新章突入です。
主人公の影薄いです。
波音を聞きながらジオルドはノンビリと寝酒を楽しむ。
このまま何事もなければ、明日の昼過ぎには船は自国の港に着く。
そこからは王城まで馬車で1時間の旅だ。
散々寄り道してノンビリした自覚はあるから、これ以上の引き延しは効かないだろう。
むしろ、怒り心頭の生真面目な宰相様が直々に港まで迎えをよこしている可能性の方が高い。
(さぁて、どうやってトリスの気をそらすかな〜)
のんびりグラスを傾けていると、不意に扉がノックされた。
何か問題でも起こったのか、と顔を出すと、そこには髪と瞳を茶色に染めたミランダが立っていた。
特徴的な色彩を隠すと何処にでもいる町娘にしか見えない。いや、よく見れば充分に顔立ちは整っているのだが、なぜか気配が薄いのだ。
知らずにすれ違えば意識にも残らないだろう。
「ごめんなさい。少しお話があるんだけど、今、良いかしら?」
船の上で分かりにくいが、時間にすればもう深夜に近い。
妙齢の女性を招くには少し問題があるが、まぁ、口うるさいミセスがいる社交界でもあるまいし大丈夫だろう、とジオルドは部屋の中に招き入れた。
狭い船室の中ひとつだけある椅子を譲り、自分はベッドへと腰を下ろす。
飲みさしのグラスにミランダの視線がチラリと向けられた。
「失礼。眠る前の習慣でな」
肩をすくめてみせるジオルドに、ミランダはふわりと笑った。
「プライベートに何をするのも自由だわ。適度な飲酒はリラックスするには最適だしね」
「あんたも飲むか?」
その笑顔になんとなく同類の匂いを感じて勧めてみれば、嬉しそうに受け取られた。
少し癖のある蒸留酒はジオルドのお気に入りで、不慣れな人間が飲めば喉を焼かれてむせてしまうほどキツい。
ミランダはまず軽く香りを楽しんだ後、舐める様に口に含み、飲み込んだ。
「良い香りね。お国のお酒?」
「ああ。故郷の方で細々と作られてる。氷を入れても美味いんだがな」
その後、なんとなく2人とも口を噤んで、無言のまま酒を楽しんだ。
グラスが半分程空いた頃、先に口を開いたのはミランダだった。
「ミーシャを連れて行って何をさせるつもりだったの?」
あまりにも唐突でストレートな質問に、ジオルドは慣れているはずの酒で危うく噎せそうになった。
静かなのに気詰まりを感じない不思議な空間を楽しんでいただけに、油断した。
計算してこのタイミングを狙ったのなら大したものだ。
「悪いがオレは知らん。ただのお使いだからな」
ジオルドは気を取り直して、再びグラスに口をつけながら短く答えた。
「ただ、不利になる様な事をする程、俺の主は愚かではないよ」
「…………そう」
短い言葉の中に主君に対する深い信頼を感じ取って、ミランダは思案顔で頷いた。
「確か、レッドフォード王国には、先の戦いで一族のものが介入していたわね。ならば、大丈夫かしら」
グラスの底4分の1ほど残る琥珀色の液体をくるくると回して遊びながら、ミランダはぼんやりとつぶやいた。
「あの子はまだ幼い。そして、色々と危ういわ。本来ならば、このまま連れ帰りたいところなのだけど………」
「せめて王に面会くらいはさせて貰えるとありがたいな」
半ば本気の声音にジオルドは、そっと声を挟む。
散々遊びながら来た挙句、逃げられましたではこっちの首も危ない。
主にトリスの怒りが怖い。
「………ミーシャは貴方を信頼しているわ。悔しいけれど、私よりも、ずっと」
「あ〜〜、ひと月以上一緒に旅してるしな」
少し寂しそうなミランダになんとなく居心地悪く、ジオルドはごまかす様にグラスを傾けた。
「差し当たり、悪意は無いものと判断するわ。その後は、私自身の目で見極めさせてもらう。悪いけど、貴方の国は今回の件で『森の民』の目をひく事になったわ。それを忘れないでね」
唇を笑みの形にしたまま、ミランダはクイっとグラスの中に残っていた液体を飲み干した。
「ごちそうさま。美味しかったわ」
そう言って綺麗なウィンクを残し、ミランダは、まるで猫の様な身のこなしでスルリと扉を抜けていってしまった。
パタン、と小さな音と共に閉じた扉を見つめながら、ジオルドは、いつの間にか詰めていた息をそろりと吐き出した。
最後の笑顔とウィンクは、いつもの記憶に残らない様な影の薄さが嘘の様な鮮やかさだった。
やはり、姿を変えるのと同じ様に、意図して表情や仕草を変えることで地味な印象になる様にしていたのだろう。
「………強烈、だな」
加えて、完全に脅しだろう、と言いたくなる様な捨て台詞。
下手を打てば敵に回ると宣言されてしまった。
ここでの会話が逐一、国王まで報告されるであろう事を見越しての言動だったのだろう。
自分より幾つか上なだけであろうのにあの会話術と貫禄。
「うん、俺には荷が重いわ。任せた、トリス」
元々、社交術も交渉ごとも苦手な人間だ。
所詮、現場叩き上げの肉体労働者。
ここは頭脳労働が大得意の同僚にすっきり丸投げさせてもらおう。
トリスが聞けばまた柳眉を逆立てる様な事を呟きながら、ジオルドは最後のひとしずくまで飲みきったグラスをすでに空になって置かれたグラスの隣に並べると、そのままゴロンとベッドに横になった。
そして目を閉じればすぐに眠気が襲ってくる。
食べる事と眠る事。
生き延びるためにその2つは取れるときにしっかりと取る主義だ。
ジオルドが眠る直前に浮かんだ面影が誰のものだったのか、それを知るものは誰もいない。
与えられた部屋はミーシャと同じものだった。
船の中という限られた空間をおもえばあり得ないほど広くとられた部屋。
それを与えられた贅沢を鑑みれば、かの国がどれ程ミーシャに気を使っているか分かるというものだ。
そっとベッドの1つを覗き込めば、白い毛玉を抱きしめてミーシャがぐっすりと眠り込んでいた。
その髪に触れたくなる誘惑に耐えて、ミランダはコトリと自分に与えられたベッドへと身を投げる。
思っていたよりもご相伴に預かった酒が回っていたらしく、トロリとした眠気が襲ってくる。
それに抗う事なく身を任せながら、ミランダは、別れた時のレイアースの姿を思い出していた。
(貴女の代わりに、少しだけ、ミーシャのそばにいさせてね。絶対に悪い様にはしないと誓うから)
面影に向かいそっと囁いてミランダはゆっくりと意識を手放した。
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