22
「丁度うちからは反対側にある商店街の店だから少し歩くぞ」
(本当に面倒見がいいんだな)
のしのしと先を行くマイカの背中を追いかけながら、ミーシャは調理見習いの少年が言っていた言葉をしみじみ噛みしめていた。
体格も良く強面のマイカは、知らない人間が見れば山賊の親玉かと疑いたくなるような見た目をしていた。しかし、先ほどからすれ違う人々は恐れる様子もなく朗らかに声をかけてくる。
それは、ただの挨拶であったり、何かのお礼であったりとさまざまであったけれど、一様に親しげであった。
子供たちに至っては、大きな体に体当たりするように飛びつきよじ登ろうとしていた。
危なげなく受け止めたマイカは、さりげなくよじ登る幼子の手助けをして、その肩に乗せてやっている。
その様子から、マイカが日常的に子供達の相手をしている事が透けて見えた。
「ほら、もう降りろ。俺はお客さんを案内しなきゃならんのだ。これをやるから仲良く分けるんだぞ」
一人一人抱き上げてやった後、懐から焼き菓子の包みを出して渡しているマイカの眼は優し気に細められていた。
「マイカ爺ちゃん、笑顔こわ~い」
「おかしありがと~~」
「今度はゆっくり遊んでね~~」
笑ってもやっぱり悪人顔のマイカに、子供達はキャッキャと笑ってその頬に触れる。
「こわい」と言いながらも、ちっとも怖くなさそうな笑顔で包みを受け取ると、手を振って走って行ってしまう。
「仲良しなんですね」
「あまりものの焼き菓子を渡してたら、なつかれたんだよ」
軽く肩を竦めて見せるマイカは、遠ざかっていく子供たちの姿が見えなくなるまで見送ると立ち上がった。
「さて、待たせて悪かったな」
歩き出す背中に、ミーシャは少し笑った。
先ほど、マイカは菓子を手渡すとき子供に目線を合わせるために自然と膝をついていた。
多少見た目が怖かろうと、子供達が懐くのは当然の事だった。
幼い子供ほど、敏感に為人を察知するものだ。
「私もマイカさんのファンになっちゃいそうです」
「なんだ、それは。褒めても菓子はさっき子供達に全部やっちまったぞ」
軽口をたたきながら、やがて一行は目的地の商店街へとたどり着いた。
「さて、どこの店だったかな」
各商店街代表の集まりの中で話題が出ただけで、マイカ自身はゲイリーの店を知らなかった。
だが、さすがの顔の広さで、よその商店街でも知人を見つけたマイカは、首尾よくゲイリーの店の位置を聞き出すことに成功する。
「あそこみたいだな」
指さされたのは商店街の一番端にある小さな店だった。
「お~い、店主のゲイリーはいるか?」
開かれた店の入り口から躊躇なく入っていく背中を、なぜか追いかけていく事ができず、ミーシャは戸惑ったように入口で足を止めた。
「どうした?何緊張してるんだよ?」
その背中を、ニヤリと笑いながらヒューゴが押す。
「べ……別に緊張なんかしてないもの!」
反射的に言い返したミーシャは、すでに見えなくなったマイカの背中を追って小走りで店の入り口をくぐった。
店の様子から、小麦や豆などの保存がきく食品を主に取り扱っている店のようだ。
むき出しの土間にはいくつかの樽が並び、そこから量り売りをしているようで、カウンターの上にはいくつか大きさの違う升が乗っていた。
「はいはい。俺をお呼びと聞きましたが」
店の奥から中年の男が姿を現した。
中肉中背のどこにでもいる特徴のない顔立ちだが、その男と目が合った瞬間、ミーシャは息をのんだ。
それは、相手も同じだったようで、マイカの大きな体の後ろから覗き見ているミーシャを見て固まっている。
ミーシャよりも少し色が薄いものの、その男性も綺麗な翠色の瞳を持っていたのだ。
しばし無言で見つめあった後、男がふわりと表情を弛めた。
「おまえさんがミーシャちゃんだな。ラインから、いろいろと話を聞いて想像していた通りだ」
柔らかな声音に誘われるように、ミーシャはふらりと前に出た。
「思ったより、小さいんだな。よく頑張って、ここまでたどり着いた」
伸びてきた大きな手が、ミーシャの頭を無造作に撫でる。
こみ上げてくる何かに押し出されるように、ミーシャの瞳から涙があふれた。
クシャリとゆがんだ顔を隠すように、男はミーシャを抱きしめる。
「あぁ、大丈夫だ。ラインもレンも、元気にしてるぞ。おまえさんを心配して、探し回ってる。すぐに連絡してやろうな。飛んで帰ってくるはずだ」
声もなく泣きじゃくるミーシャの背中をポンポンと慰めるように叩きながら、男は言葉を重ねた。
まるで小さな子供のように泣きじゃくるミーシャを、ヒューゴは何処か不思議な気持ちで見ていた。
ヒューゴの知るミーシャはいつでも明るくて優しく、薬の事になると人が変わったように強気な少女だった。一人でも真っ直ぐに前を向いて、どんな運命にでも立ち向かっていくように感じていた。
(あぁ、でもそういえばもろい部分もあったか)
短い旅の中で垣間見た泣きそうな横顔を思い出して、ヒューゴは肩を落とした。
どんなに大人顔負けの薬師としての知識があっても、ミーシャはまだ13歳の成人前の少女だ。
自分の意志とは関係なく突然孤独になって、寂しくないわけがない。
ただ、一度でも人前で泣いてしまえばもう動けなくなる気がして、精いっぱいに虚勢を張っていただけだったのだ。
伯父に会えたわけではないが、ミーシャの保護者を見つけるという目的はすでに叶えたといってもいいだろう。
喜ばしいはずなのに、見たこともないほどに泣きじゃくるミーシャの姿に、ヒューゴは自分の胸に何とも言い難い感情が浮かんでくるのを感じた。
「無事に保護者に会えたみたいだな」
「……そうですね」
同じ瞳の色を見て納得した様子で満足そうに頷いたマイカに、ヒューゴもあいまいに頷く。
「俺も一安心です。これで次の目的に集中できる」
ポツリとつぶやかれたヒューゴの言葉は、どこか自分に言い聞かすような響きを持っていた。
「ミーシャ、また泣いてる」
ミーシャの涙を止めたのは、どこか呆れたような幼ない声だった。
「こんどはどこかいたい?それとも、またうれしいで泣いてる?」
急いで涙を拭いて顔をあげたミーシャの目に映ったのは、すぐそばに立つ少年の姿だった。
「嬉しい……から、かな?」
塀越しに見つめあった瞳と、今度は遮るものなく向き合って、ミーシャは少し気まずそうに笑った。
「ふぅん。なら、いいか」
小さな手が伸びてきてまだミーシャの目尻に残る涙をぬぐっていく。
「レンがミーシャ見つけたらレンの代わり側にいてって。泣かないようにって。でもうれしいで泣くならいいよね」
「そうだな。うれしくて流す涙なら、心配しなくていいだろう」
確認するように見上げる少年に、男はニカリと笑って見せた。
そんな二人の様子に、まるで幼い子供のように泣きじゃくってしまったミーシャは今さらながら羞恥に襲われたようで、先ほどとは別の意味で顔を覆ってしまった。
真っ赤に染まった耳を、少年が不思議そうにつついている。
「改めて。俺はゲイリーだ。この子の伯父の知り合いで、今回はぐれてしまったミーシャを探すのに協力していた者だ」
そんな二人の様子に男は笑うと、成り行きを見守っていたマイカとヒューゴに向き合った。
「俺は西の商店街の代表をしているマイカだ。ちょっとした縁があって案内してきただけで、あの子を保護していたのはこっちだよ」
半歩後ろに下がっていたヒューゴの背中を、マイカが笑いながら叩いて前に押した。
「ヒューゴと言います。ミーシャは、俺の住む村に流れ着いたから、ここまで送ってきたんです。無事に会えてよかった」
ぺこりと頭を下げたヒューゴに対して、ゲイリーはそれ以上に深く頭を下げる。
「まずはこの子の伯父の代わりに礼を言わせてくれ。ミーシャを助けてくれてありがとう。あいつにとって、ミーシャは最後の身内なんだ」
「いや……、俺が助けたわけじゃないし……。俺はここまで送ってきただけなんで」
下心ありで送ってきた自覚のあるヒューゴは、純粋な感謝を向けられ少し居心地悪さを感じた。
「それに、俺たちもいろいろミーシャに助けてもらったし、お互いさまっていうか。むしろこっちの方が世話になる比率が高いというか……」
ちらりと隣に立つマイカを伺うのは、どこまでミーシャの事を話していいのか分からないからだ。
幼いながらに優れた薬師の技術を持つミーシャは、本人に自覚はないが一般的に見て稀有な存在だ。見た感じ、近しい間柄のようだがどこまで話していいのかヒューゴは判断できずに口を濁した。
「そんな事ないよ。ヒューゴのおかげですごく助かったもの。私がこんなに早くここまでたどり着けたのはヒューゴのおかげだわ!」
ごにょごにょと歯切れの悪いヒューゴに何を思ったのかミーシャがこぶしを握って力説した。
「いや、そういう事じゃなく……」
良くも悪くも空気を読まないミーシャにヒューゴはガックリと肩を落とす。
そんな二人のやり取りに何を思ったのか、マイカが声をあげた。
「まぁ、身内の積もる話もあるだろうし俺はこれで失礼するよ」
「あぁ。後で改めて礼に行かせてくれ。本当にありがとう」
「いやいや、俺はついさっき会ってここまで連れてきただけだから……」
大人のやり取りを始めた二人と、肩を落としてしまったヒューゴ。
何となく取り残された気持ちでそれを見ていたミーシャの手を、ツンッと小さな手が引っ張った。
「ミーシャ、こっち来て」
「え?えぇ?」
思いがけず強い力で引っ張られ、ミーシャは戸惑いながらも店の奥へと連れていかれてしまう。
「ゲイリー、ミーシャのにもつ見せる!」
ゲイリーの方を気にして足が重いミーシャに気がついた少年が足を止めないまま声をあげた。
「お?おう、分かった。昼飯は適当に持ってくるから、奥の部屋でのんびりしておけ」
「じゃあな、お嬢ちゃん」
少年の声に反応したゲイリーが返事をすると、マイカがその横で軽く手をあげた。
「はい!案内ありがとうございました。また改めてお礼に伺います!」
ぐいぐいと引っ張る手にどうにか抵抗しながら、ミーシャも手を振る。
店の奥へと入っていく二人をどうしたものかと目で追っていたヒューゴは、危険もないだろうと大人組の方へと居残ることに決めたようで、その場から動くことはなかった。
「これ、ミーシャの」
店のカウンター奥の扉をくぐると、素朴な木のイスとテーブルがある小さな部屋だった。隅の方へかまどがあり、簡単な煮炊きなどもできるようになっている。
さらに奥には暖炉とソファーなどもあり、居心地のよさそうな空間になっている。
そのソファーと壁の隙間に見慣れたリュックサックを見つけて、ミーシャは目を丸くした。
「ミーシャのリュック。春に村までもっていくつもり、ゲイリー言ってた」
おどろくミーシャに、少年はどこか自慢げに胸を張る。
「おれももってくつもりだった。でもミーシャきた、からもってかない」
「そう。ありがとう」
どこかぎこちない説明から、ここで荷物を預かってくれていたことに気づいて、ミーシャは頬を弛めた。
「ね、君の名前はなんていうの?」
初めて宿の板塀越しに目を合わせてから、ずっと聞きそびれていた質問をようやくミーシャはすることができた。
鳥笛に応えてミーシャの元にやってきた小さな男の子。
そのおかげで、ミーシャはこんなにも早くこの場所にたどり着くことができたのだ。
お礼を伝えたかったけれど、ミーシャはいまだにその存在の名前を知らなかった。
ミーシャの言葉に少年は思いがけない事を聞かれたとでも言うように、目をぱちりと瞬いた。
「おれのなまえ?」
「そう。私はあなたを何て呼べばいい?」
小柄なミーシャよりもなお小さな少年の目線に合わせるようにひざをついてミーシャはもう一度尋ねる。
真っ直ぐに見つめる翠の瞳に、少年はこの時、初めて笑顔を見せた。
「カミュ!おれのなまえはカミューだよ!」
誇らしげに宣言する少年の勢いに押されたように目を瞬いた後、ミーシャもニコリと笑顔を返す。
「そう、カミュー。私はミーシャよ。よろしくね」
「うん。知ってる。ミーシャはおくすり作る、じょうず。ちょっと泣き虫。でも優しいし頼りになる。レン、言ってた」
改めて名前を名乗ったミーシャに、カミューはどこか自慢げに胸を張る。
「……それ、レンが言っていたの?カミューはレンとお喋りができるの?」
自信満々のカミューにミーシャは首を傾げた。
初めて会った時から、カミューはミーシャの事を知っている様子だった。
そして、度々口に出るレンの名前。
その名前を語るとき、カミューの瞳はとてもうれしそうに輝いていて、レンの事が大好きなのだと伝わってくる。
人と狼の言葉は違う。
レンは人の言葉を理解しているような反応を多々示しているし、なんとなく意思の疎通はできるものの、さすがに言葉を話すことはない。
しかし、カミューはやけに具体的にミーシャの事を語るのである。
てっきりラインが教えたのかと思っていたけれど、先ほどカミューはしっかりと「レンが言った」と口にした。
ありえないとは思ったものの、あまりにも自信満々な様子のカミューにミーシャは思わず疑問を口にしてしまっていたのだ。
はたして、カミューは思いがけない事を聞かれたというようにパチリと目を瞬いた後、こっくりと深く頷いた。
「俺を育ててくれた母さん、犬だった。雪の日に腹をすかせて泣いてるのをひろった、言ってた。母さん、ちょうど子供をなくしたばかりで乳があまってたから、兄妹のついでに育てた、言ってた。兄妹も仲間もみんな犬だった。だから犬の言葉分かる。レン、オオカミだけど言葉にてるから分かる」
「……そんな事ってあるのね」
ぎこちなく語られる言葉に、ミーシャは不思議な気持ちで聞いていた。
子供を亡くしたばかりの犬が、捨てられていた人間の赤ん坊を拾って育てるなんて、まるで物語のような不思議な話だった。
それでも、真っ直ぐにミーシャを見つめる瞳に嘘をついている様子は見られない。
だから、ミーシャはそういう事もあるのだろうと素直に頷いた。
「じゃあ、カミューはとても幸運だったのね。優しい家族に受け入れてもらえて」
ミーシャは、少しもつれたカミュ―の柔らかな髪を撫でながらほほ笑んだ。
「……うそつき、言わないのか?」
カミューは、柔らかに自分を撫でる手に何とも言えないむずがゆさを感じて、一歩後ろに下がって逃げた。
「なんで?カミューは本当の事しか言ってないでしょう?」
ミーシャは、逃げられてしまった柔らかさを惜しむように一瞬指をさ迷わせた後、不思議そうに首を傾げた。
「人は犬の言葉分からない。犬と人はちがう、みんな言う」
少し不満そうに唇を尖らせるカミューに、ミーシャは少し笑う。
「そうね。でも違っても家族にはなれるわ。私はレンの事を大切な家族だと思っているし、言葉は分からなくても、レンもそう思っているって信じているもの」
「……ミーシャは変だ。人じゃないみたい」
「う~ん。私も小さな頃から森の中で育ったから、町の人とは少し違うのかもしれないわね」
はっきりと「変だ」と言い切られても、ミーシャは気を悪くするでもなく苦笑ひとつですませてしまう。
実際、森を出てずいぶん経つけれど、まだまだ知らない事はたくさんあって、外の人との関わりは驚く事ばかりだったからだ。
「そういえば、カミューの家族はどこにいるの?今はここで暮らしているのでしょう?」
「わるい男達に追いかけられた。安全なすみかをさがして山の方ににげたからもう町にはいない。俺はもう一人でもだいじょうぶなくらい育ったから、人の世界にもどれ、言われて置いていかれた」
ふと浮かんだ疑問を再び口に出せば、さらりと語られるにはあまりに重い答えが返ってきて、ミーシャは思わず息をのんだ。
「別に、母さんたちはのろまな人間につかまったりしないからだいじょうぶ。俺は今は山には行けない。でも大人になったら追いかけるから平気。それまでは安全な町にいる」
顔色を悪くしたミーシャに、気にした様子もなく答えると、ふいにカミューはミーシャの手を引いた。
「こっちにもミーシャのもの、ある」
「え?なぁに?今度はどこに行くの?」
ぐいぐいと引っ張られるまま連れ出されたのは裏庭で、その中央に立っているものに、ミーシャは目を丸くした。
「これ、母さんの杖じゃない。なんでこんなところに」
猫の額ほどの小さな裏庭には井戸があるだけで後は特に目立ったものはない。
その中央に、唐突に母親の杖が突っ立っていたのだ。
正確には小さな支柱がたてられ、それに括り付けられていた。
「カインの目印になる、ってラインが置いていった。夜明けに外に出して、日が暮れたら部屋に戻す。俺のしごと」
どこか誇らしげな様子で胸を張るカミューに驚いた顔のままミーシャが口を開いた時、ふいに頭上から甲高い鳴き声が響いた。
耳に馴染んだその声に反射的に顔をあげたミーシャの瞳に、力強く翼をはためかせ一直線に降りてくる鳥の姿が映る。
ミーシャはとっさに上着を脱ぐとぐるりと腕に巻きつけた。
ばさばさと羽音を響かせながら、ふわりとその腕に降り立ったのは通常よりも一回り大きな伝鳥だった。
ミーシャはその姿に、満面の笑みを浮かべる。
「カイン!久しぶり!!やっと会えた!」
はしゃいだ声をあげるミーシャに、カインは「しょうがない子」と言うように、コツンと一つミーシャの頭をつついた。
読んでくださり、ありがとうございました。
ようやくミーシャが辿り着きました。
あとはラインたちが戻ってくるのを待つのみです。
宣伝です。
明日、森の端っこのちび魔女さんの新刊が出ます。
ついに6巻。
個人的に6という数字が好きなので、とても感慨深いです。
今回も素敵なイラストをたくさん描いていただけたので、手に取っていただけると嬉しいです。




