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 僕は今32だ。妻がいて子供も二人いる。一軒のバーを経営している。

 僕もバーテンダーとして店にも立つが、あの頃の僕のような大学生のバイトを6人抱え意外と成功しているほうではないかと自負している。妻にアイロンを掛けてもらったしわ一つ無いシャツを着て仕事帰りに一杯ひっかけていく人や女の子を口説こうと初めて来たのに格好をつけて「いつものお願い」なんて行ってくる人たちを相手にしている(そんなときはアレキサンダーという英国国王の結婚式の記念に作られたカクテルを出している)。


 カウンター席と二人か三人掛け用の小さく少し背の高い丸テーブルを備えた店内にはフォークソングの神様ボブ・ディランの固くもやさしく歌声がオレンジの光の中にそっと横たわるかのように流れている。バーは少し格式の高いようにしてある。お酒を飲むことを愛する人々への気遣いだ。雑誌の依頼も断るようにしている。それ故にこの店は隠れ家と言われ改装する以前僕がバイトをしていたときからの知り合いもいる。考えるともう十年来の付き合いとなる。

 

 たぶん結婚は普通の人よりは早かったと思う。僕は結婚の前、猛烈に悩んだ。待ったほうがいいのか、今結婚してしまうのがいいのか。それは人生で一番難しい重要な、そして大切な選択になることは体全体で気づいていたし、その重圧は僕に食事を進ませなかったほどだ。まだ僕はバイトだったし、大学を出ていなかった。いきなり二人暮らしも大変だし経済的に自立する自身も無かった。しかし僕はあの時結婚をするという道を選んだ。もちろん結婚してからはすべてがうまく言ったということはなかった。逆に全てが裏目に出たといってもいい。妻にも貧しい目にあわせた。両方の親から結構お金を借りたり野菜を送ってもらったりもした。しかし今では男の子と女の子が二人いて少し苦しいが、何とか生活できている。バイト先の店長さんにも応援してもらったおかげで店を一件任されることになった。そういった僕の広辞苑ほどの厚さもある歴史の中の一ページには子供たちがもう少し大きくなったら話そうと思って今も胸の中で暖めている僕の若かった頃の体験談がある。


 それは当時のバイトをしていたバーでの出来事だ。まさに結婚直後というわけだ。バーテンダーをしていたぼくは年配のおじさんと話をすることが多かった。小さいバーでアットホームな温かみのあるとても落ち着きのある場所だった。そこで結婚の秘訣や決め手を聞いてみた。何人かに聞いてみたのだがSさんに聞いたときの話が今も心に残っている。そのバーの時からの常連のSさんは愛妻家で知られている。

「今晩は。ジンフィズを一杯もらえるかな。」

「分かりました。」

やがてできたジンフィズをSさんの前におく。時々氷のこすれる音が店に響く。50台のSさんはいつもちょっとずつ、のどに流し込む。

「Sさんはいつもお元気そうですね。奥さんもお元気ですか。」

「ありがとう。ここにきて癒されているから、最近病気もしないな。妻も元気だよ。」

「結婚されてから何年になりますか。もう長いんでしょう。」

「ああ、もう28年になるかな。今度二人で来ようかな。きっと妻も気に入ると思うよ。でもどうしたんだい。急に妻の話なんて。」

「いやーちょっと結婚を考えてるんですよ。それで少し秘訣や結婚の決め手を聞いてみようかなと思っていて。」

「確かに妻とは結婚してからも喧嘩とかしたことは無いかな。」

「Sさん夫妻の仲良しの秘訣はなんかありますか。」

「うーん。ちょっと恥ずかしいな。でも、まあいいか。話してあげよう。結婚してからそのありがたみが分かり始めたのだが、それまではいいと思ったことは無かった。むしろ無い方がいいと思っていた。私の妻はあまり美人でもなければ性格といえば奥手のほうだ。しかしな、すっと通った鼻とその下に少し大きめの真ん丸に盛り上がったほくろがあるんだ。」

「それがどうして秘訣になるんですか。」

「結婚だけに言える事だけではないと思うんだが、人生にもちょっとした驚きが必要なんだよ。ちょっとした驚きが毎日を新鮮にしたり、注意力を育てたりするもんだ。妻に朝起こされたときに、妻の顔にある!が長く繰り返される毎日に刺激を与えてくれるのさ。退屈で孤独な夜に刺激をくれる一杯のジンフィズのようにね。」


 僕の妻にそのようなほくろはない。しかしこの教えは僕の繰り返される毎朝の景色を確実に明るくさわやかにしている。

ほらあそこに立っているのが僕の妻です。家に寄ってください。カクテルをご馳走しましょう。


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