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「紅眼病」が発生した。
祭りの日にもたらされた情報は、王城を震撼させた。
そんな中でも、かねてより用意されていた緊急時対応策に基づき、事態は素早く動いた。
王城より派遣された医師団と兵団により、報告のあった町の一角が封鎖される。
そして、明らかに発症しているものは、国の用意した治療院へと入院、隔離措置がとられた。
さらに、その家族も発症の危険がある為、自宅待機、もしくは治療院の別の区画へと入ってもらい観察措置となった。
それと並行して町の聞き込み及び巡回により、さらなる患者予備軍を発見。
また、町の中で呼びかけ、体調不良を起こしたものは速やかに申し出る事を宣伝してまわった。
下手に隠し立てすれば、病の手は広がってしまう。
家族の1人だけで済んだものが一家全滅になるおそれもある事を説いて回れば、患者本人が自ら足を運ぶ例も少なくはなかった。
尤も、治療院に入院しても病の原因も治療法も分かっていない以上、できる事は限られていた。
そもそも、感染経路も未だ定かでない為、隔離したからといって効果があるのかすら不明なのだ。
それでも、人に蔓延する病である以上、過去の例からみても隔離するのが1番だろう、とそんなあやふやな理由での現状であった。
そうして、治る見込みのないまま患者数だけが増えていき、ジワジワと死亡者も出はじめた。
まだ数日しか経っていないにもかかわらず、対応する医師や看護士にも暗い疲労感がのしかかる。
それは、肉体的というよりも苦しんでいる患者になすすべもない無力感からくる精神的なものが大きかった。
さらに、感染経路が不明な以上、気をつけていても明日は我が身になるかもしれないという恐怖は常につきまとうのだ。
精神的に落ち込むのはしょうがない事だろう。
めまぐるしく動く事態の中、ミーシャもただ指をくわえて見ていただけでは無かった。
過去の資料を読み漁り、自己の知識を探り、少しでも有益そうな薬草があれば、全て試す。
ユウ達にした約束を守るため、寝る間も惜しんで薬剤の精製と研究に明け暮れた。
だけど。
「吐血の色は鮮色だったから病巣の中心は肺にあるのは間違いないんです。実際に、聴診でも肺に異常があるのは確認出来てる。なのに、肺病に効くと言われている薬を試してみてもさしたる効果は見られない。なんで?何か、見落としてることがあるとしか………」
書き散らされた紙を前に、ミーシャは唇を噛んで俯いた。
あの日、血を吐いて倒れたユウの祖母は辛うじて命は保っているものの、意識は戻らない。
体を走る赤い筋状の痕もじわじわと増え、今では全身へと至っていた。
吐血や発熱が抑えられているのは解熱剤や抗炎症作用のある薬草の働きのおかげではあるが、それも根本の原因がわからない以上、時間稼ぎでしかない。
観察のため隔離されていたユウやテトは発病の予兆が見られなかったため、3日後には無事解放されていた。
しかし、アナに続き祖父も感染症状がではじめ、いま、家族は別々に暮らしている。
ごく短い時間、父母だけは面会を許されていたが、ユウはまだ子供ということもあり、危険から遠ざける意味もあって、面会禁止となっていた。
その状況にミーシャはさらに首をかしげることとなる。
「同じ家屋で生活していても発病する人間としない人間がいるのはなんで?特にユウ君とアナちゃんはほとんど同じ行動をしていたはずなのに」
普通の感染症であれば、接触の時間が長ければ長いほど発病のリスクは高まるはずである。
過去につちかった知識からあまりにかけ離れた状況に、ミーシャは困惑した。
いつもなら、患者を診れば不思議なくらいスラスラと自分のなすべきことが頭に浮かんできた。
だが、今は何をすればいいのか、どうすれば正解なのか全くわからない。
「…………母さん」
ポツリとこぼれ落ちた声は、ひどく弱々しい響きを持っていた。
しかし、その声をすくい上げ抱きしめてくれるはずの腕はもうどこにもないのだ。
唇を噛み締め、ミーシャは大きく首を振ると、手元のノートへと目を落とした。
そこには、母に教わった様々な知識が覚書としてしたためられていた。
それだけが、自分の味方であるかの様に、ミーシャは何度も何度も繰り返し目を通す。
そんな日々の中、状況はさらに悪い方へと向かっていった。
ラライアが、発熱したのだ。
元々、基礎体力のない弱い体だ。
軽い発熱でも、ベッドから起き上がることができなくなるのは直ぐだった。
顔を赤くしてグッタリと寝具に身を沈め、苦しげに咳をするラライアに、ミーシャは、訳が分からず呆然と立ち尽くした。
虚弱体質故に直ぐに体調を崩すラライアは、触れ合う人間もかなり限定されていた。
王宮の奥深く。
本人の気質もあり、引きこもる様にして昔からの馴染みの侍女に囲まれて暮らしていた。
「紅眼病」が発見以後はさらに厳重に護られていた為、感染する確率など、砂の粒ほどもない筈だった。
それなのに………。
ラライアの発症を受け、王宮内に出入りする貴族達からミーシャを糾弾する声が上がったのは、ある意味必然だった。
突然現れ、王族の近くに侍ることを許されたミーシャを妬む者は、多い。
これまでは、『森の民』というブランドと、ラライアの体調の改善により抑えられていた不満は瞬く間に噴出した。
「お前が、街より悪いものをラライア様へと運んだんだろう」
「いや、それどころか、この度の病もお前が広げたものではないのか?」
王宮内を移動の最中、ミーシャは、突然現れた貴族らしき男達に囲まれるといっせいに罵られた。
一緒にいた侍女達が必死に護ろうとしてくれるものの、興奮した様子の男達は止まらない。
実は城下町で「紅眼病」が発生したのとほぼ時を同じくして、貴族の中にも発病する者が出ていたのだ。
城下町と貴族街。
あまりに違う環境の中、しかし、病は同時多発的に発生した。
ただ、家族に発病者が出た貴族は、屋敷の一室へと密かに匿い隠していたため、表に出なかっただけのことで、既に数人の死者も出ていた。
いや。全体が把握できていないだけで、もっと多いかもしれないのだ。
明日は我が身の恐怖は深く静かに貴族たちすらも蝕んでいた。
その恐怖を前に高潔でいられる人間などほんの一握りでしかない。
何しろ、彼らには経験があった。
全身から血を吹き出し、苦しんで、死に至るその過程を、見て、聞いて、知っていたのだ。
そして、やり場のない恐怖は、ていのいい生贄を見つけてしまった。
突然現れた、不思議な医術を知るという少女。
幻の一族の娘。
かの一族の怒りを買い、滅ぼされた国すらあるという。
ならば、この「紅眼病」も実は一族の秘術により産み出されたものなのではないか。
そうだ。そうに違いない。
根拠のない言い掛かりと共に伸ばされた手が、乱暴にミーシャを突き飛ばした。
大人の力に、華奢なミーシャが耐えられるはずもなく、受け止め庇おうとしてくれたイザベラと共に倒れ込んでしまう。
「おやめ下さい。ミーシャ様は隣国からの大切なお客様です」
倒れ込んだままの姿勢でもミーシャの前で手を広げ、必死に護ろうとしているイザベラの陰で、ミーシャは、目を見開き固まっていた。
自分たちを囲み、憎憎しげな瞳で非難の声を浴びせてくる大人達。
まっすぐに投げかけられる憎悪は経験したことのないもので、驚きと恐怖に言葉が出ない。
なによりも、ラライアの発病は自分のせいなのではないかという負い目が、ミーシャから言葉を奪っていた。
絶対に守らなければいけないはずの患者を、自分の不注意で感染させたかもしれない。
誰に言われるでもなく、最初に浮かんだ可能性は、ミーシャを打ちのめしていた。
感染源も感染経路も未知のものだとしっていたのに。
きちんと予防対策をしているから、大丈夫なはずだと根拠もなく安心していた愚かさに、ミーシャは、翠の瞳を涙で曇らせた。
不穏な空気を察知して直ぐに助けを呼ぶために走り出していたティアが、キノを呼んできた時には、ミーシャは、立ち上がることもできないほど打ちのめされていた。
「私のせいで………ラライア様は苦しんでいるの?」
「危険だから」と部屋から出ることを禁じられたミーシャは、ホロホロと涙をこぼした。
眼裏に浮かぶのは、苦しそうに咳をするラライアやアナの顔。そして、血を吐いて意識をなくした老婆。
青白い顔で座り込んだソファーから動くこともできずにいるミーシャを、ティアが心配そうに見つめていた。
テーブルの上では、気づいてももらえない紅茶がゆっくりと冷めていっていく。
その時。
ノックの音もなく、唐突に部屋の扉が開いた。
ビクリと身を竦ませたミーシャの視界に、馴染みのある白金と翠の色が飛び込んでくる。
「随分と情けない顔をしているな、ミーシャ」
皮肉げな笑みを口元にうかべ、1人の男がそこに立っていた。
「苦しんでいるの患者がいるってぇのにべそべそ泣いてる様な根性無しに、俺は育てた覚えは無いんだがな?」
ツカツカと大きな歩幅で歩み寄ってくる男を、ミーシャは呆然と見つめた。
会いたくてたまらなかった人が、そこに居た。
「ラインおじさん。なんで………ここに?」
「あ?来るって言ってただろ?」
呆然としたままミーシャの口からこぼれた言葉に、ラインは怪訝そうに眉を寄せた。
まるで、昨日の夕食の話をしているかの様な軽さに、ミーシャの肩が落ちる。
「だって、ここ王城内なのよ?どうやって入れてもらったの?」
「俺が行きたいと思っていけない場所なんて無いんだよ。そんな事より、何やってんだ、お前は」
ある意味とんでも無いことをサラリと返すと、ラインは冷たい瞳を再びミーシャへと向けた。
「…………何って」
ラインが何を言いたいのかが読み取れず、ミーシャは口ごもった。
それに、大きなため息が落とされる。
「城下では厄介なモンが暴れてるってのに、なんでお前はココで閉じこもってんだ?」
まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるかの様な口調のラインに、ミーシャはキュッと唇を噛んだ。
「ずっと、閉じこもってたわけじゃないわ!ちゃんと頑張ってたもの。頑張って………でも………」
「頑張っただのなんだの御託はいらねぇ。患者死なせちゃ意味ないんだよ、そんな頑張りはなぁ」
ザックリと切り捨てられ、ミーシャは返す言葉を失い、呆然とラインを見つめた。
そんなミーシャを見つめるラインの瞳はあくまで冷たく澄んでいて、そこにどんな感情も見つけることはできなかった。
「本当に、やれる事は全部やったのか?部屋にこもって知識ひっくり返すだけじゃなく、相手に向き合ったか?顔色は?身体状況は?病の進行とともにある変化をしっかりと見届けたのか?死んだ人間がいたのなら、なんで中まで見せてもらわなかった」
淡々と、ラインの言葉が静かな部屋に響く。
ミーシャの顔色がどんどん悪くなっていった。
「解剖学も叩き込んでやっただろ?人はしたことがなかったからできない、なんて言い訳はするなよ?
何のために、森で狩った命をいくつも無駄にしたんだ」
「……だって。だって、みんな悲しんでたのに、家族の体を切り刻むなんて。解剖させてくださいなんてなんて、言えない」
涙を零し、首を振るミーシャの頬がパシッとなった。
ラインが、殴ったのだ。
痛みよりも、殴られたショックでミーシャは固まった。
部屋を静寂が支配する。
「その程度の考えなら、お前は今すぐ薬師を名乗るのをやめろ。お前に命を扱う資格なんざ無い」
頬を抑え自分を見上げるミーシャに、ラインは、静かな声で囁いた。
「いいか、ミーシャ。確かに、今の世の中の風潮じゃ、人を解剖するのは禁忌感が付きまとう行為だ。だがな、そうしなければ分からないこともたくさんある。俺はあの時、そう、お前に教えたよな?」
幼い頃ミーシャは、森を訪ねてきたラインから、捕まえた動物たちを実験台に様々なことを教わった。
生き絶えた獣の体を前に、最初に手を合わせ、最後にも感謝を告げていた背中を覚えている。
森の獣をとって食べる事が普通のことであったミーシャは、なぜ、そんな事をするのかと不思議に思いラインに尋ねた。
「食べられる事で俺たちの命を繋ぐだけでなく、その前に更に知識の糧になってくれた存在に、きちんと感謝をするんだ。そうして、次の命を救うんだよ」
静かな瞳で語ったラインの言葉を思い出し、ミーシャは、何も言えずに俯く。
「少なくとも、今回の件は、お前が勇気を出してそうしていれば、原因がすぐに分かったはずなんだ」
しかし、うつむいたミーシャは、ラインの言葉ですぐにその顔を上げた。
「紅眼病の原因、分かってるの?!」
さっきまで、立ち直れないのでは無いかと思うほど、落ち込んでいたミーシャの目に強い光が宿る。
その目を見て、ラインは肩をすくめると、アッサリと頷いた。
「この病の原因は、特殊な寄生虫の一種だ」
読んでくださり、ありがとうございました。
ライン様登場です。
彼が出てくるとサクサク筆が進む、ありがたい人物です。
ミーシャの挫折。
もっと念入りにバキバキにやろうかとも思ったのですが、まぁ、比較的アッサリとして見ました。
次回は紅眼病の発生原因、および解決編。の、予定です。




