西風日誌 ~ナズカゲさん爆誕する~
本作は原作書籍六巻以降の時系列の物語であり、その内容のネタバレを含みます。ご注意ください。
どうしてこうなった。
アタシは小さなパティシェ帽が乗った小さな頭を抱えた。
眼前には、きょとんとした顔で自らの手足を眺めている女。
頭にはぴんと尖った狐の耳、艶のある黒の髪、妖精銀糸で編んだ帷子に包まれた起伏に富んだ身体。伝統的な和装というにはあまりに着崩した装束。
鏡を前に毎日見ている身体。だが、今目の前にあるのは、鏡ではない。
間違いなく、ナズナの生身だ。
「おおー。おおー? おおおおー! なんですかこれ! すごい! いろいろすごいですよ!」
好奇心いっぱい、といった風情で無駄に身体のあちこちを揉み解す目の前の女の脛を蹴りを叩き込む。やめんかこの天然小娘。
ため息をついて、アタシは改めて、自らの身体を検分した。
目の前の女の膝くらいまでしかない小柄な肉体。身を包むのはディフォルメされたパティシエ服。手には同じく小さなおもちゃめいたおたま。
まったく。どうしてこうなったのかねえ。
痛むこめかみをぐりぐりと押さえながら、アタシはつい数分前のことを思い出していた。
◇ ◇ ◇
「ほいよー、ミカカゲいるー?」
様々な色の怪しげな液体が詰められた瓶が並べられた机を、すり抜ける様に奥へと歩を進めていく。
「やっぱりできてませんとかナシだかんねー? アタシは踏み倒しは許さないタチなんだ」
ここは〈ロデリック商会研究室〉通称、〈ロデ研〉の薬品部門の一室。
〈ロデリック商会〉は三大生産系ギルドの中でもゲーム時代からレシピの収集やレア製作級アイテムの作成に力を入れており、〈大災害〉後は主に水薬などの消耗アイテムの開発に尽力している。〈ロデ研〉はその研究活動の最前線とも言える場所だった。
戦闘系ギルド〈西風の旅団〉のサブギルドマスターであるアタシがここを訪れた理由は単純。
〈外観再設定ポーション〉の確保のためである。
キャラクターとプレイヤーの性別、体型の齟齬による問題は、〈大災害〉から相当期間が経過した現在でも解消したわけではない。
そもそも〈外観再設定ポーション〉はキャンペーン配布の希少なアイテムであり、〈ロデリック商会〉が生産体制を整えてからも発注が相次ぎ、順番待ちが途切れない状態であったからだ。
そういった需要は〈西風の旅団〉も例外ではなく、ようやく回ってきた予約の品を回収するため、ギルドの代表として、アタシがやってきたというわけだ。
「おひょう!?」
尻尾に奇妙な感触を覚え、アタシは思わず奇声を上げた。
もともと存在しなかった器官への刺激はいつになっても慣れるものではない。
振り返ると、尻尾につかまっていたのは膝ほどしかない小柄な子供……ではなく、
「なんだ、アリーじゃないか」
そこにいたのは、パティシェ服に身を包んだ〈植物精霊〉、アリーだった。
〈ロデ研〉の一員、〈召喚術師〉ミカカゲの相棒である。
「んあー、〈西風〉の人? それ違うじゃんね。今はそっちがミカカゲ」
奥から研究員の気のない声が響く。
首をひねるアタシに、アルラウネは手にしたペンで手元の紙にすらすらと文字を書く。
『ちょっと待っててください。落し物拾ったらすぐに戻りますっ』
もともとAIで動く従者だったアルラウネのアリーに日本語でメモを残すような知能はない。
そこで、アタシは事態を理解した。
ミカカゲのメイン職業は〈召喚術師〉。この職業には、呼び出したAI従者に憑依し、自在に操ることができるようになるという風変わりな特技が存在する。
〈幻獣憑依〉。
ゲーム時代は使い道の少ない特技だったが、〈大災害〉後は、特殊な使い道がいくつも生まれた。たとえば、小柄な従者の身体を使えば、狭いところの探し物も簡単というように。
アタシの〈茶会〉にも、この特技を好んで使う変人がいた記憶がある。
「おー。今はアリーの中にミカカゲが入ってるのかー」
狭い机の奥にもぞもぞと入っていく様子はなかなか愉快なものがある。
っていうか、便利だなあ、〈召喚術師〉。この格好だったら一日昼寝してても怒られなさそうだし。
そんなアルラウネの様子をしげしげ眺めつつ、アタシは机の下を覗き込むようにかがみこんだ。
その瞬間。
――かさかさかさ。
沈黙の中を、何か乾いたものが動くような音が響き。
あきらかに頭文字G的なアレだ。
……ちょっと待て。ミカカゲって確か、アレが死ぬほど苦手じゃなかったっけ?
と、アタシが気づくのと同時。
まるで、爆ぜるような勢いで何か……多分、アリー(中身ミカカゲ)の頭だろう……が机を跳ね上げるようにしてぶつかって……、
机の上の薬品の瓶がひび割れ、ピタゴラスが鼻歌交じりでスイッチを押したかのような連鎖的な破壊につぐ破壊によるポーションのカクテルが発生し、机の狭間へと流れ込み……。
ぼふうっ!
曰く言いがたい色の煙と光が弾けた――。
◇ ◇ ◇
そして、現在に至る。
今、ミカカゲの従者、〈植物精霊〉の身体の中に入っている意識は、アタシのものだ。
一方で、ナズナの肉体は、まるで〈幻獣憑依〉の効果が及んだかのように、ミカカゲの意識が制御しているらしい。
「……ぁー。ここにあるのは魔法の効果時間や対象拡張のための試作品ポーションだったじゃん。なんかよくわかんないけど、変な形で作用しちゃったみたいじゃんね」
やる気のない声でミカカゲの研究仲間、アオモリがため息をつく。
ミカカゲによれば、本来の〈幻獣憑依〉であれば強制的に効果を解除することも可能だが、今はなぜかそれができないらしい。
「効果時間に薬品が変な影響を及ぼしていなければ、24時間放置すれば自動的な効果は解除される。また、最悪の場合でも、死亡すれば効果は解けるし。悪いけどナズナさん? だっけ。もうちょい我慢してほしいじゃん?」
ちょっと待て。
声を上げようとするがこの身体ではなぜか言葉が出ない。
なるほど、それでさっきミカカゲはメモでメッセージを伝えてきたってわけだ。
仕方ない。盛大に腕を振って不満を表現する。
ふーざーけーるーなー! アタシは盛大に抗議の意思を表明するー!
「なに? こんな可愛い身体に入れてらっきー! 堪能するよー! って?」
違うわこの天然小娘。
今度はおたまチョップを弁慶の泣き所に叩き込む。
そして、よじよじと机の上にあがり、筆字ででかでかと『異議あり!』と書いた。
当然ナズナ(中身ミカカゲ)……面倒だからナズカゲと呼ぶことにする。ナズカゲにずびしいっと指を突きつけるポーズも忘れない。
そもそも、私が持って帰るポーションを心待ちにしてる子たちを待たせるわけにはいかないし、帰りが遅れてソウジを心配させたくもない。
あとこう見えてアタシは〈西風〉のサブマスター。様々な雑事の類をまわす縁の下の力持ちなのだ。
面倒くさいけど、いつも日がな転がってお酒飲んで苺大福食べてるわけじゃない。できるならそうしたいけど。
そんなこんなで、ここでちんまい身体で24時間拘束なんてとんでもないってえわけなのである。
「……でもなあ。これ、すっごい間抜けな状況だけど、実際〈冒険者〉による〈冒険者〉の肉体への憑依って、相当ヤバい案件じゃん? 事故とはいえ、表沙汰になったらかなりアレだよなあ。お互いにえらい面倒なことになりそうじゃんね?」
まあ、それは確かに。
アタシも変に検査だの実験だのに巻き込まれるのは勘弁だし、〈ロデ研〉の二人も変に噂が広まって悪用を考えるバカが増えるのは望まないだろう。
「……あ、私いいこと思いついた!」
妙に元気そうに目を見開いて、ぽんと手を叩くナズカゲを見て、アタシは嫌な予感しかしなかった。
◇ ◇ ◇
そして。
利害の一致したアタシらは、「身体入れ替わりのことは隠す」という条件でナズカゲと一緒に〈西風の旅団〉に戻ることになった。
のだが……、
「あ、おかえんなさい姉さん!」
「おつかれさまですナズナさん」
「副長おかえりー」
「はい、みんなこんにちわー……おうふっ!?」
全くアタシの振りをすることを放棄して素で応えるナズカゲの脛を正拳突き。
バカだ。アタシは盛大にバカだ。この鈍感力ストップ高バカが少しでもアタシの振りをまともにやってくれるかもとかバカ正直に期待したことがもう完全にバカだった。
っていうかみんな完全スルーっすか。怖い。逆にそれが怖い。なんか後でどっかでこっそり「ナズナさんどうしちゃったのかな疲れてるのかな酔っ払ってるのかな」とか言われる気がする。
いっそ真正面から「なんすかその冗談キャラ違いますよ」的なツッコミがあった方がまだ救いがあるというものだ。
そこらへん、みんなの生暖かい優しさが透けてかえって痛い。
「おおっ、なんすか師範代この子! めっちゃ可愛いじゃないっすか!」
「あらん、ナズナちゃん〈植物精霊〉に懐かれたの? いいわねえ。プリティじゃない」
目ざとくアタシを見つけたメンバーたちがしげしげとこちらを眺めてくる。
手を握ったりぷにぷにと頬を触ったり。正直落ち着かないことこの上ない。
我慢だ我慢。
とりあえず、この可愛い身体で女の子らの目を惹いておけば、ナズカゲの違和感も目立たないし、なんとか、24時間を穏当に過ごすのみ……
「あ、おかえり、おつかれさま、ナズナ」
……なんて考えた時期がアタシにもありました。
そう。ギルドホールに帰ったということは、当然一筋縄ではいかないコイツがいるということだ。
〈西風の旅団〉のギルドマスター。素直な癖に妙に勘のいい私の弟分、ソウジロウ=セタが。
「あ、ああ。ただいまー、ソウジロウ」
ソウジの気に当てられたのか、さすがにナズカゲが演技らしきものをする。
……けど、ダメだ。どんなにアタシっぽく口にしても、今のは70点。
その証拠に、ソウジは一瞬首をかしげると、にこりと微笑んだ。
「懐かしいですね、そう呼んでもらったの。〈茶会〉に入ったばっかりぶりかな?」
そう。アタシがソウジを「ソウジロウ」と呼んでいたのは、ずっと昔のことだ。
ああもう、あれほど〈ロデ研〉で口を酸っぱくして伝えといたのに……。
見る見るナズカゲの表情が固まる。
「あ、あの……」
「あ、外観再設定ポーションは手に入りました? ドルチェさん部屋のみなさん分、これで全部揃うはずですよね。ずいぶん時間がかかったみたいですけど、何もなかったですか? 〈ロデリック商会〉っていろんな薬を作ってますよね? 変なトラブルに巻き込まれたんじゃないかって心配してたんですよ」
びくうっ。
ソウジはそれを咎める様子など全くないのだが、ナズカゲは口をぱくぱくしている。
「大丈夫ですか? なんだか顔色が悪いですけど。何か、僕に内緒で大変なこととか黙ってたりしません?」
びくびくうっ。
こうしたソウジの反応に対する女の子のリアクションは、大別して2つ。
1つは……というか、大多数はそうなのだが、ソウジの真っ直ぐな優しさにフラグなんか立つ場合。
そして、ミカカゲの場合は、もう1つのレアなパターンであったらしい。
すなわち、本能的に恐怖を感じる場合。
ソウジの無自覚な勘のよさ、言葉のタイミングの良さは、近くで観察し続けてきたアタシから見ても、どこか異常だ。
人によってはそれを「全部見透かされている気がする」と、怖くなるようなのである。
まあ、仕方ない。そもそもソウジの人のよさそうな笑顔は、相手の感情を照り返すきらいがある。
月のような笑顔、とでも言うのだろうか。
悪意や後ろめたさをもって見ると、まるでそれがどこか恐ろしいもののように見えてくるのだ。
ともあれこの萎縮モードじゃ話にならないねえ。
ソウジに見えないように、アタシはまたナズカゲの脛を蹴った。
弾かれたようにナズカゲの思考は再起動したようだ。これぞ原始テレビ修理法応用術(物理)。
「ひゃひゃひゃい! ……ああ、いや。うん、ポーションはこの通りもってきたですわよ。ってなわけで、悪いけどちょっとワシ、私……アタシは体調を崩しちゃったみたいじゃけんで、その、ソウジロ……ソウジからみんなに渡してもらえないかなってYO? ってことで私は部屋に引っ込んでちょった休むんでよろしくお願いしますああもうごめんなさいー! 穴掘って埋まらせてー!」
◇ ◇ ◇
「な、なんですかナズナさん! あの人がハーレムマスターのソウジロウさんですか? なんかすっごい怖いんですけど! っていうかなんでみんなあの人見てキャーとか言えるんですか!? なんてーかブレーキがない自転車的なアトモスフィアばりばりですよあの人! 道路交通法違反ですよ!」
アタシの私室に飛び込んだナズカゲがアタシを担ぎ上げてまくしたてる。
おお、一目でアイツのアレなところを理解するとか、意外とこの娘、見所があるなー。
一般的な評価において、ソウジは「女にもててもててもてまくるハーレムギルドのマスター」ということになっている。
まあ、それは一面では正解だし、事実そうなっている部分はある。
しかし、誤解されやすいことだがそれは「ソウジがハーレムを求めている」「ソウジが女の子好き」「女の子に甘い、扱いやすい男の子」ということと、イコールではない。
むしろ、アタシの見立てではソウジはハーレムなんて求めてないし、女の子には優しいけどむしろひどく奥手だし、多分、アキバで言えばクラスティやシロエくらいの扱いにくい「異常者」だ。
「ううう……怖かったです。アリーだっこしてシュークリーム食べてカモミールティー飲んだあとでお布団かぶって眠りたいです……」
たった数度の言葉のやりとりで妙な心の傷を負ったのか、ナズカゲはアタシの布団にもぐってしまった。
まあ、仕方ない。ここまでのリアクションは別として、漠然とこうなるような気はしてたんだよなー。せめてこの部屋に戻ってこれらただけ及第点としよう。
小さい身体をめいっぱい使って、普段は小さく感じる机の上によじのぼる。
そこには、うんざりするほど積み上げられた書類の類。
ずいぶんなものをドルチェに裁いてもらってはいるが、ものによってはアタシが直接見ないといけないものもある。
そしてその中には、ソウジに見せることができないものも、少なくない。
これが、アタシが無理をしてでも急いで帰りたかった理由の一つでもあった。
特殊な封がされた包みを優先的に開けて中身を確認する。
……ああもう、また紫陽花のヤツ、好き勝手やりやがってもうー。
〈西風の旅団〉はソウジへのファン心を利用して絶対の統率を誇る……というのが対外的なイメージだが、実際にはそこまで一枚岩なわけではない。
男の心理っていうのにはなったことがないから別によくわからないけど、少なくとも3人あつまりゃ派閥ができるのが女の子ってものである。
それが90人やそこら集まれば、当然色々あるものだ。
たとえば、どこぞの四字熟語マニア率いる元〈翼〉の一派。彼女らは、ソウジの存在感を自分たちの目的を遂行する隠れ蓑にしている風がある。
まあ、その目指すところが決してアタシも悪いとは思わないから多少は見逃しているが、それでもやり過ぎにならないように牽制はし続ける必要があったり。
そこまで露骨でなくても、ファンの集団ってのは「このここがいいよね」を語りあってる部分にはまあ平和なのだが、それが一歩進んで「これは絶対赦せないよね」「こうじゃないと間違い!」みたいになってくると、ちょっと歯車が狂ってくる。
原理主義とか、××性の違いとか、果ては「ソウ様は聖典なの!それを!なんかにわかとかミーハーがこう……なんか介入で、私の知らない……なんか外の人とかがやったり……イマジネーションになんかあったらどうしてくれるの!」的なアレとか、そうなってくる可能性もゼロではない。
そういう妙な転がり方を避けるための根回し、バランスとり、そんなものも、まあ面倒だしガラではないけど、誰かがやらなければならないのだ。
そして、ソウジはそういった繊細で曖昧さを求められることには向かない。
ソウジは屈託がないし、無邪気だけれど、それは裏返せば苛烈で容赦がないということだ。
ハーレムに対する執着も、女の子が特別に大好きなわけでもないアイツは、さらりと「この場所がみんなを守れる場所でないなら、やめちゃいましょうか」とか言いかねない。
そういうアンバランスさも含めて、嫌いじゃないっていうかむしろ好きではあるのだが、この集まりにそこそこ愛着ができてしまっている身としては、そういった展開は避けたいのだ。面倒だけど。
我ながら、難儀な相手に関わってしまったとは思う。
二度。その後で、小さく三度のノック。
慌ててアタシは机の上の書類のうち、元〈翼〉一派絡みのものと、ファンクラブの情報班の報告を机の棚に隠した。
かちゃり、とドアが開く。
このゾーンに自由に入室可能にしているメンバーは限られている。
そのうち、このノックをするのは、一人だけ。
「ナズナ、大丈夫?」
ソウジだった。
きょろきょろと部屋の中を見ると、アイツは部屋の隅の万年床で寝ているナズカゲを見て、僅かに微笑んだ。
そして、アタシのいる仕事机の方へと歩み寄る。
「……こんなに、任せちゃってるんだよね。最近、ずいぶん疲れてたみたいだもんなあ」
溜まった書類に目をやり、ソウジは噛み締めるように呟いた。
そして、アタシに視線を移す。
う。まずい。ばれた? 固まれ固まれアタシ。今のアタシは人形……。
と、ソウジの手がアタシの脇腹へと伸び……
すぽん、と。
身体の後ろ半分が、温もりに包まれた。
思考が止まった。
ソウジが、アタシの仕事机の椅子に腰掛けている。
そして。その膝に、アタシが腰掛けて、すっぽりと収まってしまっている。
アタシは背が高い方だ。小柄なソウジと比べれば二周りは大きい。だから、当然こんな体勢など、物理的にとりようがなかった。
お、おおおおう。
な、なんだこれマジですかっ、なんかめちゃくちゃ恥ずかしいんですが!
ソウジはただ、小さい動物を抱えている程度の意識なのだと思う。
〈大災害〉後にわかったことだが、ソウジは自分から女の子に対してスキンシップをとることがほとんどない。
保護欲や義務感の発露で「守りたい」という気持ちから無意識に触れることはあるけど、逆に個人の満足とか充足だとか、そういうもののために異性に触れることはむしろ、強く戒めている節すらある。
だからこそ、ソウジの保護者であるアタシにとってこれは激レア展開なわけですよ。くそーこの感動を誰かとわかちあえないのが悔しい! いやむしろひとりじめとか考えると超ラッキーか!
だが。
「……ダメだな、僕は」
ぽつり、と呟いたソウジの声、アタシの心を現実へと引き戻した。
それは、普段他のメンバーと比べて本音を話してくれていると思っていた、アタシですら聞いたことのない、弱々しい声。
「ありがとうとか。大好きとか。一緒にいたいとか。……本当に言いたい人にほど、怖くて、言えなくなる。ナズナにも。シロ先輩にも。ルーグさんにも」
アタシの頭を撫でる、小さな手。
まだ、幼い、これから大きくなるはずの、成長途上の細い指が、アタシの髪を梳く。
「ナズナにも。もっと、いっぱいありがとうって、言いたいし。言わなきゃいけないのに」
ソウジにそういうところがあることは、ずいぶん前からアタシも気づいていた。
ソウジは「味方を多く作る」「他人とほどほどに親しくなる」ことには慣れているが、「本当に相手と親密になる」ことには、驚くほど不器用だ。
たとえば、〈大災害〉直後。
ソウジは、誰よりも真っ先に安否を心配し、言葉を交わしたいはずの相手、シロエに、念話をしようとしなかった。
数日ほどして、直継にこっそりシロエの様子を確認して、さらに連絡をとったことをシロエに言わないように口止めまでしていたのを、アタシは知っている。
それは、たとえばソウジに〈エルダー・テイル〉のイロハを教えたっていう〈暗殺者〉だとか、〈茶会〉の前に一緒のギルドで過ごしていた〈魔杖使い〉の〈施療神官〉だとか。
一定以上に親しくなると、目に見えてソウジはそうした相手と距離をとるようになる。
嫌いだから、ではない。むしろその逆だ。多分、「好かれたい」と願うことと「嫌われたくない」という天秤が、後者に傾くからなのだろう。
アタシがもしソウジにとって一定以上親しい人間でありながら、近い距離を保てているのだとすれば、それはアタシが常に積極的にソウジへと近づきつづけているからだ。
これはアタシの妄想でしかないが。
ソウジは多分、幼い頃から子供でいることをあまり許されなかったのだと思う。
一人で生きられるよう。どんな環境でも、そこそこ以上に適応できるよう。そんな風な教育を、叩き込まれたんじゃないだろうか。
そしてそんな無理難題を、完璧に近い形で身につけてしまうほどの能力が、不幸にもソウジにはあった。あってしまった。
我侭とか。誰かに無条件で愛されるとか。失敗を許されるとか。
そんなことをすっ飛ばして、促成栽培をされてしまったのだ。
だから、わからないのだろう。
なんの役に立たずとも誰かに必要とされることができるということとか、そのために、その関係の維持にどんなことをすればいいかとか。
だから、アタシは〈茶会〉の後、ソウジのパートナーでなく、姉貴分になると決めたのだ。
こいつが子供をやり直せるように。
ソウジの手を握る。
借り物の手で。それでも、本物の気持ちが伝わるように。
ガラじゃないとか。面倒だとか。そんなことはどうでもいい。
ダメじゃないとは言わない。ソウジはダメなヤツかもしれない。
むしろ、ぱっと見のスペックの奥に隠れてるけど、人としてアンタ自身が幸せになる能力は、赤点クラスなのかもしれない。
でも、それでもいいんだよと。
少なくとも、それでもアタシは、アンタの傍にいたいと思っているのだから。
そして、そう考えている物好きは、他にもいるはずなのだから。
きっとそんな気持ちは、アタシの身体のまま、アタシの言葉では伝わらないだろう。
だからどうか。この偶然の生んだ状況にかこつけて、祈りが届きますように。
ソウジロウの瞳が、驚いたように見開かれていた。
見上げたアタシの頬に、ソウジの顎から伝った雫が降る。
「……ありがとう」
ソウジは掠れた声で呟いて、表情を隠すようにうつむいた。
アタシは、身体を捻ると、立ち上がるように身を起こす。
頭突きをするような勢いで唇を、目指す頬へと叩きつけた。
意識が眩む。
熱に浮かされたように、思考がぐるぐるかき混ぜられる。
二日酔いの翌日のような頭痛。そして――
◇ ◇ ◇
アタシは布団をはねのけた。
……ちょっと待て。この期に及んで夢オチとかマジですか!?
ああもうフロイト先生に見られたくないわーわかり易すぎてああもう顔から人体発火するわ!
さっきまでのリアル過ぎる夢の感触を思い出しつつクールダウンしていたアタシに投げかけられたのは、聞きなれた声。
「あ、おはよう、ナズナ。よかった。身体は大丈夫?」
声の先には、アタシの仕事机に腰掛けて、〈植物精霊〉を撫でるソウジ。
ソウジに抱きかかえられた〈植物精霊〉アリーの表情は、いつもの内気で引っ込み思案な従者のものだ。
……あ、あれ。
ということは。まさか。
魔法がとけただけ。夢だけど、夢じゃなかった?
た、確かに考えてみれば脛とか超痛い! 誰だぽかすか殴ったり蹴ったりしたヤツ。アタシか!
「お、おひょううううー!?」
「ど、どうしたのナズナ!?」
「な、なんでもある! いや、ない! むしろ問題ない! 完璧!」
やばいほっぺた赤いマジ顔が直視できないんですが。
なんだこれ。アタシのガラじゃないだろー情熱的に考えて。いや、常識。おちつけアタシ。
「……大丈夫? 熱とかありませんか?」
アタシは深呼吸をして、なんとか自分に対する言い訳を決めた。
そう。さっきのは、アタシのルールの延長線上。ガラにもない乙女ムーブとかではないのだ。
「大丈夫。アタシはいつぞの賭けの勝ち分を回収しただけだからな。だって、アタシは踏み倒しは許さないタチなんだ」
そう。
これは、ソウジが昔、衛兵に立ち向かって倒れたとき、生き返る方に賭けて勝った景品。
アタシは賭けと、その取り分には手を抜かない女なのだから。