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どうにか書きあがったので、投稿です。祝日万歳。


29.3.25 加筆しました。

ゆっくりと走る馬車の中、ミーシャは何気なく腕を窓から差し込む光にかざしてみた。

綺麗な糸とガラス玉で編まれた組紐の様なものががそこには結ばれていた。


「それ、さっきケントに貰ってたやつか?」

正面に腰を下ろしたジオルドがキラリと光を反射したガラス玉に眼を細める。

「そうです。織物の糸を使って編んだんだって言ってました」

数種類の色で編まれた組紐は綺麗な紋様を描き出していた。


「ふぅん。土産物に喜ばれそうだな」

何気無い言葉にミーシャは眼を見張って、くすくすと笑った。

「それ、ケント君同じ様なこと言ってました。村の人は端糸で手慰みに作るものなのでそんな事考えもつかなかったみたいで驚いてましたけど。

多分あの様子なら商品化されるんじゃないでしょうか?」


なんでもケントが村の男の1人が手首に結んでいる組紐に眼を留めてつくり方を聞いたらしい。

男の幼い娘が作ったそれはもっとシンプルな物だったが、やり方を聞いて、色の種類を増やしたりガラス玉を組み込んだりしてみたそうだ。


「試作品1号だ」と言っていたからこれからもっと種類も増えるのだろう。

「新しいものに眼をつけ、それをより受け入れられる様に進化させたのか。本当に商人向きかもな」

ジオルドは少し呆れた様に呟くと肩をすくめた。

幼い子供の発想と行動力は侮れない。


「すごいですよね。私も負けてられません」

組紐のガラス玉をなぞりながらミーシャは微笑んだ。




「少し、そこら辺を歩いてきても良いですか?」

昼食休憩の為馬車を停め、簡単なかまどを作り出したジオルド達にミーシャは声をかけた。

何時もなら細々と手伝いを申し出るミーシャの珍しい願いに、ジオルドは手を止めて顔を上げた。


「あまり離れなければ構わないけど、どうしたんだ?」

「手持ちの薬草がだいぶ減ってしまったので少し探してこようかと。森の感じが幾つかの薬草の育成環境にあってる様なので」

背後の茂みをチラチラと眺めるミーシャの顔は期待に輝いていた。

「山路に差し掛かってからやけに窓の外を気にしていると思ったら、そんな事を考えてたのか」

悪路に気分でも悪くなったのかと少し心配していたジオルドは驚きに眼を見張った。

我慢強い子だから例えそうなっても弱音は吐かないだろうと気を使って早めの休憩に入ったのに。


「ついていかなくても良いのか?」

明らかにうずうずしているミーシャに声をかけるも、首を横に振られてしまった。

「森の中は慣れてるので大丈夫です。危なそうなものには近づかないので。30分くらいで戻ってきます」


足取りも軽く緑の中へ消えていった小さな背中を見送って、そういえば森で暮らしていたんだな、と思い出す。

場所は違っても、似たものはあるのだろう。

あっという間に消えていった背中は迷いがなくて、水を得た魚の様だった。




ミーシャは鼻歌を歌いながら首尾よく見つけた薬草を摘んで行った。

馬車の中は広いから紐に結んで吊り下げておけば良い感じに陰干しになるだろう。

予想通りの薬草達を発見しては小さく歓声を上げるミーシャは、まるでおもちゃを与えられた子供の様だった。


「あ、ササヤがある。でも、すぐに煎じないとダメなんだよなぁ。少し、時間もらえないかなぁ?」

珍しい薬草を見つけて、少し迷った後摘み取る。今が1番効薬が高い時期で、何にでも効く痛み止めになる。

怪我につけてよし、頭痛や腹痛などの内服にもよしで汎用性も高いのだ。

出来れば持っておきたい。


「ジオルドさん達騎士さんなんだから怪我も多いだろうし、イイよね」

つぶやきながら多めに摘み取る。

気づけば籠の中は数種類の薬草でいっぱいになり、約束の時間も過ぎようとしていた。

そろそろ昼食の準備もできた頃だろう。


「野宿でイイから山に泊まらないかな〜」

ミーシャ的に宝の山で未練たっぷりだが、約束の時間は守らなければならない。

少しのズレならともかく大幅に遅刻しては心配をかけるだろう。


「食後にも取りに行ってもイイかな?あ、でもササヤの始末もしなきゃ………」

つぶやきながら歩いていたミーシャがその気配に気づいたのは偶然だった。

助けを呼ぶ様なか細い小さな声。

まだ幼さを残す甲高い声は途切れ途切れで、しかも今にも消えてしまいそうに小さかった。


「………仔犬?」

キュウキュウと聴こえる声に迷ったのは一瞬。

ミーシャは声の聞こえる方へと走り出した。




「………ミーシャ?」

30分を超え、ジオルドがそろそろ探しに行こうかとしていた時に、ミーシャは足早に戻ってきた。

片手に薬草の山盛り入ったカゴ、そして、もう片手にショールに包まれた何かを持って。


「遅くなってごめんなさい。お叱りは後で聞くから、今はこの子の手当てをさせて」

差し出されたショールの塊の中身は白い仔犬のようだった。

ぐったりと眼を閉じていた仔犬は新しい匂いを嗅ぎつけた様で眼を開き、小さく唸り声をあげた。

暴れる程の元気はない様だが、ジオルドをにらみ警戒する瞳はただの仔犬にはない野生を宿していた。


「………コレ、白いが狼の子か?」

火の側により、持ってきた小鍋で摘んできたばかりの薬草を煎じ始めるミーシャの様子とその傍らに張り付く小さな塊を眺める。

その毛は泥と血で汚れていたが、確かに白かった。


「たぶん。捨てられたのか親が死んでしまったのかは分からないけど、たて穴に落ちて動けなくなってたの。親がいるなら助けるはずだから、どっちかだとは思うけど」

狼の毛色は黒か灰色で、白というのはありえない。よく見れば目も赤っぽいのでアルビノなのだろう。

森に溶け込むことのない目立つ毛色は仲間から嫌われるから、捨てられたのかも知れない。


「イイ子ね。怪我を見せてちょうだい」

安心させる様に低い声で話しかけながら、ミーシャは子狼の怪我の部分に手早く薬を塗り、舐めとらない様に包帯を巻いていく。

大人しくされるがままになってはいるが不快なのだろう。鼻に皺を寄せ不機嫌そうに喉の奥で唸っている。

だが、その小さな牙も爪もミーシャに向けられることは無かった。


物珍しげにミーシャが治療を施す様子を眺めていたジオルドは首をひねった。

いくら子供とはいえ野生の狼が、人に対して牙を剥くことなく体に触れさせているのが不思議だったのだ。

足も怪我している様だから逃げられなかったのだろうが、それでも、体に触れられれば噛みつきぐらいしそうなものなのだが。


「何か獣を大人しくさせる薬でもあるのか?」

白い狼の子は、スープの中に入っていた肉を小さく砕いて与えれば大人しく食べ、今は腹が膨れたからかミーシャの側で眼を閉じている。

まるでよく躾けられた犬の様だ。


「そんな薬、無いですよ。昔から不思議と動物に懐かれるんです」

ようやく自分の食事にありつけたミーシャは、パンにかじりつきながらそう言って笑った。

「いや、だが野生の狼だろう?」

なんでも無いことの様に言っているが、かなり珍しい光景だ。

というか、普通ありえない。


自分もスープを食べながらなおも不思議そうに首をかしげるジオルドに、ミーシャは困った様に笑った。不思議がられても、本当に何か特別なことをしているわけでは無いのだ。

理由を聞かれてもミーシャだってわからないのだから答えようがない。


「怪我をしてるし弱ってるからじゃ無いですかね?この子も、私が治してくれるって分かってるんですよ、多分。

懐いてるわけではないから、不必要には触らせてはくれませんし」

チラリと傍らにいる狼に視線をやればパチリと目が開いてジッと見つめられた。

こんな風に、警戒していないわけではなさそうなのだ。


「それでもだなぁ。野生の生き物なんて弱っている方が警戒強くなるもんだろう?」

「う〜ん。多分、私に敵意がないからですよ?真剣に「食べてやる」とか思ったらダッシュで逃げると思いますし」


ミーシャは森で暮らしていた時、基本は自給自足で肉を得るために罠を張り、ウサギや鳥を採って食べていた。

もちろん、自分で捌いたし、料理もした。

肉食獣は肉に臭みがあるし、あまり大きなものは取れても始末に困るので基本は小動物だけだったが。


不穏な会話に何か感じるものがあったのか、子狼がヒュンと小さな声で鳴いた。

それにミーシャはくすりと笑う。

「大丈夫。食べるつもりならわざわざ助けたりしないわよ」

器の中から肉の塊をすくい取り鼻先に落としてやると、子狼は匂いを確認した後パクリと食べた。

仲直り、終了である。


「この山を越えたら次の街、ですか?」

再びまどろみ出した子狼を横目で確認しながら、ミーシャは静かな声で今後の予定を訪ねた。

「そうだな。実は国境越えに2つの方法があるんだが、このまま山越えの道を行くのと、少し回り道になるが海路を使うのと、どっちがいい?」

食後のお茶を飲みながら、ジオルドはニヤリと笑って見せた。


「海路って、海ってことですか?」

言葉を反芻して、ミーシャはコテンと首を傾げた。

山育ちのミーシャにとって海は知識の中だけに存在する未知の場所だった。

森にあった湖の何倍も広く、水がしょっぱくて塩が取れる。

干物でしか食べた事が無いけれど、海でとれたという魚は川や湖のものとは趣が違って美味しかった。


『水の深さや場所によって色が変わるのよ。

風が吹けば波が起こり、水面が激しく動くの。魚の他にも不思議な生き物がたくさん住んでいるわ。何より、海に沈む太陽が見せてくれる光景はとても幻想的で美しいの』

昔、本を見ながら語ってくれた母親の言葉が思い浮かぶ。

思い出の中の風景を語る母は、とても楽しそうに微笑んでいた。


「海、行ってみたいです」

このまま山を越えながら薬草を集めて歩くのも魅力的だが、未知への好奇心はそれにも勝った。

何よりも、あんな風にうっとりと母が語ってくれた風景を実際に見てみたい。


キラキラと輝く瞳に見つめられ、ジオルドはあっさりと首を縦に振った。

「了解。ミーシャは初めてだし、船酔いしない様に大きな船に乗ろうな〜。まだ泳ぐには寒いけど、足つけるくらいは大丈夫だろうから、楽しみにしてろよ」

笑顔であげられる楽しそうな予定に、ミーシャは久しぶりの無邪気な歓声をあげたのだった。







ガタゴトと山道を進む馬車の中でミーシャは先程取ってきた薬草の選別をしていた。

1人で乗るには広い馬車内は、現在薬草で占拠されている。

充満した薬草の香りは、慣れない人間には苦痛だろうが、ミーシャにとっては嗅ぎ慣れた心落ち着く物だった。


ふと下げた視線の中に白い塊が映る。

馬車の隅に集めに敷いた布の上で子狼は眼を閉じて休んでいるようだった。

が、ピンとたった耳が、子狼が眠っているわけではない事を示していた。


拾ってまだ数時間。

懐くわけがないその態度は野生としてはとても正しい。

たとえ小柄なミーシャが両手で簡単に抱えてしまえる大きさだとしても、綺麗な赤い目がまん丸の幼い顔つきだとしても。


本当はその毛皮についた泥や血を拭いてやりたかったが、薬をつけるのは受け入れた子狼の拒絶にあい諦めた。

毛繕いは親愛の情を伝えるものだ。

(いつか、させてくれるかな?)

薬草をより分ける手を止めることなくボンヤリと考えたミーシャの脳裏にふと白い影が過ぎった。

それとほぼ同時に自分をじっと見つめている赤い色が浮かび、ミーシャは薬草を持つ手を止めた。


(そうか、なんだか懐かしいと思ったら、この子、あの子と同じ色なんだ。あの子の方がもっと赤かったけど)

一度思い出すと何故今まで気づかなかったのだろうと不思議になるほどに鮮やかに思い出が浮かんでくる。


ミーシャは耳をピンっと立ててこっちの様子をうかがっている小さな狼を見つめて、ひっそりと微笑んだ。

(色もだけど、あの警戒心一杯なところもソックリかも)

子狼を驚かせないようにクスクスと小さな声で笑いながら、ミーシャはあの日の事を思い出していた。






5歳の誕生日を迎えた後、ミーシャは森の中を1人で探検する権利を与えられた。

その日から、家の周りから少しずつ探索範囲を広げ、1年たった頃には、母親と一緒に行った事のない場所すらミーシャの行動範囲は広がっていた。


足の悪い母親では行けない様な足場の悪い場所も急な崖の先ですら、身軽なミーシャには楽しく遊べる場所でしかなかった。

更に探検した先で見つけた見たことの無い花や草をお土産にと持ち帰れば、かなりの確率で母親に褒められるとなれば、幼い子供が喜んで森の中へと日参する立派な理由となる。


結果、幼い少女の行動範囲としては驚くほど遠くまで足を延ばしていたのだが、幸か不幸かそれを咎める大人はどこにもいなかった。




だから、その日もミーシャは鼻歌交じりに森の奥深くへと分け入っていたのだが・・・。

(・・・なんだろう?なんだか、いつもと違う?)

細いけもの道をたどりながらもミーシャは戸惑ったように首をかしげた。

うまく言葉にすることは出来ない。しかし、森がなんだかいつもと違って感じたのだ。


それは、いつも賑やかな小鳥たちの声の少なさとか、走り回る動物たちの姿が見えない事だったのだが、ミーシャは、それが何を意味するのかよく分からなかった。

だから、好奇心の赴くまま、違和感の正体を探してそろりそろりと足を進め・・・・・そうして、森の中に「あるはずのないもの」を見つけてしまう。


大きな古木のごつごつした根の間にはまり込むようにして倒れている小さな人影。

「・・・・・・・・・子供?」

自分とさほど大きさの変わらない人影を、ミーシャはじっと木陰から見つめた。

真っ白な髪は首筋を覆うほどの長さでまっすぐに切りそろえられていた。髪が覆っているためミーシャの位置からは顔立ちをうかがうことは出来ないが、わずかにのぞく頬のラインは子供らしい丸さを帯びていて髪が白いからと言って老人というわけでもなさそうだった。


尤も、日ごろ母親と二人きりで暮らし、他に会う人と言えばたまに訪ねてくる父親とその友人たちしか知らないミーシャにとって「子供」も「老人」も物語の中でしか知らない存在であったのだが。

服は何の飾り気もないすとんとした長袖のワンピースのような服装で、それは、ミーシャが眠るときに着ている服によく似ていた。

裾の中に足を隠すように小さく丸まっている姿は、何者からか身を守ろうとしているように見える。


山深い森の中に寝間着姿の小さな子供が一人。木の根の間に身を隠すようにして丸まる姿は、世間を知らないミーシャから見ても異様なものだった。

しばらく観察してほかに人がいなさそうなことと、ピクリとも動かないその姿に不安を覚えたミーシャは、恐る恐る足を踏み出した。

ゆっくりと距離を縮め二人の距離が二メートルほどまで近づいたとき、踏み出したミーシャの足元でパキリと小枝が小さな音をたてる。


とたん、今までピクリとも動かなかった人影がパッと身を起こした。

(あ、真っ赤だ)

そうして向けられた瞳の色にミーシャは目を奪われた。

よく熟れたリンゴのような真っ赤な瞳。

僅かな怯えと強い警戒をたたえたそれは、まっすぐにミーシャを射抜いた。


「・・・・・・・きれいな色」

思わずぽつりとこぼれた声が緊張で張り詰めた空気を揺らした。

赤い瞳に戸惑ったような気配が揺れる。

「・・・・・・・何者だ。なんで子供が、こんな所にいる」

少しかすれた高い声は固く高圧的で、子供が少年であることを伝えてきた。

他者を拒絶した声音はあくまで冷たく響く。


だが、唐突に問われたミーシャは、その質問に首を傾げた。

「だって、この森は私のお家だもの。あなたこそ、だあれ?」

不思議そうな顔で当然のように問い返され、少年の赤い瞳の中の戸惑いの色が強くなる。無意識のうちに、少しでもミーシャから距離をとろうと身じろぎした子供は、ぎゅっと眉を寄せ歯を食いしばった。

細い手が反対側の腕のあたりをかばうように抑え、そこにひとみと同じ色を見つけたミーシャは、驚きに目を見開いた。


「あなた、怪我してるの?」

そうして、痛みにうめく相手が逃げる隙も与えぬ素早さで詰め寄ると、傷を覗き見た。

突然距離を詰められ驚いた顔で逃げようとする少年の体を抑え、袖をまくれば二の腕にすっぱりと切れた10センチほどの傷があった。それほど深くなかったのかすでに血は止まっているが、なんの手当てもされずむき出しのそれにミーシャは眉をしかめた。


「私、お母さん、呼んで来る!」

しかし、立ちあがろうとしたミーシャの腕を細い指がつかみ止めた。

突然動いたことで傷に響いたのか、先ほどよりもさらに盛大に顔をしかめながら、少年の首が横に振られる。


「人を呼ぶのは、ダメだ」

「でも・・・・・」

助けを拒絶する少年に、今度はミーシャが戸惑ったように眉を顰める。

動いた衝撃で傷が開いたのか、傷口から再び血がにじんできていたのだ。放っておいていいとは、とても思えなかった。

「人を呼ぶというなら、どっちにしろお前が立ち去った後で俺はここから逃げるぞ」

明確な脅しにミーシャの眉間のしわが深くなる。

そのままに少年を見つめれば、赤い瞳がじっと見つめ返してきた。


(そっか、怪我してる動物さんと一緒だ)

そうして見つめていれば、先ほどから少年に対して感じる既視感に答えが浮かび上がってきた。

森で暮らす中で、何度も出会ってきた傷ついた獣たちの浮かべていた色と同じだったのだ。

怯えと警戒。そして生にしがみつく強い気持ち。

赤い瞳に浮かぶそれらに気づいてしまえば、ミーシャの体からすとんと力が抜けた。

確かにこの瞳の持ち主ならば、自分の意に沿わないことをされた時点で姿を消してしまうであろうことは想像がついた。たとえ、その選択が死に近づくものであろうと。

野生の生き物はそういうものだと、森で生きてきたミーシャは誰よりもよく知っていた。


まあ、だからと言って相手は人間である。このまま放っておくわけにもいかないとミーシャは幼い知恵を振り絞って考えた。

(この子は、何かにおびえてて他の人に会いたくないんだ。だけど、とりあえず私とは話してくれてる。同じ子供だから?じゃあ・・・・・・)

ストンと少年の正面に座り込むと、ミーシャはじっと赤い瞳を見つめた。

「私が、傷の手当てをするのは、良い?」

「・・・・・・・お前が、か?」

少年の瞳が驚きに見開かれた。




背中に背負ったリュックの中には、今日のお昼ご飯と水の入った水筒、タオルが1枚入っていた。それから、母親に持たされた擦り傷用の軟膏ときれいな布の切れ端。それらを取り出して、ミーシャは少し考え込んだ。

「転んだりして傷を作ったらまずは水できれいに流してから薬を塗る事」

しょっちゅう小さな傷を作って帰ってくるミーシャに、母親がそんな小言と共に持たせた薬がこんなふうに役立つことなど、もたせた母親自身すら、考えもしなかっただろう。

ミーシャが量産する傷に比べると少年の傷はだいぶひどいが、何もしないよりは良いはずだ。


「少し痛いかも。ごめんね?」

緊張した面持ちでミーシャは少年の傷に水筒の水を傾けた。幸い傷の中に泥や汚れは入り込んでいない様子だったけれど、念のため指先でこするようにして固まりかけた血も落としていく。

痛みはあるだろうに、少年は唇をかみしめ、じっと体をこわばらせて耐えてみせた。

ここで泣いて暴れられてしまったら、初めての行為に内心びくびくしていたミーシャまで驚いて泣いてしまっていたであろうから、少年の判断は正しいものだった。

尤も、唇を噛み締めた理由はそんなものではなく、年頃の少年らしい意地と矜持の現れであったのだが。


水筒一本分の水を使い切ったミーシャは、軟膏をたっぷりと傷に塗り込むと布で覆い、タオルを裂いて作った即席包帯でぐるぐる巻きにした。多少不格好ではあるが今のミーシャにできる精一杯をやりきり、ミーシャは大きく安どの息をついた。

「・・・・・・ありがとう」

その時、そんなミーシャに小さな声が降ってきた。

驚き顔をあげれば、どこか複雑そうな色を浮かべた赤い瞳と至近距離で見つめあうことになる。


ミーシャはじわじわと胸の奥から不思議な感情が沸き上がってくるのを感じた。自分のした行為が受け入れられ感謝されるのは、とてもうれしくて誇らしい。

少しくすぐったいようなそれに押されるように笑みを浮かべれば、赤い瞳が驚きに見開かれた。

それがなんだかおかしくて、ミーシャは、くすくすと声をあげて笑っていた。


「どういたしまして。あのね、私の名前はミーシャっていうのよ。この森にお母さんと二人で暮らしているの。あなたのお名前は?」

「・・・・・・・・・・レン」

笑顔のまま尋ねれば、しばしの沈黙の後短い答えが返ってきた。

ぶっきらぼうなそれを気にした様子もなくミーシャは、覚えるように何度か口の中で小さく繰り返した後、お弁当の包みを掲げて見せた。

「レン、おなか空いてない?これ、一緒に食べよう?私は、水汲んで来るから先食べてていいよ?」


少年の膝の上にサンドイッチの包みを置いて空の水筒を持って走り出したミーシャは、心臓をどきどきさせていた。

初めて他人に治療のまねごとをした高揚感と自分がいない間に少年が姿を消しているのではないかという不安。

それらに押されるようにいちばん近くの水場まで走り抜けたミーシャはその勢いのままに小川の流れに顔を突っ込んで、ついでに水も飲んだ。


山の水は冷たい。

その冷たさに興奮していた頭が少しすっきりしたミーシャは、まるで犬の子のようにぶるぶると首を振って水を飛ばし、急いで水筒に水を満たした。

そうして、来た道を同じように駆け戻れば、果たして、レンは膝のサンドイッチの包みを開けることなくそのままにミーシャの帰りを待っていた。

そうして、息を乱して傍らに立つミーシャを不思議そうに見上げた。

「・・・・・・・お水。私は、飲んできたから」

こみ上げてくる気持ちを何と言いあらわしていいのか分からずに、結局、ミーシャは水筒をレンに押し付けると自分の分のサンドイッチに齧り付いた。





「本当に、1人で大丈夫?」

どう誘っても自分とは来てくれそうにないレンにミーシャは困った様にもう一度尋ねた。

「しつこい。ココなら、獣だって来ないし、昨夜よりはよほど安全だ。暗くなる前にさっさと家に戻れ」

そんなミーシャに面倒な表情を隠そうともせずに言い切るとレンは背中を木に預けた。


「………だって」

それでも去ろうとしないミーシャにレンはため息を1つこぼし、しょうがなさそうに笑ってみせた。

「本当に大丈夫。ミーシャがココに連れて来てくれたおかげで今夜は安心して眠れる」

そう言って、レンはぐるりと辺りを見渡した。


そこは、大木を2メートルほど登った所にある木のうろの中だった。

子供2人が寄り添えば並べるほどの大きさがあり、1人で森の探索を始めた最初の頃に見つけ、秘密基地としてミーシャが床を平らにして木の葉を敷き詰め古い毛布を持ち込んでいた場所だ。

ある程度の高さがあるため、四つ足の獣は登っては来れないし、繁った木の葉がうまく下からの視線を遮ってくれている。


「じゃぁ、行くね?明日の朝には来るから。ご飯も持ってくるし、待っててね?」

「……………わかったから」

頷くレンを置いてミーシャは後ろ髪を引かれる思いで家路に着いた。

いつもより遅い帰宅に母親が眉を顰めて小言を言ったが、ミーシャは、そんなことより残してきたレンが気になり、かなりの上の空だった。


食事をとり、布団に潜り込んでも、1人木のうろで眠るレンが浮かんでそわそわしてしまい、いつまでも眠りは訪れてはこなかった。

(レン、大丈夫かな?寂しくないかな?…………どこか、行っちゃわないかな?)

じっと耳をすませば、家の外からは森の生き物たちの声が聞こえた。ミーシャはこの家の外で夜を明かしたことがない。まして、たった1人きりだなんて。

(どうか、レンが怖い思いをしてませんように)

綺麗な赤い瞳を思い浮かべ、ミーシャはそっと祈りを捧げた。




そうして、翌朝。

母親に怪しまれないギリギリの食料と薬を手に入れたミーシャは途中で果物を摘みつつ、レンの待つ秘密基地まで急いだ。

そうして、そこにレンの姿を見つけ、安堵の息をついたのもつかの間。

不自然に赤い頬に、ミーシャは目を見開いた。

「熱が出たの?!」

ミーシャの声が頭に響いたのか嫌そうに眉をひそめるレンの額を触れば燃える様に熱かった。


「ちょっと待っててね!」

急いで小川に走り冷たい水にタオルを浸して持ってくる。

額におくと、火照った体に冷たさが心地よかったのかレンが目を細めた。

「やっぱり、毛布一枚じゃ寒かったんだよ。どうしよう」

「……………落ち着け。大丈夫だから。熱には慣れてるんだ」

オロオロとするミーシャと対照的にレンは冷静だった。その冷たく澄んだ赤い瞳に見つめられ、ミーシャの興奮が少しずつ治っていく。


(熱………の時、母さんはどうしてくれてたっけ?)

母親が薬を作る様子を眺めながら、傍で過ごすのがミーシャの雨の日の過ごし方だった。

様々な薬草を扱う母親は、いつも独り言の様に小さな声でそれぞれの効果や扱い方を教えてくれていた。

(薬を母さんから貰うのはダメ。レンの事がバレちゃうから。今の時期、取れる薬草で熱を下げる効果があるのは………)

もっと真剣に母親の言葉を聞いていれば良かったとミーシャは、心の底から反省した。そうしていれば、今、目の前で苦しんでいるレンを助けることができたのに。


ごちゃごちゃしている頭の中をひっくり返して役に立ちそうな知識を引っ張り出すとミーシャは森に飛び出した。

そうして、解熱効果のある草の実を見つけ平らな石の上ですりつぶす。

ぐちゃぐちゃになったものを、秘密基地の中で作っていた不恰好な木のコップに水とともに入れかき混ぜる。

「飲んで」

緑色のかなり不気味な事になったコップの中身を見て、レンの顔がしかめられた。

「熱を下げる効果があるの。母さんから教えてもらったから本当よ」

力説するミーシャを胡散臭そうに見つめるレンに困ったミーシャは、1度渡したコップを取り上げ中身を口に含んだ。

かなり青臭いが、薬と思えばギリギリ耐えられる味が口いっぱいに広がる。

多少涙目になりながらも飲み込んだミーシャは半分になったコップをレンに戻した。

「飲んで。毒なんかじゃないから」

それでもしばらく迷った後、レンはようやくコップの中身を口にした。

途端に、くっきりと眉間にしわが寄った。

想像以上にまずかった様だ。

口直しに、ミーシャは、小さな飴を手渡した。

先日父親が持ってきてくれたお土産の1つでミーシャの好物だ。

砂糖ではなく花の蜜を集めて作った飴は濃厚なのに後味が爽やかでとてもおいしい。

数があまりないので1日1個と決めて大事に食べていたものだったが、レンにあげるのは何故だかちっとも惜しいと思わなかった。


2人で口の中で飴を転がしながら、ミーシャは黙ってレンの腕の傷を治療した。少し傷の周りが赤くなっているものの、化膿はしていない事にミーシャはホッと安堵の息をついた。

これで傷が膿んでしまったのなら、本当にミーシャの手には負えなかったからだ。


熱冷ましの薬の作用のせいで強い眠気に襲われているレンがうつらうつらしているうちに、ミーシャは手早く薬を塗り替え包帯を巻きなおした。

半日ほど眠り続けたレンの熱は少しずつ下がってきた様でミーシャはホッと胸をなでおろしながらも、水を飲ませたり取ってきた果実を食べやすい大きさに切ったりと細々と世話を焼いた。

熱のため少しぼんやりとしたレンは昨日のツンケンした様子が薄れていてとても可愛かった。


そうして2日目を過ごし、夕方になる頃にはレンの熱もだいぶ下がっていた。

再び訪れた夕暮れの中、昨日と同じ様なやりとりが繰り返される。

1人で残すのを渋るミーシャに呆れ顔で帰る様に促すレン。


しぶしぶと木を降りたミーシャを樹上からレンが呼び止めた。

「本当に感謝してる。ありがとう」

落ちてきた素直な感謝の言葉と笑顔に見上げたミーシャはポカンと口を開けた。

赤い瞳に警戒した色はなく、とても柔らかくほころんでいた。

(まるでお花が咲いたみたい)

見惚れるミーシャに「アホヅラになってるぞ」と笑う顔すらやっぱり綺麗で、ミーシャは怒ることも忘れて見とれてしまった。

そんな自分がなんだか照れくさくって、ミーシャはヘヘッとごまかす様に笑う。

「またね!」

そうして手を振って走り出したミーシャをレンがどんな顔で見送っていたのか。

振り返らなかったミーシャは気付くことが出来なかった。




そして、次の日の朝。

たくさんの食料を手に走ってきたミーシャが見たのは空っぽの秘密基地だった。

キチンと畳まれた古びた毛布の上に残されていたレンの瞳の様な赤いピアス。それがなければ、ミーシャはこの2日間が夢だったと思っていたかもしれない。


それは確かにレンが身につけていたもので、片一方だけのそれを握りしめミーシャは少しだけ泣いた。

寂しいのとは違うでも胸が引き絞られる様な苦しさがなんだったのか、その時のミーシャには分からなかった。






ガタンっと馬車が大きく揺れて、ミーシャは我に返った。

薬草を手に随分長いことぼんやりしていた様で、ミーシャの手の熱を吸って薬草が少ししんなりしていた。

慌ててそれを束ねて窓枠に吊るした後、ミーシャはふと思い出して守り袋の中を探った。

そうして、小さな雫型のそれを取り出す。

指先ほどの小さなピアスを陽にかざせば鮮やかな赤い光を撒き散らした。

赤い石を雫型に削り金具をつけただけのシンプルなそれはあの日、レンと名乗った少年が残していったものだった。

結局、誰にもその存在を伝えることのなかった人物の残したものを身につける訳にもいかず、また、片方だけのそれを付けるのも変な気がして、こっそりとしまい込んだままになっていたのだ。


初めて治療して、感謝された。

あまりにも拙い行為を思い出せば恥ずかしくもなるが、あの日の経験がミーシャに「薬師」としての道を選ばせたキッカケだとはっきりと言える。

誰にも言えない、ミーシャだけの大切な思い出だ。


「元気でいるかな………」

小さな呟きに答える声はなく、ただ小さなピアスだけがミーシャの指先で鮮やかな赤い光を散らしていた。








「これは、また。楽しそうなことになってるなぁ」

送られてきた報告書という名の手紙に目を通し、ライアンはクックッと喉を鳴らして笑った。

その様子を、トリスが非常に嫌そうな顔で見ている。


「で、あの馬鹿は今度は何をやらかしたんですか」

それでも、立場上確認しないわけにもいかず、しぶしぶ口を開いたトリスに、ライアンは気安い仕草で持っていた紙の束を放り投げた。

「行儀が悪いですよ」

それに小言を言いつつも、受け止めた手紙を開き目を通していくトリスの眉間のシワが深くなっていく。


「あの男は、他国でなにをやっているんですか?!」

通りすがりの街のお家騒動に首を突っ込んだ挙句、その領地を揺るがすほどの大捕物になっていた。

協力に感謝を伝える領主の印が押された正式な書類まで挟まっていて、トリスの眉間のシワどころか顔色がヤバいことになっている。


「ちゃっかり領主を味方に引き込んでいるところがジオルドだよな。絶対に勝手なことをしたとお前から怒られることに対する対策だろ、コレ」

対する王であるライアンは、楽しげに爆笑していた。


「笑い事じゃありませんよ。他国の領地の問題にこんなに関わって、この後始末を誰がつけると……」

「そりゃあ、お前だろうなぁ」

ぶつぶつと文句を言うトリスにライアンはあっさりと引導を渡した。

「あぁ、私の休暇がまた潰れる」

トリスががっくりと項垂れるのに、さすがに少し哀れになったライアンは慰めともつかない言葉を口にした。


「まぁ、悪いことをしたわけでも無いし、実際に感謝されている様だし、そこまで大事にもならないだろう」

「………では、ライアン様が始末をつけてくださいますか?」

「え?面倒」


しかし、自分に流れてきそうになればあっさりと切り捨ててしまうのだから、言葉だけの慰めなど何の意味も無い。

「………で、いつ頃戻って来るので?」

こうなったら、帰ってきたら八つ当たりだろうが何だろうがこってり油を絞ってやる、と不穏なことを考えて暗い笑みを浮かべるトリスに若干引きながらも、ライアンはもう1枚の紙を手渡した。


そうして。

「ミーシャが海を見たこと無いそうだから、船使って帰ってくる?ついでに2〜3日港町で遊んでくる?………って、なに考えてんだあのアホは?!これ以上問題起こす気かよ!!」

仮にも一国の王の執務室に悲痛な悲鳴が響き渡った。









読んでくださりありがとうございました。


癒しが欲しい。そうだ、もふもふを出そう!

というわけで、怪我した子狼君登場です。

後悔はしてません!


アルビノ種って目立つため野生ではなかなか生きられないそうです。

個体としても劣性の場合が多く弱いとか。

まぁ、ミーシャがついてるので、ですか劣性遺伝もなんのその。強く逞しく育つことでしょう。


最後にちょっとだけ2人組再登場。

トリスが何気にお気に入りです。

苦労性の中間管理職って萌えませんか?(笑)

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― 新着の感想 ―
素晴らしいです!!私はつたないエッセイを綴るだけですが、この作品は夢中になって読み進めてます!今後にも期待してます!!
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