラインの言葉に首をかしげた。
「結果って何の?」
泣きすぎて少しぼうっとする頭はうまく動かなくて、ラインの言葉を考える余裕がない。結果、思ったままの言葉が口から滑り落ちる事となる。
そんなミーシャに、ラインはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「そりゃ、さっき王様に渡した薬の巻き起こしたであろう騒動の結果、に、決まってんだろ?」
「え?」
ラインの言葉を頭の中で反芻して、やっぱり意味がわからなかったミーシャは再び首をかしげる。
「あのなぁ。こんな状況下でアレっぽっちの量の薬、争いの種にならないわけがないだろう?貴人って言われる人間で赤眼にかかってんのがお姫様1人なわけ、ないだろう?」
「…………それって」
考え込んだミーシャの顔色がじょじょに悪くなる。
薬も持っているのはこの国の最高権力者であるライアンなのだから、襲われて怪我をするなんて事はないとは思う。が、大切な存在の命がかかっているとなれば、馬鹿なことをしでかす者も、もしかすると出るのではないか。
「なんて物を渡してるんですか!」
「だから〜〜様子を見に行こうぜ。どこにいるかなあ〜」
ガバリと立ち上がったミーシャに人の悪い笑みを浮かべたまま、ラインはノンビリと歩き出した。
その後を、ミーシャは慌てて追いかける。
「多分、トリスさんのところかコーナン先生の所だと思うけど…………って、なんでそんなにノンビリ歩くの?!急いでよ、伯父さん!」
「え〜?廊下を走るなんて行儀が悪い子に育てた覚えはないぞ?ミーシャ」
背中を押して促すミーシャに、ラインはあくまでノンビリペースを崩そうとはしなかった。
「焦らなくても、ちゃんと監視は付いてるって。そもそも、コレは薬のレシピを譲ってもらう交換条件なんだよ」
眦を釣り上げるミーシャの肩を落ち着けという様にポンポンと叩くと、ラインは肩を竦めた。
「薬のレシピ………って、どういう事?伯父さん、何を隠してるの?」
「隠してるって程でもない。俺は外科が専門なのは知ってるだろ?感染症の研究は専門外でな。この国に移動中にたまたま知り合いに会って、赤眼病のことを教えてもらったんだよ」
迷いのない足取りで王宮内を歩くラインの横を歩きながら、ミーシャは「それで?」という様に伯父の顔を見上げた。
「ん?『森の民』の一族は人の選り好みが激しいって事だよ。あの後のライアンとやらの行動によっては、この国は今度こそ壊滅の危機ってやつ、だろうな」
あまりにも軽い口調で国の命運を語るラインに、ミーシャの眉間にしわがよる。
「…………意味がわからないわ、伯父さん。どうして、ライアン様の行動で国が滅びる結果になるの?」
「そりゃあ、薬の製作者が気に入らなければ、ソッポを向いて逃げ出すからだよ。俺たちは基本自分本位だからなぁ。気に入れば助けるし、気に食わなければ助けない。分かりやすいだろ?」
「……………なに、それ?!!」
静かな王城の廊下にミーシャの叫び声が響き渡った。
人の生死を分ける薬を製作者の気分1つで与えるかどうかを決めるなんて、そんな馬鹿げた事、あっていいわけがない。
と、いうか、そんなことがまかり通るのなら、さっきの自分が受けた説教は一体なんだったというのだ。
「まぁ、落ち着け。薬を提供するのが国経由になるか、民間レベルになるかの差だから。大した違いじゃないさ。王族の信頼が地に堕ちるだけだ」
「なっ………なっ……………」
あくまで楽しそうなラインの言葉にミーシャは言葉をなくして遂には立ち止まった。
そんなミーシャを待つことなく、ラインは相変わらずのマイペースで歩いていってしまう。
「まぁ、頼りになる王様なんだろ?信用してやれよ、ミーシャ」
「…………してるもの!ライアン様なら、絶対に大丈夫だもの!」
ミーシャはキッとラインの背中を睨み付けると高らかに宣言して、急いでその背中を追いかけた。
読んでくださり、ありがとうございました。




