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三人称に挑戦です。
読みにくかったらすみません。
鬱蒼と生い茂る木々の間を素早く駆け抜けていく人影があった。
年の頃は12〜3だろうか。
質素なワンピースに身を包んだ少女はその細い体を機敏に動かし、驚く程のスピードで倒木を飛び越え荊をすり抜けて駆けていく。
ほどいたままの長い髪が風になびいて周囲に金色の煌めきを振りまいていた。森の緑をそのまま写し取ったかの様な瞳も楽しげに輝き、少女がたった1人のレースを存分に楽しんでいる事を表していた。
その様子を見たものがいたら、きっと森の精霊か何かに例えたに違いない。
例えその背中に蔦で編まれたカゴが乗っていようと。
やがて、視界の先に小さな丸太造りの家が見えてきて、少女はようやくスピードを緩めた。
扉の前で立ち止まると荒れた息を整え、乱れてしまったスカートの裾をなおす。
そうして、背に背負ったカゴを軽く揺すり上げると、元気よく扉を押し開けた。
「ただいま、母さん!朝言ってた薬草、見つけてきたよ。あと、キノコ。いつものところに生えてきてたから取ってきた。今年も沢山出てきそうな感じよ」
入ってすぐの部屋にあるテーブルの上に背中のカゴを置きながら、奥の方へ向かって叫べば、呆れたような顔の女性が出てきた。
濃い緑色のドレスをまとった女性はその呆れたような表情さえ美しいと言いたくなるような妙齢の美女だった。
「ミーシャったら、大声出すなんてはしたない。それに、どこを走ってきたの?髪がくしゃくしゃよ?」
娘と同じ色の瞳がすがめられ、しょうがないわねぇ、と言いたげに苦笑しながらも娘の髪を手で直してやる。
「えへへ〜」
服装を整えることでごまかしたと思っていた自分の行動がスッカリばれてしまったことを笑ってごまかしながらも、髪を梳いていく優しい手の心地よさにミーシャは目を細める。
「東の方にチトの群生地を見つけたの。これで痛み止めが作れるね!」
「まぁ!すごいわ、ミーシャ。旦那様から薬が切れて困ってるって言われていたところだったのよ」
話題を変えようと本日の成果を報告すれば、母親の顔が嬉しそうにほころぶ。
「それもだけど、ちゃんと自分の分も残しておいてよ?痛くて困るのは母さんなんだからね!」
昔に痛めたという母親の足は、どうにか歩けるまでに治ったけれど、季節の変わり目や無理をした日には酷い痛みを感じる様になってしまっていた。雨が分かって便利よと母親は笑うけど。
「分かってるわよ。動けなくなったらミーシャに迷惑かけてしまうもの、ね」
「そうじゃなくて!」
にこりと笑顔で答える母親に、ミーシャは眉間に皺を寄せ否定する。
(絶対分かってない。ただ母さんが痛みに苦しむのがイヤなだけなのに)
ここ数年、森の外がキナ臭いことは、幼いミーシャにもなんとなく分かっていた。
痛み止めや傷薬を作る頻度と量がどんどん増えていたからだ。
それだけ、薬が必要という事は、怪我人が増えているという事だから。
母親も思う所があるのか、使者が取りに来るたびに、あるだけ全てを渡してしまう。
結果、雨の降る日は青白い顔で起きてくるのだ。
教えてはくれないけれど、絶対痛みで眠れていないに違いない。
(母さんの分はこっそり選り分けておこう)
ため息を押し殺しながら、こっそりと心に誓う。
確かにうちは薬師の家系だけど、自分を後回しにする事はないと思うのだ。
(だって、痛みで集中が途切れたら失敗の元だしね!)
母親がそんな事で調合を失敗したりしないのは百も承知だけど、そんな事を言い訳に自分を納得させる。
森に生える薬草は無限ではないのだ。
今回はどうにか原料のチトを見つける事が出来たけど、ミーシャはソロソロ取れる限界量が来ている事に気付いていた。
植物は根こそぎ取ってしまえば次が生えてこなくなる。薬を調合すると同時に、そこら辺のバランスを見極めるのも薬師の大事な仕事なのだ。
足が悪いためあまり長くは歩けないとはいえ、ミーシャよりこの森に詳しい母親がその事に気付いていないはずがなかった。
だからこそ、自分の分を減らして渡す分を確保する様にしているんだろう。
「………早く、元に戻れば良いのに」
思わず零れたつぶやきに、母親は困った様に首を傾げ笑って見せた。
深い森の奥にある丸太組みの小さな小屋。
そこにミーシャは母親とたった2人で暮らしていた。
ほとんど訪ねてくる人もいない暮らしは寂しくもあるが、物心つく頃からココしか知らないミーシャとしてみれば、そんなものなのだろうとすでに割り切っていた。
月に一度は父親がお土産片手に訪ねてくる為、さほどの不便は無いし、森に出ればミーシャの興味を引くものがそこかしこに溢れている。
何よりも、賢く優しい母親が常に側にいてくれる生活にミーシャは充分に満たされていた。
もっと幼い頃、どうして父親と共に暮らしていないのかと母親に聞いた事があった。
数日前にやってきた父親の土産の中にあった絵本の中で、家族は共に暮らすものだと書いてあったからだ。
母親は、少し申し訳なさそうに話してくれた。
母親はこの国よりももっと北の方にある国の薬師の一族の生まれだった。
見聞を広める為に旅をしていた若い頃の父とひょんな事で出会い、恋に落ち、一族の反対を押し切ってこの国に嫁いできた。
だけど、ずっと森の中で静かに暮らしていた母親は、どうしても街での暮らしに慣れる事ができなかったのだ。
森を恋しがり徐々に元気を無くしていく母親を心配した父親は、断腸の思いで領地の端にあるこの森に母親を連れてくる事を決断した。
共に暮らしたかったが、父親はこの国の公爵位についており、重要な責務を担っている。
共に暮らす事はできない為、今の様な形になったのだ。
「貴女の為を思えば、お父様と屋敷で暮らした方が良かったのでしょうけど」
少し悲しそうな母親にミーシャは思いっきり首を横に振ったものだ。
「母さんが元気な方が良い!父さんは会いに来てくれるから寂しく無いもの!私もこの森が大好きよ!」
大切な母親の悲しい顔など見たくなくて、ミーシャは2度とその話題に触れる事は無かった。
それに、母親と森で暮らすのは、本当に楽しかったから。
だけど、その日から母親は「もしもの為に」とミーシャに貴族としての立ち居振る舞いを教えてくれる様になった。
よその国から来たのに、どうしてそんなに詳しいの?と聞かれた母親は、父さんに恥ずかしい思いをさせたくなくて必死に覚えたのだと教えてくれた。
「結局、無駄になったと思ったけど、ミーシャに教える事が出来たのだから、無駄では無かったのね」
嬉しそうに笑う母親の笑顔に、堅苦しいマナーや勉強に正直ウンザリしていたミーシャは文句を飲み込む羽目になった。
大好きな母親が笑っていてくれるなら、これくらいの苦痛は我慢しよう。
その打算が後々ミーシャを救う事になるのだから、世の中というものは良く出来ているのだろう。
もちろん、そんな事、当時のミーシャに分かるはずも無かったけれど。
森に移り住んだ母親は直ぐに元気を取り戻し、自分の知識の中にある薬草がたくさんある事に気付いた。
折角だからと作った薬を父親に託せば、通常のものよりよく効くと喜ばれたらしく、母親はこの森で生来の生業である薬師としての仕事を取り戻したのだった。
そうして、産まれた娘にも、自分の持てる知識を存分に注ぎ込んだ。
机上の知識ではなく生きた教材を元に与えられる教育は幼い娘に遊びの一環として捉えられ、余計な雑念も無い事も相まって、10になる前には一端の薬師として材料確保から調合まで立派にできる様になっていた。
今では足の悪い母親に変わって森中を楽しく駆け回っては薬草・その他を集める日々である。
「ところで父さんは次の月初めには来れるの?」
ゴリゴリと重い石臼を回しながらミーシャは何気なさを装って母に尋ねた。
ミーシャが幼い頃から続く月に一度の訪問がここ2回ほど止まっていた。
使者だけが短い手紙と共に慌ただしく訪れ、薬を持って去っていく。
「分からないわ。まだ遠方に出かけたまま戻っていない様だし……」
かまどに向かい薬を煮詰めていた母親が寂しそうに答えるのに、ミーシャは舌打ちをしたい気分だった(実際にすればすかさず母に咎められるのが分かっていたので、どうにか飲み込んだが)。
父親の事が大好きな母親が、言葉には出さないけれど寂しがっているのは知っていたし、それ以上に心配している事も分かっていたから。
こんな森の中では、少しでも助けになればとせっせと作っている薬達がきちんと届いているのかさえ分からないのだ。
今までも外の情報は月一でやってくる父親と不定期に飛んでくる『鳥』だけが頼りだったのだから。
「『鳥』を飛ばしてみる?」
思わずそういえば、母親は少し迷った素振りの後、首を横に振った。
「あれは緊急時用だもの。今、使って良いものでは無いと思うの」
『鳥』とはこの世界の伝達手段で、要は伝書鳩の様なものである。
2つの拠点を行き来する様に躾けた鳥の足に手紙を結び運んでもらうのだ。
非常に賢く簡単な命令なら通じるという鳥族にあるまじき種類の『鳥』は希少価値が高く、大貴族の家でも数羽所有しているか、というくらいの普及率だった。
何しろ絶対数が少ないうえ、住んでいるのは険しい山の中。しかも気難しく人に懐きにくいので理想は卵のうちに取ってきて人の手で孵して育てるというのだから、希少価値も分かろうというものだ。
心配性の父親が、いくら森の生活に慣れているとはいえ、緊急事態が起こらないとも限らないだろうと、その貴重な鳥を一羽置いていてくれているのだ。
と、いうか暇つぶしにと生まれる直前の卵を持ってきた。
幸い母親が動物の扱いに慣れていたから無事育ったが、あの時は本当に大変だった。
父としては、愛しい妻と娘が山奥で困った事になったらと心配でたまらないのだろうが、基本自給自足だし、多少の病気や怪我は自分達で対処できる腕はあるしで、母親としては使う場所が無いらしい。
結果、貴重な鳥は今日も自由に森の中を飛び回り、食物連鎖の頂点に立とうとしている。
「カインは賢いもの。街の家にいなくても大丈夫よ」
何しろ、初めて飛ばした時、うっかり屋敷ではなく「父さんによろしく」と言ったところ、どうやって見つけたのか分からないが、視察で各地を回っていた父親にちゃんと届けた強者だ。
母の言葉にミーシャは苦笑した。
基本『鳥』は決まったルートしか飛ばない。
雛から育て上げた鳥を別の場所に連れて行き、帰巣本能を持つ鳥をそこから放つことで道を覚えさせるのだ。それを何度か繰り返す。
放つ時にその場所を示す言葉を言い聞かせることで、鳥はその場所を言葉と共に覚えるのだ。
賢い鳥で2〜3カ所の場所を覚えるのだが、カインに覚えさせたのは父の住む屋敷のみ、のはずだった。
あの時は、託した手紙の内容もさる事ながらカインの行動に驚いた父親がどういう育て方をしたのかと飛んで来たものだ。
一緒にきた鳥匠に根掘り葉掘り聞かれたもののさっぱり分からず、結局は特別賢い個体だったのだろう、という所に落ち着いた。
「………それに、予定を聞くくらいしてもいいと思うよ?私だって気になるし」
もう少し、と背中を押してみるが、母親は暗い表情で首を横に振るばかりだった。
ミーシャは城での生活を知らない。
生まれた時にはここにいたし、城まで行った事もない。
森の周辺の村々には何度か行ったことはあるけれど、それだけだ。
知識としてはいろいろ知っているが、この国の事も父の領地の事も、城での生活も全部両親の話と本で得たものだった。
だけど、聡いミーシャはなんとなく気づいていた。
母親は側室だった。
父親には幼い頃からの婚約者がいて、彼女が正妻の座に納まっている。
母親は他国の一般庶民だ。とても公爵家の奥様を務められる器ではない。
実際街での生活に馴染めず、森にこもっているのだからそれはしょうがないのだろう。
だけど、大らかな母親の性格を思えば、ただ単純に『街の生活』に馴染めなかっただけなのかな?と穿った見方をしてしまうのだ。
例えば、城にいる家族の話をしようとしない父親とか、決して城へとミーシャを行かせたがらなかった母親の態度とか……。
(まぁ、いいんだけど)
城での生活など興味はないし、複雑怪奇なマナー実践など肩がこる。
たくさんの人に囲まれるのは緊張しそうだし、私には森での生活があっていると思うから。
ただ、こういう時少しもやっとするのだ。
心配なのに、会いたいはずなのに遠慮というより怯えすら滲ませて、決して自ら動こうとしない母親を見るたびに。
『何』があったのだろう?と。
「………まぁ、父さんは公爵様だし後方で指揮を取っても前線に出る事は無いんでしょう?きっと大丈夫よ。
こっちはもう挽き終わるけど、直ぐに鍋に入れる?」
だけど、そんな内心はおくびにもださず話題を変えるのは、これ以上母親の暗い顔を見たく無いから。
根本的な解決をしない限り何度でも繰り返すだろうと分かってはいるのだが、当事者では無い分どうしてもミーシャの反応も鈍くなる。
「そうね。一度鍋を冷ましてから入れたほうが効果が出やすいと思うから、そっちの皿に置いててくれる?」
そうして娘が矛を収めたことで母親も肩の力を抜き、話題転換に乗ることにしたようだ。
「ひと段落したならお昼にしよう?干し肉の出来を確認がてら少し食べていい?」
母親の指示に従い粉になった薬草を避けながらミーシャは提案する。
先日罠にかかっていたうさぎはまるまると太っていてとても大きかった。
その日は他にも獲物が捕れたから、食べきれなくて日持ちする様にいくらか加工したのだ。
干したての肉はまだ柔らかさを残していてとても美味しく、ミーシャの大好物だった。
ワクワクとした娘の顔に笑いながら母親は頷いた。
「少しだけよ?食べ過ぎないでね〜」
「はぁ〜い」
しっかりと刺された釘に上の空で返事するミーシャの頭の中はもうすっかり好物の事に占められていて、部屋を出る時に落とされた母親のため息に気付くことはなかった。
読んでくださり、ありがとうございました。
新しい話を書くヒマあったら止まってる連載を進めなさいとのお叱りがありそうですが、あえての投稿。
煮詰まると、別のものを描きたくなるのは悪い癖です(汗)
しばらくは書き溜めたものがある為、毎日更新できるかと思います。
始まってしまったミーシャの物語が誰かの元に届くことを願っています。