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いつもより少し短いですが、キリが良かったので投稿します。
訪ねて行った下町は、何だか妙に静まりかえっていた。
前に来た時は家々の門扉や路地に人影があり、和やかに談笑していたし、子供達が無邪気に走り回っていた。
「何だか静かね」
「今日は祭りだから、掻き入れ時なんだ。大人はほとんど臨時の出店を出してるし、子供も大きな子達は手伝ってる。ウチも果実とジュース売ってるんだ」
首をかしげるミーシャにユウが説明してくれた。
「ウチは爺ちゃんの知り合いから取り寄せた外国の雑貨を売ってるよ。珍しい物もあるから、後で行ってみたらいいよ」
まだ少し赤い目元を綻ばせてテトも言葉を重ねる。
歩いているうちに落ち着いたらしいユウとテトは、年頃の少年らしく人前で泣いてしまった恥ずかしさを、どうにか無かったことにしようと必死だった。
そんな2人の様子に少し和みながら、ミーシャはじっと耳を澄ました。
人の気配を探れば、薄い壁越しに微かに咳が聴こえている。
表に出ないだけで、病人は一定数居るのだろう。
「お婆ちゃんとアナは誰がついてるの?」
「爺ちゃんがみてる。って言っても、婆ちゃんはベッドから動かないしアナも部屋から出ない様に言い含められてるから、そんなに大変でもないんだ」
「俺たちは出店の手伝いしてたんだけど、祭り楽しみにしてたアナのために持って行ってやろうと思って」
そう言って少年たちは手に持っていた花の首飾りや色とりどりの飴を見せてくれる。
「…………そう。じゃあ、本当に町の人たちは出払ってて静かなのね」
貧しい地区の人々にとって観光客の増える祭りの期間は臨時収入を増やす大切な機会なのだろう。
「そういえば、テトくんのお家は、大丈夫なの?」
ユウの家とは隣同士で付き合いも多い様なのに、病人は出ていないのか、ふと気になって尋ねると、テトは首を横に振った。
「ウチはみんな元気だよ。だけど、あんまり病人には近づくなって言われてる。だから、最近はばあちゃんの離れにもあまり入れて貰えないんだ」
ションボリと肩を落とすテトの背中を慰める様にユウが叩く。
「俺だって同じだよ。最近なかなか婆ちゃんに会わせて貰えないし。アナが具合悪くしてからはテトの家にしょっちゅう行かされてるし」
慰め合う少年に、ミーシャの眉が顰められる。
明らかに病人を隔離して健康な者を近づけようとしていないその様子は、ただの風邪に対する警戒の仕方では無かった。
そうしてさりげなく状況を聞き出しながらユウの家についた時、離れの方から悲鳴の様な声が聞こえ、ミーシャはとっさに家の中へと走り込んだ。
そして。
「ダメ!とまって!!」
いち早く駆けつけ、開け放たれた離れの扉の中を覗き込んだミーシャは、両手を広げて後続の人間が来ることを拒んだ。
一間しかない離れは扉のところから全てが一望出来た。
カーテンを閉められた薄暗い部屋の中はムッとした熱気が立ち込め、そこに病人特有の匂いと鉄臭い独特の香りが漂っていた。
「メリー!しっかりしろ!メリー!!」
正面のベッドの上、乗り上げる様に祖父がグッタリとした祖母を覗き込み、必死に名前を呼んで居る様子が見える。
明らかにただ事ではない様子に一同の足が凍りついた。
その中で、ミーシャだけは冷静に頭に巻いていたバンダナを取ると目元だけを残して顔を覆い、自分の手に傷がないかを慎重に調べた。
それから、半透明のクリームを取り出し、しっかりと手や腕などむき出しのところに塗りつけた。
「ジオルドさん、私が許可を出すまで、誰も中に入れないで」
しっかりとジオルドの瞳を見つめてそう一言残すと、ミーシャはツカツカと冷静な足取りでベッドへと歩み寄った。
「どいて下さい。診察します」
取り乱している老人の肩を軽く叩き離れる様に促す。
顔を上げた老人はそこに見覚えのある少女を見つけ、その奇妙な姿に固まった。
目元だけを残して頭にグルグルと布を巻きつけている。
驚きに反論しようとして、翠の瞳に覗きこまれ、言葉を飲み込んだ。
澄んだ湖面の様な美しい翠の瞳は、何の感情もうつさず、ひどく静かだった。
気がつけば、その瞳に飲み込まれてしまったかの様に何も考えられず、老人は、少女の望むままに後ろにずれて場所を開けていた。
ミーシャは、そんな老人の様子に頓着する事なく、ベッドの上に横たわる老女の様子を観察した。
苦しんだのだろう。
寝具が乱れ、横向きに体を丸める様にして服も胸元がかきむしられた様になっている。
そして、真っ白なシーツを汚す鮮血。今、吐き出されたばかりのそれは鮮やかな赤い色をしていた。
きつく閉じられた瞳に、意識はない様だが、微かにヒューヒューという音がしているところを見るとまだ息はある様だ。
そこまで観察したミーシャはベッド脇にあった洗面器の中のタオルを絞り、老女の鮮血に濡れた顔をそっと拭いた。
それから、タオルを指に巻きつけ、口の中へ突っ込み口腔内に物が詰まっていないかを確認する。
その時、血液とは別の不思議な香りがふっと鼻につき、ミーシャは首を傾げた。
少し酸味のある様な独特の香り。
口腔内は、栄養が取れていなかったせいか荒れていて喉は真っ赤に炎症を起こしていた。
「メリーさん、聞こえますか?メリーさん?」
ミーシャは、耳元で呼びかけて反応がないのを確認してから、瞼をめくった。そして見つけた異常に息を飲む。白目がまるで血で染まったかの様に………。
「…………紅い」
「ヒィッ!」
ミーシャのつぶやきに、傍に立ち尽くしていた老人が引きつった様な悲鳴とともに後ずさった。
ミーシャはそれを気にすることなく素早く老女の衣服を捲ると、皮膚の柔らかな肘の内側や腹部を確認した。そこにまるでミミズの這った様な紅い跡を見つけ、眉をしかめる。
鮮やかな赤い吐血。白目の充血。そして、皮膚に走るミミズの這った様な紅い跡。
それは、かつて王都を壊滅寸前まで追い込んだ奇病の特徴だった。
興味本位で読ませて貰った当時の記録が脳裏をよぎる。
初期症状は風邪によく似ている。
進行するにつれ咳、高熱へと移行し、やがて全身から血を吹き出し、死に至る。
感染経路は不明。発症原因も不明。
原因が解明されていないため、解熱剤や炎症を抑える薬の投与し隔離するしかなかった、と、あった。
結局、原因は分からぬままゆっくりと終息したが、王都民の約1/3が道連れとなった。その中には当時の国王や王妃なども入っている。
「ジオルドさん。すぐに王立診療所に連絡を。紅眼病が出ました。状況から判断するにここら辺一帯で蔓延している可能性があります。すぐに封鎖の処置を」
ミーシャの言葉に扉のところから心配そうに覗き込んでいた人々から悲鳴が上がった。
いつの間にか、近所の人たちが野次馬として集まっていたのだ。
王都に住む人々にとって「紅眼」の言葉は死と同じ意味を持っていた。
ようやく薄れ始めていた恐怖の記憶がまざまざと脳裏に蘇った者も多い。
「嬢ちゃん!まさか、そんな……嘘だろう?」
年配の男が震える声でミーシャへ向かって問いかけた。
男の家にも体調を悪くしている人間が寝ていたのだ。
「…………私も、実物を目にしたことはありませんから、正式な判断は診療所の先生が下すと思います。けれど、症状を見る限り間違い無いかと」
ひたりと男と目を合わせ、ミーシャはなるべく静かな声で告げた。
集まった人々の中から騒めきが上がる。
その色は絶望に彩られていた。
「ここにいる方々も、申し訳ないですが自宅に待機して下さい。追って通達があると思います。
もし、ご家族の方で体調が悪い人がいらっしゃるなら、接触する場合は私の様に口と鼻を何かで覆ってください。
血液や排泄物には出来るだけ素手で触れない様に。特に、手に傷のある方は気をつけてください」
ミーシャの言葉に皆が顔を見合わせる。
動こうとしない民衆の中、ジオルドが前に進み出た。
「皆、不安も戸惑いも強いと思うが、こちらの指示に従ってくれ。この件は、こちらで預かる」
厳しい表情で宣言する男の迫力に押される様に、人々がノロノロと動き出す。
さりげなくジオルドの手が腰の剣に置かれていることも功を成したのだろう。
それに、明らかに瀕死の老婆の近くから少しでも離れたいという心理もあった。
彼女は「紅眼」と言われたが、自分たちはまだそうではない。
だが、ここにいる事で何らかの病の原因を拾ってしまうかもしれないという恐怖もあった。
「ああ、あえて家族を呼び戻さなくてもいい。家で、大人しくしていてくれ」
その背中に、ジオルドがさりげなく声をかける。
「紅眼」が発症確認されたという話が、今、町に広がって仕舞えば、パニックは免れないだろう。
王都は今、祭りのために近隣からも多く人が集まっているのだ。
ミーシャは、恐怖にひきつる老人に促して新しいシーツと寝間着を出させると手早く取り替えた。
意識の無い老女はか細いながらもまだ息をしていた。
再びの吐血や嘔吐に備えて体を横向きに寝かせると、ミーシャはようやく息をついて扉の方へと向かった。
「…………お姉ちゃん」
泣きそうな顔でユウとテトはミーシャを見上げた。
それに小さく頷いてから、ミーシャは庭の水場で手を洗い、頭に巻いていた布を取った。
「シーツと服は勿体無いけど今回はあのまま捨てて」
フラフラと後を追って出てきた老人にも促して手を洗いうがいをさせながら、ミーシャはユウたちに指示を出した。
「お婆ちゃん、死んじゃうの?」
まるで誰かに聞かれたらそれが本当のことになってしまうかの様に、恐々とユウが小さな声で聞いた。
ミーシャは少し迷った後、膝をついてユウと目を合わせ、ゆっくりと首を横に振った。
「ごめんなさい。私には分からないわ。お婆ちゃんのかかった病気はまだよくわかっていないものなの。だから、退治する薬がわからない」
「そんなっ!」
ユウの悲痛な声が響く。
「助けてくれるって言ったじゃん!」
ミーシャの顔が辛そうに歪む。
「そうね。だから、今から調べて見る。どうすれば良くなるのか。だから、ユウもお婆ちゃんが病気に負けない様についていてあげて」
肩に両手をのせ、しっかりと瞳を見つめる。
無言で見つめ合う事、しばし。
泣きそうな目のまま、ユウがコクリと頷いた。
「いい子ね」
その頭をそっと撫でた後、ミーシャは立ち上がるとまだ少し呆然としている老人にいくつかの注意点を伝える。足元で、老人以上に真剣な瞳で聞いている少年たちに少し微笑みかけると、ミーシャは待っていたジオルドの元へと足早に近づいた。
「先に行って下さって良かったのに」
「…………1人には出来ない」
病の情報に動揺した住人が理不尽にミーシャに詰め寄らないとも限らない。
そんなところに戦う術のない少女を1人置いて行けるはずもないとジオルドは首を横に振った。
「じゃぁ、急いで行きましょう」
それに軽く肩をすくめると、ミーシャはやや足早ではあるが落ち着いた足取りで歩き出した。
一刻を争うとばかりに駆け出すことを予想していたジオルドは、後に続きながらも意外なものを見たとばかりにわずかに目を見張る。
「ここで走り出したら余計不安を煽りますから。あの角を曲がったら」
ミーシャが前を見据えたままで、小さな声でつぶやいた。
その手がもどかしげに握り締められていることに気づき、ジオルドも表情を引き締める。
「ここからなら憲兵隊の待機所の方が近い。そこから伝令を走らせよう」
「…………じゃあ、そこまで案内をお願いします」
2人は予定の角を曲がった瞬間、弾かれた様に走り出した。
読んでくださり、ありがとうございました。
ミーシャvs紅眼病の闘いが始まります。




