16
「ミーシャおねぇ〜ちゃ〜ん、バイバ〜イ!!」
「また遊びに来てね〜」
「バイバ〜イ!!」
波止場から手を振る子供達に、ミーシャは船の上から笑顔で手を振り返した。
子供達の声に押されるように、ゆっくりと船が港から出て行く。
予定より2日遅れの出立は驚くほどたくさんの人達の見送りを受けることになった。
船の中で食べてね、暇つぶしにしてね、と食べ物や手作りのカードゲームやボードゲームを笑顔で手渡され、ミーシャの腕の中はすぐいっぱいになってしまう。
そのままぎゅーと抱きつかれ、必ずまた遊びに来ることを約束させられてしまった。
まぁ、家に帰るときに同じ道をたどれば良いか、と軽く頷いたミーシャが、再びこの街に来ることができるのは、予想していたよりも大分先になるのだが………それを知るのは運命の神のみだろう。
波止場に立つ人々の顔が判別つかないほど小さくなり、港を出た船からは姿すらも見えなくなって、ずっと手を振っていたミーシャは、胸を刺す寂寥感にため息をつき手摺に頬杖をついた。
だけど、寂しさ以上にほっこりとした温かさを感じていて、なんだか不思議な気分だ。
(アイリスちゃん、元気になって良かったな……)
ミーシャの指先が無意識のうちに首に下げられたネックレスに触れた。
少しヒンヤリとしたそれは青い石がついた手作りのネックレスで、アイリスが作ってくれたものだった。
船に乗り込む直前に、笑顔で首にかけられ、驚きで目を丸くしているミーシャに、アイリスは少し照れ臭そうに笑った。
「それ、譲っていただいた石を半分に割ってつくったんです。龍神様の石だから、航行のお守りになると思って」
耳元でコソリと囁かれた言葉に更に目を見開くミーシャにアイリスは「私のはコッチです」と同じようなネックレスを首元から出して見せてくれた。
幸せそうな笑顔にミーシャはただ「ありがとう」とだけ言って自分より少し小さな体をギュッと抱きしめた。
あの後。
絶望的な雰囲気のまま港の男たちは船を出し、岸壁の周辺を中心に少女の姿を探した。
ただ、あの付近は海流の流れが複雑でどこに流れ着くかの予測すら立て難く、1時間2時間と虚しく時間だけが過ぎていった。
共に船に乗る事は許可されず、ミーシャは神殿で待機していた。
ジオルドは狂信者たちの拘束とその事後処理に駆り出されており側には居ない。
それもあって、決して1人で出歩かないようにきつく言い含められていたのだ。
する事もないため、未だ目を覚まさないトーイの側に座り、ボンヤリと少年の眠る姿を観察する。
なんの香を焚いたのか、トーイが起きる気配はない。
もっとも、薬のせいだけでなく、姉を襲った不幸に心が耐えられなかったのだろうが。
脳裏で、アイリスが落ちていく姿が何度も繰り返される。
確かに石が光り、海が不思議な動きをしたように見えた。
あれが何なのか、ミーシャにも分からない。
だけど、アイリスが、無事に助かって欲しいと思っている。
肉親を亡くす身を切られるような辛さ。
こんな小さな少年に、そんな気持ちを味わってほしくはなかった。
その時、不意に前触れもなく、トーイがむくりと起き上がった。
「どうしたの?トーイくん。どこか気持ち悪い?」
声をかけるミーシャに見向きもせず、トーイはベッドを降りるとスタスタと歩き出した。
「トーイ君?」
「姉ちゃんが、帰ってくる」
慌てて後を追いかけるミーシャに、トーイは振り返る事もなくポツリと返した。
その声は平坦で、瞳もまるでまだ夢の中にでもいるようにボンヤリとしている。
まるで夢遊病者のような動きだが、なんとなく止める事が憚られてミーシャはとりあえずトーイの後に付き従った。
神殿の中は不思議と人気がなく、ヒンヤリとした空気の中トーイは迷いのない足取りで歩いていく。
やがて建物から出ると目の前には海が広がっていた。
神殿は海辺へと建てられており、直接海岸線へと降りれる石畳の道があった。
ゆっくりとした足取りでトーイがそこをたどり、足首まで海に浸かった。
そうして、スゥッと沖の方を指差す。
その時。
ふわりと波間から何かが浮かび上がってきた。
そうして、何かに押されるように此方へと近づいてくる。それは………。
「アイリスちゃん!」
ミーシャは立ち尽くすトーイの横をすり抜け、海に飛び込んだ。
水をかき分けるように進むミーシャに向かい、アイリスの体がゆっくりと近づいてくる。
気を失っているらしきアイリスは仰向けに浮かんでいた。
波に押されているというには明確な意思を持って此方に近づいてくる体に、ミーシャは動きを止め、ただ両手を広げて待った。
そうして、ミーシャの腕にアイリスの体が触れた瞬間、今まで不思議なほど真っ直ぐに浮かんでいたアイリスの体がかくん、と沈み込もうとした。
慌てて抱き寄せ、そのまま陸の方へと引っ張っていく。
水の浮力があるうちはそう難しい仕事ではなかったけれど、水から上がってしまえば、自分とさほど体型の変わらない気を失った少女を自力で運ぶのは不可能だった。
さらに、海岸に戻って来れば、なぜか先ほどまで立って歩いていたトーイまで気を失って倒れていたのだ。
とりあえず、2人を海から引きずり出し寝かせて、ざっと状態の観察をする。
そして、脈と呼吸が正常であることを確認すると、ミーシャは、人を呼んでくるべく急いで神殿の中に駆け込んだ。
その後、アイリスもトーイも何事もなく目を覚ました。
アイリスは、攫われてからの記憶は曖昧だが、体には傷1つなかったし、目覚めてからの意識も鮮明だった。
絶望視されていたアイリスの無事な姿に人々は「奇跡」だと狂喜乱舞した。
泣きながら我が子を抱きしめ、無事を喜ぶ母親の姿に、ミーシャはホッと胸を撫でおろした。
泣きながら自分に抱きつく家族に困ったように笑って抱きしめ返すアイリスはなんだか幸せそうで少し羨ましく感じる。
それから。
アイリスの強い希望で、中断を伝えられていた祭りは時間をずらし開催されることとなった。
昼間の予定だったものを、夕焼けの赤く染める時間より開催し、神事のメインである奉納舞は篝火のたかれる中行われた。
折しも上がってきた満月が海を銀に輝かせ、厳かに舞う美しい舞姫の姿を一層神秘的に演出していた。
言葉もなく皆が見とれる中舞台の幕が閉じ、最後に、アイリスの手により青い花で作られた花輪が海に捧げられた。
ふわりとアイリスの手を離れ宙を飛んでいく花輪は海に落ちた瞬間、まるで重石が付いていたかのように音もなく海に飲み込まれていく。
かと思えば、遥か沖の方にポカリと浮かび上がり………そして………。
遠目にもわかる大きな影が海の中をスゥッと過ぎり、海面に一瞬顔を出した何かが花輪を口に咥え、再び沈んでいった。
長い長い影が海を過ぎりそして消えていくまで、人々は身動きも出来ずに固まっていた。
あれは………もしかして………。
誰かが何かの言葉を口にしようとした瞬間、アイリスの凜とした声が響き渡った。
「舞は無事、奉納されました。我らの心を龍神様は快く受け取られた。きっと今年も豊漁を、航海の無事を約束されたことでしょう」
それは、毎年のお約束の巫女の宣言。
何かに示されたように、その言葉はその場に集まっていた人々の胸にストンと落ちた。
そうか。今年も無事に感謝を伝えることができたのだ。良かった良かった。
子供達は速やかに舞台を辞し、神父の捧げる祝詞が始まる。
なにごとも無かったように流れ始めた神事に、人々は先ほどの不思議な影に対して声を上げるタイミングを無くしていた。
そうして、密かに伝えられるお伽話が1つ増えたのである。
まだ日が昇らぬ薄闇の中。
ミーシャはなんとなく予感がして、いつかのように海岸線を散歩していた。
もっとも前回の説教は身に堪えたため、本日は素直に護衛つきである。
「………おはよう」
そして、想像通りの海を見つめる人影を見つけ、そっと隣に並んでみる。
「おはようございます」
隣に立つミーシャにちらりと視線を向け、アイリスはふわりと笑った。
そのまま2人で黙って海を見つめた。ゆっくりと水平線が明るさを増していく。
「………海の中で、龍神様に会いました。今度は助けられたと泣かれました」
視線は海に向けたまま、アイリスがポツリとつぶやいた。
唇は微笑みの形に作られ、瞳はひどく優し気に細められている。
その表情はとてもきれいで、アイリスをひどく大人びて見せていた。
「………御伽噺の娘さんと私の魂は同じ形をしているそうです。生まれ変わり、だと。そんな事言われても、困っちゃうんですけどね。
確かに、龍神様のお話を聞くと色々と切なくなったり頭にきたりはしてたんですけど」
少し困ったような言葉とは裏腹に表情は優し気なままで、ミーシャはその横顔に言葉もなく、見とれていた。
「大人の男の人に泣かれるって凄く困るんですね……。どうして良いのか分からなくて。しょうがないから泣き止むまで、トーイにするみたいにずっと頭なでなでしてたんですよ、私」
クスクス笑い出したアイリスにそう言えば初めてミーシャが会った時も泣いてたなぁ〜と思い出す。
「………側に居たいって言われたんですけど、答えられませんでした。だって、私にも夢あるし、家族の事も心配だったから。それに、物語の娘みたいに、全てと引き換えの想いって、まだ私にはよく分かりません」
「………そ、だね。私も、よく分からないや」
ミーシャの脳裏に母親の姿が思い浮かぶ。
父親と生きる為に、故郷と共にそれまでの全てを捨てて見知らぬ土地で暮らしていた母親。
森の中で、いつでも笑っていたけれど、ミランダに会った今では、本当は別の暮らしもあったのではないかと、思ってしまう。
仮にその未来を選んでいた場合、自分は存在する事は無かったのだろうけど、少なくとも、あんな風に命を落とす事は無かったはずだ。
「そうしたら、もう1人の龍神様が、そんなに恋しいならお前が陸に追いかけていけばいいって言い出して、ただ、1人で陸で暮らしていける様にするにはしばらく時間がかかるみたいで。用意ができたら会いに行くからって、私1人で戻る事になったんです」
「………それって」
一瞬、自分の思考に沈み込みそうになっていたミーシャは、続いて聞こえたあまりな内容に一気に覚醒した。
確か、物語の龍神様は例の声の主と1つになったって言ってたけど、また、分離するって事なのだろうか?そんなに簡単にくっついたり 離れたり出来るものなのか?
あぁ、でもそもそも人の理を当てはめるのが間違いなのかもしれない。
出来るっていうなら、可能なのだろう。
問題はそこではなく。
「龍神様、押しかけてきちゃうんだ?」
「………たぶん」
ここでようやく海からミーシャへと視線を移したアイリスは、困った様に首を傾げた。
「恋人になれなくても、側にいれるだけで良いんだって言われちゃって、更にまた泣きそうになられちゃって………」
「まさかの泣き落とし?!」
驚きのあまり、ぽかんと口を開けるミーシャにアイリスはなんとも言えない顔のまま再び海へと視線を戻した。
「恋とか、よく分からないけど……少し嬉しかったのも本当なので」
「………絆されちゃったんだね」
「………まぁ、まだ時間もある事だし、私もいろいろ考えてみます」
何しろ、アイリスにしても、御伽噺の人物が突然目の前に出てきてしまったのだから、混乱しててもしょうがない。
しかも、自分もその御伽噺の当事者だと言われても記憶もなければ実感もない。
「そもそも夢かもしれないし、本当に来るのかもわからないし………」
(いや、300年ものの恋情とか、すっごくしつこそうだし。来ないって事はないでしょう。何しろ思いが重すぎて、統合したはずの本体さんが面倒になって不貞寝しちゃうくらいだし……)
ポツリとつぶやかれた言葉に内心で突っ込みつつもミーシャは懸命にもそれを口にする事は無かった。
ただでさえ混乱中のアイリスを更に混乱させる様な事を言ったら可哀想という思いの一心だったのだが………。
「とりあえず、いつも通り暮らしていこうと思います。踊りの先生からもお墨付きをいただいてるし、成人したら、劇団を紹介してもらえる事になってるんです」
「すごいね!プロの踊り手さんになるんだね」
気を取り直した様に笑うアイリスに、ミーシャも笑顔を返した。
「はい。どこかで見かけたら、声をかけてくださいね!」
「うん。その時は絶対に観に行くよ」
2人の少女は、昇る朝日の中、しっかりと小指を絡めて約束を交わした。
「良い天気」
船の甲板で手すりにもたれたまま、ミーシャは空に向かって手を伸ばした。
穏やかな潮風が船の帆をいっぱいに張っているのが見える。
初めての船の旅は、一泊2日。
波は穏やかで大きな船は海面を滑る様に進んでいく。この調子なら、穏やかに過ごせそうだ。
「………生まれ変わり、かぁ」
もし、本当にそんなものがあるならば、いつか別の時代でもう一度母親に巡り会えるだろうか?
そんな想像をしながら、ミーシャは目を閉じた。
(あぁ、でも、記憶ないならもしそうでも分かんない、よねぇ)
それでも、その想像は、少しミーシャの心を温かくしてくれた。
もし叶うのなら、次の時代でも母親の子供として産まれたい。そうして、今度こそ。
ぱちりと目を開ければ、抜ける様な青い空と青い海。
果てのない様に見えるその先にもきっと何かが存在しているのだろう。
さしあたっては、最初の目的地へ。
胸いっぱいに潮風を吸い込んで、ミーシャは大きく背伸びをした。
読んでくださり、ありがとうございました。
これで第2部終了となります。
最後の龍神様の回は今までのチビ魔女とは随分違うテイストとなってしまいました。
何がしたかったのかというとただ1つ。輪廻の概念を書きたかったのです。
死んだ先にも何かがあるのだと。
それが救いになるかは分かりません。
ミーシャが願っていた様に巡り会えるのかも不明です。
ただ、私はそうであったら嬉しいな、と思いました。
今世で未練なく全てを伝えられればもちろんそれが最善です。でも、そうでない別れもあって、そういう時、これで終わりでないなら、続いていくなら嬉しいのに、と思ってしまったのです。
完全な私事です。すみません。
唐突なストーリー転換に戸惑いの声も多く聞かれました。
驚かせて本当にすみません。
第3部は隣国編にはいります。
次回からは元のチビ魔女ワールドに戻る予定ですので、よろしくお願いします。
ここまでお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました。




