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『火竜の呪い』
それは幼いミーシャが知り合った女性に教えてもらった郷土病であり、ヒューゴの妹であるミルを蝕んでいる皮膚病と同じものではないかと疑っている病の名だった。
「ヒューゴの妹さん、皮膚の病気を患っているんですけど、それが昔私が聞いた事のある『火竜の呪い』とそっくりなんです。それで、薬をつくれないかと必要な薬草を探しているんですけど……」
幼い頃に聞いた古い記憶を掘り出して、どうにかヒントが辺境にありそうだという事までは突き止めた。
しかし、肝心の辺境はお家騒動のあおりを受けて治安悪化している。
周囲にも危険を示唆されて直接向かう事は諦め、とりあえず情報の集まりそうな国一番の港町を目指しているのが現状だった。
そもそもミーシャの幼い頃の記憶が正確である確証もなく、他国から亡命してきた一族の中で見られる病とこの国の辺境で暮らす人々に起こる郷土病が同じとは限らない。
それでも他に思いつく対処法もなく、雲をつかむような話であっても一筋の希望を胸に動いていたのだ。
それが、ここにきて辺境で長く生活してきたジョブソンとキャスリーンに出会えた。
もしかしたら新たな情報を得る事ができるかもしれないとミーシャが考えるのは当然だろう。
はやる気持ちを押さえ、自分たちの置かれている状況を説明するミーシャに、ジョブソンとキャスリーンは顔を見合わせた。
「知っているか知っていないかって言えば……知ってるな」
「そうね。『火竜の呪い』は辺境の地に住む少数民族の村でまれに現れる珍しい病なのよ」
妙に歯切れの悪い二人の様子に、ミーシャは首を傾げた。
「病の存在は知っているけれど、治療法まではご存じないという事ですか?」
領地を治める立場にあった二人とはいえ、隣国との国境にあたる辺境の地は広い。
その片隅に住む少数民族の中でしか流行らない風土病など知らなくとも、責める事はできないだろう。
しかし、一度持ってしまった希望があえなく潰える予感に、ミーシャは顔を曇らせた。
「あぁ、そんな顔をしないで!ミーシャちゃんが思っているのとは逆なのよ」
ションボリと肩を落とすミーシャの様子に、キャスリーンは慌てたように首を横に振った。
「私の侍女がその村の出身なの。頭を怪我して治療してもらったはずなのだけど、覚えているかしら?」
「幌を突き破ってきた石で負傷した女性の事でしょうか?」
ミーシャの脳裏に、最初の馬車で運び込まれてきた負傷者の女性が浮かぶ。
意識を失っていた女性は、特製の気付け薬で無事目を覚ました。
頭部の怪我は三針ほど縫っただけで大したことなく、傷跡は残ってしまうけれど位置的にも髪で綺麗に隠れるだろうと診断すれば、共に付き添っていた妹とほっとしたように微笑みを交わしていた。
女性にとって体に傷が残るのは気になる問題だ。
二人の様子を見て、目立たないとはいえ出来るだけ綺麗に治るようにとミーシャも気にかけていた。
「そう、その子よ。その二人があの村の出身なの。あまりの偶然に驚いてしまって変な誤解をさせてしまうところだったわね」
「それだけじゃない。ティナ……妹の方が幼い頃に『火竜の呪い』にかかっていたんだ。少し前に潜伏していた隠れ家で丁度その話を聞いたばかりだから、なおさら驚いたんだよ」
治療の様子を思い出していたミーシャは、続く二人の言葉に目を丸くした。
いつも患者の側に寄り添っていた女性の肌は少しかさついて見えたけれど十分にきれいで、ミルと同じ症状が出ると予想していた『火竜の呪い』を患っていたようにはとても見えなかったからだ。
「ミーシャちゃんのお友達に効くかは分からないけど、『火竜の呪い』の薬なら、きっとティナが作れるはずよ。ティナは薬師ではないけれど、普通よりも体が弱い自分を気にして薬草には詳しいし、今回の旅でもそれでずいぶんと助けられたから」
ニコリと笑うキャスリーンはいそいそと動き出す。
「早速、ティナの元へ行きましょう。今は台所で食事の準備を手伝っているはずだから」
「おい、ちょっと待てよ」
突然の朗報に固まっているミーシャの手を引くと、呼び止めようとするジョブソンの声も振り切ってキャスリーンは足早に歩き出す。
「娘たちを助けてくれたミーシャちゃんの役に立てそうで嬉しいわ。これも神様のお導きかしら」
ミーシャの手を引きながら、キャスリーンは嬉しそうに笑う。
その笑顔に、ミーシャは母親の言葉を思い出していた。
『ミーシャ、どんな出会いも大切にしなさい。それはすべてあなたのために用意された神様からのプレゼントなの。今日あなたが助けた誰かが、今度は他の誰かを助けるわ。そうして人は繋がっていくの。そして、いつかあなたが助けた誰かのおかげで、あなた自身が助けられる日が来るかもしれない』
薬をつくりながら柔らかな表情で語る母親の声。
『母さんは父さんと出会って幸せ?』
小首を傾げたミーシャに目を丸くした後、レイアースは微笑んだ。
『もちろん。父さんと出会って、そしてミーシャにも会う事ができたもの』
笑顔で抱きしめられてうれしくて歓声を上げた幼い自分までも思い出して、ミーシャは知らず微笑んでいた。
「そうですね。私も、フローレンを助ける事が出来て嬉しかったし、なによりお二人が無事で、フローレンたちに再会できそうでとても嬉しい」
見えない何かがつながっていくのを感じて、ミーシャは無意識のうちにつながれた手に力を込めた。
「本当に、偶然ってすごいよね」
「無駄口叩く元気があるなら、もう少しすすむ速度をあげても大丈夫そうだな」
「それはさすがに無理~」
先を行くヒューゴの背中を追いかけながら、ミーシャは唇を尖らせる。
背中にはそれなりの重量の荷物を背負い、獣道に毛が生えたような山道を進んでいるのだ。
土砂崩れでつぶれた本道の代わりに、この数日通る人間が増えたため踏み固められ、事前に注意されていたよりも足元は安定しているものの、もともとがほとんど整備されていない細道である。
普段から体を鍛えてこうしたことにも慣れているヒューゴに本気でスピードをあげられれば、いくら山育ちのミーシャでも置いていかれてしまうのは必至だ。
「もう!有力情報が手に入って浮かれるのは分かるけど、無茶して怪我したら本末転倒なんだから」
拒否したにもかかわらず、わずかに上がった歩くスピードに、ついにミーシャは怒って足を止めた。
追いかけてくる足音が聞こえなくなったことにすぐに気づいたヒューゴは、ため息とともに振り返る。
「確かに私は森で育ったから山道には慣れてるけど、知らない場所を走りたくないし、慢心は怪我の元だわ。だいたい、先はまだ長いのに、こんなスピードで進めば明日は疲れで動けなくなっちゃう。少し落ち着いて」
足を止めたミーシャにヒューゴが文句を言うより早く、あきれ顔のミーシャが淡々と諭す。
静かな翠色に見つめられるのは、大声で叫ばれるよりもヒューゴの心に響いた。
「…………わりぃ」
何処までも正論なミーシャの言葉に、ヒューゴは口をつきかけていた激情を飲み込むと、短く謝罪の言葉をつぶやく。
「まぁ、浮かれちゃう気持ちもわかるんだけどね」
それでもどこか不満そうな雰囲気のヒューゴに、ミーシャは苦笑を浮かべ肩を竦めた。
あの後、キャスリーンにつれられて無事にティナに話を聞くことができたのだが、そこには想像以上の情報が待っていた。
まず、ティナは確かに幼い頃に『火竜の呪い』にかかった経験があった。
薬のおかげで無事に治ったけれど、少しだけ跡が残っていると見せてもらった背中には、白い筋状の痕がうっすらと残っていた。
それはミルの背に浮かんだうろこ状のひび割れ酷似していて、ミーシャは二つが同じ系統の病である確信を深める事となる。
そしてキャスリーンの予想通り、ティナは『火竜の呪い』の薬の作り方を知っていた。
辺境の山間部にしか生えない『テンガラ』という薬草があり、通常は青い花が咲き、肝臓の薬や解毒剤に原料になる。
『火竜の呪い』に使うのはその『テンガラ』の変種で、なぜかまれに見つかる紅い花を咲かせるものでないと意味がないそうだ。100株に対して4~5本しか見つからないため、村人は見つけたら採取して乾燥させているのだという。
幸い『テンガラ』以外はミーシャも知る薬草で、入手もそれほど苦労しないありふれたものだった。
そこで、やはりネックは『テンガラ』をどうやって入手するかという事になる。
「紹介してもらう事は難しいですよね?」
よそ者を嫌う閉鎖的な村であれば、突然訪ねて行っても門前払いを食らう事になるだろう。
眉を下げるミーシャに、ティナはにこりと笑う。
「それが、実は潜伏していたスラムの奥でテンガラを見つけたんです。しかも不思議なことに赤い花ばかり」
辺境の町から逃れた一行は物資の補給と情報収集のため一時的に港町バイルへと身を潜めていた。
その時、スラムの中でもより荒廃が進んだ廃屋を拠点としていたのが、そこの中庭でテンガラが群生していたのを見つけたというのだ。
解毒剤にもなる為万が一のために採取して乾燥させていたものを分けてもらい、調薬方法も無事習う事ができた。
もっとも運べる荷物の量に限りがあったため持ち出せた数にも限りがあり、分けてもらえた薬草では作れたとしても二日分がせいぜいだ。
完治までにどれほどの量が必要かは個人差があるものの、少なくとも年単位と思った方がいいと忠告を受けた。中途半端に治ったところで薬を止めると再発してしまうためだ。
今後の事を考えると、どうにかして栽培できる環境を整えなくてはならないだろう。
もろもろの問題はあるものの、ミーシャはとりあえずバイルで見つけたという群生地を教えてもらい、自分たちで採取することにした。
おそらくミーシャがヒューゴと共に村に戻っている余裕はないため、詳しい作り方と薬草を持ち帰ってもらう事になる。
その前に、ミーシャ自身も調薬して効果を試してみたかった。
幸い、ヒューゴにも軽くとはいえ同じ症状が出ているのだから、実験体にはおあつらえ向きだろう。
ヒューゴ自身も妹のためならばいやはなかった。むしろ、実験体になる気満々である。
もともと何か情報がつかめればいいなという淡い期待しかなかったバイルで、薬が手に入る目処が立ったのだ。
しかも、『火竜の呪い』の話を聞き実際に病の痕跡を確認したミーシャの見立てで、十分に効果があるはずと判断が下された。
長年、最大の悩みで会った妹の病の薬が見つかったと聞けば、ヒューゴが浮足立たないわけがないのだ。
しかし、今すぐにも飛び出そうとするヒューゴをミーシャが止めた。
いまだ道路はふさがれたままで、先に進むには獣道の様な細道を徒歩で越える必要があったし、なによりまだ治療途中の怪我人がいる。
ミーシャは完治まで付き合う余裕はないけれど、せめて代わりの医師か薬師に引き継ぐまではここを去るわけにはいかないと考えていた。
幸い話を聞けば『火竜の呪い』に必要なのは根の部分であり、採取時期は問わないらしい。ただ赤い花の咲くテンガラを見分けるために採取時期が限られていただけで、ティナが言うには見つけた群生地に咲いていたのは赤い花ばかりだったというから、場所さえわかれば花が咲いていなくても十分だ。
しっかりと目を合わせ自分の意見を告げるミーシャの眼に、止めようと伸ばした手を振り払って飛び出していったあの日と同じ光を見たヒューゴは、潔くはやる気持ちを飲み込んだ。
この目をしている時のミーシャを説得しようとしても無駄であると骨身にしみていた。
(ミルの症状は安定しているし二~三日遅れたところで問題ない。ここでミーシャに無理強いをして敵対する方がまずい。現状、薬をつくれるのはミーシャしか当てがないんだから)
たとえ喧嘩したとしても、ミーシャが途中で患者を投げ出す事はないだろうが、心証を悪くしてもいい事はない。
そうしてジリジリとした気持ちを抱えながら耐えたヒューゴの忍耐が報われたのは、その話を聞いて二日後のことだった。
道路がふさがれた報を受けたこの地を収める領主が救援物資と共に医師や軍の一部を派遣するとの伝達が届いたのだ。
「我々は出発するよ。子供たちの元へと向かう事にする。いろいろとありがとう」
「国境越えのいいルートを教えてくれてありがとうヒューゴ君。妹さん、早く良くなるといいわね」
ミーシャからその情報を聞いた途端に、ジョブソンたちは迷いなく立ち上がった。
もともと領軍が来るまでの療養期間と割り切っていたようで、いつでも出立できるように準備ができていたのだ。
「はい。まだ折れた骨がつながったわけではないので無理はしないよう、周りの方も気を付けてくださいね。二人にはご両親が向かっていると伝鳥を飛ばしておきます」
隠れて去る一行を華々しく見送るわけにもいかず、ミーシャはひっそりと遠ざかる背中を見送った後、その不在を誤魔化すように自分たちも出立することを発表した。
通りすがりの身で何の見返りも求めず薬師として貢献したミーシャは、宿場ではちょっとした有名人になっていて、思惑通り多くの人々の目がこちらに向くことになる。
領軍が到着すれば道路が開通するのもそれほどかからないだろうから、それまではとどまって馬車で行けばいいのではと提案する人々に首を横にふるミーシャに、ヒューゴは隠れてホッとしたように息をついていた。
ジョブソンたちと入れ替わるように到着した領軍を、ミーシャは功労者の一人として宿場の代表と共に前に立って迎え入れた。
一人一人の状態とどんな治療を施したか、今どんな薬を使用しているかを適切に説明する少女に、軍と共に来ていた医師が目を丸くして驚き、それを見た宿場の人々がさもありなんと笑いをかみ殺すという一幕はありつつ、引継ぎは無事終了した。
心残りが解消されたミーシャは、その日のうちに宿場を出発することにした。
すでに昼をだいぶ過ぎており翌朝まで待っても良かったのだが、自身の思い入れのために我慢させていたヒューゴの心情に少しでも報いたかったからである。
「今から出発すれば少し頑張れば、私達なら一山くらいは越えれるんじゃないかしら?」
少し悪戯っぽく笑うミーシャに、一瞬戸惑った表情を浮かべたヒューゴは、すぐさまマントを着込みバッグをつかみあげた。
そうして、惜しまれながらもようやく出立したのがつい一時間前で、土砂崩れが起きたあの日から1週間が経過していた。
読んでくださり、ありがとうございました。




