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お久しぶりです。
よろしくお願いします。
アドルにエスコートされてたどり着いた薬草園は、畑というよりも美しく整えられた園庭のようだった。
木々を切り開き平らにならされた土地が綺麗に区画分けされて、それぞれに薬草が整然と植えられている。
湖面を渡る風が緑の葉を揺らし、薔薇などの華美さは無いものの素朴な薬草の花達が可憐に咲く様子は、どこかホッとするような穏やかな雰囲気を醸し出していた。
「…………美しいですね」
くるりと辺りを見渡し、ミーシャは素直に感嘆のため息をついた。
計算された美がそこにはあった。
コレで植えられているのが地味な薬草の花々でなければ、さぞかし見応えのある光景となっていたことだろう。
「王城の庭を整えている庭師の方に協力いただき整えました」
どこか誇らしげに胸を張るアドルは、しかし、次の瞬間肩を落とした。
「見た目だけ整えたハリボテ、と言われていますが」
瞳が暗く陰るアドルを横目にミーシャはもう一度、今度は薬師としての視線で薬草園を見渡してみた。
「コレはセデスですか?」
軽い鎮痛作用がある薬草で、いろんな場所で育つ為採取しやすく、一般でも安価で多く出回っているものだ。
青々と茂る薬草は、葉も大きく厚みがある。
茎もがっしりと太く、花の大きさもミーシャが知るものより大きい気がした。
「そうです。育てやすい種なので薬草園を作った当初より作っています。ほかにはカリンやトリュクなどがあります」
いずれも効能は低いものの繁殖率の高さに定評のある薬草だった。
指さされた方を眺めれば、確かに見覚えのある形の植物がある。
最も、いずれも記憶の中より大きく葉の色も青々としているように見えたが。
「随分と立派ですね。葉に虫がついている様子もないし……」
ミーシャは、何気なく近くのセデスの葉を1枚ちぎると指先で潰し、口に入れた。
無意識に行われたそれは、ミーシャの薬草を摘む時の癖だった。
はじめに母親に薬草の種類を教えられた時、そうして味と香りを覚えさせられたのだ。見た目だけで覚えるよりもより多くの五感を使う事で記憶に残りやすい。
生の薬草など美味しいものであるはずもなく、強烈な苦みや香りに幼いミーシャは何度も泣かされたものだった。
「あれ?なんか水っぽい?」
そんないつもの癖で薬草を口にしたミーシャは違和感に首を傾げた。
セデスの特徴は強烈な苦みだ。
乾燥して粉にしてもその苦みは残る為、子供には不評で、飲ませるのに苦労する。
安価で手に入る鎮痛剤なのにあまり人気がないのはその為だ。
当然、生のままでもその苦みは健在で、幼いミーシャを泣かせた薬草の1つでもあった。
だが、その記憶に強烈な苦みが殆ど感じられない。
また、薄荷のような少し鼻に抜ける香りも記憶より薄かった。
思わず、まじまじと手にしたセデスの葉を眺める。
少し大きくて肉厚ではあるが、確かにセデスの葉だ。
「コレも薬効が薄かったりします?」
隣に立つアドルを見上げれば、苦い表情で頷かれた。
「通常の効果を期待するなら、約3倍の量を飲まなければなりません。実質、役に立たない」
「3倍………」
セデスを錠剤にして飲んだ場合、人差し指の先ほどの大きさを3粒が一般的な量だ。それが3倍、となると仮に苦味がないのを売りにしたとしてもなかなか受け入れられないだろう。
「こんなに綺麗なのに」
虫喰いなども見られず艶々の葉っぱ。
何気なく土を見ればフカフカと柔らかそうな黒土が見えた。雑草も殆ど生えていない。
たくさんの人の手が入り、大切に育てられた薬草は、しかし、本来の役割を果たすことはない。
それは、頑張って栽培した人間も悩むことだろう。
結局、くるりと回った薬草園に生える薬草の殆どが同じような結果だった。
見た目はとても青々と美しい、けれど、本来あるはずの香りや味はどこかうっすらとぼやけている。
「なにか分かりますか?」
どこかすがるような視線を向けたアドルに、黙り込んでしまったミーシャは首を横に振った。
「土も水も、とてもよく考えられていて、薬草や木の成長もとても良い。なんで、こんなに綺麗なのに薬効だけが薄いのか、正直、よく分かりません。けど、なにか原因があるはずなんです。もう少し、考えてみたいので、時間をいただけますか?」
「よろしければ、ご協力お願いします。正直、八方塞がりで。今はどんな意見もありがたいのです」
ミーシャの回答に一瞬、暗い顔をしたものの、アドルは気を取り直したかのように頭を下げた。
と、その上にポツリ、と水滴が落ちてきた。
「…………雨、降り出しましたね」
朝からどんよりと曇っていた空がついに泣き出したようだ。
最近の雨ばかりの天気から考えれば、昼過ぎのこの時間まで、よくもった方だろう。
徐々に強まる雨足の中、急いで建物の中に戻る。
そうして、建物にたどり着いた時には雨は本格的に降り出していた。
「歩いてこられたんですよね。お送りするのにうちの馬車を用意しますので、少しお待ちください」
最初に通された部屋に戻るとミーシャたちを置いてアドルは足早に部屋を出て行った。
残されたミーシャはなんとなく、窓から外を眺めた。
さっきまで歩き回っていた薬草園の一部が見えた。
雨に打たれて緑の葉が揺れているのが見えた。
「樹木の方はまだ種子や皮の収穫は出来ていないみたいだけど、そっちもヤッパリ効果が薄いのかな………?」
「…………同じような育て方をしてるなら、多分、そうでしょうね」
何気なくつぶやいた言葉に返事が返ってきて、ミーシャはビックリして振り返った。
そんなミーシャの様子を、すぐ後ろに立ったミランダが可笑しそうに見ている。
「………声に出てました?」
「小声だったけど、ね」
恥ずかしそうに頬を染めるミーシャに、ミランダはクスクスと笑った。
少々の気恥ずかしさを感じながら、ミーシャは、気を取り直して笑うミランダに向き合った。
「ミランダさんは何が原因か、分かりますか?」
明らかに自分より格上の薬師であるミランダなら、自分には見えないものが見えているかもしれない。
ミーシャにとってミランダは頼れる先輩であり、頼ることを戸惑うような無駄なプライドも持ち合わせてはいなかった。
子供の素直さでまっすぐに自分を見つめるミーシャに、ミランダは少し目を見張った後、苦笑した。
「…………想像は、つくわね」
しばしの沈黙の後、ミランダは困ったような顔のまま呟くとミーシャの隣に並んだ。
窓の外に視線を投げたまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「でも、少し考えればミーシャにも答えは見えてくるはずよ?」
「…………私にも?」
静かな言葉にミーシャは困惑しながら繰り返した。
ミランダの視線を追っても、そこには先ほどと変わらぬ風景が雨に煙って揺れているだけだった。
深刻な顔で黙り込んだミーシャに、ミランダは「しょうがない」というような顔で目の前にある柔らかな髪を優しく撫でた。
「1つだけヒントをあげる。植物は大地に根付くものよ」
柔らかな声が謎かけのような言葉を残した時、ガチャリと部屋の扉が開いた。
アドルが、馬車の準備ができたと戻ってきたのだ。
ミランダはスッと音もなく壁際へと戻って行くと、侍女然とした顔で口を噤んでしまった。
そうして、帰りの馬車はアドルが一緒だったためかミランダが会話に参加することはなく、王城に着いた後は、スルリとどこかに消えてしまった。
この件に関して、これ以上は関わる気は無いという意思表示なのだろう。
残されたミーシャは自室に戻るとお気に入りのハーブティーを入れて、窓辺の椅子に腰を下ろした。
(…………植物は大地に根付く………)
ヒントとして残された言葉が何度もミーシャの頭の中で繰り返される。
ぼんやりと投げた視線の先では本格的に降り出した雨が景色を曇らせていた。
「なんだか、最近雨ばかりね」
食後のお茶を飲みながら、ラライアがうんざりとしたようにつぶやいた。
「ジメジメして、そのくせなんだか蒸し暑いし、嫌になるわ」
だいぶ体調が改善してきたとはいえ、もともと虚弱体質な体は少しの環境変化にも影響を受けてしまう。
少しずつ増えてきていた食事量も最近また落ち込んできていて、ミーシャも頭を悩ませていた。
「例年は違うのですか?」
首をかしげるミーシャに、ラライアがため息とともに首を横に振った。
「雨の季節には少し早いわね。それに、雨が降ることでむしろいつもは少し気温が下がるのよ。外に出れないから鬱陶しいという人も多いけど、私にはむしろ過ごしやすい季節だったのだけれど」
ラライアが、物憂げな表情で空になったカップを置くと、側に控えていた侍女がすかさず温かなお茶を注ぐ。
「恐れながら、申し上げます。そろそろ、キャラスの解禁の時期となりますので、よろしければ、用意を申し付けますが」
そうして、しっかりとカップを満たした後、侍女がそう進言して来た。
それに、ラライアは目を瞬かせ、ミーシャは内心首を傾げた。
「そう。そういえば、そんな時期ね」
納得顔で頷くラライアに1人わけがわからないミーシャの顔色を読んだらしい侍女が説明をする。
「キャラスというのは、湖で取れる生き物です。滋養があり、夏バテなど食欲のない時によく食されます。雪解けよりしばらくは繁殖の季節なので禁漁となっているのですが、そろそろ解禁の時期です。ラライア様は栄養補給の為に幼い頃より、定期的に食していただいています」
少し伏せ目がちに淡々と説明してくれる侍女に、ミーシャはようやく納得した。
興味深そうに説明を聞くミーシャにラライアが少し意地悪そうな笑みを浮かべる。
「貴女、薬師のくせにキャラスを知らないの?肝は薬として扱われることもあるのに?」
「……………至らず、申し訳ありません」
自慢気なラライアに少し悔しい気持ちも湧き上がるが、知らなかったのは事実。
ミーシャは、素直に謝罪を口にする。
「ご存知ないのは無理もありません。王都では市民でも比較的手に入りやすいですが、キャラスは王湖にしか生息していないと聞きますし、鮮度を保つのが難しいそうで他国には輸出しておりませんから」
目線でラライアを諌めつつ、侍女がサッとフォローした。
ひっそりと咎められたラライアも幼少より側に控えてくれている侍女に反抗する気はないらしく、少しつまらなさそうな顔をしながらも、軽く肩をすくめてみせた。
「じゃぁ手に入ったらミーシャも一緒に食べましょう。何事も経験よ?」
「ありがとうございます」
ラライアに誘われて素直に礼を言ったミーシャは、脇に控えた侍女が何か言いたそうな顔をした事に気づかなかった。
「うふふ。約束よ?」
そうして、嬉しそうに笑うラライアの真意を知るのは2日後の事だった。
「こちらがキャラスです」
キャラスが手に入ったからと招かれた夕餉の席で見せられたバケツの中身にミーシャは悲鳴を飲み込んだ。
「王湖で取れる」と聞いていたから単純に魚の一種なのだろうと考えていたミーシャの予想は見事に外れていた。
バケツの中に蠢いていたのはガマカエルのような質感の肌を持った蜥蜴のような生き物だった。
いや、蜥蜴というのも、少し違う。
その顔はナマズのようにやや潰れ気味に横に広く、体もそれに合わせてやや平べったい。背中の部分はイボのようなものがビッシリと生え、さらになんだかヌメッてみえる。
一言でいえば醜悪。
おおよそ女子供が喜ぶような見た目ではなかった。
その上、大きさは30センチ程あるその生き物がバケツの中にウニョウニョと蠢いているのだ。
悲鳴を飲み込めたのは奇跡だった。
無意識のうちに椅子の上で仰け反るように逃げたミーシャに、ラライアが楽しそうにクスクスと笑った。
いたずらが成功したと楽しそうな妹に、ライアンが呆れたようにため息をついた。
幼い頃から見慣れているライアン達とて、大量に動いているキャラスを見るのはあまり気持ちのいいものではない。数の暴力というものがあるのだ。
「…………あれは、どう召し上がるのですか?」
やや青い顔で恐る恐る尋ねるミーシャに、ラライアがニンマリと笑った。
「いろいろあるわよ?ソテーしたり煮込んだり。でも、1番体にいいのは生き血を飲むか心の臓と肝臓をナマのまま食べるの。あぁ、新鮮なものは身を生のまま食べたりもするわね。マリネにすると美味しいのよ?」
ラライアの言葉に遠ざけられたバケツへミーシャは恐々と視線を向けた。
脳裏に先ほど見たキャラスの姿が過る。
(アレを火を通さずに?)
知識の中では薬として、生き血や生肝を摂る方法も知っていたが、今まで扱ったことはなかった。
更に森の中で育ったミーシャに生肉を食べる習慣はなく、なおさら気持ち悪く感じる。
何より、キャラスの独特な見た目はミーシャに生理的嫌悪感を沸かせるには充分だった。
「わが国独特の文化なのは承知している。無理に食べる必要はない」
青い顔で固まるミーシャに、ライアンが気の毒そうな顔で助け舟を出した。
「ラライアも、わざわざそんな見せ方をする事もないだろうに」
「あら?食べた後に知る方がショックだと思うけど?」
肩をすくめてみせるラライアにミーシャは、果たしてどちらがマシだっただろうかと考える。
…………答えは出そうになかった。
「…………とりあえず、調理されたものをいただいてみても良いでしょうか?」
薬にもなる食材と聞けば興味もわくが、生肉を食べるには少し勇気が足りなかった。
とりあえずの折衷案として申し出たミーシャにクスクスと笑うラライアは見ないふりをして、ライアンに告げれば頷かれる。
「見た目はアレだがアジはなかなか良い。淡白だが歯ごたえのある食感でな?俺はトマト煮が1番美味いとおもう」
そうして出された料理は確かに臭みもなく独特の食感で美味しかった。
ただし、どうにも脳裏に浮かぶバケツの中の蠢く姿がミーシャの食欲を削ぐのはしょうがない事だった。
ラライアは、そんなミーシャを横目に生き血のワイン割を涼しい顔で飲んでいた。
読んでくださり、ありがとうございました。
くだんの生物のイメージは大山椒魚です。あれ、食べろって言われたら怯みますよね………。身のイメージはフグとか部位によってはスッポンな感じで。
ちなみに作者は食べた後に正体バラしてほしい派です。




