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新章始まります
見送りのみんなに手を振って別れた後、ミーシャは補給部隊だという4人に挟まれて黙々と山道を進んだ。
海神様の社の前を通り過ぎ、さらに山を登る。蛇行した急こう配の道は細く見通しが悪い。
あまり使う人もいないのか張り出した枝や藪で細い道がさらに細くさえぎられ、慣れていないと道を見失ってしまいそうだった。
尤も山育ちのミーシャにとっては何の問題もなく、すいすいと歩いていく。
最初は幼い少女を気遣っていた男たちも、慣れた足取りでついてくるミーシャに遠慮はいらなさそうだと徐々に歩みのスピードをあげていた。
そうして、黙々と山を登る事一時間程。
先頭の男が、茂みをかき分けるようにして奥に消えた。
(あ、これって海巫女達に会いに行った時と同じだわ)
先日、マヤに秘密の通路を教えてもらった時の事を思い出し、ミーシャはとても人が通ったばかりとは思えない緑の壁に戸惑うことなく突入した。
案の定、何の抵抗もなく向こうへと抜けるとそこには小さな小屋があった。
切り出しただけの木を組んだだけの質素なもので、居住というよりは資材置き場や休憩所といったところだろうか?
先に消えた男たちに少し驚いたような目を向けられて、ミーシャは何かおかしかっただろうかと少し首を傾げた。
「ミーシャ、戸惑いなく突入してったなぁ」
そんなミーシャの疑問は、すぐ後を歩いていたヒューゴが、藪の向こうから姿を現すことで解決した。
「お前がしり込みしたら、背中から押す予定だったんだけど」
「あぁ……。そういう……」
確かに、緑の壁は厚く、一見するととても通り抜けられそうには見えないものだった。
(確かに、最初ババ様が消えた時はびっくりしたっけ)
しかし、二回目でからくりも分かっている身としては「またか」と思うだけで、考えもなくただ後に続いてしまったのだ。
しかし、まさかババ様に教えてもらったというわけにもいかず、ミーシャはあいまいな微笑みを浮かべた。
「だって私の前に二人も同じように通っていくから、そういうものなのかな、って思ったの」
「……まあ、ミーシャは馬鹿がつきそうなほど素直だもんな。相手を疑わないって言うかさ」
わずかに視線をさ迷わせながらも、無難な返事をしたミーシャに一瞬沈黙した後、ニヤリとヒューゴが笑った。
「……それ、ほめてない、よね?」
「さて、ね」
目を座らせてミーシャが下から見上げる様に睨むが、ヒューゴはヘラッと笑ってごまかした。
「仲の良い事だが、時間もないしこちらの話も聞いてもらっていいか?」
さらに追及しようとしたミーシャは、穏やかな声に遮られ振り返った。
それは、歩き始める前にお礼を言ってくれた男性だった。
「私は補給部隊の隊長をしているサンドールという。今回近くの町まで送るにあたり、いくつかのお願いがあるので聞いてほしい」
かなり高い位置にある顔と視線を合わせようと思うと、小柄なミーシャではめいいっぱい首を上にあげる必要があった。
少々苦しい体勢に眉をひそめたミーシャに気づいたサンドールが、ふっと表情を緩めて三歩程後ろに下がる。そのささやかな気づかいにミーシャも表情を弛めた。
「それは道を秘匿するためでしょうか?」
村人ですら、山を抜ける道を知らない。
正確な道を知るのは村長や村の重鎮、そして補給部隊だけであることをミーシャは聞いていた。
「そうだ。理解してくれているならありがたい。村を守るために必要なんだ」
ミーシャの問いに一瞬驚いたように目を見開いた後、サンドールは頭を下げた。
そのやり取りに、周囲でこちらの様子を見守っていた男たちにざわめきが走る。
本来、村を出る事を選択した漂流者に礼を尽くすことはない。
村を出れば二度とかかわりのなくなる存在だ。
失礼な態度こそ取る事はないものの、余計な情が沸かないように言葉少なく淡々と接することが通常だった。
それが、村の中でも重要な立ち位置にいる補給部隊の隊長が、たかが村を出るための手順説明のために頭を下げたのだ。
他の隊員にざわめきが広がるのも無理はない。
もっとも、村を出る事を決めたとはいえ、貴重な知識持ちの薬師との縁を完全に切ることを良しとしなかった村長達の話し合いの元、補給部隊の印を教える事が決まっている事は隊員たちに周知されていた。
それを思えば、サンドールが礼を尽くすのはおかしなことではない。
さらに、サンドールの母親の眼もマヤと同じ病に侵されていたが、ミーシャの提供した薬で改善が見られたというから、なおの事だろうと隊員たちは自分たちで答えを見つけて納得する。
「通常なら、目隠しと耳栓をしてもらい背負子で移動するのだが、どうもあなたは山に慣れているようだ。それだけだと、風の感覚や匂いでヒントを得てしまうかもしれない。だから……」
申し訳なさそうな顔で提案してきたサンドールに、ミーシャは驚いて目を見開いた。
「それにしても、まさか眠らされるとは思わなかったなぁ」
ゆっくりと山道を下りながら、ミーシャは小さくつぶやいた。
それに、共に進んでいた男たちから笑い声が響く。
「すまないな。決まりなんだ。目や耳をふさいでも、鼻や触覚などは残る。万が一にも道を知られるわけにはいかないからな」
サンドールが、少し困ったような顔で頭を掻いた。
「いえ。そんな。サンドールさんのせいじゃないですから。徹底してるな、ってちょっと驚いただけで」
ミーシャは慌てて手を横に振りながら弁解した。
「……そう言ってもらえると助かるよ」
そう言って控えめに笑うサンドールの背中に、ミーシャは背負子で背負われていた。
あの時、サンドールはミーシャに眠り薬をかぐことを提案した。
サンドールの心配通り、例え目を閉ざし自分で歩く事を禁じられたとしても、残りの感覚で道の予測を立ててしまおうとする自分を想像できたミーシャは、素直にその提案を受け入れる事にした。
とはいえ未知の薬は少し怖かったため、使用している薬草をしっかりと聞いてから服用させてもらったのは、薬師ゆえのこだわりだった。
マヤが調合したという眠り薬は、非常によく効いた。
飲んで数秒ほどでフワフワとした気持ちになり、気がついたら山道を背負子にのってのんびり下っている所だったのだ。
ふいにパチリと目が開いて飛び込んできた青空に、一瞬自分がどこにいるのか分からなかったが、すぐに眠り薬を飲んだことを思い出し、背負子で運ぶと聞いていた為状況を把握することができた。
しかし、意識は戻ったもののまだ手足の感覚は鈍い。まれに意志の強いものが体よりも先に目覚めてしまうことがあるそうで、しばらく動くのは無理だろうとそのまま運ばれることとなった。
ぶらぶらとする足を気にしながら、視線を下に向けるとヒューゴの頭が見えた。
「つむじがふたつ」
思わずポツリとつぶやいたミーシャに、少し俯き加減だったヒューゴがパッと顔をあげる。
「なんか見下ろせるのって新鮮」
「俺はなんか不快だわ」
思わずフフフッと笑うミーシャに、ヒューゴの眉間に皴が寄る。
しかし、何か思いついたかのように、フンッと鼻を鳴らしにやりと笑った。
「まぁ、こんな機会でもなきゃミーシャが俺を見下ろす機会なんてないだろうしな。せいぜい堪能しておけ」
「女の子なんだから,ヒューゴより背が低くて当然ですぅ」
長い前髪の隙間から覗く表情に,今度はミーシャがイラっとしながら、ベッと舌を出した。
背後で繰り広げられるやりとりにサンドールは僅かに口角をあげた。
いつも長い前髪の下、つまらなさそうに目を凍らせていたヒューゴの若者らしい気安いやり取りに安堵したのだ。
ここ数年、補給部隊の隊長を務めるサンドールは、当然村の裏事情も熟知していたし、村の存続のために幼い少女が犠牲になる現状に胸を痛めている1人でもあった。
それゆえに,子供なりの仮面を被り少しでも村で有意な存在になろうと足掻くヒューゴに心を痛め、さりげなく鍛えてやったし、山の歩き方を漏らしていたのだ。
結果、思っていた以上に早く鍛えられ、補給部隊へ入れる打診が来た時には驚いたけれど、何も言わずに受け入れた。
おそらく自分と同じような考えを持つ者たちの思惑が働いたのだろうと想像がついたからである。
この後、ミーシャを最寄りの町に送った後は、ヒューゴをつけて王都まで旅立つ事となる。
幼い少女の護衛が、まだ年若く未熟なヒューゴ一人であることに懸念を示す者達も多かったけれど、サンドールはヒューゴの優秀さを強調して援護に回った。
幼くとも腕の良い薬師と海巫女である妹を持つヒューゴ。
祭りの夜に接触していたという報告も受けていたサンドールは、王都までの旅路にきっと送っていくだけ以上の意味があるはずだと考えていた。
それは決してマヤが言い出したハニートラップなどではないはずだ。
(まあ、ヒューゴの容姿が優れているのは認めるが)
両親の良い所取りをしたというより、まるで突然変異のようにヒューゴの容姿は突出していた。
仕事の関係で王都を含むいろんな場所にもにもたびたび足を運ぶ補給部隊の面々から見ても美しいと評価できるほどで、色町に連れて行った時には多方面からの秋波が飛んできていた。
ヒューゴ自身も幼い頃から面倒に巻き込まれることも多かったからか自分の容姿を客観視できていて、その上で、使えるものは使うとばかりに利用することにためらいがなかった。
補給部隊に入り外の世界に出るようになってからはなおのことで、化粧や変装術で巧みにいろんなところに入り込んでは、色町の高級妓女まで誑し込んでしまった。
今では、良い取引相手である。
(とはいえ、この二人がそういう関係になることはなさそうだな)
いまだに言い合いをしている2人からは壊滅的に色恋の匂いは感じられない。
むしろ幼子のようなかわいらしさしかなく、普段は子供時代をどこかに放り投げてしまったかのようなヒューゴのそんな姿に、サンドールだけでなく他の補給部隊員たちも珍しそうに目を細めていた。
「もうすぐ人目の多い道に出るから、その前に少し早いが昼を取ろう。ヒューゴ、じゃれてないで先行して準備しておいてくれ」
サンドール的にはほっこりとしていいと思うが、不毛な言い争いをあまり衆目にさらしていれば建前である「ミーシャをからめとる」というハニートラップに説得力が無くなってしまう。
適度な所で水を差せば、一瞬で黙り込んだヒューゴがコクリと小さく頷いて走り出した。
それなりに険しい下り坂を軽やかに駆け下りていくヒューゴにミーシャは目を丸くしていた。
「もう少し下ったら少し開けた場所があるから、そこで休憩です。食事をとるころにはおそらく手足のしびれもなくなっている頃でしょう」
「はい。それまでご迷惑かけますが、よろしくお願いします」
サンドールが足を止めることなく背中に声をかけると、ミーシャは少し申し訳なさそうに返事をした。
その落ち着いた声のトーンと先ほどのヒューゴとの会話の差に思わず吹き出しそうになったサンドールは、ギュッと唇を噛んで耐えると心持ち足を速めるのだった。
30分ほど進んだところで、サンドールの言葉通り少し開けた場所があり、ヒューゴが火を起こしてお湯を沸かしていた。
ようやく背負子から解放されたミーシャは、おろされた敷物の上でゆっくりと手足を動かして、体の状況を確かめていく。
「問題なさそうです。ありがとうございました」
差し出されたお茶の入ったカップを受け取りながら、ミーシャはにこりと微笑む。
「ババ様の薬はすごいですね。こんなに一定の時間だけを眠りに引き込み、覚醒後は頭がぼんやりする事もないなんて。むしろ、深い睡眠をとったみたいにスッキリしてます」
自分たちの村の薬師を称賛され、サンドールたちの顔に誇らしそうな笑みが浮かぶ。
「実際、短時間の睡眠ですませる時にはあえてこの薬を飲んだりします。ダラダラと浅い眠りを繰り返すよりは回復がいいので」
「目が覚めたらすぐに動けるしな」
うんうんと頷きあう男たちの目に、マヤに対する尊敬の念が浮かぶ。
(マヤさんは狭い世界しか知らないしがない薬師もどきさ、なんていうけど、やっぱりすごい薬師だよね)
長きにわたり積み上げてきた実績が、男たちのこの表情である。
ミーシャはなんだか自分まで誇らしい気持ちでいっぱいになって、にやけそうになる顔をカップで隠した。
読んでくださりありがとうございました。
ここからはしばらくヒューゴとの2人旅になります
今迄の世慣れた大人がエスコートしている旅とは違い、多少擦れているとはいえ同年代との旅路。
どこにどう辿り着くかは作者も分かりません(笑)
どうぞお楽しみください。




