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たくさんのブックマーク、ありがとうございます。


その知らせが来たのは突然だった。


まず、飛んできたのは屋敷からの『鳥』。

この森全部を縄張りとするカインに付き添われておりてきた鳥の手紙をいつもの習慣で母親に渡した。

ソロソロ月初めで、今度こそ父親が来るという先ぶれか、それとも、やはり来れないという断りの手紙か……。

何気なく様子を見ていたミーシャは、広げて読んでいた母親の顔がみるみる血の気を失っていくのに驚いて側に駆け寄った。


「母さん、どうしたの?!」

崩れ落ちる母親を慌てて支えながら、無作法かと思いつつも手紙を横から覗き込む。

そこには短い文字で父親がひどい怪我を負い屋敷に戻ってきた事。迎えをやるので、治療の技を施して欲しい旨が書き付けてあった。


一瞬頭が真っ白くなりかけたが、ミーシャはどうにか持ち直すと呆然と座り込む母親を急いで揺り動かした。

「母さん、シッカリして!迎えが来ると書いてあるわ!父さんはまだ生きているのよ!!薬の準備をしなくちゃ」

父達が屋敷について直ぐに鳥を飛ばし、それと同時に迎えが出立したとするなら後数時間で迎えの者が来るはずだ。

座り込んでいる余裕なんて無い。


「そ、そうね。用意をしなければ!」

我に返った母親がすくっと立ち上がると調合済みの薬を管理している部屋へと駆け込んで行った。

その背中を見送ってから、ミーシャも慌ただしく動き出した。

薬関係は母親に任せるとして、何日向こうにいるかも分からないのだ。着替えや身の回りの細々したものも持って行ったほうが良いだろう。




あっという間に2時間ほどが過ぎ、扉が外から乱暴にたたかれた。

「はい!今行きます!」

慌てて扉に飛びつき開けば、顔なじみの騎士の姿があった。

父親の側近の1人でここに来る時は良く共に訪れていた。

だが、いつもは柔和な笑顔をたたえた顔は険しく歪み、服装も埃や血で汚れていた。

戦場から戻り、そのままここに駆けつけてきたのだろう。

ミーシャは知らなかったが、この家の場所を詳しく知っているのは、王の側近の一握りだけだったのだ。


「用意はお済みですか?!」

焦りの浮かぶ表情が一刻の猶予も許さぬのだと伝えてきて、ミーシャは心臓がぎゅっと縮こまるのを感じた。

鳥の手紙を見ただけではどこか他人事のような感じが、急に現実感を伴って襲ってきたのだ。

父親が、死に瀕しているのだという。


「出来ていますわ。私の分の馬はありますか?」

奥から灰色のローブを身にまとった母親が背中に大きなかごを背負って出てきた。

顔色こそはまだ悪いけれど、落ち着いた様子の母親は、薬師の顔をしていた。


「………母さん」

なんと声をかけて良いのか、なんと声をかけたいのかすら分からず呼びかけた声は、ひどく弱々しい響きを持っていた。

その声にミーシャの方を向いた母親は一瞬の逡巡の後、きゅっと色の薄い唇を噛み締め、迎えの騎士の方に向き直った。


「娘も連れて行きます。早駆けで私の後ろに乗せるのは辛いので、誰か乗せてくれる者はいますか?」

「母さん?!」

母親の声に悲鳴じみた声をあげたのはミーシャ1人だった。

「もとよりそのつもりです。若い騎士を1人余分に連れてきているので、その者が乗せていきましょう。急いで!」

あっさりと降りた許可に、今度こそミーシャの頭が真っ白になる。

心情的にもとても遠い場所にあった屋敷に、こんなことで訪れることになるとは、思ってもみなかったのだ。


「ミーシャ、5分で支度なさい。時間がありません」

だけど、状況はミーシャの複雑な心境をかんがみてはくれなかった。

ピシリと言い渡された言葉の険しさに、反射的に自室へと駆け込む。

適当に着替えと自分専用の薬師としての道具をカバンに突っ込めば、それで準備は終了だ。5分もかかりはしない。

急いで玄関に戻れば、みんなはすでに外で待っていた。


「こちらに」

短く呼ばれ、顔も見ずにかけよればそこには20に手が届くか届かないかの若い騎士の姿があった。

「乗馬の経験は?」

「ありません」

森の獣道を馬で駆けるなんて非効率なことはしない。ミーシャの答えは至極妥当なものだったが、騎士にとっては落胆に値するものだったらしい。

「では、私の前に。舌を噛む恐れがありますから、決して口は開かずいて下さい。失礼。」


早口でそう言った後、騎士は先に馬上の人となり、体を傾けてミーシャの腕をとるとグッと力強く引き上げた。

「ひゃあ!」

いささか情けない悲鳴と共に、気づけばミーシャも馬上の人となっていた。

(なにこれ、高い!)

馬上から見る景色は想像よりもずっと高く、体を支えるものは跨った鞍と腰に回された腕だけという不安定さに息を飲む。


「私に背を預けてくださって結構です。代わりに決して暴れないでください」

背後から冷静な声が響きグッと体を引き寄せられた。

背中から自分のものでは無い体温が伝わってくる。

10を越えた頃から母親とだってこんなに近い距離になったことは無い。

反射的に前に逃げようとした体は強い腕に阻まれ、僅かに身じろいだだけだった。


「暴れないでくださいと言ったでしょう。馬が驚きます。何もしなくていいので、口を閉じ、じっとしていてください」

舌打ちしそうな口調が背中越しに響いてくる。

(そんなこと言ったって!)

成人前とはいえ、年頃の初心な娘にこの距離は耐え難かった。が、ミーシャの冷静な部分は今はそんな事を騒ぎ立てている場合では無いとしっかり把握していた。

結果。

ミーシャはぎゅっと僅かな荷物が入ったカバンを抱きしめ唇を噛んだ。


「行くぞ!」

号令がかかり、馬が走り出す。

(イャァァ〜〜、揺れる!落ちる!!怖イィィ!!!)

途端に激しく上下する視界にミーシャは心の中で絶叫した。

騎士に言われるまでも無い。

こんな状態で口など開いたらあっという間に血まみれになるのは確実だ。

だから、ミーシャは賢明にも心の中だけで叫び続けた。

(きぃやぁぁぁ〜〜!!!)



こうして鳥がきて僅か2時間ほどでミーシャは生まれ育った家と森を後にしたのであった。まさか、次にこの地を踏む時には、状況が激変しているとは思いもせずに……。








城内は騒めきに満ちていた。

領主の側室でもある森の奥に住む『魔女』がやって来るというのだから。


大怪我を負って戦場から帰還した領主の状態は明らかに良くなかった。

傷から毒が入り傷口を膿ませ、いつまでも傷が塞がらない。

ジクジクと不気味な色の汁が染みだし、そこから起こった熱は領主の意識と体力を奪っていた。


森の奥に住む『魔女』の薬は絶品だ。

魔女ならばもしかしたら領主の怪我に対して有益な知識をもっているかもしれない。

領主を慕うものたちにとって、それは最後の希望だった。




もっとも、夫の愛を奪われた妻にとっては微妙な気持ちだった。

このままでは夫が死んでしまうのは間違いない。だが、夫の愛を奪った女に頭をさげるのは、あり得ない。


物心ついた頃から憧れた人が婚約者となった時には、天にも昇る心地だった。

年頃になり、情熱的では無いけれど、婚約者として礼儀正しく自分をエスコートし微笑みかけてくれる男に、周りに対して鼻高々だった。

男は王弟として、次期公爵として社交界の憧れの的だったから。

彼が、見聞を広めるためと旅に出た時は寂しかったが、その旅から戻って来ればいよいよ結婚式だと思えば、心も踊った。

ウキウキと準備をしては偶に送られてくる手紙を抱きしめて眠ったものだ。

まさか、その旅で女を連れて帰ってくるとは思わずに。


女は確かに美しかった。

淡い金色に光る髪に深い緑の瞳は神秘的で、更には遠国の薬の知識まであるという。

惜しむべくは庶民の出であり、この国のマナーについては何も知らなかったという事。


貴族にとって結婚は契約に近い。

正式な手順に則って行った婚約は、真に愛する人を見つけたのだ、という甘い理由では覆る事は無いのだ。

双方にとってそれが幸か不幸かは別として。


彼女は思い描いていた未来に固執した。

婚約を破棄させて欲しいと頭をさげる婚約者にも、他に愛する人を持つ男と結ばれても幸せになんかなれないと説得する母にも決して首を縦には降らなかった。


結婚は契約。

それに側にいればきっとあんな田舎の女にはすぐに飽きてしまうはず。

頑なな彼女の意思と、王家と縁を結びたい父親の意思が重なり、結果、彼女は正妻に。婚約者が連れてきた女は側室に収まった。


幼い頃より婚約者として共にあった彼女に、恋情はなくともある種の愛情は抱いていた彼は、2人を平等に扱おうと努力してくれた。

だが、そんなもので彼女は満足できなかったのだ。


高貴貴族が複数の妻を持つのは当たり前。

正妻は側室を束ね上手く家を回すのが当然と求められる。

そんな事は貴族として生まれ育った彼女だって百も承知だ。

現実に母はそうしてきたし、側室腹の姉弟とも同じ様に育ってきた。


だけど、コレは違う。

結婚前から求められていたのは彼女で、私はしがらみに押し付けられた妻。

それは根強いコンプレックスとなり彼女を頑なにしていった。


もし。と、彼女は夢想する。

せめて結婚した後だったら、子供を授かった後だったら、夫が連れてきた女の存在ももう少し心穏やかに受け入れられていたのでは無いか、と。


だが、現実はそうでは無く、嫉妬に狂った彼女は寄る辺の無い女を夫に隠れて苛め抜いた。

そして、女が虐められた事を夫に訴える事は無く、耐えてしまった事で、事態はどんどんエスカレートしていったのだ。


教養が無くマナーがなっていない事を貶めれば、女は教師をつけ、努力した。

難癖とも言える彼女の無茶な要求にも、どうにか答えようとした。

そうして、彼女は伸ばした爪を引っ込めるタイミングを失ってしまったのだ。


そうして、あの日。

いつもの様に嫌味を言っていた彼女は、顔色を悪くしながらも俯き耐える女にどうしようも無くイラつき手にしていた扇を投げつけた。


不幸が重なったのだと皆が言う。

投げた扇子が女の目に当たってしまった事。

驚いた女がよろけた事。

そこが、偶々階段の上だった事。


結果、女は屋敷の大階段から転げ落ち大怪我を負った。

軽やかに走り、踊る様に歩いていた女の足は無残に砕け、2度と同じ様に動く事は無くなった。


それから暫くして、女は屋敷を去って行った。

領地の端にある険しい山の中に居を構え、それ以来、2度と彼女の前に姿をあらわす事は無かった。


結婚してから初めて、彼女の生活に平穏がもたらされた。

夫は相変わらず礼儀正しく穏やかな愛を注いでくれたし、周りの召使たちも女の事を彼女の前で話す事は無かったから。


例え月に一度数日、決まって夫の帰らない日があるとか、その度に効用の高い薬を持ち帰る、とか。

それらに目をつぶって仕舞えば、平穏は護られたのだから。


だが、それは癒えない傷に蓋をしてただ隠しただけに過ぎなかった。

隠された日々はその年月の分だけ膿み、じくじくと痛み続けたのだった。




そうして、今。

十数年の時を経て、女が目の前に現れようとしている。

しかも、瀕死の夫を助けるために……。

彼女の心が千々に乱れたとしても、誰も咎める事は出来ないだろう。




読んでくださり、ありがとうございました。


誰が悪いとか、そういうんじゃないかもしれない事って沢山あると思うんです。

感情って拗れると1番厄介で面倒なものだと思います。

まぁ、感情があるからこそ、人と交わることが面白いんでしょうけど……。


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