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レッドフォード王国の王都のほぼ中心には大きな湖があった。
建国以来そこにある湖は湧水が溜まってできたもの、で今も清らかな水を満々とたたえ、水は市民の飲水や生活水として、さらにそこでとれる魚は食料としても活用されている。
むしろここにこの湖があるから国が出来たといっても過言ではないほど、その湖は国の象徴であり、国民の誇りであった。
王城からもほど近いそれは、周辺の一部を公園として整備され住民の憩いの場となっている。
その湖の公園の一角、王族の占領地として一般には公開されていない場所に薬草園はあった。
一般に広く門戸を開いている図書館と違って限られた人間しか出入りできない薬草園は、ミーシャが希望すればあっさりと見学の許可が下りた。
しかし、浮かれていたミーシャは気づいていなかったが、許可をもらいに尋ねたトリスの反応がいまいち芳しくなかったことに、ひっそりと付き添っていたミランダは気づいていた。
そうして、訪れた薬草園で。
「え?薬効がうすい?」
「えぇ、残念ながら。なので、ミーシャ様のお求めになる価値はないかと」
目を見開くミーシャの前で、薬草園の園長を名乗ったアドルという青年は申し訳なさそうに眉を落とした。
「原因はわかっておりません。
試行錯誤の上に幾種類かの薬草を育てることには成功いたしました。が、採取した薬草は通常の半分かそれ以下。酷いものだと薬草の形をした雑草、という状態のものまでありました」
上手くいかない栽培にアドルが心を痛めているのは窶れた面差しからも察することができた。
現在、薬草は自然の中にあるものを採取して使用するのが主流であり、純粋に人の力だけで大規模な薬草園を作ると言うのは新しい試みである。
失敗したとしても、一朝一夕にできるものでは無いのは少し考えれば分かりそうなものだ。
けして、サボっているわけでも手を抜いているわけでも無い。
時には深夜に及ぶまで少ない文献を漁っては、ああでも無いこうでも無いと試す日々のなか、なれぬ作業に体調を崩す者まで出てきた。
それでも、上手くいかない現状に音をあげたくなっているところに、追い打ちはやってくる。
遅々として進まぬ改善策に、目に見える成果を上げない薬草園に、「役立たず」のレッテルを貼るものが現れだしたのだ。
最近では、無駄な国費を使うくらいなら、輸入費や山谷からの採取する人件費に当てた方が良いと声高に言う者すらいる程で、それでも打ち切りにならないのは一重に国王その人が擁護しているからに過ぎない。
「新しい試みに挫折はつきものだ。数年で見るのではなく10年、20年の長い目で見て欲しい」
そもそも、国王の指示のもと、鳴り物入りで始まった事業である。
上手くいかないからといって、すぐに打ちやめにできるものではない。
さらに言えば、国王の最終目的は薬草の研究と品質改良にあり、現状、薬効が薄いものしかできないのなら、なぜ、そうなってしまうのかを調べれば良い、との主張であった。
そう、手を差し伸べてくる国王の心遣いはありがたい。
だが、実力叩き上げでやってきた国王の唯一の甘いとも見える「擁護」は、一部貴族にとっては面白いものではなく、表立っては無いものの、裏に隠れての嫌がらせが増えていった。
薬草園側も表立った成果を上げることができていないという弱みもあり、細かな嫌がらせにいちいち騒ぎ立てることも出来ず泣き寝入り。そして、さらなる嫌がらせが………という、悪循環に陥っていた。
最近では周囲の冷たい視線に耐えきれないと、1人2人と職員が減っていた。
体だけでなく心まで病んでいく仲間達を引き止めることも出来ず、アドルは唇を噛み締めながら見送ることしかできなかった。
そんな中、『森の民』の一族ではないかと噂の隣国の貴人が薬草園を見にやって来るとの知らせを受けたアドルの弱り切っていた胃は悲鳴をあげていた。
なんでも、今では王城で王妹殿下の主治医をされているそうで、王医も匙を投げていた体調を改善させているともっぱらの噂だった。
一応、実家は貴族の末端に名を連ねているとはいえ後継でもないしがない三男である。
国王の大切な客人になにか粗相があれば、どんな咎めがあるのかも分からず、また、それを回避する力など当然なかった。
早々に家に見切りをつけ、名だたる薬師に弟子入りし(血を見るのが苦手で医師は諦めた)、向いていたのかメキメキと頭角を現した。
そうして、師匠の推薦もあり、薬草園の立ち上げに名指しされたあの瞬間が己の春だったのだろうとアドルは思った。
(最悪、僕の首1つで勘弁してもらおう)
そんな悲壮な覚悟とともに迎え入れた一行は、予想外に地味で静かなものだった。
もっと、たくさんのお供とともに華々しく登場するのかと身構えていれば、お供はわずか護衛の騎士と侍女の2人だけ。さらに言えば、馬車も使わず歩いてきたという。
いくら距離的にはさほど離れていないとは言え貴族のお姫様が歩くような距離では無い。
そうして現れた少女は、いかにもお忍びな感じに貧しい服装に身をやつしてはいたが、その美しさを隠しきれてはいなかった。
さらに、帽子からこぼれ落ちた白金の髪と森の翠をたたえた美しい瞳に、アドルは伝え聞いた『森の民』の特徴とはこうも鮮やかなものなのかと内心舌を巻いた。
そして、ややぎこちないながらも応接室に通し、最初の会話に戻るのだ。
驚いたように見つめられた翠の瞳に、情けない気持ちがこみ上げてくる。
しかし、見つめた瞳の中に散々向けられていた嘲るような色は無く、むしろ包み込まれるような錯覚を覚え、気づけば、ひと回りは年下であろう少女に苦しい胸の内をほろほろと零していた。
情けない、聞き苦しいと、心のどこかで自分を咎める声が聞こえたが、せき止められていた心の奔流はそんな事では止まりそうもない。
コレで、首が飛んだとしても本望だとまで思ったアドルは、確実にナチュラルハイになっていた。
一方、薬草の話を聞いていたはずが、いつの間にか薬草園の立ち上げから現在に至るまでの苦労や苦悩の話を聞くことになってしまったミーシャは、あまりの勢いに目を白黒させながらも、口を挟むことはせず、最後まで黙って聞くことにした。
思いつめたような榛色の瞳や明らかに悪い顔色、栗色の髪にもツヤはなくバサバサで、アドルの余裕のなさを読み取ったせいである。
張りつめた一本の糸のようなその状態は、とても良くないものに見えた。
(いろいろストレスが溜まってるみたい。なんだかネネさんの初めての子育ての時みたいだなぁ)
こういう時は、否定をせずにただ頷きながら話を聞くだけでも、相手は随分と落ち着くのだということミーシャは知っていた。
たとえ幼い子ども相手でも、人に向かって話す事でガス抜きはできる。
現にネネさんは泣いて喋ってお茶を飲んで、落ち着いたと笑顔で帰っていくのが常だった。
遠くの村からお嫁に来て、直ぐに妊娠した為、頼れる人も甘えることができる人もいなくて精神的に追い詰められた新妻と同じ目で見られていると知ったら、羞恥のあまりアドルは倒れていたかもしれない。
しかし、幸か不幸か、自分が話すことに一生懸命のアドルが、同情的なミーシャの視線の真意に気づくことはなかった。
そうして、一方的に与えられた情報の中で、薬草園の状況があまりよろしくない事を知ったミーシャは、内心ため息をついた。
海外の珍しい薬草どころの話ではない。
国内に普通に流通している種類のものでさえ、ここではうまく栽培出来ていないと言うのだ。
薬草園が開かれて2年。
原因も未だ不明な上、心労で辞めていく職員多数、では、アドルのストレスが溜まっていてもしょうがない事と思えた。
(にしても、どうしてそんな事になっているのかしら?)
森の家では周囲に自生していた薬草は取り放題だった為、ミーシャがわざわざ栽培までする事はなかった。必要のない事に労力を避けるほど森の生活は暇ではなかったのだ。
だから、栽培に関してはズブの素人である。
しかし、父親の館には半野生化してはいたが、母親の手がけた薬草園が残っていた。
あくまで個人が手慰みに作ったものだから規模はさほど大きくはなかったが、薬効が森の中のものに劣っているとは感じなかった。
多種多様とはいかなかったので、母親が手入れしていた頃の薬草が全部生き残っていたわけでは無いのだろうか、雑草に巻かれながらもしぶとく生き残っていた物も確かにあったのだ。
つまり、それくらい強い種類もあるというのに、全ての薬草の薬効が半減かそれ以下しかないというのは、確かに異常事態に感じる。
(とにかく、実際に見なくちゃ分からない、よね)
話半分に聞きながらそう結論づけると、ミーシャはようやく全てを語り尽くしたのか、少し呆然とした表情でぼんやりと座っているアドルに、勝手に入れ直した紅茶を勧めるとにこりと笑顔を浮かべてみせた。
笑顔に促され、どこか緩慢な仕草で紅茶のカップを傾けるアドルを、ミーシャは冷静に観察した。
(今はたくさん話して放心状態だけど、直ぐに我に返って揺り返しが来ちゃうんだろうなぁ……。その前に、興味をどこか別の場所に向けなきゃ。………にしても、どうしてみんな自分をこんなに追い詰めちゃうのかしら?)
脳裏に、寝る間も惜しんでがむしゃらに怪我人を世話していた父の屋敷のメイドたちの姿が浮かぶ。
その流れで、その後に起こった出来事までもが浮かんで来て、ミーシャは慌てて思考を打ち切った。
そうして、人の事を言えないと心の奥で自嘲する。
(見たくないものから目をそらす為に、人は目の前のことに飛びつこうとするんだ。
屋敷のメイドさん達は「死」から、目の前のアドルさんは「薬草園の未来」かな?そして私は……)
大きく首を横に振ってミーシャは意図的に意識を切り替えた。
こんな場所で考えるべき事ではない。
「園長様、もしよろしければ、実際に薬草園の状態を見せていただいてもよろしいですか?素人目の方が気づくことがあるかもしれませんし」
「………あ、………ええ、勿論です。あの、出来ればアドルとお呼び下さい。敬称もけっこうです」
少しぼんやりしていた様子のアドルは、ミーシャの言葉にハッと顔つきを改めた。
「では、アドル様と呼ばせていただいても良いですか?私は独り立ちが許されたばかりの駆け出し薬師なのですから、アドル様こそ呼び捨てて下さい。何年も先輩なのですから」
少し小首を傾げるミーシャにアドルが慌てたように首を横に振る。
「とんでもございません。貴女様は王の大切なお客様です。私などがお名前を呼ばせていただくなど出来るはずもございません」
「そんな。私自身はなんの力もない本当に駆け出しなんですよ?それなのに………」
その後、しばらく、お互いの呼び方や話し方をどうするかの一悶着を起こし、2人はどうにかお互いの納得のいく決着点を見つけた。
一歩も譲ろうとしない相手を心の中でコッソリと「頑固者」と名付けたのはお互い様であった。
もっとも、そのたわいないやり取りが互いの間にあった緊張をほぐしてくれたのだから全くの無駄というわけでは無かったのだろう。
「ではミーシャ様」
こほん、と態とらしい咳をして先に立つアドルの顔色が随分良くなっているようだった。
「薬草園のご案内をいたしますから、御手をどうぞ」
気取った風に腕を差し出す余裕が出て来たのだから、随分と気分転換できたのだろう。
「では、よろしくお願いいたしますわ」
返すミーシャも態とらしい言葉遣いでアドルの腕に手をかけ、堪えきれずに噴き出した。
クスクス笑うミーシャを口元に笑みを浮かべたアドルがゆっくりとした足取りで誘導していく。
そうして、たまたますれ違った職員達は、久しぶりに明るい表情を浮かべた園長の姿に「良いことがあったのかな?」と首を傾げる事となった。
読んでくださり、ありがとうございました。




