第四話 第一歩
村の柵を出ると、俺達はとりあえず隣の村を目指す事にした。幸い周辺の地図は貰ってあったので、太陽で方角を確認しひたすら前進する。
そういや、村を出たあたりからアリスの表情が暗い。なんとなく、調子が狂ってしまう。
「どうした、アリス。具合でも悪いのか?」
「ううん、大丈夫よノエル。ありがと…」
口ではそうは言ってるけど、どこか焦れったい感じがする。
アリスが言う通り体調は悪くないとすれば…精神的なものか。アリスもやはり、初めての旅に緊張しているのだろうか。
「えー…とね。私ね、魔法使いになったじゃん?」
歩きながら、アリスが小さく話し始めた。
「家ではね、あの後失望されたの。私んちって、子供は下に妹だけだったから…貴族になる事期待されてたから…」
俺達は口を挟まないで、ただ彼女の言葉を聞いていた。
「ジョブが『貴族』って何よって話よね…。貴族って、何が出来るのよ…」
アリスの空笑い混じりに話すが、時々詰まって聞こえるは気のせいだろうか。
「私は…きちんと行儀良くして、お勉強して、良い成績出したらお父様もお母様も褒めてくれて…」
アリスの歩みが遅くなってきた。
前を歩く俺とソアラは目配せをして、アリスに気づかれないようにペースを落とした。
「でも…」
後ろから、草原を踏みしめる音が止んだ。
「後を継げないからって…あんなの…無いよ…」
振り返ると、アリスは両手で顔を覆い泣いていた。
それに気づいたソアラが、ひと足先にアリスの頭を胸にかき抱いた。…俺には無理だな。チェーンメイル着てるし。
「良いじゃないか」
「良いわけないじゃない!」
ソアラの優しい声に、アリスが噛み付いた。キッと睨んで、無言で訴える。
あなたに何がわかるのよ!…と。
「お前が魔法使いになってくれたおかげで、俺達は心強い」
ハッとした顔をして、アリスが再びソアラの胸に顔を埋めた。肩の震えが、先ほどより大きくなった。
仕方ないだろう。俺達はつい一昨日まで、親の庇護の中生きて来たんだから。
庶民の俺やソアラにはきっとわからない。彼女の辛さは…。
「俺とノエルはどう見ても近距離の敵しか戦えないし、ミゼルは攻撃する手段は無い。空を飛ぶ魔物や、打撃が効かない魔物だっているだろう。ほら、アリスがいるだけで、俺達が生き抜ける確率はそれだけ上がるんだ」
ソアラがアリスの頭を撫でると、ソアラが俺とミゼルがアイコンタクトを取った。
俺が頷くと、ミゼルに先制を打たれてしまった。
「あなたの事を、皆…少なくとも、私達は必要にしているわ。だから、もう泣かないで。私は、あなたが辛くないようについて来たんだから…」
今度はミゼルが頭を撫でると、アリスは小さく…力強く何度も頷いた。
…俺の出番、なくないか?
「アリスがいるとさ、ほら、場が明るくなるし…まぁその…なんだ」
ソアラが、下手くそとでも言いたげな目線を送ってきた。
うるさい。俺が言おうとした事を先に二人して言いやがって。
俺が続く言葉を探して目を泳がせていると、あるものが目に入ってきた。
「アリス。ほら、早速お前が役に立つ敵が来たぞ」
俺が促すと、少し離れた所に大カタツムリが二体現れた。
大カタツムリは文字通りデカいカタツムリだ。ただ殻がとんでもなく硬く、物理攻撃で倒すにはかなり面倒な相手だ。しかも、カタツムリの癖になかなか敏捷性がある。
アリスはソアラの腕から抜け出し、黒桐の杖をかざした。
そして充血した目をキュッと絞り、呪文に入る前に一度俺達を振り向いた。
ありがとう。
彼女の口は、たしかにそう動いた。
「災火よ、汝、我が従僕と成りて応えよ!火球!!」
アリスの周りに火球が出現し、弧を描いて大ナメクジに命中する。
初めて見た魔法に呆気にとられていると、ソアラが駆け出した。
「うおぉ!」
右手に赤竜の剣、左手に青龍の剣を構えたソアラが、一匹を一閃、二閃する。火球にあぶられて大ナメクジが傾いたところ、上手く本体の方にタイミングを合わせたようだ。
俺がもう一体に駆けながら、気づいた。
ーーー今赤竜の剣の方、僅かに火を上げたような…。
思考を巡らせている間、もう一方の大ナメクジがソアラに触手を伸ばした。
「痛ってっ!」
「油断してるからだ」
大ナメクジがソアラに追撃を加えようとする直前、力任せにロングソードを叩きつけた。
適当に斬りつけたようにも見えるが、火球で罅が入っているところに狙いをつける。俺の狙い通り、剣は罅を食い破り、大ナメクジは悲鳴を上げて動かなくなった。
父上の手伝いで薪割り斧を振り回してたから、重量のある得物の扱いに慣れていたのが幸いしたのか。人生わからないものだな。
「まだよ!」
俺達が草むらを這い回る影を見つけた直後、アリスの呪文が耳に届いた。
「天より生まれし光よ、我に力を与え給え!雷撃!!」
アリスの杖が光り、頂点の宝玉から俺達のすぐ側に雷が落ちた。
驚いてそこを見やると、緑色の流動体がうねり、そして緩慢に動きを止めた。
「よく気づいたな…」
「ミゼルが教えてくれたの」
二人が俺達の方に歩いてきながら、ソアラの賞賛の声に応えた。
「私、昔から良くない気配には敏感なの。なんか、大ナメクジだけじゃない気がして…」
「大したもんだ」
「私も…役に立てた…よね?」
アリスの不安そうな声が聞こえるが、俺は地面に落ちた光るものが気になった。
「勿論さ!大ナメクジだって、アリスが先にダメージ与えてくれたから、俺とノエルも一撃で倒せたし、スライムだって…」
足元のそれを手に取ると、それは見覚えがある物だった。
「クリスタル…?」
クリスタル…いや、これはタルク。俺達の世界の、金銭と呼ばれるのがそれだ。
青の物が1タルク。緑の物が5タルク、赤の物が10タルクとなっている。どうでもいいが、緑のタルクを大量に集め、それを教会が練成した物が俺達の腕についているクリスタルだ。
しかし、何故そんなものがここに落ちている?
「タルクは、魔族の核。そして私達の心臓にもそれは埋まっているの」
手の平から目線を上げると、ミゼルがそよ風の中微笑んでいた。
「その核が、魔族の命。核を砕く事が、魔族を倒すという事なの。でも…」
ミゼルが両手を、自分の胸の前に置いて目を閉じた。
「私達は、体の機能で核が働いているの。だから、怪我で血を失ったり、病で体が蝕まれてしまうと死んでしまう…」
静かに語りかけるミゼルの声を、俺は真剣な眼差しで聞いていた。
健常でいるうちは問題のない事だが、これは俺達の生き死にに関わる事だ。
「そして人が死んだら、その核を砕くの。そうでないと…核に不浄な魂が宿り、不死族になってしまうから」
そっと目を開けると、ミゼルは静かに言葉を紡いだ。
「だから、もし私達の誰かが死んでしまったら、核を砕いて。教会に行けばやってくれるけど、旅の途中で死んだら、その誰かが…仲間を傷つけないように。死んでも、悲しい思いをさせない為に…」
真剣な眼差しに、俺は力強く頷いた。
迷わなかったわけではない。仲間の体を、死んだ後に更に傷つけるような行為はしたくはなかったが…。ミゼルの最後の言葉が、俺に覚悟を決めさせた。
ーーー死んでも、悲しい思いをさせない為に…。
もし俺が死んで、その後にソアラやミゼル、アリスを傷つけてしまったら、俺は死んでも死にきれない。
「ノエル君が死んだら、私がやってあげる。でも…絶対にそんな事にならないように、私があなた達を守るから」
胸元に光る十字架のタリスマンを握り、ミゼルが言った。
ミゼルのジョブは僧侶。パーティーの中では回復薬をしてもらうポジションだ。もし誰かが死んでしまったら、ミゼルは自分を責めるだろう。
だから…。
「その前に、俺がお前らを守ってやるよ」
俺は皆の『盾』だから。皆を魔族の攻撃から守ることが、俺の役目だ。
「ありがとう。頼りにしてるからね」
ミゼルが微笑み、大きめの修道帽からこぼれる金髪が風にそよいだ。
「おーい、ノエルもアリスに何とか言ってやれよ!凄かったって!」
ソアラはソアラで、アリスに自身の必要性を説いていたんだろう。それに参加していない俺に振ってきた。
「ソアラ、お前な、それじゃなんか、無理矢理凄いって言わせてるみたいじゃんか」
「あっ、そっか!」
「馬鹿だろお前。まぁ、アリスの凄さはさっきので充分わかったけどなぁ!」
「ノエル、お前その口の悪さなんとかなんねぇの?」
「無理だな。諦めろぉ」
少し距離があるので、心持ち大きい声でソアラと会話していると、俺達の声が丸聞こえのアリスとミゼルが笑っている。
「じゃあ、向こう行ってやるか」
「うん」
ミゼルを連れて、ソアラとアリスの元に向かう。
俺達の冒険初日は、なんとか無事終えられるようだ。