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15

 潮騒の音が聞こえる。


 生まれた時から………ううん、生まれる前からずっと共にあったその音の合間に、誰かの声が混じって聞こえてくるようになったのはいつからだろう。


 いつも、じゃなくて本当にふとした瞬間、空耳のように微かに聞こえるのだ。

 それは泣き声だったり、誰かを呼ぶ声だったり、様々だけど。

 共通してるのはいつも哀しそうな響きだということ。


 私の名前を呼んでくれたら良いのに。

 そうしたら、何を置いてもきっと飛んで行って抱きしめてあげるのに。


 ねぇ、泣かないで………。

 私の名を、呼んで…………。










 横穴の探索に出たジオルド達は1時間ほどで戻ってきた。

 横穴は奥に行けば行くほど徐々に広さを増し、5メートルほどで立って歩けるようになったそうだ。

 穴は全面岩肌で、補強されていたが、途中から天然の洞窟へと合流した。

 道が幾つか分かれていたが、とりあえず水の流れた形跡を追いかけていくと海へ辿り着いたそうだ。


「正確には崖の下の方に開いた洞窟だったよ。引き潮だったから海面まで少し距離があったが、場合によっては出口は水の中に沈んでいるんじゃないかな?

 そして、途中いくつも分かれ道があったから、他にも出口はあると思う」

 報告された内容に誰の口からともなくため息が漏れる。


「………つまり、アイリスがどこに連れて行かれたかを見つけるのは難しい、ってことよね………」

 ミーシャのつぶやきに中年の女性がわっと泣き出した。慌てて周囲の者が慰めているが、どうやらアイリスの母親らしい。

「………ミーシャ」

 咎めるようなジオルドの視線に、そんなつもりではなかったミーシャは居心地悪そうに肩を竦めた。


「………えっと、ジオルドさんがいない間に、もう1つ思い出したことがあって………」

 暗くなってしまった空気に押しつぶされそうになりながらもミーシャは集まっている人達にそっと小さな陶器の鉢を差し出した。


「誰か、この香りに覚えがある人はいませんか?この香りそのまんまではなくて、似たようなモノでも良いんだけど」

 鉢の中には少量の軟膏のようなものが入っていた。くすんだ緑色のそれからは甘ったるいのにどこかすっと鼻に抜けるような独特な香りがしていた。


「それはなんだ?」

 鉢を受け取り香りを嗅いだジオルドがわずかに首をかしげながら隣に立つ人間へと渡す。

「………多分、アイリスちゃんを拐った人間がさせてる香り、です。ミランダさんに再現してもらったの」

 次々とその場を渡っていく鉢を目で追いながらミーシャがぼそりと答えた。


「あれ?これ………」

 何人目かの手に鉢が渡り、小さな呟きが漏れた。それは、泣いていたアイリスの母親だった。

 まだ涙の残る顔で鉢を握りしめ、1度鼻を思い切りかんだ後、再び香りを嗅いでいる。

 そうして、しばらく目を閉じて香りを吟味していたようだが、パッと顔を上げた。


「今朝、アイリスを迎えに来た若いシスターから香ってたのと同じものよ。聖職者がつけるには随分と派手な香りだったから、印象に残ってたの。ねぇ、貴女もあの時一緒にいたでしょう?覚えてない?」

 隣に立ち背中を支えてくれていた女にアイリスの母親は縋るように訴える。

 差し出された鉢の中身を嗅いで、女は納得したように頷いた。


「そうねぇ。でも、この香り、シスターというより乗ってきていた馬車からも香ってたよ?虫除けか馬の臭いを抑えるものなのかなぁ?都会の人はオシャレだねぇ、って思ってたけど」


「………馬車?」

 女の言葉に老神父が怪訝そうな顔をする。

「そうそう。私、アイリスちゃんを見送ろうと早朝から伺ってたんだけど、家の少し手前で止まった馬車からシスターが降りてきて、馭者の男と何か立ち話始めてさ。

 今年から、馬車で移動になったのかって思ってたけど、アイリスちゃんを連れて行く時は歩いて行っちゃったから、不思議に思ってたんだけど………」

 女の言葉に老神父の顔がどんどん険しくなっていく。その表情の変化に恐れをなした女の声が尻つぼみに小さくなっていった。


「………どうしたのですか?神父様?」

「私は馬車の手配などしていません。迎えのシスターは確かに徒歩でここを出て行ったはずなのです」

「そのシスター、今どこにいるんですか?!」

 ミーシャの叫びに、年輩のシスターがおずおずと前に出た。


「シスターロゼッタはアイリスちゃんのお世話係りとして付いていた者で、こんなことになって申し訳ないと無事の祈願を部屋で行ってあるはずですが……」

「すみませんが確認したいので、部屋に案内願えますか?」

 ジオルドの言葉に騎士の1人が素早く動き年輩のシスターを促すと足早に去って行った。


 そうして数分ほどで戻ってくる。


「部屋は誰もいません。ただ、室内に同じ香りが強く残っていました。間違い無いかと」

「そんな、まさか、シスターロゼッタが?!」

 騎士の言葉に被さるように神父の驚いた声が響き渡る。


「彼女は最近この街に来たばかりですしまだ年若いシスターですがとても真面目で優しい方です。人を陥れたり傷つけたりできるような子ではありません」

 真剣な瞳で言い募る老神父にミーシャは少し困ったように頷いた。


「確証は無いんですけど、皆さんに嗅いでいただいた香りの本物は、使い方によっては暗示をかけて人を操る事が出来るものだそうなんです。だから、もしかしたらそのシスターも利用されている可能性があるんです」

「それなら………」

 ミーシャの言葉に希望を見出したかのように目を輝かせた老神父は、しかし、ついで投げられたジオルドの言葉に顔色を青くした。


「つまり、用済みになったシスターの身にも危険は迫ってる可能性が高いって事だな」

「ジオルドさん。さっきは私に怒ったくせに………」

 無神経な発言を咎めるようにミーシャがにらめば、ジオルドは黙って肩をすくめて見せた。


「シスターの大体の行く先が分かったわよ」

 その時、足早にミランダがやって来た。

「神殿の外に偶々遊んでいた子供達が裏口から出て行くシスターを見てたわ。

 山の方に登って行ったって」


 ミランダの言葉にミーシャとジオルドは顔を見合わせる。

「………娘さんが身を投げた場所は」

「残念ながら確認済みだ。誰もいなかった」

 首を横に振るジオルドに、老神父が青い顔のまま縋り付いた。


「確認した場所は、昨日君達に教えた場所かね?」

「そうですが」

「じゃぁ、場所が違う!」

 叫ぶような声にミーシャ達が息を飲む。


「あの場所は酔狂な観光者向けに教える表向きの観光地なんだよ。実際の場所は聖域として秘密にされている………」

「それ、どこですか!?」






 若い神父見習いを先導に駆け出した一同はしかし険しい山道に次々と脱落して行った。

神殿に集まっていたのは基本、お偉方と神殿関係者。動ける若者は外を捜索に出ていた。

 急勾配を走り続けるのは年配者や女性には酷だったのだ。


 だが、事態は1分1秒を争う。

 足を止める者達に気遣う余裕もなく、結果、道案内の神父にピタリと付いて行く騎士軍団を、少し遅れて山道に慣れているミーシャが追いかける形となっていた。


 そしてたどり着いた場所は昨日海を眺めた崖を超え、さらに高い位置まで登った場所にあった。

 おそらく、裏山の頂上となるその場所はゴツゴツとした岩肌がむき出しで海に迫り出しているようになっていた。

 そして、その崖の先端付近に……。


「アイリスちゃん!」

 白い豪奢な花嫁衣装に身を包んだ少女が海に向かって佇んでいた。

 その少し手前には祭壇が築かれ、供物であろう数々の品物が並べられていた。

 そして青いローブに身を包んだ20人ほどの集団が声を合わせて何かの呪文の歌のようなものを唱えていた。


 潮騒と絡みつくように響く複数の声。

 海から吹く風に乗り特徴のある香の香りが流れてきて、その匂いのきつさにミーシャは顔をしかめた。


 駆け寄ろうとしたジオルド達を遮るようにリーダーらしき人物とその脇を固める2人を残して、青ローブの集団が剣を手に立ち塞がった。

「神聖なる婚儀の邪魔をしないでいただこう。龍神様の御前であるぞ!」

 叫びをジオルドが鼻で笑った。


「何が神聖なる婚儀、だ。龍神などどこにいる。お前らのやってる事は誘拐及び殺人未遂。立派な犯罪だ」

 冷静な声に、青ローブ達の顔が不快そうに歪む。


「儀式の邪魔をする者は何人たりとも滅してやる!!」

 そうして一斉に躍り掛かってきた青ローブ達に舌打ちして、ジオルドは剣を抜いた。

「極力殺すなよ!後が面倒だ」

 仲間に声をかける。

 剣を携えているのはジオルド含めて3人。


 若い神父は悲鳴とともに後ろへと下がった。

 それでも、怯えながらも自分より弱い者としてミーシャを背にかばおうとしたのは神職者として褒められる行動だが、震える体はまともに動きそうに無い。


 自分の前で立ち竦んでいる背中の横から顔を出して、ミーシャはあたりをうかがった。

 剣で切り結ぶジオルド達は多勢に無勢ながら危なげなくさばいている。

 暫くすれば怪我ひとつなく鎮圧できるだろう事は素人であるミーシャの目から見ても明らかだった。


 だが、その間にも儀式は着実に進行しているようだった。

 呪文は抑揚をつけながらも徐々に勢いを増していく。

 それに合わせてただ立ち尽くしていたアイリスがふらりふらりと踊りだす。

 ゆっくりとした動きは優雅ながらも、いつものキレはなくどこか不安定だ。


 今にもバランスを崩し崖から落ちてしまいそうでミーシャは気が気では無かった。

(どこか、あそこに行く道は……)

 あたりを見渡し、どうにかいけそうな道を見つけ出す。

 幸いにも大暴れしているジオルド達のおかげでこちらに注目する余裕のある人間はいなさそうだ。


 ミーシャは硬直したままピクリとも動かない神父の陰からコッソリと移動した。

 狩りをしていたため、気配を殺して移動するのは得意だ。

 まずは背後の茂みに飛び込み、闘っている集団を回り込むようにして走り出した。

 そうして、祭壇のすぐ横に飛び出すことに成功する。


 だが、ミーシャが茂みから飛び出した瞬間、朗々と響いていた呪文の声が終わった。

 一瞬の静寂。

 そうして、長いドレスの裾をなびかせフラリと少女は崖から足を踏み出した。


「アイリスちゃん!」

 駆け寄り手を伸ばした指先をドレスの裾がすり抜けていく。

 目を閉じたアイリスの横顔は微笑んでいるように見えた。





 全ては、一瞬の出来事だった。


 その時、どうしてそんな事をしたのかミーシャにもわからない。

 いつの間にか手のひらに握りしめていた青い石。

 それを落ちていくアイリスに向かって投げつけたのだ。

「今度こそまもって!」


 ミーシャの叫び声にアイリスの閉じられていた瞳が開かれる。

 そして、まだどこかとろりとした視線のまま自分めがけて落ちてくる小さな青い石を見つけ、手を伸ばした。


 小さな手が青い石を握りしめた瞬間、石が光った。

 ミーシャがそう思った時、アイリスの体は海へと包み込まれて(・・・・・・)消えた。


 派手な水しぶきも水音もたてることなく、むしろ、一瞬海面がフワリと盛り上がったかのようにすら見えた。


「奇跡じゃ!龍神様が無事、花嫁を娶られた!」

 突然、すぐ近くでしわがれた声が上がった。

 いつの間にか青いローブを身に纏った老人が1人、隣に膝をつき祈りを捧げていた。


 その眼の気持ち悪さに、ミーシャは後ずさった。

「ミーシャ!あの子は!」

 そこに、ジオルドが駆け寄ってきた。

 気づけば青ローブの集団は全て叩き伏せられ、次々にロープ代わりの蔦で縛られているところだった。


「分からない。海に落ちたのは確かよ。早く、助けに行かなきゃ!」

 ミーシャの言葉に、ようやく遅れてたどり着いた面々が船の手配をするために踵を返す。

 しかし、その瞳は絶望に染まっていた。

 崖の高さは優に30メートルはあった。

 生きているとしたら、それこそ、奇跡だろう。


 ヨロヨロとミーシャの隣にアイリスの母親が座り込み、崖下を覗き込んで娘の名前を叫びだした。

 自身すらも落ちてしまいそうなほど体を乗り出そうとする母親の体を、ジオルドが慌てて抑える。

 母親の慟哭は潮騒すらも飲み込み辺りに響き渡った。









 フワリと柔らかな水に抱かれてアイリスは夢現を彷徨っていた。

 水の中に入るのにちっとも息が苦しくならないのが不思議で、ここは天国なのかな?と思った。




 祭りの朝。

 迎えに来たシスターに連れられ神殿に着くと、教えられたように禊を開始した。

 服を脱ぎ与えられた白いワンピース1枚の姿で冷たい海水へと身を浸していく。


 いつの間にか部屋の中にはふんわりと甘い匂いが立ち込めていて、なんだか緊張が少しずつ解けていって、とても気持ちよくなって、そして何も分からなくなった。


 その後もまるで夢の世界のようだった。

 見知らぬ男達に囲まれ、娘が飛び込んだ場所へと連れてこられた。

 これから自分は龍神の花嫁になるのだ。

 そういわれ、美しい白いドレスを着せかけられ、なんだか幸せな気持ちだった。


 祝詞の後に海に飛び込むように言われても不思議と怖くなくて、それが当然のことのように感じた。

 そう。私はあの人の花嫁になるのだもの。

 怖くなんかないわ………。


 だから、海に飛び込んだ時、不意に自分の名を呼ぶ声が聞こえ、目を開けた。

 そしたら、青い石が降ってきたのだ。

 それはとても大事なもの。

 手を伸ばし受け止めた時、ようやく逢えたとホッとした。

 私の大事な、寂しがりやの龍神様。




『ようやく間に合った……』

 頭の中に優しい声が響く。

 アイリスはそれに無意識のままに答えていた。

「やっと逢えた。残していってごめんなさい」

 それに微笑む気配を感じた時、アイリスの意識は再び闇へと沈んでいった。













読んでくださり、ありがとうございました。

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