ドキドキ・好子2
特務機関「SINOBI」本部。
「謎のメール?」
好子は上司である田神の言葉を聞き返す。
田神諒は180を越える体躯を窮屈そうにスーツで隠し、デスクワーカーとは到底思えない厚みのある体と鋭い眼光をした男だった。袖から先に露出した肉厚の手が少し前まで現場を奔走していたことを物語る。それも、決して安全とは言えない現場を。
「そうだ。これを読んでみてくれ」
田神の操作で、好子の前に一通のメールが投影される。
好子は姿勢を変えることなく、内容を確認する。
「これは?」
田神の秘書である神尾美嘉の目には、好子がほんの一瞥をくれただけのようにしか見えなかった。
(あの一瞬であの内容を理解した? それとも興味を示さなかった?)
「クリスマスの夜に突然送信されてきた。まったく迷惑な話だ、娘とのゆっくり過ごすはずだったのに」
田神は軽口を言って肩をすくめる。
「まあ、内容はこうだ。信じがたいことだが、あのエターナルヘヴン社が大規模なパーティーを始めようとしているらしい」
(そんな書き方ではなかったけど……)と神尾は横目で田神を見る。
エターナルヘヴン社。
携帯端末Pet、それに伴う高性能AIを開発した会社だ。
Pet、高性能AIのシェアに関しては現在ダントツのトップ。またPetだけにとどまらず、インターネット関連のサービス、製品開発をはじめ、各分野にも進出をしている世界規模の大企業だ。
検索エンジンやフリーメールはもちろん、日常の家電、自動車などへの技術応用など、関わりのない製品を目にしないで生活することが難しい。
だが、一方で、その全貌は謎に包まれている部分も多くあり、一部では黒い噂も囁かれている。
「AIによる人類管理。そのための人選をテロという形で行おうとしている……まあ、そんなところだな」
田神は盛大にため息をつく。
小さな国の国家予算なら軽く超える収益を出すとエターナルヘヴン社だが、あくまで一企業でしかない。
「荒唐無稽。そんなことが起きるとは到底思えん。大企業がテロを起こす? AIで人間を支配する? バカバカしい……匿名サイトの陰謀論か?」
いや陰謀論であってももう少しマシなストーリーを考えるだろう。AIを開発した企業がAIによる人類管理を行うとは、何十年前の安っぽいSF小説のような設定だ。
「生憎、俺たちは忙しい。こんな話は無視するところだ。このメールが届いたのが自宅パソコンだったならな」
「実は、このメールは本部に直接送信されてきたんです」
初めて神尾が割って入った。
パーティーを知らせる一通のメールは、一部人間しかその存在を知らない特務機関「SINOBI」本部に直接送信された。「SINOBI」アドレスはもちろん公開されていないし、存在そのものが秘匿されている。
存在を知るのは、日本や世界の主要機関ばかり。それなのに、このメールはそんな障壁を潜り抜け、まんまと秘密の受信箱に納まったのだ
「送信者は?」と好子の問い。
「不明……だったが、こちらにも意地がある。特定はできた。送信場所はネオニューヨーク、スラム付近の一室からだ。部屋を出て数歩歩けばドラッグと闇テクノロジーの無法地帯を散歩できる」
「おそらく送信者は凄腕のハッカーです。今回の任務は、送信者の発見と真相を確かめていただくこと」
神尾は新しい資料を好子の前に投影する。
「腕自慢ハッカーの度胸試しならきついお灸を据えた後、監視対象とする。もし……」
「もし?」
「警告が本物であれば、それを阻止する」
ネオ・ニューヨーク
パリンパリン!
明滅を繰り返すライトは絶命。
ライトの命を奪ったのはニンジャマスクの女が放った手裏剣三つ。
あたりはブラックアウト。
視界ゼロ。
ユミは女に抱えられ、いつの間にか路地裏から脱出していた。
気がつけばどこかのビルの屋上。
(あの一瞬でこんなところまでスゴイ!)
一瞬にして、ムキピチ6パックたちを完全に巻いた!
眼下の高性能LEDハイビジョンでは、深夜だというのに最新のエクササイズマシンのハイテンションなCM。
人気の筋肉モデル「パンプアップミカコ」が笑顔でエクササイズをしながら、ご機嫌な声で商品説明。
深夜番組を楽しむ各部屋の明かりビンゴゲームさながらに点灯し、そのさらに下には行き交うライトが形を浮かび上がらせる道路。車はミニカー、人は豆粒。
高い! この場所は高い!
目がくらむ!
ニンジャマスクの女の長い髪がたなびく。
風も強い!
「あなたは……!」
風の強さも寒さもアドレナリン放出中のユミにはどこ吹く風。感じない。
ユミは周囲を見て、彼女を見た!
自分を見て、また彼女を見た!
信じられない!
こんなことがあるなんて!
下から上まで!
上から下まで!
何度も視線を往復させて!
「あなた……」
「その格好!」
ニンジャがしゃべり出そうとしたところで、ユミは勢いよく遮った。
「長い黒髪! その衣装の色! 見事はスタイル! 腰に刀とか! ニンジャマスクとか! あなたは! あなた様は! スペースくノ一・TIGUSA様ですよね!!」
「……」
空に月。瞳に星。
ユミはキラキラと目を輝かせる。
スペースくノ一・TIGUSAとは、近未来を舞台にしたSFコミックのことだ。
至高の宇宙エネルギー「ネング」を独占し、人類を支配しようとするダーククゲダイカンに対して、ニンジャゴッズに導かれた四人の乙女が四姉妹くノ一となり自由と平和のために戦いを挑むという王道的アクションヒロインものだ。
セクシーで個性的なくノ一の活躍が人気を呼び、いくつもシリーズが制作されている。特に、時に共闘し、敵にも味方にもなるライバル、ブラックザムライは脇役ながら、カルト的な人気を誇っている。
スペースくノ一TIGUSAは、その人気から、実は四姉妹くノ一は実在していているのではないかと信じるファンもいるほどだった。
「ああ、もう一目見てわかりました! あなたはTIGUSA様でしょ!? ということは、FUTABA様、MITUE様、KARIN様もどこかにいるの? うち大ファンなの!」
絶体絶命乙女のピンチを助けてくれたのは神様ではなく、ずっと会いたいと思っていたくノ一TIGUSAだった!
感動で感涙。テンションMax。ビルの上の寒さも怖さ吹き飛ぶというものだ。
ニンジャマスクの女は一つため息をついてから切り出した。
「エターナルヘヴンの告発メール……」
「……えっ?」
一瞬にしてユミの顔色が変わる。
「送信者、ユミ・イトウ。あなたね」
一瞬にしてユミの視線が泳ぐ。
しかし、ここでどんな風にごまかしても無駄であることは明白。
駆け引きもごまかしも得策とは思えない。
「あ、あのメール、足がつかないように細心の注意を払ったのに……」
「残念ね、特定はできたみたいよ? もっとも、もっと時間がかかっていたらあなたも危なかったみたいだけど?」
図星。
なるほど。ユミはようやく合点がいった。
あのムキピチの男たちもその件で自分を追っていたのだと。
道理で、金銭目的でもなく、身体目的でもないはずだ。
「それで、どうしてあんなメールを送ったのか? 聞かせてもらえるかしら?」
「TIGUSA様に言われたら言わないわけにはいかない。ただ、本当に信じて! うちは何にも知らないんだよ、あのメールを解析しただけで……やばい内容っぽかったから、それなりの所に知らせなきゃって思って、それで……」
「解析?」
「TIUGUSA様は知っている? オーバーインテリジェンスメッセージ……」
「そこまでにしてもらおうかなぁ、ハッカーのお嬢ちゃん!」
月をバックに立つ人影。
次の瞬間。その人影は宙を舞い、ユミたちの前にスタンと降りた。
「登場は高いところからが鉄則」
格言的セリフを吐きつつビシリと登場。
降りた影は満足げにニカッと笑う。
金髪、碧眼。体のラインを強調するようなピチリとしたやや窮屈そうな黄色のハイレグ型ボディースーツ。日本人離れしたグラマーな女が月明かりに身をさらす。
体つきも格好も普通じゃないが、その雰囲気も普通じゃない。
「ふふっ、さっきのは見事だったわ。あの状況から一瞬にして脱出するなんて」
「目がいいのね」
「壁に囲まれたどん詰まりで六人に退路を断たれる。そこからいきなり消える? 理六人を倒したのでなければ、行く場所は上か下しかない」
TIGUSAと金髪女の間に緊張が走る。ユミでもわかる。
これはやばい!
さっきよりも! この女は別格だ!
とにかくやばい!
(この女、イカれた露出もやばいけど、それ以上に危険な匂いがする!)
「そこの中学生をこっちに渡してくれない? ラブリーで平和的解決法の提案よ」
「ちょ、中学生って!? うちは二十歳……」
「断ると言ったら?」
「答えはシンプルでストレートが最高。ラブへの拒絶はいつも悲劇しか生まない」
「その悲劇ってのは、お前のことだろう?」
「残念だけど、今のあたしは最強なんだ。悲劇はあんたのものさ」
金髪女はバシリと手の平に拳を当ててお辞儀する。
カンフー映画で見たことある。
抱拳礼だ。
「あたしは愛のニンジャ。クレア=ホワイトリリー!」
突然の名乗り。
そしてカラテスタンス!
(うそ、カッコイイ!)
構えただけでわかるカッコよさ!
クレアのカラテは堂に入っている。
カラテを動画サイトや映画でしか見たことのない素人のユミでさえ、感動する!
「色々ツッコミ所があるけど、ニンジャが名乗るの?」
「ニンジャ礼法を知らないの?」
クレアは礼儀の知らない田舎者を笑ういけ好かないブルジョアのように笑う。
「戦いの前には、お互いに名乗りあうって教わらなかった? ジャパニーズニンジャさん?」
挑発的。
挑発的な物言いだ!
だが、郷に入れば郷に従え。
TIGUSAはボソリとこう言った。
「好子」
好子! と!




