28
まだまだ続くババ様語り……。
ミーシャが目を覚ましたのは、すでに陽が高く昇った頃だった。
閉め切られた木戸の隙間からこぼれ落ちる光に目を瞬いた後、ミーシャは急いで部屋を飛び出した。
「おや、起きたのかい?疲れは取れたかね?」
囲炉裏の側に座り込んでお茶を飲んでいたマヤが、飛び出してきたミーシャの勢いに目を丸くしてからのんびりと笑いかける。
「はい!すみません、すっかり寝坊してしまいました」
「昨夜はいろいろあって遅かったしね。気にしなくとも、村中まだ夢の中さ」
クツクツと笑いながら、マヤは水場の方を指さした。
「お茶を淹れてあげるから、顔を洗っておいで。食事は鍋で温まっているから」
柔らかな声に促されて、ミーシャはいそいそと土間へと降りた。
ぐっすり眠ったからか、体は空腹を訴えている。
手早く朝の身支度をすませて囲炉裏端へと座れば、マヤが具沢山のスープを器に注いで用意してくれていた。
「いただきます」
ありがたく手を合わせて食事を始める。
昨夜の集まりでも提供されていたスープに小麦を練った団子を入れたものだったが、一晩寝かせたおかげで味に深みが増していて、ミーシャは顔をほころばせた。
(こうしてみているとただの小さな女の子なんだけどねぇ)
幸せそうに食事を楽しむミーシャを眺めながらマヤは、なんだか不思議な気持ちをかみしめていた。
閉ざされた小さな村に生れ落ち、先代の薬師にどこを見込まれたのか弟子に乞われてから、忘れてしまうほどの長い年月が流れた。
その日々の中、マヤはただこの村の薬師であり続け、一度も外の世界に出たことがなかった。
マヤは自分を凡庸な人間だと知っていた。
今でこそ村の中ではそれなりの地位を得ているが、それは人より長生きしただけの結果でしかないと思っている。
だからこそ、マヤは閉ざされたこの小さな世界から出ていこうなどと考えたこともなかった。
この村唯一の薬師という立場に誇りもあったし、人には分相応というものがあるのだと固く信じていたからだ。
だが、たまに考える事もある。
かつての自分の弟子のように、先代から薬師の知恵を得た時にこの村を飛び出していたらどんな人生があったのだろう?
もしくは、友人であった先々代の海巫女に誘われるまま外の世界を見に行っていたら?
『マヤは頭固いからなぁ。もっといろんな世界を見て新しい知識を得て、それでも村が気になるなら帰ってきたらいいんだよ』
村を守るために自ら海巫女という枠の中に納まったと思っていたら、こっそり抜け出して好き勝手やっていた友人の言葉が蘇る。
その言葉通り、何度外の世界に飛び出しても、友人はいつだってこの村に戻ってきた。
『まぁ、マヤがこの場所を守ってくれてるから、私も安心してほっつき歩いてるんだけどさ』
そして少し照れたように笑いながら、楽しそうに外の世界の事を話してくれた。
(あんたが一番、この村を愛していたもんね)
破天荒に見えて、実は誰よりも責任感が強かった友人は、愛し子の印を持つ子供、ノアが現れてからは、必死にその治療法を探すために駆けずり回っていた。
マヤも共に、歴代の姫巫女の手記に何か手がかりはないかと解読をしたり、友人が探し出してきた効果のありそうな薬を試したり、精いっぱい協力してきた。
だけど効果的な方法は見つからず、友人はいつものようにお忍びで出かけた先で事故に巻き込まれ命を落としてしまう。不幸な事故はなかったこととされ、友人は歴代の巫女達と同じようにひそかに埋葬された後、神のもとに召されたと村人には周知された。
残されたマヤは、変わらない村の生活の中で、必死に薬を探し続けた。
トンブの利用法を見つけたのも、その日々の中だった。
たまたま海岸沿いを歩いていた時に、傷ついた海鳥が海藻を食べている姿を見たのだ。
トンブは臭みがあり、固くて味もいいとは言えないため、そこら中に生えてはいるが村の人間は見向きもしない海草だった。
最初は、単に海鳥のエサになる海草だったのかと思っただけだった。
しかし、なんとなく気になって見ていると、幾度も同じような光景を見つける事ができた。
さらに、海のみ使い様まで口にしているのを見て、これは何かあると気づいたのだ。
トンブを食べにくる動物たちは大抵どこかしらに怪我を負っているように見えたため、傷に効果があるのかと試してみると、何と痛みが和らいだ。
それからは効果的な使用方法を研究し、最終的に海巫女達の体に塗っていた保湿剤に混ぜると、皮膚のひび割れの痛みを和らげる効果を得る事ができたのだ。
しかし、それも根本的な治療にはならず、苦しみを少しだけ和らげただけに過ぎなかった。
少しずつ進行する病は、ノアの体を確実にむしばんでいった。
皮膚が厚くなり、固く固まっていく。
ガサガサにひび割れた皮膚は汗をかくことができず、体に熱がこもりやすくなりちょっとしたことで体調を崩すようになった。
さらに、柔軟性がなくなるために皮膚が突っ張り、体を動かしづらくなった。
少しずつ少しずつ……。
変化していく体に絶望して嘆くノアと何度共に涙を流しただろう。
マヤは無力さに歯噛みして、眠れぬ夜を幾夜も越えた。
そんな中、新しい海巫女ミルが現れる。
生まれた時から体の弱かったミルを、注意深く見守っていたマヤは直ぐに兆候に気がついた。
それでも、せめて時間が許す限りはと赤子を取り上げる事はせず、見守ることに留めたのだ。
しかし、それも明らかな変化が出てしまえば誤魔化すことは難しい。
何より、そのころには日光が毒になることは分かっていた為、普通の村人として過ごさせるのも限界があった。
家族を恋しがって泣く幼子を抱きしめながら、海巫女の役割と病との付き合い方を教える。
それは、もはや絶望への道行きのようにしかマヤには思えなかった。
しかし、ノアは違った。
自分と同じ。
そんな存在を得て、どんな心の変化があったのかは分からないが、ノアは涙を見せる日が減った。少なくとも、幼子の前で泣くことはなくなったのだ。
「だって、私が泣いていたら、あの子が不安になってしまうでしょう?病に負けている所なんて、大人として見せられないじゃないですか」
夜泣きに起こされて、ようやく明け方眠ったミルの汗にぬれた前髪をかき上げながら、ノアは愛しそうに目を細めた。
「この子も私と同じ道を歩むのかと思えば哀れですけど、少しでも安心して生きてほしい。何も為せなかった私の、最初で最後の仕事だと思うのです」
人との交流を制限され、外に出ようにも陽に当たることができないため、友人のようにお忍びで出歩く事もできない。
海巫女の務め以外は、ただ静かに座り込んでいることの多かったノアの暗い瞳は、いつの間にかキラキラと輝くようになった。
何をしてもどうせ無駄だとふさぎ込むのではなく、マヤと病の解決策を探して手記を読み解く努力も始めた。
「私の経験がこの子の糧になるかもしれない」
そう言って、新しい薬も積極的に試すようにもなった。
(今、この子がこの場所に流れ着いたのはどんな導きなんだろうね)
それでも。どれだけ努力しても何も得られぬまま無情にも月日は過ぎ、ノアは布団から体を起こすことも困難になっていた。そんな時にミーシャは現れたのだ。
マヤにはない病の知識を持ち、知らない薬を調合して見せる。
光を失って久しいマヤの瞳に変化をもたらした時は驚愕して、小躍りしそうになった。
もしかしたら、海巫女も癒してくれるのではないか?
そう希望を持つのもしょうがない事だろう。
しかし、村の生活の要である海巫女に、よそ者であるミーシャを表立って近づけるわけにもいかない。
どうしたものかと悩んでいるうちに、ミルの兄であるヒューゴが動いた。
もともと妹を海巫女にされた事に納得していなかったヒューゴは、表向きは綺麗に取り繕っていたが何か企んでいるのは、マヤにはバレバレだった。
何しろ、ノアがこっそり教えた密会場所は、もともと先々代巫女の友人と共にマヤが見つけたポイントだったのだから。
もっとも、連れ出させるわけにはいかなかったから、かろうじて顔が見える程度の場所しか教えていなかったのだが、子供の行動力は侮れなかった。
村人の同情を上手に利用して己を磨き、村の外へ出る道を知る調達部隊の一員にまで成人と同時に上り詰めてみせたのだ。
さらに幼馴染であるカシュールまで巻き込み、ついには最初の海巫女の時代の忘れられた抜け道まで見つけ出してしまった。
(あの子たちなら、ミーシャを連れだすと思ったけれど、まさかいきなりあそこで会わせるとは思わなかったねぇ)
第二の母と慕っていたノアにさえ教えなかった、子供達だけの秘密の場所であり、逃げ出すための最後の砦と思っていたはずだ。
(少し寂しい気もするけどね)
全面的に動くわけにもいかなかったけれど、それなりに信頼を得ていると思っていた自分を飛び越えて、出会ったばかりのミーシャに頼った子供たちの行動を責める気にはならなかった。
子供たちが物心つくころには、マヤは村の中枢に座している存在だったし、ミルが社に連れていかれる時も止めなかった。
その後も、病の真実を告げる機会はいくらでもあったのに、ただ子供たちの会合を見逃すだけで何もしなかったのだ。
(まぁ、私もあの子らに海巫女の本当の意味を教えなかったからお相子だね)
マヤ自身も、真実を告げるにはヒューゴとカシュールはまだ幼いと、信じる事ができなかった。
ある意味、互いが互いを探りあう膠着状態になっていたのだ。
(でも、この子が来た)
海の御使いが連れてきた不思議な少女。
上等な布に丁寧に刺繍された衣装に身を包み、艶やかな髪と肌を持ったいかにも上流階級の娘だった。
速やかに村から出さねば無礼を働いたと騒ぎ立て、わがまま三昧で振り回されるだろうという予想を裏切り、目が覚めた途端に子供の命を助け、マヤの病を見抜いて見せた。
年こそ幼いけれど、村に閉じこもっていたマヤとは比べ物にならないほどの知識を持った薬師だとすぐにわかった。
(次はどんな奇跡を見せてくれるのか?)
年甲斐もなく躍る胸に、マヤは自分を嗤う。
それでも、この停滞した状態に吹き込んだ風に期待を持ってしまうのは仕方のない事なのだ。
マヤが薬師となり数十年。
その命が尽きる前に、人生最大の悩みの種が解決されるかもしれないのだから。
満足そうなため息を一つ落として器を置いたミーシャに、マヤは覚悟を決めてゆっくりと声をかけた。
「海巫女の社に一緒に行ってくれないかい?」
「本当に、今日はお休みの日なのですね」
もう日は中天に差し掛かろうというのに、人の気配のない村の中を、ミーシャは物珍しそうに見渡した。
この村に滞在して数日が経つが、これほどに閑散とした村の様子を見るのは初めてだった。
日の出前から漁師は舟を出すため、ミーシャが日の出と共に起きだした時にはすでに活動を始めている村人たちはいたからだ。
「中には夜通し起きていた者もいただろうしね。深酒をして呻いている者もいるだろうが、常習犯は昨日のうちに薬を取りに来ていただろう?」
クツクツと笑いながら先を行くマヤに、昼から夕方にかけて数人が二日酔いの薬を取りに来ていたのはそういうわけだったのかと、ミーシャは納得した。
マヤやエラが対応していたのでミーシャ自身が前に出ることもなかったが、どこか恥ずかしそうにコソコソと声をかけているように見えたため、よそ者の自分が首を突っ込むのも失礼かと気を利かせて質問しなかったのだ。
「大人って、どうして具合が悪くなるって分かっているのにお酒を飲み過ぎるのかしら?」
不思議そうに首を傾げるミーシャに、耐え切れなくなったようにマヤがゲラゲラと笑い出す。
「まぁ、大人にはいろいろあるのさ。付き合いもあるだろうし、酒で理性が緩んで、ついつい楽しくなっちまうんだろうよ」
「ふぅ~~ん?」
ミーシャは納得いかない気もするが、楽しそうに酒を飲んで語らっているラインをはじめとした大人たちを思い出せば、そう悪いものでもないのだろうとも思う。
(あ……、嫌な記憶が……)
脳裏にふとレッドフォード王国での一幕が思い出され、ミーシャはそっと考える事を止めた。
「まぁ。おかげであんたを連れていくのも苦労しないから助かるよ」
ようやく笑いを収めたマヤが、おどけた仕草でヒョイと肩を竦めてみせた。
「起きていたら、絶対自分もついていくとエラがうるさかっただろうからね」
食事がすむと、マヤは「海巫女の社へと行こう」とミーシャを誘った。
どうやらいつも通りに目を覚ましたマヤは、一度社を訪ね、ミーシャを連れていく事を海巫女達に了承を取ってきたそうだ。
「見知らぬ人間に会うのは体力を使うからね。あまりに体調が悪いようなら見合わせようと思ったから、確認してきたんだよ」
マヤはなんでもない事のように行ったが、杖を使っても歩くのが大変そうなマヤが整備されているとはいえ起き抜けに山道を往復するのは大変だったはずだ。
いつもなら、そんな使い走りもエラの仕事であった。
しかし、まだ見習いの文字の取れないエラに村の真実を伝えておらず、海巫女の薬を作っていることも秘密であった。
当然、エラは海巫女に直接会った事もない。
それに感情の起伏が激しく、自分を制御することができていないエラが海巫女の真実を知れば、大騒ぎをするのは目に見えていた。
そんなエラに海巫女の様子見を頼むわけにもいかないため、マヤ自身が動くしかなかったのだ。
「足が痛くなったらおっしゃってくださいね。おぶっていきますから」
ふんふんと鼻息荒く体調を気遣うミーシャに、マヤは目を丸くした。
腰が曲がっているため目線はミーシャの方が高いとはいえ、ほとんど体格が変わらない自分を背負う気でいるミーシャに驚いたのだ。
「お気持ちだけ頂いとくよ」
「え~~?ババ様くらいだったら大丈夫ですよ?私、力持ちですから!」
「はいはい。そのときはよろしくねぇ」
「あ!信用してないですね?何なら、今から背負いますよ?」
クツクツ笑うマヤに唇を尖らせるミーシャの攻防は、社にたどり着く直前まで続くのであった。
読んでくださり、ありがとうございました。
エラちゃんは薬師の知識は着実に成長しているのですが、もう少し精神的な成長もしなければ見習いの文字は取れません。
いつになるか、ババ様の悩みどころ。
年齢的にも早く引退してのんびりしたいのでしょうがね。
エラちゃんは良くも悪くも真っ直ぐな子なので、清濁併せ呑むことができるようになるのはいつになるやら……。
頑張れババ様!




