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薬箱を手に戻ってきたミーシャは、集会場の前に作られた簡易かまどで炊き出しの用意をしている女性たちに交じってマヤ直伝の体の温まるお茶を鍋に大量生産していた。
独特の香りが辺りに広がるが、効果はミーシャ自身で実感済みだ。
少し辛味があるものの体を温めるのに効果覿面だし、滋養強壮の効果まである優れものなのだ。
「ついでにババ様に作り方を教えてもらってて良かった」
「なんか嗅いだことのある香りだと思ったら、やっぱりババ様のお茶かよ」
手っ取り早く体を温めるために青年を温泉に叩き込んでいたヒューゴは、戻ってきてすぐ眉をしかめていた。
風邪をひいた時に薬と共に飲まされるため、あの村の人間なら一度は世話になったことがあるのだ。
「蜂蜜奮発したから甘いはずだよ?おば様達には好評だったけど、ヒューゴも味見する?」
「遠慮しとく」
鍋から一歩後ろに遠ざかりながらヒューゴは首を横に振った。
効果のほどを身をもって知っているヒューゴは、その独特の味も当然知っている。不味くはないが、おいしいとも思わない。妹のミルは日常的に愛飲していたが、ヒューゴは苦手だった。
実はミーシャ自身もそんなに得意な味ではなかったがそんな事実は見事に棚上げしてヒューゴの様子に思わず噴き出した。
「お酒は平気でも辛い物が苦手なんて、ヒューゴも十分子供じゃない」
「余計なお世話だ。辛いのが苦手じゃなくて、それの味が好きじゃないんだよ。ミーシャも実は苦手だっって知ってるんだからな」
「誰よ、つげ口したの!カシュール?エラ?まさかババ様?!」
「誰だっていいだろ?てか、本当に苦手なんだな」
子供のように言い合いを始めた二人に、周囲に笑いが起きる。
飲み物を担当しているミーシャの隣では、大きな鍋でスープがつくられ、肉が焼かれている。
土砂崩れに巻き込まれた人達以外にも、救助のために力を尽くしている町の人たちにふるまわれるのため、料理はそれぞれ大量に作られていた。
そこだけ見ると一見和やかな光景だが、山の方から先ぶれの馬が走ってきたことで場の空気がキュッと引き締まった。
「もうすぐ馬車がつくけどケガ人がいるそうなんだ。どこに運んだらいい?」
飛びこんできた先ぶれは宿場の男で、慣れた様子で炊事場にいた女たちに声をかけた。
「集会場の奥の部屋に横になれるように用意してるからそっちだね。一応、薬も用意してるしこっちのお嬢ちゃんが治療もできるって言ってるんだけど、怪我はひどいのかい?」
ミーシャの隣で鍋をかき回していたのは、ミーシャ達が宿泊していた宿の女将さんだった。
どうやら旦那と共にこの村の取りまとめの様なことをしているらしく、女たちを代表して声をあげる。
「俺も良く分からん。命に別状はないらしいが……」
困り顔で男が首を傾げた時、馬車が広場の中に入ってくる音がした。
顔を見合わせた一同は、火の番をする最低限の人数を残して素早く馬車へと走り寄る。
大勢の女性に駆けよられ、手綱を握っていた男が慌てて馬車を停めた。
「自分で動けるものから先に降りてくれ。おばちゃんたちは誘導よろしく。それから怪我人を運ぶから、余力のある男達は手伝って。担架はどこだ?」
「ここに用意してます」
一台の馬車に詰め込まれていた人々がぞろぞろと降りてくる中、次々と指示を飛ばす男にミーシャは手をあげて合図を送る。
自力で動ける者達は草臥れた顔はしているものの目につく怪我はないようだった。
(あれなら、おいしいものを食べて温まればすぐに元気を取り戻せそうね)
すれ違いざまに確認して、ミーシャはホッと胸を撫で下ろす。
それから、男達が担架の用意を始めている隙をついて素早く馬車の中を覗き込んだ。
とたんにフッと鼻を衝く鉄臭い匂いに、ミーシャの表情が引き締まる。
馬車の中にはぐったりと体を横たえる人影とその枕元にうずくまる女性、馬車の縁にもたれるように座り込みうな垂れたまま動かない男性が二人残っていた。
「体は動かせそうですか?」
ミーシャの声かけに、手前側に座り込んでいた男がノロノロと顔をあげた。
うつろながらも瞳が合う事を確認して、ミーシャは馬車に乗り込むと男の手を取った。
「自分の名前を言えますか?」
「……ジョブだ」
予想以上にしっかりとした答えが返ってきて、ミーシャは小さく頷いた。
「私は薬師のミーシャです。これからあなた達を順番に部屋に運びます。痛みがあるときは遠慮なくおっしゃってください」
柔らかく声をかけながらも、ミーシャは手早く男の状態を確認していく。
全身状態を観察して怪我の有無を探り、脈をとり、いくつかの質問を重ねる。
「腕と胸の骨にひびが入っているみたいですね。後は全身の打撲。命に係わる傷はなさそうなので揺らさないようにベッドへと運んでおいてください。後できちんと固定しますから、極力動かさないで。痛み止めと食べれる様なら食事をとってもらってください」
その間、十分とかかっていない。
テキパキと確認して指示を出すミーシャに、ケガ人を運ぼうと集まってきた男達は戸惑ったように視線を交わした。
何しろ、目の前にいるのはまだ成人前の小さな少女なのだ。
それが、大人顔負けの手際の良さで怪我人に触れて確認していくのだから、戸惑うのも無理はない。
しかし、早いところ次の患者へと手を伸ばしたいミーシャは、そんな大人たちを待ってはくれない。
「さっさと動く!けが人はまだ増える可能性があるんですよ!急いで!でも丁寧に」
「「「はい!!」」」
ピシリとした声が響き、翠の瞳に射抜かれた男達は、とたんにきびきびと動き出した。
本能が逆らってはいけないと警告している。
ミーシャはその様子を満足そうに見て、次の怪我人に向き合った。
第一陣で運び込まれてきたひどい怪我人は、男性が馬車から転がり落ちた時にできた骨折と全身打撲。
意識を失っていた人影は女性で幌を突き破ってきた落石が頭部にあたったそうだ。座り込んでいた女性はその時かばわれた妹で怪我はなかった。
最初に助けを求めて村に駆け込んできた青年は二台は駆け抜ける事ができたといったけれど、実際の所はギリギリだったらしい。落石が幌を破って飛び込んできたり、車体の後部を土砂が掠り半壊した挙句危うく道から転げ落ちかけたりと、とても無事とはいいがたかった。
(確かに、命を落としたものもいなかったし土砂に埋もれて生死不明になったわけでもないけど……)
治療しながらも聞き出した当時の状況に、こみあげてきたため息を押し殺しながらミーシャは、手早く女性の頭の傷を縫合し包帯を巻く。
「はい。おしまいです。幸いすぐに意識は戻ったし骨には異常はないようですが、頭の怪我は後で異変が起こることもあるのでしばらくは安静にして気を付けてくださいね。何か異変を感じたらすぐに連絡を」
「ありがとうございます」
頭を下げる妹だという女性にいくつか気を付けるポイントを教えてから、ミーシャは部屋を後にした。
「よう、お疲れさん」
途端に扉の前に待ち構えていたヒューゴに声をかけられる。
女性の治療に力仕事はなかったし、妙齢の女性の寝室に必要もないのに男性を招き入れる事もないだろうと部屋を追い出されていたのだ。
「大丈夫そうか?」
「頭を打ってるから、完全に安心はできないけど、とりあえずは。骨折の方もひびが入っただけだから、少し時間はかかるけど綺麗にくっつくと思うわ。今から固定しに行ってくる」
ざっと見た限り頭部の負傷の方が優先度が高かったため、男性陣は後回しにしていたのだ。
「そうか。他の人間は疲労と睡眠不足はあるみたいだけど、温かい食事で少し回復してるみたいだ。食べ終わったやつから温泉にいれて休ませるってさ」
歩きながら状況を教えてくれるヒューゴに、ミーシャは目を丸くしてからほほ笑んだ。
やる気のないように見せかけて、ミーシャの知りたいことはきっちりと押さえているヒューゴを素直にすごいと思った。
(後はいじわるな言い方しなければいいのに)
心の中でつぶやいた言葉は、当然ヒューゴのは届きはしない。
実は同じように、テキパキと対処するミーシャにヒューゴが(何度見てもすごいよな)なんて思っていたなんて、ミーシャは気づきもしないのだった。
「山の方はどうなってるのかしら」
麓から見ても崩れている場所がわかるくらいの規模だ。
埋もれてしまった馬車を掘り出すのに、どれほどの時間がかかるのかミーシャには想像もつかなかった。
「さぁな。降りて来た奴らが言うには、飲み込まれた馬車は土砂にすっぽり覆われて見えなくなってたらしいから、そう簡単には見つからないんじゃないか?」
そっけないモノ言いながらも、長い前髪の奥から垣間見える瞳には心配そうな色が浮かんでいた。
素直じゃないのが平常運転のヒューゴである。
最近ではそんな癖も読み取れるようになってきたミーシャは苦笑いを浮かべながらも、骨折した男性二人がいる部屋の扉を開けた。
「横になっているように伝えてもらったはずなんだけど」
そこにはボロボロのマントに身を包んだままベッドに腰かけている男の姿があった。
もう一つのベッドに横たわっている男の様子を見ていたようだ。
「あぁ、痛み止めをもらったからかなり楽になった。ありがとう」
大柄な男が入ってきたミーシャに気づいて振り返ると、低い声で礼を言った。
その声で最初に診た男性だと気づき、ミーシャは頭を下げようとする男を慌てて留めた。
「胸の骨もひびが入っているから、体を曲げると痛むはずです。安静に」
そっと肩に手をあてるミーシャに、男がフードの陰でかすかに笑う気配がした。
「まだ小さいのに大したものだ。オレの娘と大して違わなさそうに見えるのにな」
その声に微かに切ない色が混じったことを敏感に感じ取ったミーシャは、床に膝をついて下からフードの中を見上げた。
「娘さんは一緒にいないの?」
「……あぁ、子供達は先に旅立ったから、後を追いかけてるんだ。体が弱い子だから、心配してるんだが……」
穏やかな声が答える。
フードの陰には少しくすんだ赤茶色に見える髪が見えた。旅の中で整える余裕もないのだろうが、洗いあげれば美しい艶を取り戻すのではないだろうか。
そして、その髪の隙間から見えるラピスラズリの様な青い瞳。
それとおなじ色を、ミーシャは少し前に見たことがあった。
『僕と父様の色は同じなんだよ。だから、僕も父様みたいなみんなに頼られる立派な男になるんだ』
きらきらと輝く瞳で憧れを語ってくれた。
小さな体で、姉を必死に守ろうとしていた少年の声がミーシャの耳に蘇る。
ミーシャは手を伸ばすと、さっと男のフードを取り去った。
突然の暴挙に驚いたように目を丸くする男の色は記憶の中の少年そのままで、ミーシャは思いがけない邂逅の予感に胸を高鳴らせた。
「お父さんの頼み通り、エディ君が一生懸命護ってたから大丈夫ですよ」
「なんでっ!?」
ミーシャの言葉に男は驚いたように声をあげて腰を浮かし、ミーシャの肩をつかもうとして体に走った痛みに呻き声をあげると、そのままベッドの横に崩れ落ちた。
急な動きが折れた骨に響いて痛みが生じたのだ。
「落ち着いてください。座って」
ミーシャは慌てて立ち上がると、体を強張らせて痛みに耐えている男の体をベッドの方に誘導する。
促されるままにベッドに戻った男は、痛みに強張る体を庇うように背中を丸めて座った。
「横になってもいいんですよ?」
気遣うミーシャに首を横に振ると、男はすがるような視線をミーシャに向けた。
「君は、あの子たちを知っているのか?」
「フローレンとエディオン。旅の途中で知り合って、十日ほど一緒に過ごしました。……国を追われて逃げているのだ、と」
最後だけ声を潜めたミーシャに、男の顔がゆがむ。
フローレンとエディオンの背景、しいては自分の正体を知っていると臭わされたのだと敏感に察知したためだ。
突然に落とされた窮地は、男の周囲を敵だらけにしてしまった。
切り伏せた死体を使って偽装もしたけれど、炎の中城を脱出できたのは奇跡だった。
極力目立たないように人目を避けて、厳しい時期だとは承知の上でぼろ馬車で移動を始めたのは、先に逃がした幼い子供達を心配しての事だった。
後に残す領地の事は気になったけれど、ほぼ体一つで追われる身では出来る事など何もない。
豊かさを欲しての簒奪なら、そうそうひどい事にはならないはずと自分に言い聞かせるしかなかった。
おそらく子供たちが辿ったであろう山越えのルートは季節柄さすがに無理があったため、遠回りになるのは承知の上で一度海辺に出て国境を越えようと考えた。
奇跡的に生き延びられたのなら、今度はバラバラになってしまった家族を取り戻したかった。
こっそり支援してくれる友人やこんな状況でも付き従ってくれた側近たちに助けられ、どうにかここまで進んできたのだ。
「二人はグリオさんたちに護られて無事です。今は私の住んでいた森の中にある家を目指して、ブルーハイツ王国に入ったところです」
ミーシャはにこりと微笑みながら、男が知りたくてしょうがなかった情報をサラリと伝えた。
「向かわれるなら、場所をお伝えします。ですが、秘密の家でもあるので、出来れば目立たないように少人数ずつで合流していただきたいのです」
ミーシャは、さりげなく男の手を取り、骨折部位の確認を始めながら話を進めた。
出会った時のこと。身を寄せる場所を探していると聞いたので、今は誰もすむ者がいない自分の生家に招待したこと。こっそりとだが自分の父親からの援助も約束されているので、辿り着ければ当面の生活の心配はないこと。
語られる言葉は驚きの連続で、男は何度も息をのみ、子供達が手にした幸運に感謝して神に祈りをささげた。そのどれか1つが欠けていても、子供達は命を落としていただろう。
そして、その幸運の最たるものが、口を動かしながらもテキパキと自分の怪我の治療をしている少女の存在だという事に男は気づいた。
だから男は、大きく息を吸うと覚悟を決めたようにミーシャを見つめた。
「私の名はジョブソン。君の思った通り、フローレンとエディオンは私の子供達だ」
自分の身を明かすことは、何度も裏切られた経験をしたばかりのジョブソンには勇気がいる事だった。
しかし、子供たちを助け、今度は自分たちにまでその救いの手を伸ばしてくれる相手に誠実でいたいと思ったのだ。
「子供たちに親切にしてくれてありがとう」
一人の父として、ジョブソンはただ素直にミーシャへと礼を伝えた。
「いいえ。私は私にできる事をしただけです」
ミーシャはにこりと笑うと、ジョブソンのあざだらけの背中に湿布薬を塗り付けた。
土産にとたくさん持たされたトンブの粉が、こんなにも早く活躍することになるとはマヤも予想していなかったことだろう。
半透明のプルプルした緑の軟膏がぴたりと肌に張り付く様子は少し異様だったが、ミーシャは気にすることなく細く切った布をその上に巻き付けた。
折れたあばらを保護するために、伸縮性のない布で固定するのだ。
息が苦しくないギリギリの力加減は難しく、ミーシャは様子を見て調節しつつ巻き付けていく。
だが、ジョブソンの鍛えられた胸板は厚く背中までは届かないため、会話中は空気を読んで壁に徹しようとしていたヒューゴに手伝ってもらう羽目になったのはご愛嬌だ。
「そういえば奥様はどうされているのですか?」
ジョブソンの治療を終え、痛み止めの副作用で気持ちよく爆睡しているもう一人の男の方もいっそ眠っているうちにすませてしまおうと布団をはぎ取りながら、ミーシャはふと浮かんだ疑問を何気なく口にした。
エディオンたちと過ごした時間の中で漏れ聞こえ
てきた辺境伯夫妻の話は、誰もがうらやむオシドリ夫婦だというものだった。
『父様が側にいるなら、きっと母様は大丈夫』
両親の無事を微塵も疑っていないエディオンの言葉だ。
だから、本当に他意はなかったのだが、ミーシャの言葉にジョブソンはスゥッと顔色を曇らせた。
「妻の乗っていた馬車は土砂崩れが起きた時最後尾にいたんだ。馬が興奮してなかなか前にすすまず置き去りにされていた。私はそちらに戻る為に馬車から飛び降りようとした時に、馬車に土砂がかすめた衝撃で転がり落ちてしまった」
自分で飛び降りるのではなく変なタイミングで落ちたため、ジョブソンはうまく受け身をとれずに負傷してしまったのだ。
ちなみにもう一人のけが人は側近で、高速で走る馬車から飛び降りるのは危険だとジョブソンを止めていた時に土砂が当たり、こちらもバランスを崩して落ちてしまったそうだ。
「土砂崩れが起きた時、妻の乗った馬車はだいぶ後ろにいた。おそらく土砂に飲まれることはなかったとは思うが、どうなっているのかは分からないんだ」
子供たちに続いて大切な伴侶とも引き裂かれてしまったジョブソンは、悔しそうに唇をかみしめた。
読んでくださり、ありがとうございました。




