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「おじさーん!?本当にこっちの方向で合ってるんだよね!?」
吹き付ける吹雪に視界をふさがれながらも、ミーシャは必死で前に進む。
足元は積雪で道らしきものも見えず一面の雪景色だ。
しかも積もったばかりの新雪は柔らかく、一歩踏み出すたびに膝下近くまで埋もれるため、体力の消耗が激しかった。
「おう。大丈夫だからサクサク進めーー。うっすらと前方に山影が見えるだろ。あそこまでたどり着いたら木々で雪が遮られるから少しはましになるはずだ。頑張れ」
「どこに?全然見えないんだけど?」
ミーシャは風にあおられそうになるフードをしっかりと押さえながら指さされる先を眺めるが、ホワイトアウト一歩手前の状況では視界は、ほとんどゼロに近い。
「もう。信じるからね、おじさん!」
こぼれそうになる泣き言を強引に別の言葉に変えて、ミーシャはすぐ隣を進むラインの気配だけを頼りに足を進める。
そんなミーシャを応援するように周囲を駆け回るレンは、少しもこの雪が苦になっていないようだった。
「レンは生き生きしてるね」
「まぁ、もともと飛び灰色狼は北の方の山間部に多く生息する種族だしな。積もった雪の上を飛び回るもお手の物なんだろう。しかし、レンは白いから保護色になってすぐ見えなくなるな」
自分の吐く息すらも凍ってしまいそうなほどの寒さだったため、口元まで覆ったマフラー越しにぼそぼそと会話する。
本来なら体力を消耗しないように無言の方がいいのだろうがこの雪ではぐれてしまわないようにお互いの存在確認だった。
最初はミーシャを先に立たせようとしたラインだったが、さすがに土地勘がないうえに、吹雪で方向を見失ってしまいそうな現状で先を行く勇気はなかった。
結果、隣を進んでいるのだ。
「やっぱりせめて吹雪が止んでから出発した方が良かったんじゃない?」
「残念だがこの時期はほぼ毎日この天気だ。あとひと月もすれば木がてっぺんまで埋まるから本当に春になるまで村にたどり着けなくなるぞ?」
「うぅ……。なんであの時温泉の魅力に負けちゃったんだろう、私」
流石に遊びまわりすぎで遅くなったあげく、春まで到着を持ち越すわけにもいかないと明らかに悪天候の中出発したのだが、早くもミーシャは後悔していた。
「だいたい、おじさん基準の大丈夫なんて信用しちゃいけなかったんだよ……」
「そんな心配しなくても大丈夫だって。後をつけられる心配しなくていい分、意外にこの時期に戻ってくる奴らは多いんだぞ?俺も何度も経験してるしな」
肩を落としてもラインはあっけらかんとしたものだ。
「ほら、頑張って歩かないと夜になって、ここで野営しないといけなくなるぞ~~。せめて遮蔽物がある場所までたどり着こうぜ。いまさら引き返すわけにもいかないんだしさ」
最後の村を出発してから半日が経過していた。
確かにラインの言う通り、いまさら引き返したところで、暗くなる前に村まで戻ることはできないだろう事は、ミーシャにも容易に想像がついた。
それに、ここまで来て諦めて帰るのも悔しい。
ラインの言葉を信じるなら、ここまでは予定通りに進んでいて、夜には目的地に到着するというのだから、なおのことだ。
「言われなくても歩くもん!!」
自分に気合を入れるように叫ぶと、ミーシャは重い足をずかずかと動かしだした。
ヒューゴとアクアウィズと別れたミーシャ達一行は、再び船の旅を選択した。
陸路は雪道が予測され、山を越えるには労力がかかる。
最も海も通常ならば波が高い日が増え、先に勧めるかは運次第となるのだが、そこに関しては最強のラッキーアイテムを手に入れていたため、心配はなかった。
アイリスと別れた時に、半分こにした青い石のペンダント。
それにアクアウィズがお守りと称して加護をかけてくれたのだ。
「今の僕の力でも、一航海くらいなら効果があるはずだから」
バイオリンの空洞の中にペンダントを放り込んだアクアウィズは、一晩中海辺でそれをかき鳴らしていた。そうすることで海の力をペンダントに閉じ込めたそうだ。
胡散臭いことこの上ない話だったけれど、航海の間中、この時期にはありえないほど海は穏やかだったし、追い風に恵まれた。
ゲイリーに紹介してもらった船の持ち主も、初めての経験だと言い切ったくらいだ。
とはいえ、速さを重視したため、船の大きさは前回の客船に比べるまでもないほど小さく、波の上をすべるようにと言うよりは跳ねるようにはしる船は、それなりに中にいる人間たちを振り回してくれたのだが。
幸い三半規管は強かったミーシャとラインはケロッとしていたし、前回の船旅が経験値になったのか心配されていたレンも多少調子を崩した程度ですぐに慣れた。
そうして、考えられる最速でオーレンジ連合国へ到着したミーシャ達は、観光する余裕もなくどこからかラインが調達してきた小型の馬車でひた走り、一族の隠里があるという霊峰トランドリュースを目指した。
これまでののんびりした旅路が嘘のような慌ただしい旅路だったけれど、残念ながら北に進むほどに天候は崩れ、青空を見る事はなくなっていった。
本格的な冬の到来である。
灰色の厚い雪雲に覆われた空からは多少の違いはあれど常時ハラハラと白い欠片が舞い降りてくる。
当然積雪も増え、途中から馬車はそりへと変更した。
ついでに馬もミーシャの知っていたすらりとした姿ではなく全体的にどっしりとした体形でいかにも力強そうに見える姿へと変わっていた。
オーレンジ連合国特有の品種で雪に強く体力もあるそうだ。
同じ動物でも、土地が違えば姿が変わるのが不思議で、休憩の度に構っていたらレンが拗ねるという予想外の出来事もありつつ、目的地から一番近くにある最後の村にたどり着いたのは、バイルを旅立ってから二十日後の事だった。
そこは5~6軒しかない小さな村で、今から山に向かうというとひどく心配された。
ラインだけならともかく幼い少女を連れて行くのは過酷すぎると眉をしかめる村人を「おじさんと一緒だから大丈夫」となだめたのはミーシャ自身だ。
そうして始まった雪中行軍は、徐々に激しくなってくる吹雪に阻まれて、ミーシャの予想以上に過酷なものになっていった。
ようやく吹雪の吹きすさぶ雪原を抜けたのは、すでにあたりが夕闇に閉ざされそうになった頃だった。
ラインの言う通り真っ直ぐに立ち並ぶ巨木のおかげで吹き付ける雪の量は減ったけれど、その分足元の雪は深さを増した。
みっしりと張り出した枝に降り積もった雪が、重さに負けて時折バサリと落ちてくる事もある。
うっかり雪だまりをふんだらしいミーシャは膝上までボスリと埋もれてしまい、ついに悲鳴をあげた。
「おじさん、これ以上はもう無理。日も落ちて足元が見えなくなるし危険だわ」
よろけた体をすぐそばにあった木の幹に縋り付くように支えたミーシャに、ラインは頭上を見上げてから肩を竦めた。
「ミーシャとの身長差を考慮し忘れた。近くに木こり小屋がある。足元を踏み固めてやるから、もう少し頑張れ」
隣を進むのではなく自分の背後につくように指示するとラインは雪をかき分けるようにして歩き始めた。
こまめに足を進めて雪を踏み固めるラインのおかげで進むスピードは若干下がったものの、ミーシャは先ほどよりも格段に歩きやすくなりホッと息をついた。
はぐれないようにしっかりとその手がラインとつながれているのはご愛嬌だ。
手をつなぐことで、前を進むラインはミーシャを確認できる。
多少歩きにくいけれど、なにかの悪戯だろうと自身のうっかりだろうとはぐれるのはもうこりごりだと思っているのは二人共で、その対策だった。
無心で足を動かしているうちに、ミーシャはいつの間にか雪が止んでいることに気づいた。
珍しい事に雪雲も薄れて、月が雲間から顔を出し始める。
「ランプをつけなくてすんだな。運がいい」
これ以上視界が暗く成れば灯りの確保をしなければならないところだったが、片手をミーシャとつないでいるためランプをつけてしまえば両手がふさがることになる。
流石に両手がふさがれば不測の事態に対応が遅れる危険があり、どうしようか内心考えていたラインは、ほっと息をついた。
月明かりが降り積もった雪に反射して、辺りがぼんやりと明るくなる。
「……この樹、幹が白いのね」
足元の不安が無くなってようやくあたりを観察する余裕の出てきたミーシャは、驚いたようにつぶやいた。
雪明りに照らされた白い樹木が立ち並ぶ風景は幻想的で思わず足を止めて見とれてしまう。
「白樺だな。寒い土地に良く生える。成長速度が速くてこうやって群生するが、寿命はそう長くないし、陽の光を好む性質なのに枝葉を広く伸ばすから、足元で次代が育ちにくいんだ。結果、数十年で朽ち果てて、その栄養で別の木々が育っていく」
ミーシャの手に引かれて足を止める事になったラインも同じように辺りを見渡した。
「自分は枯れてしまうの?」
「その場所ではな。種子に鳥のような羽がついていて、風に乗って遠くに飛んでいく事ができるんだ。そしてまた広い場所で新しい森をつくるんだよ」
指先で宙に種子の形を描くラインに、ミーシャはきらきらとした目を向けた。
「すごい!まるで森のお母さんね」
好奇心を刺激された様子のミーシャに、ラインが少し笑ってからゆっくりと歩きはじめる。
「ちなみに柔らかいから木材としてはいまいちだが、樹皮は良く燃えるから焚きつけとしては最適なんだ。実は薬効もいろいろあるから、村についたら実物を見せながら詳しく教えてやるよ」
「本当にすごい!綺麗で他の木々が育つのを手助けしてくれる上に、人間の役にも立つなんて、白樺優秀だわ!」
先ほどまでの疲労を忘れたようにミーシャは、笑顔で辺りを見渡しながら白樺の森を楽しんでいる。
単純なミーシャに、ラインも笑いながらも足を進める。
感情が高ぶっているために瞬間的に元気になっているようだが、すぐに忘れていた疲労は戻ってくるはずだ。その前に、目的地についておきたかった。
二人が、木々の間に隠れる様に建てられた小さな木こり小屋にたどり着いたのは、それから一時間程後の事だった。
(……疲れたぁ)
ミーシャはぼんやりとパチパチと火花を散らす炎を眺めていた。
視界の聞かない吹雪の中の雪中行軍は、思った以上にミーシャの体力も精神も疲弊させてた。
一間しかない小さな小屋に入って硬い木の床の感触を足に感じた瞬間、力が抜けてへたり込んでしまったほどである。
ラインはそんなミーシャを置いてサッサと奥まで進むと、慣れた様子で暖炉に火を起こしていた。
「ほら、こっちに来て火にあたれ」
すぐにパチパチと明るい炎を立て始めた暖炉の前に手招かれて、ミーシャは重い体を引きずるように移動する。
暖炉の前には厚手の毛皮が敷かれていて、ミーシャはそこに体を投げ出した。
冷え切った小さな体を温める様に、その背後にレンが寄り添う。
「何か食べたほうがいい。頑張って起きてろよ?」
ミーシャの手に干し肉を握らせて、ラインは食事の用意のためにこまごまと動き始める。
ぼんやりとその様子を視界の端に捕らえながらも、ミーシャは惰性のように手に握らされた干し肉を口に運んで噛みしめた。
肉のうまみと塩気が口に広がり、ジュワリと唾液が湧き出してくる。
前面を炎に背面をモフモフと温かなレンの体に温められる。
多幸感にミーシャの目がウトウトと閉じられそうになった時、嗅覚がおいしそうな香りを捉えた。
途端にお腹の虫が盛大に主張して、ミーシャの目がぱちりと開かれる。
「ほら、食べろ」
いつの間に作ったのかその手にはホカホカと湯気を立てるスープが握られていた。
反射的に体を起こして、ミーシャは両手で器を受け取った。
温かいスープを口に含めば体内からもポカポカと体が暖められる。
うっとりと目を細めるミーシャに笑いながら、ラインも隣に腰を下ろした。
「それ食ってからでいいから、マントやブーツを脱げよ。もう部屋も温まったし平気だろう?」
ミーシャはその言葉でようやくラインがコートなどを取り去って身軽になっていることに気づいた。
それに対して自分はマントどころか耳あてやマフラーなどもそのままで倒れこんでいた事を思い出し、ミーシャはとりあえずモソモソと手袋を外した。
「体力無尽蔵なおじさんと一緒にしないでよ~。もう、ヒューゴといい、自分を基準に考えるの本当にやめてほしい」
そもそも今日だけの問題ではない。
オーレンジ連合国についてから、休む暇もないほどの強行軍だったのだ。
いくらミーシャが同じ年頃の子よりも体力があるからといっても、回復しきれない疲労は日々蓄積されていた。
行儀悪くスプーンを咥えながらぼそぼそと文句を言うミーシャに、ラインは自身も食事をとりながら笑う。
「まぁ、村まであと少しだから、明日は少しゆっくり起きても大丈夫だ。お疲れ」
被っていたままの帽子を取り上げ、乱れた髪を優しく整えてくれるラインの大きな手にミーシャは唇を尖らせた。
「もう……そんなんじゃ誤魔化されないんだから」
口では文句を言いながらも、目は嬉しそうにうっとりと細められているため効果半減だった。
「わるかったよ。蜂蜜茶を淹れてやるから機嫌を直せ」
あっという間に自分の分のスープを平らげたラインが立ち上がる。
「あらら……」
「クゥーン」
そうして手早く入れた蜂蜜茶を手に戻ってきたラインが見たのは、幸せそうな顔で夢の世界に旅立ったミーシャの姿だった。
食事はしっかり平らげたようで器は空になっていたが、その手にはまだスプーンがしっかりと握られている。最後の一口をどうにか口に押し込んだところで限界を迎えたのだろう。
「ま、しょうがないよな」
「どうする?」というように見上げてくるレンの頭を撫でると、ラインは笑いながらミーシャの足からブーツを引っこ抜いた。
読んでくださり、ありがとうございます。
爆速で進む、久しぶりの2人+1匹旅です。
なんかこのメンバーは書いていて安心感があります。




