33
洞窟にあった扉は建物の中にあったようで、扉をくぐったミーシャは石造りの建物の中に出て目を丸くした。
平らにならされているものの地面はむき出しの土で、いくつかのベンチが並んでいるだけの広い部屋だった。
「ここは慈愛の女神を祀っている教会なのよ」
ミーシャが目を丸くしていると、ミランダに背中を押された。
その背後で、最後に出てきたラインが扉を閉める。
大きな木製の扉は洞窟側と同じように大きな精霊石が取り付けられていた。
その扉を隠すように天井からばさりとタペストリーが落とされる。
そこには緻密な刺繍で慈愛の女神の神話がつづられていた。
「不毛の大地に降り立った女神は渇き苦しむ人の子を憐み涙を流した。
女神の涙にうるおされ息を吹き返した大地に、女神は自身の身を削っていくつもの種をつくり大地に投げた。
柔らかな胸から作られた種は水気たっぷりの果実を実らせ渇きにあえぐ人の喉を潤し、豊かな髪から作られた種は黄金の稲穂を実らせて人の飢えを満たした」
幼い頃母親に寝物語に語られた神話をそらんじたミーシャにミランダが笑みを浮かべた。
神々の争いに巻き込まれ荒れ果てた大地で、苦しみあえぐ人を憐み、自分の身を削ってもそっと手を差し伸べた慈愛の女神は植物の生みの母としても伝えられている。
「レイアースは慈愛の女神様の話が大好きだったものね。私も何度も聞かされたわ」
「女神様から頂いたものなのだから、欲張らずに皆に分け与えてあげてねって、薬草を摘みながら母さんいつも言っていたの」
懐かしい思い出に、ミーシャの頬も緩む。
タペストリーに刻まれた女神は豊かに流れる金の髪に緑の瞳を持っていた。
「レイアースらしいわね」
語られる思い出に瞳を微かに潤ませながら、ミランダはそっと大地の女神に捧げる印を指先で刻むと目を閉じる。
「無事に待ち人が村にたどり着きました。女神様の慈悲に感謝いたします」
優しい声にミーシャもミランダの隣で印を組み目を閉じた。しばしの無言の時が流れる。
「……そろそろいいか?皆、行っちまったぞ」
沈黙を破ったのは、少し呆れたようなラインの声だった。
その声に目を開けたミーシャは、いつの間にかたくさんいた人々がだれもいなくなっていることにようやく気づく。
「ミランダ、ネル爺さんが先に集会場に行ってるってよ。夜の宴の打ち合わせをしたいから、早く来いってさ」
「あら、いやだ。そんなに時間たってたかしら?ミーシャ、また後でね」
少し頬を赤く染めながら、ミランダが足早に去っていく。それでもミーシャに一声かけて行くのはさすがというべきだろうか。
「夜の宴ってなに?」
その背中を見送ってから、ミーシャは首を傾げた。
「お前のお披露目だろうな。それまではお役御免だから、とりあえず家に行こうか」
「おひろめ?」
思いもよらない言葉にさらに首を傾げながらも、ミーシャは扉の所で手招いているラインの元に足を向けた。
途端に冷たい風が吹きつけて、ミーシャは首を竦めた。
建物の外は一面の雪景色だった。
どうやら村はずれに立つ建物だったようで、一直線に雪かきされた道が伸びているけれど、その両端には高く雪が積み上げられていた。
「ここもやっぱり雪は積もってるのね」
なんだか不思議な気持ちで辺りを見渡すミーシャにラインが笑う。
「あたりまえだろう?山の中にあるんだから。白樺の森よりも表っ校(標高)が高いからむしろこっちの方が雪深いんじゃないか?」
隣に立って歩き出すラインに促されて進んでいけば、ぽつぽつと建物が見えてくる。
そこには二階建ての同じような作りの家が並んでいた。
「けっこう家と家の間が離れているのね」
「雪に埋もれて見えないがそれぞれ畑がついてるんだ。自分たちで食べる分は基本自分で作るからな。まぁ、うちのは作る人間がいないからほとんど雑草にまみれてるけど」
家と家の間が結構距離があることに気づいたミーシャに、ラインが苦笑しながら教えてくれた。
「あぁ、おじさん、ほとんど村に居ないから。でも、それなら良く家がそのまま残っていたわね」
下手したら年単位で放浪しているラインの家がいまだに村にある不思議にミーシャは首を傾げた。
山間のわずかな平地に作られた小さな村で、家が建つほどの土地は貴重なはずだ。
優先順位は村にくらす人間の方が高そうなものである。
「まぁ、それなりに貢献してるしな。家まで無くなったら本当に村に帰ってこなくなりそうだって言われてるのもある」
軽く肩を竦めて見せながら、ラインは村の中心をよけるようにぐるりと歩き、村でも一番のはずれにある一軒の家へとたどり着いた。
古びた二階建ての家で、正面の玄関わきには小さなウッドデッキがある。屋根の上には雪が積もっているけれど、家の周りは最低限の雪かきはされているようだ。
帰ってくる二人のために、村の人が整えてくれていたのだろう。木製の雨戸は開けられガラス窓越しに花が生けられているのが見えた。
半ば飲み込まれそうになりながら森を背に立つ小屋は、どこかミーシャが暮らしていた森の家に似ていて、初めて来たはずなのに懐かしさを感じた。
「ようこそ、我が家へ」
鍵のかかっていない扉を開けて、振り返ったラインが笑顔でミーシャを招き入れる。
誘われるままに玄関をくぐったミーシャは、まず空気の温かさに顔をほころばせた。
暖炉には赤々と炎が燃え、その上では湯が沸いていた。
テーブルの上には明るい色のテーブルクロス。丁寧に花が刺されたそれは少し糸が色あせていてた。
(もしかして、母さんが作ったものだったりするのかしら?)
部屋に染みついた薬草の香りに、ミーシャは目を細めた。
薬草の香りに混ざる甘い蜂蜜とバターの香りは、テーブルの上に置かれた皿の上からのものだろう。
「ミランダが気を遣っていろいろ用意してくれてるみたいだな。荷物を置いて、お茶にするか?」
「うん。これ、どこに置けばいい?」
一足先に防寒具を脱ぎ始めていたラインに、ミーシャは背負った荷物を見せた。
「とりあえずコートはこっちにかけて、部屋はレイアースが使ってたところでいいだろ」
指し示された場所にコートや帽子をかけたミーシャは、重装備から解放されてほっと息をつく。
温かく整えられた部屋はコートを脱いでも暑いくらいで、ミーシャはもう一枚上着を脱ぐか悩むほどだった。
靴を脱いだ先に置かれた布の上履きは新しいもので、ふわりとした毛皮が気持ちよかった。
そこにミーシャが好きな花の刺繍を見つけて、それを用意してくれた人の正体を知る。
「こっちだ」
スリッパを嬉しそうに見つめていたミーシャは、ラインに声をかけられて慌てて後を追った。
急な角度の細い階段を上ると階段をはさむように二つの扉が向かい合っていた。
「そっちがレイアースの部屋だ。昔のままだから問題はないと思うけど」
指さされた扉には少しいびつな模様が刻まれていた。
「これってお花?」
指さしたミーシャに、ラインが噴き出す。
「それ、レイアが子供の頃彫ったんだよ。ヒントはレイアの一番好きな花だ」
思いがけない言葉に、ミーシャは目を丸くする。
「これ、母さんが彫ったの? 本当に?」
ミーシャから見た母親は何でも器用にこなす人だった。
特に手先が器用で刺繍や彫刻など細かい細工を得意にしていたから、こんな拙いものが母親作だとは信じられなかったのだ。
「本人は作り直したかったみたいだけど、父親が思い出だからって反対したんだ。確か六つくらいだったから、年の割には十分上手だったと思うけどな」
当時のやり取りを思い出したのか、クツクツと笑いながらラインが扉を開け放した。
そこはベッドと机、小さな箪笥があるだけの部屋だった。
だけど、いろいろな場所には可愛らしい木彫りの動物や花が置かれ、ベッドや窓には凝った造りのキルトがかけられて、可愛らしく整えられていた。
「その後、意地になったみたいに彫刻にはまって、至る所作品だらけだ。ベッドやタンスは扉で懲りたのか上手になってから刻んだから立派なもんだろう」
指し示されたベッドヘッドの飾り彫りに、ミーシャは扉とは別の意味で目を丸くする。
「母さんって村を出たのは十六になる前だったんでしょう?そのころに彫ったものなの?本当に?」
「プライド高かったし凝り性だったからな、レイア。ちなみにそれは十二くらいの時だぞ、彫ったの」
ラインの言葉に、ミーシャはあっけにとられたように口を開ける。
彫刻職人としてもやっていけるのではないかと思えるような作品だった。
「小さな置物とかは作ってくれたけど、こんなものまで彫っていたなんて」
「まぁ、この部屋は好きに使ってくれていいから。軽く荷物片づけたら降りてこいよ」
笑いながらそう言い残して、ラインは下へと降りていった。
一人残されたミーシャは改めてぐるりと小さな部屋の中を見渡してみる。
母親が十六でこの村を出るまで暮らしていた部屋に、今自分が立っているのが不思議な気持ちだった。
ミーシャの知る母親はいつでも穏やかにほほ笑んでいて、豊富な薬の知識を持ち、どんな疑問にも答えてくれる存在だった。
かといって完ぺきというわけでもなく、ミーシャとともに父親に悪戯を仕掛けて笑ったり、薬の構想に夢中になってうっかり食事を作り忘れたりすることもあった。
「母さんはここでどんな日々を過ごしたのかしら?」
人里離れた小さな村だ。
自給自足が中心で、贅沢品がほとんど手に入れる事ができない生活だったのは、この部屋を見ればなんとなく理解できた。
だけど、手に入るものをうまく工夫して可愛らしいものを作り出していたのだろう。
机の上に置かれた古びた布人形をなんとなく手に取って、ミーシャは少し歪んだ縫い目に少し笑った。
母親も最初から何でもできたわけではなく、こうして一つ一つ積み重ねていったのだろうと伝わってくる。
「私も、頑張るね」
ミーシャは手にした人形に宣言するようにつぶやくと、ギュッとその小さな体を抱きしめる。
ふわりとあるはずのない母親の香りをかいだ気がした。
「そういえば、体調はどうだ?」
一階に戻ってきて、のんびりお茶を飲んでいたミーシャは、ラインに唐突に問いただされて首を傾げた。
「べつに、今朝はゆっくり寝たし、歩いた距離も大したことなかったから元気だけど、どうしたの?」
「いや。夜の宴までまだ時間もあるし、お前の祖父母の墓参りとかどうかな?と思ってな」
「お墓参り?」
突然の提案にミーシャは目を瞬いた。
「それって、母さんのお父さんとお母さんってことだよね」
母親が故郷の話をすることはほとんどなかった。
今となっては、一族の元を離れる制約のためだと分かっているけれど、何かが引っ掛かったのか祖父母の話を聞くこともほとんどなかった。
もともと母親と二人きりの生活に慣れ切っていたミーシャは、自分の血族の事を思い浮かべる事もほとんどなかったため不思議にも思わなかったけれど、レイアースやラインがいるという事は当然その両親がいるという事だ。
「面倒なら「行きたい!」
ラインの言葉を遮るようにミーシャは大きな声をあげた。
「お墓参り、行きたい! 母さんも連れて行ってあげたいし!」
ガタリと立ち上がり力説するミーシャに、珍しく目を丸くして驚いていたラインがふわりと笑顔を見せた。
「じゃあ、行くか。村の裏手の斜面に作られてるんだよ」
「うん!」
慌ただしく動き出した二人に、暖炉の前で微睡んでいたレンもいそいそと立ち上がる。
脱ぎ捨てたコートを再び着込み、雪がはいらないようにしっかりとブーツの紐を締める。
「毎日誰かしら通ってるから、道はあるはずだ」
先に立つラインの言葉通り、家の裏手の森の中に細い道が雪の上に続いていた。
生い茂る木々がそれなりに雪を防いでくれているようで、道は埋もれる事なく残っている。
それをありがたくたどりながら、ミーシャはラインに祖父母の話をねだった。
「母さんはこの村のこと話せなかったから、お爺ちゃん達の事もほとんど知らないんだ」
少し寂しそうにつぶやくミーシャに、ラインはいろいろな話をしてくれた。
祖父母はどちらもこの村で生まれ育った幼馴染だった。
祖父は体が弱いし足に軽い障害があり大人しい質で、母親は年上の男友達も殴り飛ばすほど豪快な女傑だった。
正反対の二人がくっついた時は周囲は驚いて叫んだほどだったそうだ。
結婚した後も母親は村の外を放浪することが多く、それを父親は村で支えた。
子供が生まれてもその生活は変わらず、兄妹はほとんど父親に育てられたそうだ。
自由人の母親だが、彼女なりに家族は大事にしていたようで節目節目にはきちんと帰って来たし、一緒にいる時はめいいっぱいの愛情を注いでくれた。
「父親と母親の役目が反対だと、良く皆に言われていたな」
当時を思い出して語るラインの目は優しく細められていて、ミーシャは仲のいい家族だったんだろうなと想像する。
「旅の途中で事故に巻き込まれた母親が帰らぬ人になって、父親はショックで体を壊した。
そのまま儚くなるんじゃないかと村中が心配したんだが、まだ当時十歳にもなっていなかったレイアのためにどうにか踏ん張ってくれて……。
それから四年、寝たり起きたりを繰り返しながら俺たちを育ててくれたんだ。
とても仲の良かった夫婦だったから、本当は、すぐにでも後を追っていきたかったはずなのにな」
雪道を一歩一歩踏み占めるように歩きながら、ラインはぽつぽつと思い出を語っていく。
ラインの声以外は、サクサクと雪を踏む音だけが響く中、ミーシャは黙ってその声に耳を傾けながら家族の姿を思い描いていた。
病弱だが優しい父親と幼い兄妹。
たまに帰ってくる母親を待つ日々は、それでも幸せだったのだろう。
「さぁ、着いたぞ」
ふいにラインが足を止め、想像の世界に浸っていたミーシャはハッと我に返った。
スッと前に立つラインが横によけると、そこは見晴らしのよい高台になっていた。
眼下には村が見える。さらに遠くに目をやれば木々の合間から微かに海が見えた。
「ここが墓地?」
思わず驚いてラインを見上げた後、ぐるりとあたりを見渡す。
そこは墓地というには少し不思議な光景が広がっていた。
ミーシャがレッドフォード王国で見た墓地は、整然と石碑が並んでいる場所だったし墓石には個人の名前やその人を忍ぶ言葉が刻まれていた。
しかしそこには まだ新しそうな石碑がポツポツとみられるものの、それ以外は高台にあるちょっとした広場のように見える。
「ここが両親が眠る墓だな」
首を傾げるミーシャに少し笑って、ラインが連れてきたのは一本の若木の前だった。
よく見れば、木の根にうもれるように石碑らしきもの見える。
「墓をつくると不思議なことに木が生えてくるんだ。こうやって生えてきた木に墓石が取り込まれて見えなくなったら成仏したと考えられている」
説明されて、ミーシャはようやくその石碑が墓石であることを認識する。
「木を植えるのではなく、勝手に生えてくるの?」
「あぁ。面白いのは、生えてくる木の種類は一定じゃないし、それぞれに成長具合も違うってことだ。
うちの場合は母親を埋葬した後、木はいつまでたっても生えてこなかったのに、父親を隣に埋葬した途端に一気に成長した。
さすがに珍しい現象だったみたいで、父親の思いが母親を現世に留めていたのか、父親が気になりすぎて母親が天に行けなかったのかどっちだろうと村の中でも大分話題になったな」
笑いながら、ラインはそっと木の隙間から覗く墓石に触れる。
「仲良しだったんだね」
埋葬した後から植えたはずのない木が生えてくる。
たまたま埋葬した場所にに木の実が埋まっていたとか鳥や獣が種を運んできたとか、説明をつけようとすればいくらでもできそうな気もする。
しかし、毎回誂えたように墓石を覆うように木が成長する確率はどれくらいのものだろうか。
ミーシャは、祖父母の墓石の上に立つ木を見上げてみた。
「これ、何の木なの?」
「ハナミズキだ。両親が好きだったんだよ。家の前にも植えてある」
「そうなんだ……」
今はすっかり葉が落ちて、雪が積もっているけれど、大きく枝を広げた大木は春には花を夏には涼しい日陰をつくってくれることだろう。
「おじいちゃん、おばあちゃん、初めまして。私は孫のミーシャです。これからしばらくここで暮らすので、よろしくお願いします」
ミーシャは元気よく挨拶をすると、大きく頭を下げた。
「とっても立派な木ですね。二人分だからかな?お母さんもきっと見たかったと思うけど……」
きっと母親がこの村を去るころには、ここまで大きく成長してはいなかっただろうと思ったミーシャは、言葉を止めて目線を下に落とした。
「でも、もう天の国で会えたかしら? どんなお話をしてるのかなぁ?」
「……ミーシャ」
悲しそうに声を震わせるミーシャの頭をラインが慰めるように撫でた。
「あのね、おじさん。お母さんのお墓はお父さんのお家にあるんだけど、私、少しだけ髪を分けてもらって持っているの。いつか森のお家の側に埋めてあげようと思っていたんだけど、……ここに埋めてもいいかなぁ?」
しばらく無言で撫でられていたミーシャは突然顔をあげてラインを見上げた。
そして、首元からお守り袋を引っ張り出す。
その中から小さな紙包みを取り出し、開いて見せた。
そこには、白金の髪が一房入っていた。
冬の柔らかい日差しの中でもキラキラと綺麗な光を弾く真っ直ぐな髪はレイアースのものだった。
葬式の時に一房切り取られ渡されたそれを、ミーシャはずっと大切にお守り袋に入れて持っていたのだ。
「いいんじゃないか?両親も喜ぶだろう」
静かに頷かれて、ミーシャはぺたりと座り込んだ。墓石は半分ほど木に飲み込まれていたから、ミーシャはその木の根元を掘ることにした。
雪をかき分け、固い土を指で掘っていく。
カチカチに固まった土は、ミーシャの小さな手ではなかなか掘る事ができなかった。
ふいに横から大きな手が伸ばされる。
ラインが隣に座り込み無言のまま、土を掘るのを手伝い始めたのだ。
目を瞬いたミーシャの横から、さらにレンが参加する。
格段に上がった掘るスピードに、ラインとミーシャは顔を見合わせて笑いあった。
「これくらいでいいかしら?」
爪の間を泥に染めて、三人はようやく満足のいく穴を掘る事ができた。
ミーシャは、そっとその穴の底にレイアースの髪を置いた。
穴の底でキラキラと輝く白金の髪をミーシャはじっと眺める。
ミーシャは幼い頃から、鏡の前で髪をとかすレイアースを見るのが好きだった。
小さく歌を口ずさみながら母親が髪を櫛で梳かすたびに、キラキラと光がふりまかれているように見えた。
「母さんの髪で妖精が躍っているみたいだったの。とても綺麗で……」
もう二度と見る事の出来ない、幸せな光景を思い出し、ミーシャの頬を涙が伝う。
「少し大きくなったら、母さんの髪を私が梳いてあげたりすることもあったの。母さんの好きな花の香りの香油をつけて、何度も何度も櫛で梳いたら、母さんの綺麗な髪がもっと綺麗になって……」
小さくつぶやきながら、ミーシャはそっと土を手に取った。
「大好きな母さん、故郷に戻って来たよ。父さんと共に去ることを選んで後悔はしていないと言っても、懐かしいと思う事はあったでしょう?」
サラサラと少しずつ土が被せられていく。
「おばあちゃんたちと天の国で仲良くね。いろんなお話、たくさんしてね。私たちをそこから見守っていてね」
やがて白金は土に覆われ見えなくなった。
「私も、出来る事からひとつずつ頑張るね。何ができるか分からないけど、きっと母さんみたいな立派な薬師になってみせるから」
いつの間にかほほを伝う涙は消えていた。
最後にポンポンと優しくむき出しになった土を叩くと、ミーシャはじっと見守っていたラインとレンに向き直り、笑顔を浮かべて見せた。
「髪だけじゃ、何も生えてこないかな?」
「どうだろうな?何年かしたら、分かるんじゃないか?」
首を傾げるミーシャに、ラインが肩を竦めて見せる。
「木は無理でも、お花くらいは咲くといいな」
ミーシャは立ち上がると服の裾についた土をパンパンと払う。
「母さんだったら、どんな花になるかな?」
「木かもしれないだろう?」
すっかり花が咲くことが決定しているかのように相談を持ち掛けてくるミーシャに、ラインが笑う。
「え~。木でも、きっと綺麗なお花が咲く木だと思うな。だって母さんだもん。あ、でも薬効がある植物かも。母さんだし」
「期待値が高いって目を回してそうだな、レイア」
笑いながら一行は歩き始めた。
ゆっくりと家に向かって山を下る。
いつの間にか陽は陰り、空は茜色に染まり始めていた。
ふいに冷たい風が吹きつけてきて、ミーシャの長い髪を揺らす。
伯父との旅が再び始まった時に髪の色は茶色から元に戻していた。
(そういえば、みんな同じような色だったな。ここでなら、私の髪も瞳も隠す必要なんてないんだ)
迎えに来てくれていた人々の持つ色は多少の濃淡の差はあれど同じ色といっていい。
(外の世界に出た時、きっと母さんは驚いただろうな)
いろいろな髪や瞳の色を初めて見た時、レイアースは何を感じただろう?
(同じ色の人たちに囲まれて、私はここで何を感じるのかしら?)
ブルーハイツ王国で師である母親を亡くし、レッドフォード王国で薬師としての力不足を痛感して、自分の成長を願い大陸の北の果てにある『森の民』の村に行く事を選んだのはミーシャ自身だ。
(ここには私の知らない薬師の知識がたくさんある)
期待で心が浮き立つような、それでいて怖いような不思議な気持ちだった。
「どうした?」
突然足を止めたミーシャに、隣を歩いていたラインが首を傾げる。
「なんでもな~い。明日から、楽しみだなって思ってただけ」
「その前に、夜の宴だな。外で生まれた一族の子供は珍しいから、きっとみんな興味津々だ。おそらくネル爺辺りがいろいろ話してそうだしな」
「え~~? 何、それ? ネル爺様、何話してると思う?」
歩き出したミーシャはもう振り返らないし、隣を歩くラインも同様だ。
だから、丁寧に均したはずの土がもこもこと動き、ピョコンと可愛らしい芽が飛び出したことに気づくことはなかった。
読んでくださり、ありがとうございました。
子供の目から見たら親って完璧な存在に見えるけど、親だって人間なので子供の頃がある。
そんな当たり前のことに子供の頃は気づかなくて、成長してからなんだかびっくりするんですよね。
なんて、実家で両親の幼い頃の写真を見てしみじみ思ったりしたお盆でした。




