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ややグロ?でしょうか。
食事前で想像力豊かな方は、後にお読みください。
29.1.21騎士の言葉使いを変えました。
全力で馬を飛ばし、行き道で疲弊した馬を途中で変えてまたひた走り。
馬に慣れていないミーシャは既にヘロヘロだった。
だが、急いでいる理由を知っている身としては、弱音を吐く事もできない。
もっとも、弱音を吐こうにも激しく揺れる馬上では舌を噛むだけで徒労に終わっただろうが。
最初は緊張してガチガチになっていた体も、今ではグッタリと力が抜け、若い騎士の胸に背中を預けていた。
その体勢が自分にも相手にも1番楽だと、馬上の人になって暫くしてようやく悟ったのだ。
この際、初対面の男性に抱きしめられているような姿勢だという羞恥心は捨ててしまおう。
………単に、疲労のあまり力が入らなくなったとも言うが。
その体勢をとる事で、ようやくミーシャの思考回路も少しは動き始める。
やはり、最初に思い浮かぶのは父親の事だった。
(怪我ってどんな感じなんだろう?怪我を負ってどれくらい経ってる?怪我して直ぐに戦場を離れたとして……2日くらい?)
手紙には酷い傷を負い瀕死の状態としか書いていなかった。
ミーシャは実際の怪我の治療に携わった事は殆どなかったが、知識だけは母親に叩き込まれていた。
その中の基本的な1つとして「時を経て悪化した怪我を治療するのはたやすい事では無い」というものがあった。
最初の対応、消毒等の適切な処置が行われなかった場合、傷口から入った悪い物が肉を腐らせ血を汚していく。
そうなってしまえば、薬師で対応し命を救えるかは五分五分。本人の体力と運次第だ、とも。
(どうか手遅れでありませんように)
馬に揺られながらミーシャにできる事はただ1つ。神に祈る事だけだった。
そうして。
ミーシャ的に永遠とも言える時間を馬に揺られ続け、ようやく父親の屋敷へと到着した。
門を駆け込み、平素ならあり得ないが玄関先まで馬で進む。
そうして、やっと馬から滑り落ちるようにして地面に立ったミーシャは、残念ながら足が言う事を聞かずその場に座り込んだ。
お尻が痛い。足がガクガクして力が入らない。
乗馬初心者にありがちな症状である。
そもそも、初めての乗馬ではギャロップを馬場で1、2周が精々だろう。
それを、騎士が操る軍馬の、本気の全力疾走を2時間以上である。
気絶しないだけ上等とも言えた。
だけど、皆が平然としている中座り込んでいるのはバツが悪い。
必死に立とうともがくのだが、まるで下半身が別人の物になったかのように、どうにも力が入らないミーシャを、ここまで連れてきてくれた騎士がヒョイっと横抱きにした。
「泣き言を言わなかった事は立派でした。暫くすれば感覚も戻るでしょうから、それまで、どこか休む場所を用意してもらいましょう」
悲鳴をあげようとしていたミーシャは、ぶっきらぼうだが思いやりの感じられる言葉にそれを飲み込んだ。
「ミーシャ、そうさせて貰いなさい。母さんは先に様子を見て、何が必要か考えておくから。動ける様になったら連れてきて貰えばいいわ」
やや青白いものの力強い言葉を残し、母親はサッサと中に案内されて入って行ってしまった。
「どうぞ、こちらへ」
取り残されて呆然とするミーシャに(というか、抱き上げている騎士に)年配のメイドが言葉少なに先に立った。
そうして案内されたのは1階の中庭に面した客室の1つだった。
落ち着いた内装の清潔に整えられた部屋は好感が持てた。
部屋の中央にあるソファーセットの上に、そうっと降ろされる。
正直、乱暴に放り出されるのだろうと身構えていたので、非常に意外だった。
「お茶をお入れします」
柔らかなソファーにぐったりと体を預けたミーシャに、メイドがそう宣言して、隅のミニキッチン様な場所でお茶の準備を始めた。
ミーシャはまだ揺れている様な感覚を持て余しながらそれ眺めてから、今度は、側に立つ若い騎士を見上げた。
自分はまだ、飲めそうにないが、彼なら大丈夫だろう。
むしろ、戦場帰りで休む暇もなく数時間の強行軍である。体のためには是非とも水分補給必要だ。
「どうか座ってください」
どうにか向かいのソファーを指し示せば、一瞬の迷いの後、若い騎士は席に着いた。
そうしてお茶が出される頃、少しは動く気力を取り戻したミーシャは、ヨロヨロと傍のカバンに手を伸ばした。
(え〜っと、胃の不快感と眩暈、足腰の痛みも、かなぁ?)
自分用の薬草袋からゴソゴソと目当ての丸薬や粉末を取り出す。
必要な物を適量測り、乳鉢で軽くすり合わせた。
「すみません。お湯の余りがあればいただけますか?」
ミーシャがメイドさんに頼むとほぼ同時に、カップに入れた白湯が差し出される。
ありがたく受け取って、調合した薬を溶かし込み、一気に煽る。
「今の薬は?」
口に広がる苦味に顔を顰めるミーシャに、一連の行動をじっと観察していた騎士が質問してくる。
口直しに用意されていた紅茶を飲んでいたミーシャは、少し首を傾げて少し考えた。
「胃薬と痛み止めです。後、気分を爽やかにするハーブを少し」
ミーシャは、薬草の名前を答えても無意味だろうと、簡単に答えれば、騎士が少し驚いた様な顔をする。
「君も薬師なのか?」
机に出されたままの様々な道具は、普通の人間にはひどく異質に見えた。
しかも、ミーシャが様々な粉を入れた小袋は騎士の目には、すべて同じものに見えた。
中から出てくるのも緑がかっていたり茶色っぽかったりとわずかな差異はあるものの、見分けがつくほどの違いがある様にも見えない。
「ようやく見習いの文字が取れたくらいですけどね」
ミーシャは、騎士の驚いた顔に内心首を傾げながらも軽く答えた。
そうして、置いてあった砂糖菓子を1つ口の中に放り込む。
自然の果実や蜜の味に慣れた舌には、それは酷く甘く感じ、わずかに眉をひそめた。
ミーシャは口の中に残る甘みをお茶で流し込むと、ゆっくりと立ち上がってみた。
まだ、わずかなふらつきはあるが、大分改善した様だと、2・3足踏みをして確認して、頷いた。
「………もう、大丈夫みたいです。母の元に案内してもらってもよろしいですか?」
元々、日々森の中を駆け回って暮らしていた丈夫な体だ。
慣れぬ馬上の上下運動に驚いたものの、復活も早かったのだろう。
だが、先程まで自力で立つこともできず真っ青な顔で座り込むミーシャを見ていた方としては、驚きの行動だった。
騎士は、少なくとも復活するまでには1・2時間はかかるだろうと考えていたし、年かさのメイドに至っては、ベッドで休むよう促すタイミングを計っていたぐらいである。
それが、部屋に入って直ぐに何やら薬を調合しはじめ、飲んだと思えば、立ち上がって「もう大丈夫」と宣言する。
初めて会った者から見れば、驚愕以外の何物でも無い。
どんな薬を飲んだのだろうと驚き、こんな幼い娘がそんな薬を作り出すなんてと恐れを招いた。
「………あの?」
青ざめて見える顔でだまりこむ2人に、ミーシャは怪訝な顔で首をかしげる。
まさか、自分の行動が目の前の2人を混乱とわずかな恐怖へ陥れているなど、思いつきもしない様子だった。
「………あっ、はい。皆様は領主様の元へ向かったはずです。ご案内いたします」
先に我に帰ったのは、年かさのメイドだった。
慌てた様に再び先に立ち、案内役を買って出た。
足早に進む背中を、ミーシャはカバンを手に慌てて追いかける。
そうして案内された部屋でまず独特の匂いを嗅ぎ取りミーシャは無意識に眉をひそめた。
薬と血と膿の匂い。それは、死の匂いだった。
数人いる人影の中に母の背中を見つけ、ミーシャは静かに駆け寄った。
極力足音を立てない独特の歩き方は、森を散策するうちに自然に身につけたものだったが、気配もなく現れた少女の姿に、気づいていなかった大人たちはギクリと身をすくめた。
そんな中、振り向きもせず一身にすり鉢をする母が視線もあげずにミーシャに指示を飛ばした。
「薬草湯を作って傷を洗うわ。今、お湯を沸かしてもらっているから、ミーシャはライの実を擦って」
言葉少ない母の声に潜む緊迫感をミーシャはしっかりとすくい取った。
この部屋に入った時からなんとなく気づいていた。
父親は本当に死に瀕していると。
母親の様子が、それは現実だと突きつけてくる。
ミーシャは泣きたい気持ちをぐっとこらえると、指示されたものを薬草袋から取り出した。
茶色く硬い実を水に溶かせば、強い殺菌作用が得られる。ただ、濃く作り過ぎれば、肉までも溶かしてしまう危険があるため注意が必要だ。
「どれくらい?」
「とりあえず一掴み分」
そろりと聞いたミーシャに返ってきたのは相変わらず端的な言葉だった。
冷たいともとれる態度だが、ミーシャは今母親が必死に頭の中をひっくり返し父を助ける方法を探している最中だと分かっていたから気にもしなかった。
何かに集中した母親はいつもこんな感じだったからだ。
最もそのやり取りを聞いていた者達は別だったようだが。
ゴリゴリと集中して硬い実をつぶして行く。
(勢い良くやると粘りがでて変質してしまう。極力熱を加えないようにゆっくりと丁寧に……)
母に教えてもらったライの実の潰し方をぶつぶつと口の中で呟きながら、手早く、教えに忠実に実を細かくしていく。
ある程度潰れたら目の細かいザルで濾して殻を取り除いて、残った白い粉を更に細かく潰した。
ようやく満足いく出来映えまで潰した所でお湯が届いた。
「ミーシャ、コッチを続きやって。薬液は私が作るから」
母親は、スルリとミーシャの手から粉を取り上げると運び込まれた大きめの鍋へと向かった。
その背中を少しだけ目で追ってから、ミーシャは急いで先ほどまで母親が立っていた場所へと足を向けた。
途中まで混ぜられた植物達を確認して、何が作られている途中なのかを判断する。
母親に確認しても良かったが、集中の邪魔をしても悪いだろう。
物心つく前から薬草をおもちゃに母の真似をしていたミーシャにとって、母の作業の跡を読み取るのは呼吸をするよりも簡単なことだった。
今更、そんなことを間違えるはずも無い。
それは、母娘の深い信頼関係の表れだったが、言葉を交わすこともなく黙々と作業する2人の姿は、知識の無い人間には摩訶不思議に写った。
そうしてやはり森の「魔女」だと畏怖の念を募らせたのである。
まるで、人ならざる者であるかのように。
「ミーシャ、薬湯の用意ができたわ」
母親に呼ばれ、ミーシャはすり鉢から顔を上げた。
「………領主様の傷口を見せていただきなさい」
促され、ベッドのそばによると部屋に漂っていた独特の匂いが更に強くなった。
いつも溌剌とした笑顔を浮かべていた父親は苦悶の表情に顔を歪め、青白い顔でうつ伏せに寝かされていた。
意識は無いとの話だが、時折掠れた唸り声が上がっている。
側に立っていた侍従がすっと上にかけられたシーツを取り去った。
先程母親が見聞したのだろう。
身体からは衣服や包帯が取り外され、傷が露出していた。
背中に斜めに走る刀傷。かなり深いそれは未だジュクジュクとした汁をにじませ、傷の周囲の肉は赤黒く腐ってきていた。
「受傷して4日が経つそうよ。毒は使われた形跡は無いのに肉はふさがる様子もなく、寧ろ膿んで腐りかけている」
いつの間にか隣に立つ母親が淡々と語る情報に顔をしかめた。
「斬りつけた刀が錆びていたか汚泥が付いていたか……。傷口から悪いものが入り込んだんだと思うわ。その後の傷の洗いも悪かったんでしょう?」
母親に教えられた知識を元に推測を述べれば、頷かれた。
「更にその時に血を失いすぎたの。だから、入り込んだものに負けてしまった」
ミーシャの言葉に頷いて、母親は顔を上げると周りを見回した。
「今から傷口を洗い、腐った肉を取り除きます。今の弱った領主様の体には命懸けの治療になると思いますが、このまま放っておけば確実に命を落とします。
痛みに暴れる恐れもあるので、手足を紐でベッドに縛り付け、身体を押さえつける者を2人用意してください」
淡々と告げられた言葉に周りが騒めく。
「命懸けだなど……」
「放っておけば、確実に命を落とすと言っているでしょう?ならば、足掻きでもやらねば」
「その治療を受ければ、領主様は助かるのですか?」
「………分かりません。傷を受けてから時間が経ちすぎている。正直、未だ領主様が命を繋いでいるのも奇跡に近いのです」
次々と飛んでくる質問に答える母親の言葉に絶望の声が湧き上がる。
「………何もせねば確実に無くなる命なら、治療を施してやってくれ。それで命がつながれば儲けものだろう」
嗄れた声がその場に響き渡る。
「………前領主様」
開かれた扉から入ってきたのは杖をついた老人だった。
顔に刻まれたシワは深く、杖とは反対の側を人に支えられなければ自分でまともに歩く事も出来ないようだが、その瞳は強い光を宿していた。
(前領主……あの方が私のお爺様)
ミーシャは初めて会う父母以外の近しい者に僅かに目を見開いた。
「こちらの都合で森の奥に追いやったお前達を頼るのも情け無い事だが、施せる手があるならどうか助けてやってくれ。この老いぼれならともかく、こいつにはまだ死んでもらっては困るのでな」
コツンコツンと杖の音が近づいてくる。
「………森には私のわがままで行ったのです。不甲斐ない私を詫びこそすれ、お義父様が気にやむ事など何もございません」
前に立つ老人に膝を折り礼を取る母親の姿にミーシャも慌てて頭をさげる。
「………その子が娘か。立派に育っておるのだな。全て終わったら、これまでの事を爺に教えておくれ」
声に滲む優しい気配にミーシャは知らず強張った身体からは力を抜いた。
頑なに屋敷の事を話そうとしなかった母親に、いつの間にかここは敵の巣窟のように感じていたのだろう。
少なくとも、この老人が敵には感じない。
祖父と親しみを覚えるかは別として。
「すべてレイアースの言うとおりにせよ。これは領主代理としての言葉である」
老人の宣言に、場がザワリと騒めき、次いで人々の目が母親とミーシャに注がれた。
向けられる視線の強さに怯みそうになるミーシャとは違い、母親は胸を張ってその視線を受け止めた。
「これから先、気の弱い者には酷な場になります。倒れられても困るので、必要の無い方は外へ。私のする事に不安があるのなら、残っても構いませんが邪魔だけはしないで下さい」
堂々と言い切ると、次いでミーシャに向き直った。
「傷を洗い削ぐわ。助手をしなさい。道具の消毒はしっかりと。手に傷なんて無いわね?」
厳しい表情に気が引き締まるのを感じ、ミーシャはコクリと頷いた。
まずは傷口に痛み止めを振りかける。が、壊死しかけた傷に効用など薄いのは分かりきっていた。殆ど気休めだ。
手足にさらなる傷を作らないように厚く布を巻き、ベッドに縛り付けてもらい、更に屈強な男達に押さえてもらう。
意識の無い状態だからこそ、思わぬ力を発揮するものなのだ。
母親が指示をして準備を整えている間に、ミーシャも忙しく道具を整えた。
知識としては知っている。
もっと小さな傷でなら似たような治癒をする所も実際に見た事はある。
だが、自分が直接に関わるのは初めてなのだ。緊張で震えそうになる身体を、ミーシャは必死に意志の力で押さえつけた。
治癒を施す薬師が怖気つけば、施される相手に余計な恐怖や不信を与えかねない。
「自信が無いときでも堂々としていなさい」
本格的に薬師を目指すと誓った時に母親に最初に教わった事だ。時にはハッタリだって必要な技術なのだ、と。
(私は出来る。この命は助けられる。大丈夫。大丈夫)
ミーシャは心の中でつぶやき、自分を鼓舞した。どうか、誰もこの震える手に気づきませんように、と、願いながら。
「ミーシャ、準備はいい?」
「はい」
冷静な母親の視線に射抜かれた瞬間、ミーシャはカチリと自分の中のスイッチが入ったのが分かった。
頭の中がスッとクリアになり、手の震えも止まった。
「じゃあ、傷口に薬湯を注いで」
地獄のような時間の幕開けだった。
読んでくださり、ありがとうございました。
後に本文でも出てきますが、ミーシャのいう『薬師』という存在は薬剤師というより、薬も作れる医者な立ち位置で書いてます。
ちなみに内容はかなり適当ですので突っ込みは不要で、一つよろしくお願いします。