24
「始まりは、暖冬だったんだよ」
1人がけのソファーに腰を下ろし、ラインは香り高い紅茶を楽しみながら、そう、話し始めた。
場所を王家のプライベートな私室へと移し、目の前には国王、宰相をはじめとした国の重鎮達に囲まれて、しかし、ラインは怖気付くこともなく、あくまでマイペースだった。
ミーシャの部屋に突然降って湧いたかのように伯父を名乗る男が現れたと衛兵が走ってきた時、ライアン達はもう何度目になるかもわからない紅眼病の対策会議を行なっている真っ最中であった。
当然の報告に唖然としたライアンは、しかし、伯父を名乗る男が『森の民』の色彩を持っていたことを聞き、気づけば足早にミーシャの居室へと向かっていた。
そして、そこに涙目で座り込むミーシャと冷たい瞳で立ち尽くす男の存在を確認した途端、ライアンは考えるよりも先に2人の間に体を滑り込ませ、背にミーシャをかばっていた。
ミーシャの頬が片方だけ赤くなっていたからだ。
強い瞳で自分を睨みつけるライアンを見て、ラインの瞳が面白そうに眇められた。
「ミーシャ、伯父上というのは本当か?」
聞いたことのない冷たい声音で尋ねられ、ミーシャは目を白黒させながらも頷いた。
「はい。身元は保証いたします。どうぞ、不審者と捕らえないでください」
そして、背中に向かって頷いても見えないことに気づいたミーシャが慌てて、言葉を重ねる。
なぜなら、扉のところで追いついてきたであろうトリスやジオルドが厳しい顔をしていたからだ。
「不審者とは酷い言い様だな」
「少なくとも、王城のこんな深部まで案内もなく入り込むのは、明らかに不審者だと思うが?」
明らかに面白がっている顔つきのラインに、ライアンが眉根を寄せる。
「外部から呼ばれた薬師のふりしたら、アッサリ通してくれたぜ?状況的にしょうがないかもしれないが、警備がザルすぎるんじゃないか?」
「おじさん!」
笑顔で毒を吐くラインをミーシャが慌てて遮った。
「申し訳ありません。不敬は承知ですが、どうぞ話を聞いてください。伯父は「紅眼病」についての情報を持ってきてくれたのです」
そうして、続けて落とされた爆弾にその場にいた全員の目が、驚きに見開かれる。
それは、今、この王国が喉から手が出るほどにほしい情報だった。
「ここは狭い。場所を移して話を聞こう」
おそらく、自分の後を追ってきたものの、部屋には入れず廊下に追いやられている重鎮達の存在を思い浮かべ、ライアンが短く指示を出した。
「ああ、昨夜から何も食べてないんだ。何か軽くつまめる物ももらえるかな?」
笑顔で図々しい要望を出すラインの背をミーシャは無言で押した。
再会からの冷たい表情や態度はどこに消えてしまったのか、すっかり記憶の中と同じラインの様子に、ミーシャはコッソリと吐息をついた。
そうして、軽食の要望があったためテーブルがあったほうが良いだろうと、急遽客間の一室を整えて大人数が入り込めるように調整し、歪なお茶会のようになってしまった室内で、ラインの話を聞くこととなったのである。
「冬のはじめの頃に北のほうから毎年渡ってくる大きな白い鳥がいるだろう?」
「アークル鳥の事か?それがどうした?」
ラインの言葉にライアン達は首を傾げた。
毎年、初冬の頃に1週間ほど見られる鳥で、冬の寒さを逃れて北から南へ旅をする。そして、春になれば、今度は暑さから逃げるように北へと戻っていくのだ。
白い羽毛と額の赤い飾り毛が美しい鳥で、毎年時期になるとその優美な姿を楽しむために湖を訪れる好事家もいるほどだった。
「そう、そいつが、今年は冬の間中湖にいたはずだ。ここで充分暖かかったから、南まで旅するのが面倒になったやつが残ったんだろうな」
「………確かに、今年は湖で一冬中アークルが見られたと報告が上がっていました。が、それが今回の件にどうやって繋がるのですか?」
トリスが勤めて冷静な声で問いかける。が、目が怪訝そうに眇められているのが隠せていなかった。
「紅眼病」の事を語るはずが、ノンビリとお茶を飲みつつ関係のない鳥の話をするラインへのいらだちの表れだろう。
隠せない、と、いうか、隠そうとしない若さに少し笑いながら、ラインは言葉を続けた。
「そいつが腹のなかに「紅眼病」の原因を抱えていたのさ」
ニヤリと笑いながらも、突拍子も無い事を言い出したラインにざわめきが広がる。
「こっちではアークルって言うんだな。北のほうでは、アクルトって呼ばれている。あの鳥が暮らす北の大地の原住民に稀に見られる奇病が、今回の「紅眼病」にソックリなんだよ。原因は、アークルの腹のなかにいる寄生虫だ」
卵のサンドイッチをつまみながら軽い口調のラインに、一同は顔を見合わせた。
「つまり、お主は、その寄生虫が何らかの拍子に体に入り込んだ為に、今回の騒ぎが起きたと言うのじゃな?しかし、アークルは昔から毎年来ておったのに、なぜ今回だけこんな騒ぎになったんじゃ?」
沈黙を破ったのは、コーナンだった。
いかにも医師然としたコーナンに視線を向け、ラインは口の中にあるものをゴクリと飲み込んだ。
「そこで、暖冬に話が繋がるのさ。やけに暖かい冬に調子を崩したのは、何もアークルだけじゃ無い。
今年はキャラスの漁獲量が例年よりも多く、サイズも大きいのが多いそうだな」
ライアンが、チラリと隅に座る男に視線をやった。
「さようでございます。漁獲量が上がり、市場値が落ちてしまっていると報告が上がっております」
ミーシャの脳裏に、バケツの中で蠢くヌメヌメした生き物が思い浮かんだ。
ユウ達が今年はたくさんとれると言っていたから、確かに豊漁だったのだろう。
「キャラスの豊漁が、何か関係あるの?」
ミーシャの疑問に、ラインは今度は甘辛く味付けられた肉の挟まったパンに手を伸ばしながらも頷いた。
「キャラスは水温が一定以下に下がると泥の中に潜って冬眠する生き物なんだ。カエルや蛇みたいに、な。で、暖かくなったら起き出し、栄養を蓄え繁殖する。だが、今年は水温が下がらなかったために冬眠に入らなかった。エサもそう減ることもなかったんだろう。冬中起きていたキャラスはスクスク育ち、通常よりも早く繁殖する」
「それは、豊漁の仕組み、だよね」
パクリと大きな口でパンを咀嚼するラインに何か関係あるの?と言いたげにミーシャは首を傾げた。
そんな姪を見つめて、ラインはつまらなさそうに顔をしかめる。
「ミーシャ、本当に鈍ったな。ここまで言っても、分からないのか?」
あからさまな失望を前に出されて、ミーシャは唇を噛んだ。
「寒い季節に数日だけ訪れる鳥と寒い季節は眠っている生物。本来出会うはずのないもの達が今年に限り同棲していたんだ」
「…………キャラスに寄生虫が住み着いたというんですか?」
俯くミーシャにかわり、トリスが口を開いた。
口の中に物が入っていたラインは、視線をそちらにやると無言で頷き、お茶で中のものを流し込む。
「最果てにわずかに起こる奇病を、詳しく研究したものはいない。だから、俺たちもそこにたどり着くのに少し時間がかかってな。
最近わかったことなんだが、その虫はなぜか魚類の中では繁殖しないんだ。患者が咳をしていたことから、おそらく、呼吸器系の違いが問題なんだろうと言っていたな。キャラスは陸でも息のできる生き物で人や鳥に近い。良い住処だったんだろう。
鳥の落としたフンに卵が入っていて、それを直接かエサの小魚経由かは分からんが、食べたキャラスの中で繁殖。そして、それを食べた人間の中で更に増えた」
室内に沈黙が落ちる。
突然に投げつけられた答えを誰もが消化できずにいた。
日常の中で普通に食べていた物が、実は毒入りでしたと突然に言われても理解できなくて当然だろう。
そんな中、いち早く立ち直ったのはミーシャだった。
「でも、それならなんで私は平気なの?確かに数は多くないけれど、何度か食べたわ?」
「確かに。ここに居るもので口にしていない者の方が少数じゃろう。ワシも食べたしの」
コーナンの言葉に追従するように数人が頷く。
それに、皿の中身を全て空にしたラインが、すかさず新たに注がれた紅茶を手にしながら、ほう、と大きく息をついた。
「研究したやつも、全てが収束してからたまたま興味を持って調べただけで、現物を見れたわけじゃない。だから、これは推測の域を出ないんだが、おそらく、食べ方の問題だと言っていた」
「食べ方?」
「大抵の寄生虫は熱に弱い。十分に加熱していれば、おそらく死滅して問題はないんだろう。だが、あんた達はキャラスを生で食べるそうだな?」
ミーシャの脳裏に食卓の情景が浮かぶ。
半透明の身が薄く切られ野菜とともに綺麗に盛り付けてあった。
「活け造り」と説明され、生食をしたことのなかったミーシャは怯んで口にしなかったが。
「薄造りなら、私も食べたが?一般的な食し方の一つだ」
ライアンの声は困惑の色がまだ強く残っていた。
キャラスは王家に献上されるものの一つだ。
季節の風物詩でもあるため、早い時期より手に入る。
当然、食卓の場に登ることも多かった。
また、王都では新鮮な魚は生で食べることも多く、キャラスも同じ扱いだった。
「おそらく、他の寄生虫の例から見ても、身には卵や虫の数は少ないんだろう。食物を食べて、最初に入る場所は消化器だ。健康な人間ならある程度の量は、孵る前に消化されて問題ないのかもしれないな。
ただな。大抵の場合、虫の卵は内臓や血液に多く含まれているんだ」
追加される情報に、人々の顔色がどんどん青ざめている。
「ラライア様は、最も滋養があるんだって生き血を飲んでいたわ。後、心臓や肝を丸呑みしてた………」
ミーシャが呆然と呟いた。
それに、ライアンが続く。
「昔から滋養強壮の薬として、そういう風に食べてきたんだ。………体力の弱った者の栄養源として、城下では薬よりも先に与えられると聴く」
ラインはまるで出来の悪い生徒を見守るような瞳でゆっくりと頷いてみせた。
「たぶん、そのせいだろうな。
季節の変動に体調を崩した人間に、いつもの習慣でキャラスを与える。胃腸の弱った患者はうまく消化できず卵が体内で孵化したんだろう。寄生虫に蝕まれ、さらに体調を悪くして………後は無限ループ、だな」
「…………そんな」
ミーシャは言葉をなくして俯いた。
体調を崩した祖母のためにと、全身泥だらけになりながら頑張っていたユウ達の姿が浮かぶ。
知らぬこととは言え、自分たちが毒を与えていたと知れば、少年たちはどれ程傷つく事だろう。
同じようなことを思い浮かべているのだろう。
その場にいるライン以外の顔色は悪い。
「さて、原因はみんな理解したな?」
そんな空気をあえて無視して、ラインは声を上げた。
明るいとすらとれるその声に、俯いていた顔が挙げられる。
その視線を受け止めて流すと、ラインは、ミーシャへと視線を向けた。
「では次の問題だ。
ミーシャ、体内に入った寄生虫を排除する方法は分かるか?」
その言葉に、ミーシャの頭脳が反射的に答えを思い浮かべる。
「虫下しの薬草を投与すれば良い。とりあえず、どれが効くかは分からないけど、…………アークルが虫を運んだというなら、その似ているという北の奇病の薬を参考にすれば良いんじゃないかしら?」
ミーシャの言葉に、ラインが満足そうに頷いた。
「…………対処薬があるのか?!」
2人のやりとりに、ライアンが食いつく。
かつて王都を壊滅寸前にまで追いやった憎い病を撃退する術がある。それは、一筋の希望だった。
冷静な王の顔を捨て、身を乗り出すようにしたライアンから少し逃げるように体を背後に引きながら、ラインはもう一度頷いてみせた。
「まぁ、ここに来て多少虫の性質が変わっていそうではあるが、たぶん効果はあるだろう。投与して見なければ分からないけどな」
「それは!!」
ここに来て初めての明るい希望に、わっと人々が沸き立つ。
ただ手をこまねいているしかなかった「紅眼病」についに一矢報いることができそうなのだ。
「だが、問題が一つ」
しかし、その喜びにラインが水を差す。
「効果のある薬草は北の果てにしか存在しないんだ。あちらでは珍しいものでも無いが、ほとんど流通もしていない為、手に入れる術が無い」
困り顔で肩をすくめるラインに、再び部屋を沈黙が支配した。
なまじ、希望が見えただけにその絶望は深い。
暗い瞳で黙り込む一同を見渡してため息を一つつくと、ラインはパンッと大きく手を叩いた。
「差し当たり、キャラスを食べる事を禁止したらどうだ?とりあえずそれで新たな発症は減らせるはずだ。それから、生き血や内臓の生食をした奴らは発症しなくても集めろ。無駄かも知れんが、発症前なら普通の虫下しでも効く可能性はゼロでは無いからな」
その言葉に、ようやく自分たちのなすべき事に思い至ったらしい人々が動き出す。
コーナンを中心に医療チームが対策を細かくねる為に話しながら移動していく。
トリスは貴族達をまとめながら、キャラス捕獲禁止のふれをどうすれば効率的に広めることができるかの対策に走り出した。
その背中を見送って、ライアンは目の前に座るラインへと改めて向き合った。
「有益な情報、感謝する。できれば、今後も御助力をお願いしたいがどうだろう」
その場に残るのは、ライアンとライン、そしてミーシャのみ。
壁際には侍女や執事が控えているが、主人に忠実な彼らがライアンに不利益になる事はない。
完全ではないとは言え、図らずも人払い状態になったその場で、ライアンは座ったままとはいえ深く頭を下げた。
一国の王にあるまじき行為に、ラインは面白そうに目を細めた。
驚いて何か言おうとして、口を挟むすべを持たないミーシャが横で慌てているのをチラリと見てから、ラインは腕組みをして考えるようにソファーの背もたれに体を預ける。
「オレに助力を求める事がどういう事か、分かっているんだな?」
しばしの沈黙の後、ラインが小さく呟いた。
ラインの翠の瞳が、ライアンを見極めようと言うようにジッと見つめている。
その瞳をまっすぐに見つめ返し、ライアンは、静かに頷いた。
息をするのも憚れるような重い空気がその場を支配する。
ふっとラインの肩から力が抜け、空気が緩んだ。
「良いだろう。この国にはミーシャが世話になった。その分は返してやろう」
「ライン伯父さん!」
嬉しそうに抱きついてくるミーシャを苦笑とともに抱きとめた。
記憶の中よりだいぶ大きくなったミーシャの顔をまじまじと眺める。
自分と同じ色彩だが、やはり妹の方に良く似ている。
胸に湧き上がる感情を押し込めるように、ラインはもう一度強くミーシャを抱きしめた。
力強い腕に包まれて、ミーシャは泣きたくなるような安堵を覚えていた。
母親の嫋やかな抱擁とはまるで違うのに、同じ空気を感じるのはやはり血の繋がりのせいだろうか。
ミーシャは、まるで子供のようにラインの胸にグリグリと額を押し付けた。
存在を確かめるようなその仕草に、ラインが笑いながら優しく頭を撫でる。
そんな2人の心温まる光景を、ライアンはなんとも言えない気持ちでみていた。
久しぶりに会えた肉親の情は分かるのだが、状況的に同じようにほのぼのとした心情に浸るのは難しい。
だが、だからと言って2人のやりとりに水を差すような野暮な真似もしずらかった。
なんとなく黙って退室することも出来ず、ライアンは、とりあえず目の前に置かれたカップを口元に運んだ。
丁度いい温度で入れられたお茶が優しく喉を潤してくれる。
明らかに手持ちぶたさな様子に気づいたラインが苦笑とともにミーシャから離れた。
そして、足元に置かれていた鞄をゴソゴソとあさりだす。
そうして、取り出した小さな包みを机の上においた。
「コレは、さっき言っていた薬だ」
ライアンの目が驚きに見開かれる。
「持っていたのか?」
「あくまでサンプルだ。約5人分しかない」
それは、残酷な宣言だった。
命を救う為の薬がそこにあった。
しかし、圧倒的に足りない量は、争いの種にしかならないだろう。
身内が「紅眼病」にかかっている人間は貴族だけをみても数多にいるのだ。
「あんたに預けよう。使い所は任せる。誰かに投与するもよし、研究者に預け、似たような成分を持つ他の薬草を探すもよし。だが、おそらく末期のものに使っても効果はないだろう」
それは、あまりにも重い言葉だった。
ライアンは無意識のうちに唇を噛み締めた。
脳裏を苦しむ妹の姿が過ぎる。
そして、他の数多の民の姿が。
どちらも、ライアンが護らなければならない、大切なものだった。
ズッシリと重く感じる小さな包みを手に取ると、ライアンは静かに立ち上がった。そうして、無言のまま扉へと向かう。
「…………確かに、預かった」
その背が廊下に消える瞬間聞こえた小さな声は、深い苦悩に満ちていた。
読んでくださり、ありがとうございました。
寄生虫の話をしながら食事をできるライン。
ある意味最強です(笑
きっと彼なら寄生虫博物館に行った後でも平気でパスタが食べれることでしょう。
蛇足的補足。
アークルは基本、観賞用の鳥として愛でられており食用になることはありません。見た目は美しいですが、独特の臭みがあり美味しくない為。
そして、川や湖では基本生食する民族が他にいなかった事と、渡り鳥のため1箇所に長期間止まることがなかったので、病が表面化することはありませんでした。
世間一般では、生肉を食べるのは「野蛮人」な風潮が主流。
王都では、湧き水の淡水湖であり、国の中心となったある意味神格化された湖だった為、その恵みをそのままに頂くという思想から、生食がなされていました。
誇りあった為、他から何を言われても平気で、むしろ、名物になっていたくらいです。
北の原住民は、他に食べるものがないときに偶にアークスを食べ、その際に火の通し方が甘かった場合罹患。滅多に起こらない為、奇病扱いになってました。




