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再びちょいグロ注意です。

 ミーシャは、ようやく解放された緊張からくる疲れにグッタリとソファーへと倒れ伏した。

 辛うじて湯あみをし、血と膿などで汚れた服からは解放されていたけれど、濡れた髪まで乾かす余裕など無かった。

 処置中の冷静さの反動なのか、頭の中が飽和状態で何も考えられない。


(母さん、凄すぎ)

 経験の差と言われればそれまでなのだが、一緒に湯を使った母親は、サッサと父親の様子を見に行ってしまった。

(もうちょっと、だけ……)

 ミーシャは、重い身体から力を抜いて目を閉じた。

 しかし、疲れている体とは反対に高ぶった神経はミーシャを解放してはくれず、脳裏には先程までの光景がフラッシュバックして来る。


 体温ほどに冷めた薬湯を傷に注ぎ、表面の汚れを落としたまでは良かった。

 母親が、銀でできた平べったいスプーンのような物で、傷口に溜まる膿や血の塊、塗られた傷薬などをかき出し始めた時、意識の無い筈の父親がまるで獣のような呻き声を上げ、暴れ出そうとしたのだ。

 しっかりと手足を縛られていたため、大した抵抗はできないだろうと思っていたのだが、身体をよじるように暴れられれば、傷を触るには困難を極めた。


 傷の位置の関係から、胴体まで縛り付けるわけには行かず、男達に動かないように押さえてもらうしか無かったのだか、死にかけた体のどこにそんな力が残っていたのかと思うほど、意識の無い体はあがき続けた。

 怯む男達を叱咤し、最後には暴れようとする体に乗り上げるようにして傷を抉る母親の姿は、鬼気迫るものがあった。

 小刀を使い、腐敗した肉も取り去り、赤い血がにじむまでそれは続いた。


 そうして、赤い肉を露出した傷口にたっぷりと用意した傷薬を詰め込み、清潔な布でぐるぐる巻きにした頃には、優に1時間以上の時間が過ぎていたのだった。

 あまりの凄惨な光景に、最後には残っていた貴族の半数以上が退出していた。

 嘔吐したものがいなかっただけでも、良かったと言わざるをえないだろう。


 湯浴みの場に案内してくれた、例の年かさのメイドの顔色も悪かったから、扉の外で騒ぎだけでも耳にしたのかもしれない。

 かなり乱暴な処置だったが、父親はどうにか耐え切ってくれた。

 青白い顔は変わらないし意識も戻ってはいないが、少なくとも心の臓は動き続けている。

 とりあえず、1つの山は越えたのだ。

 今後の傷口の様子によっては、また同じ処置をしなければならないという事は、この際目をつぶって気づかなかった事にする。


 ミーシャは、そこまで考えて気絶するように、つかの間の眠りに落ちたのだった。





「………ミーシャ、起きて」

 優しい母の声に、ミーシャは意識を浮上させた。

 ぼんやりと目を開ければ、いくらか顔色は悪いものの、呆れたような母親の顔が覗き込んでいる。

「髪をちゃんと乾かさずに寝ちゃったのね?くしゃくしゃよ?」

(あぁ、いつもの母さんの顔だ)

 見慣れた表情に少しほっとしながら、ノロノロと身体を起こす。

 ひどく体が怠かった。


「お茶よ。飲んで?」

 ミーシャは、いつもの香りにほっとしながら渡されたカップを受け取りコクリと飲んだ。

 そうして少しクリアになった頭に今までの事が思い出される。


「………父さんは?」

 とりあえず、1番の心配事を尋ねれば、母親の顔がさっと曇った。

「今の所変化は無いわ。ただ、体温が戻らないの。体が血を失いすぎているのよ。あれでは傷から悪いものを取り去っても傷がふさがる事は無いわ。それに、血の中にどれほど毒素が回ってるのかも分からない……」

 母親の言葉に、ミーシャは泣きそうな気分になる。

 傷がふさがらなければ、また同じ事の繰り返しが起こるだろう。そもそも、このまま意識が戻らなければ死を待つのみ、だ。


「………どうするの?母さん」

 すがるような瞳を向ける娘に、母親は悩んだ表情のまま口を開いた。

「手が無いわけでは無いの」

「それってどんな?!」

 母親の言葉に希望を見出し、声を上げたミーシャに母親は首を横に振った。


「母さんの故郷で編み出された新しい手段なの。でも、母さんは、途中でこちらへ来てしまったから、情報が古いままなのよ。とても難しい方法で、危険を伴う」

「おじさんに聞く事は出来ないの?」

 遠方にある母親の故郷。

 縁が切れたとこの国の人達は思っているようだが、実は細々とだが交流はあったのだ。

 『森の民』と呼ばれる母親の故郷の人達は、一応国に名を連ねてはいたが、好奇心旺盛で自由な人達だった。

 興味のあるものを見つければ国境もなんのその。どこまでも行ってしまうらしい。

 こっそりと、母親を訪ねてやって来たことも何度かあったのだ。

 数年に1度訪れるおじさんは、色んなお土産や面白い話をしてくれるのでミーシャは大好きだった。


「………門外不出の秘法扱いになってるから、そう簡単には教えてもらえないわ」

「どんな技なの?」

 途中まで、という事は母も概要ぐらいは知っているのだろうと聞けば、母親はたっぷりの沈黙の後、口を開いた。


「血が足りないなら足してしまえば良いって考えたのよ。だけど、血を口から飲んだところで人は吸収できない。だったらと、直接体に注いでみたの。

傷つけてはいけない大きな血の道の事は話したわね?」

 あまりに突拍子も無い母親の話に、ポカンとしながらもミーシャは頷いた。

 体中に走る血の道の中でも大きなもの。そこを傷つければ吹き出す血は止まらず命を落とす。

 森で罠に掛かった獣を屠る時に教えてもらった。


「幾つかあるその道の1つに、中を空洞にした細い針を刺して元気な者の血を注いだの」

「じゃぁ、父さんにも同じ事をすれば!」

「………3人に1人亡くなったわ。私が故郷を離れる時に、その原因を探している最中だった」

 母親は険しい顔で首を振る。


 そもそも、実験状況が難しかった。

 著しい出血で死にそうになっている人が、多くいる場所など戦場くらいしか無い。

 だが、繊細な実験を、命のやり取りの只中でそうそうできるはずも無いのだ。

 健康な人をわざわざ傷つけるなど論外だ。

 あくまで命を救うためなのに、そのための実験で命を奪っては意味が無いから。


「………でも。……だけど」

「それに、例え理由が解明されていたとしても、今から兄を捕まえて交渉する時間も無い。国々を自由に旅して回る兄達を捕まえるのは至難の技だし、かと言って拠点まで旅して戻ってくる頃には、あの人の命は尽きているでしょうね」

 ミーシャは言葉をなくし、黙り込んだ。

 いつの間にかその頬には、涙が伝っている。

 声もなく泣いている娘を見つめた後、母親は……レイアースは溜息をついた。





 見聞の旅の途中に獣に襲われて怪我をし、動けなくなっていた男を助けたのはレイアースだった。

 傷が癒えるまでの一月。

 たったそれだけの時間で、自分を今まで育んでくれた故郷も、一生をかけると誓った薬師としての道すらも捨てさせる決心をさせた相手。

 ずっと側にいる事は出来なかったけれど、とても幸せだった。

 義父が言ったように、他人から見たら不憫な身の上だったかもしれないが、レイアースは充分に幸せだったのだ。


(愚かだと兄様は呆れるかしら?怒るかしら?)

 脳裏に浮かぶのは、男についていく事を最後まで反対していた兄の姿。

 それなのに、この国に来て数年で「噂を聞いた」と、遠い国の森の奥まで訪ねて来てくれた、ただ1人の大切な兄。

 天才だけど気まぐれで、だけど、何よりも大切にしてくれた。

 最初のうちは、何度も共に国に戻ろうと誘ってくれていたのに、近年ではあきらめたのか、定期的に顔を見に来るだけになっていた。

 やっと認めてもらえたと、とても嬉しかったのを昨日の様に覚えている。


(こんなことなら変な意地を張らずに兄様の話を聞いていれば良かった)

 実は数年前に、兄に「血の謎が分かった」と報告されていたのだ。

 詳しく説明しようとする兄に、一族の秘密を一族を離れた自分にバラしてどうする、と慌てて口を塞いで止めた。

 そんな妹に「自分の苦労の結晶だ」と「せめてこれだけ受け取ってくれ」と渡された小さな袋の存在を思い出し、レイアースはぎゅっと目を閉じた。


 娘には無理だと言ったけれど、それしかもう彼を救う術は思いつかなかった。

(もし、ダメだったら、すべての罪は私が負うから……)





「お義父様に話に行きましょう。再び、低い確率の賭けに乗ってもらえるか、どうか」

 しばらく目を閉じ沈黙した母親は、何かを決意した表情で立ち上がった。

 慌てて後を追いかけたミーシャは、その時なぜもう少し詳しく話を聞かなかったのかと、後に、自分を死ぬほど恨むことになるなんて、思いつきもしなかった。




 新しい治療の方法と危険性を話すと、代理で領主の仕事をしていた義父はしばしの沈黙の後、一つ質問した。

「その治療法はお主の国では一般的にされているものなのか?」

「今は、どうなのかは分かりませんが、私があの国にいる頃はまだ研究中でした。だからこそ、危険性が高いのです」

 静かに答えるレイアースに、義父は小さく首を振った。


「噂には届いているが、本当にかの国の薬師の技術は突出しているのだな。惜しいことをしていたものよ……」

 レイアースの故郷はあまりに遠く、特に「森の民」については秘されているため、殆ど情報が入ってこない状態だ。

もっとこの縁を大切にしていれば、もっと違う未来もあったのではとよぎる想いを、レイアースは首を横に振って否定した。


「旦那様について行くと決めた時点で、一族から縁は切れています。どうしようもありません」

 母親の否定にミーシャは内心首を傾げた。

 確かに偶にしか訪ねてこないけれど、おじさんとの関係は良好そうに見えた。どうして秘密にするのだろうか?


「良かろう。全てをお主に任せるとした宣言は有効だ。やってみるがいい」

「………感謝します」

 義父の言葉にレイアースは頭を下げると、ミーシャを連れて退出した。

 そのまま、夫の元へと向かう。




 覗き込んだ顔色は悪い物の、鎮痛剤が効いているのか穏やかな表情をしている様に見えた。

「ミーシャ、しっかり見ておきなさい。きっとコレは殆ど知られていない貴重な技術よ」

 ひそりと囁くレイアースは薬師の顔をしていた。

「それ?」

 ミーシャは、母親が皮袋から出した見慣れないものに首をかしげる。


「特別な道具よ。お嫁に来る時にこっそりと持たされたの」

少しだけ嘘を交え、レイアースは覗き込んでくる娘にそれを見せた。

 少し太めの針が2本、紐の様なもので繋がっている。

「これの中は空洞になっているの。コレで血を移すのよ」

「こんなに細い針にどうやって穴を開けたの?」

「さぁ?母さんが作ったわけじゃないから分からないわ。それより消毒をしたいからお湯を沸かしてくれる?」

 促され、部屋の隅に設置された小さな炉へと、火を起こし鍋をかけた。


 その間に、レイアースは夫の服をはだけ、念のために眠り薬を嗅がせておく。

 それほど痛みはないはずだが、不意に暴れられたら大変だ。

(ディノ、どうか私の血を受け入れて)

 レイアースは、心の中で呼びかけながら青白い頬をそっと指先でたどる。

 その顔は、記憶の中より随分とやつれて見えた。


「母さん、準備できたよ」

 ふと気づけば、結構な時間がたっていたらしく、麻布を敷いた盆の上に、針と管紐を置いたミーシャが立っていた。

ひとつ、大きく深呼吸をすると、レイアースは頭を切り替える。

 10数年ぶりに行う施術だ。勘は鈍っているだろうし、集中しなければならない。




「先ずは少しだけ入れてみるわ」

 そう言いながら、レイアースは、自分の上腕を紐で縛りつけた。

 日焼けの跡すらない、白く細い腕に、青っぽく血の道が浮き出てくる。


「大きな血の道はここ、とここ。でも、コッチは出来るだけ使ってはダメよ。血の勢いが強すぎてなかなか血が止まらなくなるから」

 自らの腕に走る血の道を示しつつ、丁寧に娘に教えていく。

 真剣な顔で聞き入るミーシャに、レイアースはこんな時だというのにうっすらと微笑みを浮かべた。

 新しい知識を貪欲に吸収しようとする姿は、幼い頃の自分とソックリだった。

(あの頃は、知らない事を知るのがとても楽しかった)


 懐かしく思い出しながらも、針の片方を外し、管紐がついた方の針を慎重に自分の腕へと刺していった。

 プツリという微かな感触の後、針の穴を通り血が噴き出していた。

 どうやら思っていたよりは、勘が鈍っていなかったらしい事に安堵のため息をつきつつ、管を伝い血液が一滴2滴と落ちたところで、管の端を折ってそれ以上血が流れない様にした。


 次に、ベッドの上に力なく投げ出された夫の腕を取る。

 同じ様に縛ってみるが、脈動が弱い為か、レイアースの時の様に血の道は浮き上がってくることは無かった。

 だが、経験を積んだ薬師の目は、的確に己の望むものを捉えてみせる。

 素早く針を迷いのない手で差し込むと、一瞬の間をおいて血が針穴から溢れてきた。

 そこにすかさず、自分の腕から伸びる管紐をつなぐ。


 レイアースは、血が高い所から低い所へとゆっくりと流れていくのを感じた。

「1、2、3………」

 ゆっくりと100を数えたところで、レイアースは夫の腕から針を抜き、清潔な布で押さえた。

「ミーシャ、ここを抑えていて」

 そうして抜いた針の先から血の雫が垂れているのを確認すると頷き、自分の腕からも針を抜き去る。


「………父さんは、大丈夫なの?」

 ミーシャは自分の声が震えているのを感じながらも母親を見上げた。

 麻布の上に落ちた赤い色がなんだかとても恐ろしいものに感じる。

「………分からないわ。もう少し時間が経って、体に何も変化が見られなければ、血が受け入れられたって事よ。そうなったら安心ね」

「変化って?」

「色々あるわ。発熱、体の痛み、黄だん……」

 ミーシャは、挙げられていく症状をしっかりと記憶しながら父親を見つめていた。

 ほんの些細な兆候も見逃さないように。

 そうすることしか、今の自分にできることは何もないのだと気づいていたからだ。


 父親の部屋に置いてあるソファーで、仮眠を交互に取りながら観察を続ける事半日。

 レイアースが、ようやく、血は受け入れられたとの判断を下し、ミーシャはホッと胸をなでおろした。

 まだ、予断は許されない状況ながら、ひとつの治療の目処が立ったのだ。

 傷の様子をもう一度確認して、代わりに侍女に何かあれば些細な事でも呼ぶように指示すると、レイアースはミーシャを促し与えられた客間に戻った。


「まだ、先は長いわ。休める時に休んで、食べれる時に食べましょう」

 ミーシャは色々ありすぎて食欲が無かったが、母親の言葉に頷き、無理やりに出されたものを口にした。

 確かに、今、自分たちが倒れるわけにはいかないと思ったのだ。


(それにしても鳥が来てから、なんて長い1日だったのかしら。

というか、まだ1日しか経っていないなんて信じられない!)

 鶏肉の焼いたものにかぶり付きながら、ため息を押し殺す。

 静かな森の中では起こりようがないくらい、様々な事が一度に訪れ、ミーシャの頭はパンクしそうだった。


「疲れたでしょう。今日は、もう、休みましょう」

促され、ミーシャはベッドに倒れ込むとすぐ、夢も見ない深い眠りへと飲み込まれた。




読んでくださり、ありがとうございました。


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