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「本日はここで野営となります。食事の準備がない方は有料となりますが、お声がけください。夜の見張りはこちらでしますが、馬車の周辺からあまり離れないようにお願いします」
御者の声で乗客は次々に馬車から降り立った。
その流れに乗って、ミーシャ達も馬車から降りる。
「うーん、疲れたぁ」
狭い馬車から外に出て、ミーシャは大きく伸びをする。
幾度か短い休憩はあったものの、基本的に一日中馬車に乗りっぱなしだったため、筋肉が強張って体がきしみをあげているようだった。
「こっち」
そんなミーシャを笑って軽く頭を叩くと、ヒューゴはさっさと歩き始める。
「あ、待ってよ」
足元に置いていた荷物を取り上げ、ミーシャは慌ててその背中を追いかけた。
「ここらへんでいいだろ」
野営場は道沿いにある整備された広場だった。
行き来する旅人たちの休憩場になっている場所のようで、それなりの広さがあり、ミーシャ達が乗っていた馬車以外にもいくつか馬車が停まっている。
「こういうところで泊まるの初めてだわ。結構人がいるものなのね」
ラインとの旅は人目を避けて、馬車の通れないような細い山道を進むことがほとんどだった。
時間短縮のためジョンブリアン王国で山沿いから港まで馬車を使った事はあったけれど、その時の野営は、こんな広い広場は使わず単独だった記憶がある。みんなで一つの焚火を囲み和気あいあいと騒いだ楽しい思い出だ。
「他の馬車と一緒になってトラブルが起こらないのかしら?」
複数の馬車分の乗客で賑やかな野営地に、ミーシャは小さく首を傾げた。
長年利用されてきた野営地らしく、地面はしっかり踏み固められていて、そこかしこに小さな焚火の跡がある。同じ馬車に乗ってきた人たちは、その焚火跡を利用しようと次々と座り込んでいた。
「そういう点もないわけじゃないが、それ以上の利点が多いからだろ」
ヒューゴは、馬車が見える範囲で適度な距離をとった場所に荷物を下ろした。そこにも当然のように焚火の跡があった。
「利点?」
さっさと荷物からテントを取り出し組み立てようとするヒューゴに、ミーシャは手伝おうと慌てて駆け寄った。
「そう。たとえば護衛。俺たちが乗ってきたくらいの乗合馬車だと護衛の数は二人か良くて三人くらいしかいない。毎晩その人数で夜通し見張りをするのは大変だけど、ここなら協力できる」
指さされた先では数人の男たちが集まって何やら話し込んでいる。
その中に、自分たちの馬車の護衛役の男を見つけてミーシャは目を丸くした。
「あとは単純に数の力、だな。烏合の衆でも寄り集まれば制圧するのに手間も時間もかかる。盗賊側も数十人を相手に事を起こすのは大変だからそうそう襲ってくることはないんだよ。下手に逃げられたら、自分たちの情報が漏れて、狩られる危険が増すからな」
「……そうなんだ」
手際よくテントを設営しながら説明は続く。
「だから、普通はあえて野営地の位置を頭に入れて旅程を組むんだ。それで多少時間がかかっても、命あっての物種だからな。護衛の数も十分に用意できる馬車は野営地もそれほど気にせずに先に進めるから早いんだ。もっともその分金もかかるけどな」
「まだ明るいのに停まったのは、そういう理由だったんだ」
感心したようにつぶやくと、ミーシャは空を見上げた。
太陽はだいぶ傾いているけれど、そこにはまだ青空が残っていた。
「その分、夜明けと共に一斉に動き出す。ここで一緒になった馬車は、目的地が一緒なら大抵連なって動くことになるから、今はそのすり合わせもしてるかもな。金のない庶民の知恵だ」
軽く笑いながらテントの設営を終えたヒューゴが、ミーシャに馬車の方を指さした。
そこには、いつの間にか大きな焚火が燃やされていた。
「てわけで、ミーシャはあそこから火種をもらってきてくれ。ついでに焚き木も買えるから、それもな。愛想よくすれば、ご褒美に何かいいもの貰えるかもしれないぞ」
半ば崩れた石かまどを組みなおしながらヒューゴがミーシャの背中を押した。
自分でもできるけれど火おこしは意外に重労働だ。もらい火ですませる事ができるならそれに越したことはない。
指さされた先では、同じように火をもらいに訪れる人影があった。
ミーシャ達がテントを組み立てていた時間があったとはいえ、馬車の側の焚火はかなり大きくなっているから、もしかしなくともあの焚火も火種は先に設営を始めていた人たちから分けてもらったのだろう。
(本当に、お互い負担にならない程度の助け合いをしてるのね)
ミーシャの知らなかった暗黙の了解のような作法に驚きながらも、ミーシャはヒューゴに渡された硬貨を手に馬車へと向かった。
「すみません」
火の番をしていたのは、馭者を務めていた男だった。
「はいよ!火種かい?」
ミーシャが声をかけると男が愛想よく振り返った。
「あ、薪も一束ほしいです」
渡された硬貨をそのまま渡せば、男はすぐそばに積んであった薪の山から二束渡してくれた。
「今夜は冷え込むみたいだから、可愛い嬢ちゃんにおまけだよ。風邪ひかないようにな」
「ありがとう、おじさん」
人のよさそうな笑顔に、ミーシャは嬉しくなって笑顔を返した。
「兄ちゃんと初めての馬車旅だってな。大変だろうが頑張りな」
「はい」
焚火の中から火のついた枝を渡されて、それを大切に受け取るとミーシャは急いでテントへと戻った。
「薪、おまけして貰っちゃった」
「よっし、計算通り」
鍋や野菜を荷物から取り出していたヒューゴがニヤリと悪い顔で笑う。
「計算通りって……」
「火を起こすから、こっちよろしく」
呆れた顔を向けるミーシャを気にすることなく、ヒューゴはその手から火種と薪の束を取り上げて焚火の準備を始めてしまう。
火が燃えやすいように細い小枝を中心に薪を積んでいくヒューゴをしばらく見ていたミーシャは、小さく肩を竦めるとヒューゴの置いていった鍋と材料たちを手に取った。
「これって、スープにしていいんだよね?」
「お~う、よろしく」
干した小魚を手に尋ねるミーシャに、ヒューゴが頷く。
「こんなに小さな魚なのに、優秀だよね」
ミーシャの指先ほどの小魚はそのまま食べてもいいけれど、野菜と煮込むと良い出汁が出てとてもおいしい。さらに丸ごと全て食べる事で骨が強くなるなるのだとマヤに教えられて、ミーシャはすっかりその小魚が大好きになってしまった。
「お魚と~野菜に~海藻~~たくさん入れて~~」
石を積み上げて作った即席のかまどに鍋を乗せると、ミーシャは次々と材料を放り込んでいく。
「きのこがあったらよかったんだけど、まぁ、小魚だけでも良い出汁がでるかな?」
船から落ちた時に置いてきてしまったリュックの中の干しきのこやハーブを思い出すが、ない物はしょうがないとあきらめる。
いつもの徒歩の旅なら歩きながらいろいろ調達できたのだが、今回はずっと馬車に乗る予定なのでそれも見込めない。
(まだ明るいしちょっと森に入ってさがしてもいいかな?だめかな?)
ミーシャはちらりと野営地の奥の方に視線をやるが、こちらもため息を一つついてあきらめる事にした。
大きな道沿いの野営地だ。
周辺の木は薪にされてしまったのか下枝は刈りつくされているし、妙に木々の合間も広い。
見通しが良く、山賊などが潜む隙がないのはいい事だが、森の恵みを手にいれようと思ったら、かなり奥深くまで行かないと何もなさそうだった。
「あるもので頑張ろう」
ミーシャは手際よく塩と胡椒、そして薬箱に入っていたいくつかの薬草で風味付けをしていく。
コトコトと煮込まれていく鍋が辺りにいい香りを振りまき始めた。
馬車からバラバラに分かれた乗客たちもそれぞれに寝床を定めて食事を始めていたが、大半は固く焼しめたパンか干し肉などの非常食を嚙みしめていた。
そんな中食欲をそそる匂いが漂えば気になるのが道理というもので……。
「いい匂いだな、嬢ちゃん。おじさんのチーズと交換しないかい?」
「あ、さっきのおじさん」
鍋をかき回していたミーシャは、声をかけられて顔をあげた先に、馬車で隣に座っていた行商人の男を見つけると笑顔を浮かべた。気さくに話しかけてくれる男は感じが良かったし、貰った飴もおいしかった。
「いやぁ、一人分だとわざわざ火を起こすのも面倒でね。馬車でごろ寝するつもりだったんだけど、匂いにつられて出てきちまったよ」
少し恥ずかしそうに笑う男に、ミーシャは丁度良く近くの小川から水を汲んで戻ってきたヒューゴを振り仰いだ。
「分けてあげてもいい?」
コテリと首を傾げたミーシャに、ヒューゴは肩を竦める。
「いいんじゃないか?鍋一杯に作っちまったみたいだし。どう見ても二人じゃ持て余す量だろ、それ」
「そう言われれば……そうかも?」
いつもは歩き通しのため夜にはお腹がペコペコになっていたので、これくらいの量はラインと二人で余裕で食べきっていた。
しかし、今回はずっと馬車に座りとおしである。それほど空腹も感じず、無意識のままに作ったスープを食べきれる気がしなかった。
(残ったらもったいないし、食べるの手伝ってもらおう)
二人のやり取りをそわそわした様子で眺めている男に、ミーシャは笑顔を向けた。
「味の保証がなくても良ければ、どうぞ召し上がってください。でも、もう少し煮込んだ方がおいしいから、ちょっと待っててくださいね」
「商談成立だ。あ、これはさっき言ってたチーズな」
男は嬉しそうに笑うと、手にしていたチーズの包みをミーシャに渡した。
予想よりもずっしりと重たい包みを受け取ったミーシャが目を丸くしているうちに、いそいそとかまどの近くに座り込む。
「そうだ、兄ちゃんの方はもう成人してるんだろう?一杯どうだ?」
自分の荷物の中から酒瓶を取り出しながら誘う男に、ヒューゴは素直に呼ばれることにしたようだ。
素直に男の隣に座り込むと、自分のカップを差し出している。
「……飲み過ぎないでね、兄さん」
さっそく飲み始めた二人に少し呆れたような顔を向けながらも、ミーシャはつまみにしようと貰ったばかりのチーズを切るのだった。
(どうしてこうなったのかしら?)
焚火の周りを囲む大人たちに、ミーシャは首を横に傾げた。
行商人の男とヒューゴが酒を飲みかわしだしてすぐに「自分も混ぜてくれないか」と別の男が声をかけてきた。好物のリンゴを差し出され思わず頷いてしまったのはミーシャだ。
だが、それを皮切りに次々と皿を持った男たちが寄ってくるとは、さすがに想像できるはずもないだろう。
気がつけば馭者の男まで混ざっていて、最終的には一緒の馬車に乗っていた乗客の半数が集まっての宴会になっていた。
それぞれに何かしらを提供してくれたのはいいのだが、当然鍋一杯のスープで足りるはずもない。
ミーシャはもう一度調理する羽目になり、二回目の鍋が配られる頃には、空の酒瓶が複数転がっていて男たちはすっかり酔っ払いと化していた。
「明日は無事出発できるのかしら?」
赤い顔で大笑いしている馭者の男を遠巻きに見ながら、ミーシャはひっそりとため息をつく。
「二日酔いの薬、おじさんに材料補充してもらっててよかった」
船旅の最中、大量に二日酔いの大人が発生した時に薬を提供した後、一度下船する機会があったラインが傷薬などの材料のほかにも二日酔いの薬の材料も調達してきていたのである。
「どうして大人はお酒が好きなのかしら?」
楽しそうに笑い騒ぐ一同はとても楽しそうだったが、一度酒精を飛ばしたはずのホットワインで酔った経験のあるミーシャにとっては、酒は鬼門だった。
なにしろ自分の意識がない所で、自分が思いもよらない行動をとってしまうのだから。
「大人には全部忘れて騒ぎたいときもあるんだよ」
ふいに横から声が聞こえたけれど、嫌というほど聞き覚えのある声にミーシャは悲鳴を飲み込んだ。
「あれ?驚かなくなったな」
「気配を殺して人を驚かして喜んでるなんて、ヒューゴはまだまだ子供ね」
不思議そうに目を丸くするヒューゴに、ミーシャはどきどきしている胸の内をかくしてツンッとそっぽを向いた。
「はっ!ぼんやり生きてるお嬢ちゃんを、油断しないように鍛えてやってるんだよ」
そんなミーシャを鼻で笑うと、ミーシャの手元から綺麗に皮が剥かれたリンゴをかすめ取った。
「あ!私のリンゴなのに、ひどい!ヒューゴはあっちでみんなとお酒飲んでたらいいじゃない」
「僕はまだ子供だからこっちの方がいいんです~」
頬を膨らませて抗議するミーシャに適当な返事をしながらヒューゴは再びリンゴに手を伸ばす。
ミーシャがその手をはたき落としていると、ふいにヒューゴの視線が険しさを増し、広場の入り口の方を睨みつけた。
「ヒューゴ、どうしたの?」
「何か来る」
突然雰囲気の変わったヒューゴにミーシャが戸惑いの目を向けた時、薄闇を切り裂くように小型の荷馬車が広場へと飛びこんできた。
一切スピードを弛めぬまま広場の中ほどまで入り込んできた馬車に、陽気に飲んで騒いでいた大人たちも黙り込む。
護衛の男たちが敵襲かとひりついた視線で武器を馬車に向けた時、必死の形相で手綱を握り締めていた荷馬車の男が声を張り上げた。
「誰か!医師か薬師の心得のある奴はいないか!?」
男の大音声に、注目していた人々は困惑して視線を交わしあう。
そんな空気の中男は泣きそうな顔で自身の馬車の荷台を振り仰いだ。
山のように積まれた野菜の陰に倒れ伏す小さな姿が、ミーシャの位置からはかすかに見えた。
「息子が突然倒れたんだ!頼むよ!誰か助けてくれ!!」
読んでくださり、ありがとうございました。




