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マヤに初めて目薬を投与してから二日が経過した。
ひかり草の効果は素晴らしく、視力の残っていた左目は微かにあった濁りは消え去り、白濁していた右目も光の中に影を認識できるようになってきていた。
最初に報告を受けたゼンテュールは、すぐさま村人たちにその朗報を公開するべきだと主張した。
「まだ経過観察なのに、気が早すぎると思うのですが……」
完治したわけでもないし、むしろ投与はじめたばかりで今後どうなるのかも分からない状態である。
ためらうミーシャに、歯止め役と思っていたポリュースまでもゼンテュールの意見を支持し始めた。
「改善しているという報告だけでも十分です。みな、ババ様が目の病を患っていると知った数年前から、不安を抱えていたのできっと喜びます」
「まぁ、数日発表が早まるだけだよ。あきらめな」
ついには、当の本人のマヤにまで説得されてしまい、ミーシャは釈然としないながらも口をつぐんだ。
村全体が一つの家族のような関わりをしている中、よそ者の自分の意見を強行するべきではないとあきらめたのだ。
はたしてその報告に、村中が歓喜に沸いた。
村に1人しかいない貴重な薬師であるマヤの不調は、ミーシャが思っていた以上に村にとっては深刻な問題であったからだ。
急ぎエラに教育を施しているが、一人前になる前に目が見えなくなってしまう危険も十分あった。
そうなれば、閉ざされたこの村では、少しの病にも難儀することになっただろう。
それが、完治することはないとはいえ少なくとも現状は保たれるという希望がもたらされたのだ。
しかも、老人病と諦めるしかなかった目の病が、今後恐れる必要もなくなるというのだから、その喜びはひとしおだろう。
お祭り騒ぎになった村の中、ミーシャはひっそりと家に閉じこもり、エラに薬の作り方を伝授することにした。
マヤの不調を癒した薬は、最近海から流れ着いた娘がもたらしたものだというのも合わせて発表されてしまったからだ。
それまでも、エラと共に薬草を集めていたことは知られていた為、ミーシャの存在はみんな認識してはいたのだが、これまではよそ者を警戒して遠巻きにされていた。
しかし、今回の事で歓喜に沸き立つ村人に、もみくちゃにされそうになり逃げだしたのだ。
もっとも、「今夜は祝いだ~」と声をあげたゼンテュールに、小さな村の広場では宴会の準備が始まっていたから、逃げられるのもあと数時間だと思われる。
そんな外の様子とは違い、マヤの家の中では少女が二人額を突き合わせるように、小さな秤に向かい合っていた。
「ねぇ、ミーシャ。量が少なすぎてイライラするんだけど」
「この目薬、すぐ劣化するから作ったら1~2日で消費が基本なんだよね。素材に限りがあるから、たくさん作って廃棄になってももったいないし、ちょっとずつ作らないとだから頑張って!」
残念ながら、ひかり草以外にもこの村近辺では採取できない素材がいくつかあったため、現状ミーシャの手持ちの薬草で賄うしかなかった。
調薬手順を覚えたかったエラは、少しでも回数を稼ぐためミーシャの勧めで少量をちまちまと造ることにしたのだ。
しかし、豪快な気質のエラにとって、耳かきいっぱいほどの粉を量って混ぜ合わせるという作業は、悲しいほど相性が悪かった。
それでもマヤに良い結果が出ているため、エラも気合を入れて頑張ってはいるのだ。
自分が覚えなければ、この上がり切った村人の期待を裏切ることになってしまう。
そう分かっているのだが、苦手な作業が突然得意になるはずもないため、泣き言が止まらないというわけである。
(そんな風に嘆きながらも、一応失敗せずに量れているんだから、才能はあると思うんだけどな)
この数日一緒にいて分かった事だが、エラは異常と言えるほど記憶力が良かったのだ。
言葉で伝えてもいいが、絵で見せた方が記憶に残るようで、ミーシャが地面に絵つきで書きだした手順書を一瞬で覚えてみせた。
本人曰く、そのまま脳裏に焼き付くようで、思い出そうとすればその場面が浮かんでくるらしい。
「て言っても、本当に覚えるだけでさ。薬とか作るには結局訓練が必要なんだから、あんまり意味ないんだよね」
「え?そんなわけないじゃない!それって、本とか見たら全てそのまま覚えるって事でしょう?すばらしい能力よ!」
秤の細かい作業で疲れたと目をシパシパさせるエラの横で、ミーシャは拳を握って力説した。
「そ……そうかな?」
力強いミーシャの言葉に、押されるようにエラは目を泳がせた。
今でこそ、マヤの弟子としていろいろな知識を得ているが、それまでのエラは、かろうじて自分の名前が書ける程度だった。
別にそれでもこの小さな村で生きていくには不便がなかったし、不満に思った事もなかったのである。
それは、エラだけの問題ではない。
もともと200人足らずしかいない、外界との交流が立たれた小さな村なので、文字を読めるよりも、魚介物や作物の処理を覚える方が喜ばれる生活状況だったのだ。
エラの記憶力も、山の恵みの採れる場所を忘れない、程度の感覚でしかなく今まで称賛されることもなかった。
弟子として迎え入れたマヤは、その便利さにすぐ気づいたため、せっせと自分の知識を書き出しては覚えさせていたが、他に比べる者もいないエラにとっては、本当にそれが優れた能力だという感覚はなかった。
ミーシャの言う「本の内容を覚えられて便利」という言葉も、そもそも村には数えられるほどの本しかなく、しかも村長が管理する共有財産で子供が気軽に目にできるものでもなかったため今一響かなかった。
一応、弟子入りした時に一通り目を通す機会があったが、たいていの本が近隣の情勢や文化など、エラの興味を引くものでもなく、それを記憶できたところで、「だから何だ?」という感じだったのである。
「とりあえず、必要な手順は分かったから、後はうまく作れるようになれるよう、練習頑張るよ」
ミーシャの勢いに押されながらも、エラは出来上がった目薬を慎重に容器へと移した。
ひかり草は貴重なので入れていないが、通常のレシピの目薬を、マヤと同じ症状がみられる村の年寄りに使ってみる予定なのだ。
「セナ婆ちゃん、最近手元がかすんで見えにくいって言ってたから喜ぶよ」
村の縫物を多く引き受けてくれている老女の事を思い出して、エラは嬉しそうに笑った。
覚える事もやることも多くて大変だが、自分の作った薬を使った誰かが喜んでくれることにエラは喜びを感じるようになっていた。
自分の身内の尻ぬぐいのつもりで選んだ道だったが、今では意地を通した当時の自分をほめてやりたいとすら思っていた。
「そうなんだ。良くなるといいね」
エラが目薬を作る横で、トンブを使った湿布薬を作成していたミーシャは、手を止めてニコリと笑った。エラに目薬の作り方を教えてもらう代わりに、痛み止めの原料になるという海草トンブの使い方を習っていたのだ。
山の中で育ったミーシャに、海草で作る薬の知識はなく興味津々だった。
真水で洗って乾燥させたトンブは、独特の香りがだいぶ抑えられていた。
それを粉々に砕いて、いくつかの薬草を加えたら完成だ。
使用する際には水を加えて練り上げるのだが、プルプルとしたジェル状になり触ると気持ちよかった。
それを薄手の布に塗って患部に張り付けるのだ。
トンブの表面についていたヌルヌルよりも少し弾力があり、わざわざ包帯で巻かなくても、ぴたりと患部に張り付く。そして患部の熱を吸収して乾燥してくると、ペロリとそのままはぐことができた。
「これって、湿布としてはかなり優秀だよね。わざわざ包帯で巻かなくても張り付いて落ちないし、乾燥してもぽろぽろ崩れないし」
できた粉薬を少量だけ水で溶いて固さを確認しながらミーシャがつぶやいた。
「あたし、湿布ってこれしか知らないけど、ほかは違うのかい?」
「う~ん。私が使ってたのはもっと泥みたいと言うか……。患部に塗って水分が染み出さないように油紙をはさんだ後、包帯で巻いて使うの。しっかり巻かないとずれちゃうし乾燥してくると粉みたいに端の方からパラパラ崩れちゃうから後始末が面倒なの」
不思議そうなエラに、ミーシャは自分の使っていた湿布を思い出しながら説明した。
「へぇ、いろいろあるんだね」
「それに、これひんやりして冷たく感じるし、熱があるときにおでことかに塗っても気持ちよさそう。しっかり張り付くから寝がえりしても大丈夫だろうし」
「あぁ、言われてみれば」
さらには、思ってもみなかった使い方まで提案されて、エラは目を丸くする。
「痛み止めの成分がもったいない気もするけど、もしかしたら皮膚から痛み止めの成分吸収して頭痛とかにも効くかもしれないし。要研究だね!」
「別にトンブは年中採れるからもったいないとかはないけど……。そういえば、腰の痛みと頭の痛みってどう違うんだろう?」
「ね。チトで作る痛み止めはいろんな症状に効くけど、セデスは頭痛や腹痛には効くのに捻挫や関節痛にはあまり効かないの」
ふいに浮かんだ疑問をエラが口に出すと、ミーシャもすかさず乗ってくる。
打てば響くような反応に、エラはなんだか楽しくなってきた。
エラにとって調薬とは、マヤに教えられるままに覚えて、黙々と作り上げるものだった。
薬とはそういうもので、どうしてそういう効果が出るのかなんて今まで疑問に思った事はなかったのに、ミーシャと話していると不思議といろいろ浮かんでくるのだ。
ミーシャが自分より年下という事もあり、マヤとの時のように教えを受けているという緊張感とは無縁だったのもあるだろう。初めて経験する語り合う楽しさに心が躍る。
(ミーシャ、ずっとここに居ればいいのに)
ふいにエラの脳裏に一つの考えが浮かび上がった。
突然、海から流れ着いた小さな女の子。
自分の大切な息子の命を救ったと思えば、知らない薬でマヤの目を……ひいては村の未来にすら変化をもたらしてしまった。
きっと他にもいろいろな知識をこの村にもたらしてくれるだろうし、何より、エラはミーシャと話をするのが楽しくてしょうがなかった。
(でも、こんないい子なんだ。きっと家族が必死に探してるだろうし、ミーシャも帰る気だって言ってた)
ミーシャがまだこの村に居るのは、外界と行き来する役目の者達が、冬支度のために村を離れていて、町に連れていける人材がいないからだ。
(きっと、あと数日もしたらミーシャはいなくなる……)
「エラ?」
ふいに黙り込み、じっと自分を見つめるエラに、ミーシャは不思議そうに首を傾げた。
名前を呼ばれ、エラがハッとしたように瞬きをして、まるで弾かれたように立ち上がった。
「あたし、この目薬、村長の所に持っていって、誰に使うか聞いてくるね!ババ様もそこにいるはずだし!!」
器に移し替えたばかりの目薬をつかむと、エラはバタバタと家を飛び出していった。
と、思ったらすぐに戻ってくる。
「ミーシャはここで待ってて!夜の宴会まで昼寝でもしてればいいよ!呼びに来るから、家にいてよね!!」
一方的に叫んで、今度こそ姿を消したエラを、ミーシャはあっけにとられて見送った。
どうにもエラは勢いが良すぎて、ミーシャは付いていけずに取り残されてしまう事が多い。
「トンブ……痛み止めの飲み薬への調薬も教えてくれるって言ってたのに」
呟いた時には、すでにエラの姿どころか気配すらも跡形もなくて、ミーシャは小さくため息をつくととりあえずその場を片付けるために動き出した。
「ミーシャ、起きてる~~?」
飛び出していったエラが戻ってきたのは、ソロソロ日が暮れようとしている時間だった。
「起きてる?じゃないよ~~。そもそも昼寝なんてしてないし、エラったら片付けもせずに飛び出していっちゃうし」
突然置いてきぼりにされたミーシャは、まるで子供のようにプウッとほほを膨らまして見せた。
「あぁ~、ごめんって。村長家に行ったら、夜の準備してたおばちゃんたちに捕まっちゃってさ。手伝いさせられてたんだよ」
両手を合わせて拝むようにされて、ミーシャはプシュ~とほほの空気を抜いた。
「もう、いいけど。お手伝い、終わったの?」
「うん。ひと段落ついたからさ。呼びに来たんだよ」
ミーシャの怒りが溶けたと見て取って、エラが嬉しそうにニカリと笑った。
「でさ。丁度、遠征部隊が帰ってきたから、ついでに無事に冬が越せるように願う祭事もすることになったもからさ。ミーシャにも晴れ着を持ってきたんだよ」
「祭事?晴れ着?」
思いもよらない言葉に、ミーシャは首を傾げた。
「冬支度がすんだ頃に、冬をみんなで無事に越せるように神様にお願いするんだよ。その後に、村のみんなで宴会するんだよ。ま、今年最後の贅沢って感じだね」
きょとんとするミーシャの背中を押して部屋の奥に戻しながら、エラが笑う。
「そんで、その時はみんな晴れ着を着て楽しむのさ。明日の仕事も全部お休みで、夜通し騒ぐんだ」
「そういえば、エラのお洋服もかわいい」
いつもは生成りのシンプルな装いのエラは、鮮やかな朱色に染められたワンピースにこれまた原色の糸で派手な刺繍が施され、腕や首にはきれいに磨かれたサンゴや貝の細工もの、真珠などが幾重にも重なっていた。
「ミーシャにも持ってきたんだ。私のお下がりだけど、綺麗にしてあるから。ここじゃ布は貴重だからね、代々刺繍を増やしたりして大切に受け継ぐんだよ」
エラは、手にしていた服を誇らしげに広げて見せる。
濃淡様々な青い糸で幾重にも刺繍が重ねられたワンピースと透け感のある白い布で作られたオーバースカート。オーバースカートの方にはピンクや赤、黄色やオレンジなどでたくさんの花が刺繍されていた。
「ミーシャは色が白いから、この服似合うと思うんだよ!飾りはババ様が家にあるものを使っていいって言ってたからさ。髪は一つにまとめて、お揃いの花飾りつけようよ」
笑顔のエラにつられて、ミーシャも心が沸き立つのを感じた。
年に数回行われる村をあげての祭事は、冬の安寧を願うと共に、娯楽が少ない単調な日々を送る村人にとっては貴重な楽しみだった。
その日だけは、老いも若きも明日の苦労を忘れてめいいっぱい飲んで踊って騒ぐのである。
「私、前にいたところで可愛い編み込み教えてもらったの。エラの髪、結ってあげるね!」
そんな熱気につられて、ミーシャもニコリと満面の笑みを浮かべた。




