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お久しぶりでございます。
ようやく再開です。
「じゃ、俺はちょいと他に用事もあるんでここからは別行動な」
シャイディーンは、自分の前にあったパンに野菜と肉を挟んであげたものの包みを手に取ると、ひょいっと足取り軽く立ち上がった。
「え?一緒に回らないんですか?」
突然の行動にミーシャが驚いたように声をあげる。
「おう。用事はすんだしな。これ以上は野暮ってもんだろう」
ふざけた調子で片目を閉じて見せる様子は、意外なことに様になっていた。
「それに嬢ちゃんに渡りをつけて貰うんなら、俺もこの国に居なくちゃだし、家やら仕事やらさっさと見つけないと。今なら、町中浮かれて気が大きくなってる奴らも多いだろうから狙い目なんだよ。ま、そいつが国に帰っちまう前に一度は連絡するから」
軽く片手を上げると、大きな背中はあっという間に雑踏に紛れて消えていく。
あまりの素早さに引き留める間もなくミーシャは、ポカンとその背中を見送るしかなかった。
「まあ、俺たちが国に引き上げるまでは同じ宿にいると思うし、心配はいりませんよ」
シャイディーンの行動に慣れているカイトは、特に気にする様子もなく食事をとっていた。
その様子に、ミーシャもいつもの事なのだろうと気を取り直し、少し冷めてしまったスープに視線を戻す。
ゴロゴロと転がっている根菜の一つを口に運べば、よく煮込まれていたそれはほろりと口の中で崩れた。
「カイトは、行きたいところはある?」
「・・・・・・そう、ですね。とりあえず大聖堂には行ってみたいです。あと、母たちに土産を頼まれているので、それを探すのに付き合って貰えたらありがたいですね」
白身魚を揚げたものにかじりつきながら答えるカイトに、ミーシャは、女性の喜びそうなものを置いている店をいくつか思い浮かべながら、これからの予定を組み立てていった。
「じゃあ、とりあえず大聖堂に向かおう。この人出だとすごく混雑してそうだから、礼拝の順番が来るまですごく時間かかりそうだし」
「あれ?順番飛ばせる裏技とかないのか?」
食事を終えて立ち上がるミーシャにカイトがニヤリと笑って見せた。
「神様の家でそんなズルは出来ません!」
ツンっとソッポを向いて答えたミーシャに、カイトががっかりと言わんばかりに肩を落として見せる。
しばしの沈黙の後、二人は耐えきれないというようにくすくすと笑いだした。
「しょうがない。敬虔な信者らしく人込みを乗り越える試練に耐えるとするか」
「それがいいと思うわ。行こ」
くすくすと笑いあいながら、二人は人込みの中を目的地に向かって歩き出した。
目指す大聖堂は、王都が作られた時からこの都市にある歴史ある建物であり、この国の国教の本拠地でもあった。
ゆえに信者であるならばもちろん、そうでない者も王都観光の目玉の一つとして、誰もが一度は訪れようとする場所である。
つまり夏の始まりを祝う「花月祭」を楽しもうと王都に人が集まるこの時期には信じられない程の人が溢れるため、地元の人間は商売でもしようと考えない限り、決して近寄ろうとはしない場所であった。
そうとは知らないにわか住民のミーシャは、見事に人波にもまれ、一人流されていきそうになるところを、カイトに腕をつかまれ引き寄せられた事で危うく難を逃れた。
「予想をしていたとはいえ、本当にすごい人だな」
大通りから曲がった大聖堂へと向かう一本道は、どこから集まって来たのかと思う程の人で埋め尽くされていた。
中に入り込んでしまえば、その流れから抜け出すのは容易ではなく、ただ流されるままに前に進むしかすべはない。
カイトの腕に抱え込まれるようにして守られながら歩くミーシャは、あまりの人の多さに目を回していて、周りを見渡すどころか、自分のまるで抱きしめられているような現状にすら気を回す余裕もなかった。
分かることはただ一つ自分をしっかりと繋ぎとめてくれっているこの腕から離れたら、行きつく先は予測不可能。つまり、立派な迷子の出来上がりだという事だけだ。
さすがに、この年になって迷子は御免こうむりたい。
軽いパニックになっているミーシャは気づいていなかったが、例えここでカイトとはぐれたところで、王城までの道のりは分かっているのだから迷子にはならないし、カイトだってまた然りである。
一方、カイトは、仕方がないこととはいえ、体に腕を回しぴったりと抱き寄せても嫌がるそぶりどころかしっかりと張り付いてくるミーシャの様子に、首を傾げた。
しかし、強張ったミーシャの表情からなんとなくその心情をくみ取り、こみ上げてくる笑いをどうにかこらえる。
そうして、人の流れに身を任せて歩きながら周囲の気配を探った。
良い具合に人混みに揉まれ、ミーシャにこっそりとつけられていた護衛は程よく引き離されていた。
あの位置からなら、こちらの姿は見えても声は聞こえないし、小柄なミーシャは人並みに埋もれている上に自分が抱え込んでいるから、口元はおろか頭のてっぺんくらいしか見えないはずだ。
さらにこの人混みの中なら、会話のために顔を近づけても不自然には見えないだろうし、そうすると身長差で下を向くことになるから、自分の口元も隠される。
例え、読唇術の心得があるものがいたとしても、バレることなく話ができる今の状況は、正しくカイトが狙っていた状態だった。
「ミーシャ、そのまま聞いてくれ」
腕の中に抱え込んだミーシャの耳に唇を寄せ、カイトはひっそりと囁いた。
吐息が耳にかかりくすぐったかったのか、ミーシャの体が微かにピクリと跳ねる。
「公爵様より伝言だ。ラインが近く訪ねて来るから待つように、と」
「おじさんが?!」
耳元で囁かれてすらようやく拾えるほどの声音でもたらされた伝言に、ミーシャは息を飲んだ。
それは、あまりに予想外な方向からの伝言だったからだ。
伯父の情報が来るならば、ミランダからだとすっかり思い込んでいた。
伯父を見つけるために、ミランダは現在ミーシャの側を離れて駆けずり回っているのだから。
ミーシャは、思わず後ろを振り向き、耳に唇を寄せていたカイトは、慌てて頭を後ろに引いた。
危うくぶつかるところだった。
一方ミーシャも、振り向いた先に、予想外に近くカイトの顔があり、驚きに息を飲んだ。
「ごめんなさい!………じゃ無くって」
反射的に謝りかけ、気を取り直す。
今は、動揺しているよりも、少しでも多く、伯父の情報が欲しいミーシャだった。
「伯父さん、父さんの所に来たの?私のところにも来るの?なんで?」
クルリと体ごと振り返ろうとして、強い腕がその動きを止めた。
ゆっくりとだが動き続ける流れに逆らわないように、前へと誘導される。
「少し、落ち着け。ミーシャの家族の話、あまり大っぴらに広げない方が良いんだろう?護衛の耳に入れたくない。静かに」
少し困ったように眉根を寄せるカイトにミーシャは小さく息を飲んだ。
今日はカイトと一緒にいるから大丈夫と護衛の騎士は断っていた。
待ち合わせの場所で別れたきりだと思っていたのに、実はずっと護られていたというのか。
「悪用されるとは思わないが、用心にこしたことはない。だから、落ち着いて、前を向いてろ。ミーシャの身長なら、人混みに埋もれて護衛からは頭の先しか見えないはずだから」
カイトの囁きに、ミーシャはこんな場所で話を切り出したカイトの意図をようやく悟った。
王城内ではどこに耳目があるかわからない。
そもそも、いつでも侍女が控えていたし、今回のお出かけだって、本当は2人きりになるのをかなり反対された。
理由が「年頃の男女が2人きりなどはしたない噂が流れてしまいます」だった為、ミーシャが笑い飛ばしてしまったのだが。
そんな中で伯父の……、新たな『森の民』の話などしたらあっという間に王の耳に入る事だろう。
それが良いことか、悪いことなのかは、伯父が判断する事で、ミーシャが勝手をして良い事とは思えなかった。
分からないなりに、ミーシャも『森の民』が自分たちの存在を公にしたがっていないことに気づいていたのだ。
「伯父さん、いつ来るの?」
ミーシャはカイトの言葉に従うと前を向いたまま小さな声でつぶやいた。
「分からない。だが、公爵様に『鳥』を使って連絡して来たそうだから、多分、ミーシャにもそうするだろう。俺たちが旅立って4日後に現れたそうだから、その後に直ぐ動いたとしたら、それくらいの遅れで着くとは思う」
同じ程の声音で返事が返って来る。
周囲の喧騒に紛れそうな囁き声だが、ピッタリとくっついた状態のおかげか不思議なほどよく聞き取れた。
「カイン、一緒にいるんだ……」
故郷の森で別れたままになってしまっていた大切な友人の存在に、ふっとミーシャの顔が柔らかく綻ぶ。
卵から育てたカインはミーシャにとって弟のような存在だった。
「……わかった。カインが気付きやすいように私の居場所がわかるようなものを窓にでも出しておく。伝言を伝えてくれてありがとう、カイト」
王都観光の定番でもある大聖堂をカイトがあげたときに「カイトらしくないな」とかすかに感じた違和感が払拭され、ミーシャはくすくすと笑い出した。
張り付いている護衛の目をごまかすためにこの人混みに紛れようと考え付いたのだろう。
突然笑い出したミーシャに、カイトが不思議そうに首を傾げる。
「カイトが大聖堂を見たいって変だと思ったのよ。コレを狙ってたんでしょう?」
「……まぁ、まさかここまで酷い人混みとは思ってなかったけどな。祭りの時期を甘く見てた」
四方八方から押される衝撃からミーシャを守りながら、カイトは肩を落としため息をついた。
「まぁ、今更抜けられそうもないし、諦めて最後まで観光する。話の種にはなるだろう」
「歴代の奉納された彫刻は本当に綺麗よ?………ゆっくり見れるかは分からないけど」
少し投げやりなカイトの声になおも笑いながら、ミーシャは顔を上げて改めてカイトの顔を見上げる。
「ココから出たら、お礼に飲み物を奢ってあげるね。美味しい果汁の屋台があるの」
「……楽しみにしとくよ」
ようやく主人から承った用事の全てを終えたカイトは、屈託無いミーシャの笑顔に苦笑を返した。
自分に与えられた小さな小屋の寝室にしている部屋の窓の外に小さなドライフラワーの花束を吊るした。
虫除けも兼ねているそれは、さほど不自然に思われることもないだろう。
例え花束の中に乾燥した果実の実がついたままの枝が混ざっていたとしても…………。
それはカインの好物であり、森でミーシャがおやつ代わりに食べさせていた物だった。
きっと賢いカインなら眼ざとく見つけてくれるだろう。
窓から入って来る風はまだ少し生温く、昼間の暑さを物語っていた。
幸い、今日は雨が降らなかったけれど、その代わりのようにこの時期にしては日差しがきつかった。
結果、冷たい果実水がより美味しく感じられたから、悪いことばかりでもないのだろう、とミーシャは微笑んだ。
入場制限がかかっていた大聖堂内は、おかげで予想よりもジックリと楽しむことができた。
芸術方面には疎いのだと少し恥ずかしそうにしていたカイトも、廻廊に飾られた彫刻の数々に目を輝かせていたし、2度目のミーシャも目新しさはない代わりに前回は気付けなかった細部を楽しむことが出来、とても楽しかった。
その後のお土産選びも、人気のものを適当に選ぼうとするカイトを「渡す人に合わせないと!」と説得し、幾つもの店を梯子してとても楽しかった。
ふと思いついて髪に手を伸ばす。
昼間は編み込まれて帽子の中に収められていた髪も、今は自然のままに解かれ夜風にサラサラと揺れていた。
その一部を淡い桃色の花飾りのついた髪留めが飾っている。
「今日のお礼に」と別れ際にカイトが渡してくれたものだ。
部屋に戻って紙包みを開いたミーシャは、それが、何軒目かの店で「可愛いな」と目を留めていたものだと気づいて驚いた。
いつの間に購入したのだろう。
柔らかな布を花びらに見立て幾重にも重ねた飾りは、ミーシャの優しげな雰囲気によく似合っていた。
嬉しくて、誰に見せる訳でもないのにいそいそと髪に止めてしまった自分の行動を思い出し、ミーシャは1人くすくすと笑った。
胸の奥がどこかくすぐったい気がして、だけど、それは少しも嫌な感じではなかった。
夜風に運ばれて窓辺に吊るした花束から爽やかな香りが届く。
「お礼にポプリでも送ってみようかな?」
野外の行動が多いから虫除けも兼ねているものを送れば喜んでくれないだろうか?
「………それよりも痛み止めとかの薬の方が喜ばれるか………。でも、可愛くないし………」
ブツブツ呟きながらも見上げた夜空は綺麗な月がかかっていた。
読んでくださり、ありがとうございました。




