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形見人形編05 依頼拝聴②

 そんなこんなで、やっとこ依頼調査に入る。

 テーブルの上には桐の箱。海苔のお中元が入ってそうな、やや厚みのある長方形。贈答品でないことは、ラッピングなどがなくともわかる。

 裸の木箱が、朱色の紐で三重に巻かれて封をされていた。

 俺はドール・ショップのような轍を踏むわけにいかないので、旦那さんへ確認をする。

「では、中身を改めさせてもらいます」

「どうぞ」

 許可が下りたので、いざ結び目を解く。するすると紐を外し、桐の上ブタへ手を掛けたとき、右肩に気配を感じた。ランが興味津々の体で、俺の肩越しに覗き込んでいた。

 あいかわらず野次馬根性のあるやつ、と心の内で一笑し、いざフタをあける。そこにあるのは、一枚の古ぼけた便箋。

「ぴっ」

 小鳥みたいな声がした。しかし気にならない。

 なぜなら――――。


 『縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切縁切――――』


 確実に空気が死んだと思う。

 それは一念を乗せた筆で書かれた、百ほどの「縁切」という文字の羅列だった。「縁を切る」ことのみを願い、祈った、歪んだ執心の産物だ。

 未知の感情で、知らずフタを持つ俺の手が震える。視界も揺れる。意識が遠出しそうになった。

「……絞まってる、絞まってるっ! 苦しい、腕を離せ、ランっ!」

 気がつけば、藍色の小袖が蔓となって首に巻きついていた。

「ぴいっ、ぴいっ、ぴいっ!」

「おまえは雛か!」

 俺の首を抱き“絞める”小さな少女を振りほどく。体躯に似合わない万力で驚かされた。

「おやおや、これは懐かしい」

 目を細めた九里屋さんは、執念がカタチとなって付着してそうな半切紙を手に取った。

 切紙で隠れていた箱の底には、のたうつ毛筆で『――平成十三年某月某日 あの人と義母の縁が、すっかり切れますように――』としたためられていた。

 あまりの妄執に、見るだけで呪われそうだ。

「脅かしっこは無しにしようや~、お腹いっぱいやあ~」

 ランに俺も賛成だ。ここはどこのホラーハウスだ。

 九里屋さんが照れた笑みで、ほほを掻く。

「いや、お恥ずかしい。これは妻からもらったラブレターでね」

 新たな衝撃が俺たちを襲う。

「えっ? それラブレ……、……え?」

「…………それ、恋文に見えるん? どんだけ懐深いん?」

 困惑する俺達をよそに、旦那さんは桐箱を指差す。

「タエさん、頼んだやつは、こっちじゃなくて本棚に置いてあるほうだよ。同じような箱だから私も間違えたが」

「……あら、そうでしたか。少々、お待ちを」

 表情を固めて立ち尽くしていたタエさんだったが、すぐに行動を起こした。さすがプロの家政婦となると復活も早いのだろうか。

 怪文書を片手に九里屋さんは目元をゆるめて、とつとつと語る。

「この手紙はねえ、まだ妻と付き合っていた頃にもらった物でねえ。いやあ、当時はあいつの嫉妬深さに困ったもんだったよ」

「はあ……」

「なかなか母が子離れしてくれなかったのも原因だが……、でもまあ、嫉妬するってことは『恋しい』って感情だからね。ちょっと強めの求愛だと思えば可愛いもんさ」

「へえ……」

 俺は空返事しかできない。なんだこれ。ノロケか? 自慢か?

 力が抜ける俺の隣で、ランが乙女のような息を吐く。

「……恋はアバタもエクボ言うけど、ほんまやなあ」

「恋は盲目ってレベルじゃねーぞ。俺が、あんなのもらったらドン引きだよ」

「まあ、そうやなあ。あれやと『愛してます』いうより『呪います』って感じやからなあ」

 同感である。

 オカルト趣味の変わった奥さんに付き合える旦那さんも、どこか普通じゃない。似たもの夫婦ということなのか。

「…………というか、悪夢に心当たりのある品ってその手紙じゃなかったんですね」

 強烈なくらい“いかにも”なブツへ、俺の目は嫌でも吸い寄せられる。

「でも一応、見せてもらってもいいですか?」

「まあ、いいけどね…………照れるな」

 まごつく九里屋さんだが、あれだけノロケておいて今さら何を言うか、という感じだ。天然さんか。

 俺は手渡された呪い文……もとい恋文を検分する。しかし、特におかしなところは無い。おどろおどろしい文章以外は。

「しょせんは素人まじないか……」

 ひと通り見てランの面前に置こうとするが、彼女はのけぞって嫌がった。

「いけずせんといてえ……」

「ランはホント、怖がらせるのは好きなくせに、脅かされたときの耐性ないよな」

「うっさいわあ、このアホぉ」

 少女は俺の後ろ頭を叩いてくるが、子供なこぶしなので痛くない。擬音が「ポカポカ」では、犬だって追い払えない。

 手紙を返却してしばらくすると、タエさんが桐の箱を持って戻ってきた。たしかに先に見た怪文書の箱と似た品であり、同じように紐で縛ってあった。

 俺は新たな箱の前へ臨む。

「では、中身を改めさせてもらいます」

「どうぞ」

 デジャビュなやり取り。コピペな応酬ともいう。

「一緒に見ないのか、ラン?」

 藍の少女は目を閉じたまま、深く腰を沈めていた。

「遠慮しとくえ。おまえの仕事を、取るわけにいかへんからなあ」

 ゆったりと余裕のありそうな口調だったが、少女の指は、俺の背広をちょこんとつまんでいた。

「まあ、いいさ。じゃあ……」

 なんだかんだと、上ブタを持つ俺の手も緊張で震えている。それだけ先ほどのインパクトが忘れられない。でも仕事は仕事だ。

 ――――木箱には、一体の日本人形が納められていた。ぼんやり怪しげな光を漂わせて。

「なんだ、案外マトモだ」

 俺は大きく安堵の息をついた。

「こ、これがマトモと言うのかね……」

「おそろしや、おそろしや……南無妙法蓮華経……南無妙法蓮華経……」

 九里屋家の住人が、怯えのまなざしで迎える人形。

 その大きさは三十センチほどか。

 鮮やかな紅色――まるで血のような――着物を身にまとい、静かな瞳で宙を眺める。怪光はリビングの光の下、たちどころに弱くなって消えた。

「まあ日常的ではありませんが、ワタシは仕事柄、怪奇現象には慣れていますので」

 涙を流したり、チョウチンアンコウのモノマネみたいな、いわゆる怪談に出てくる “生き人形”の類なら平気の平左だ。

 他方、怨念じみた人の執着がカタチになった物品だと、精神的に圧倒される。他人から言わせれば、場数と慣れの問題らしいが。

「おいラン、安心しろよ。おまえのお仲間だ」

「誰が仲間やてっ」

 正体が恐るるに足りないと知った少女は、元の調子を取り戻した。

 藍色の紬を着た、見ため和人形そのままの少女が、紅人形と対面する。濃紺と鮮赤の対比。なにやら絵になった。

 さっそく俺は、慣れた手つきで人形へ触れる。頭から爪先、背中まである長い髪の毛の先まで、余すところ無く。

「うーん……」

 思わず、指で鼻先を叩いてしまう。

 身を守るように腕を組んでいた九里屋さんが、少し身を乗り出す。

「何か、わかったのかね?」

「それがですね……」

 煮え切らない俺の答えに、彼は弱々しい面相になってゆく。

「おそろしや、おそろしや……」

 とうとうタエさんが懐からお守りの巾着袋を取り出して、握り締め出した。

 さすがにこれ以上、答えを延ばすとまずそうなので、俺は結論を出すことにした。

「私見から言いますと、この人形が悪夢の原因とは思えません」

「そっ、そんなっ! じゃあ、光を放っているのはなぜかねっ?」

「それについては、いくつか推測できることがあります。しかし、人形に穢れ――悪意のようなものですが、それを感じ取ることができません。少なくとも悪夢の原因は、この日本人形ではないでしょう」

 九里屋さんの目の色は、一瞬、疑わしい胡乱なものになったが、すぐに諦観の相へと変わっていった。おそらく今までも似たようなことがあり、そして今回も同じ結果――つまり無意味な期待で終わると思ったのだろう。

 両肩を落として顔を伏せる彼を見るには、居たたまれない気分になる。

「どう思う、ラン」

 俺は名目上、助手である少女へ問いかけると、彼女は少しばかり思案顔で人形を手にした。

「ウチには嫌な感じ、せえへんなあ。孝助もそうなんやろお?」

 首肯する俺に対し、ランはゆっくりと目を細める。

「そうやなあ、この人形……、昨日とおんなじ“成りかけ”かもしれへんえ」

「すると九十九か、入霊か……。でも、退魔や霊媒は俺の専門外だしなあ……」

 困った予想のひとつに当たり、俺は頭を掻いた。すると相棒のはずの少女は、痛いところを突いてくる。

「あれえ、おまえに専門分野なんかあったん? 初耳やわあ~」

 楽しそうにコロコロのどを鳴らす彼女のせいで、俺は無性に辛抱たまらなくなって目をそらした。

 俺が《雪士会》へ加入し、拝み屋のまねごとを始めてから、まだ日は浅い。新人研修を終えたのは四ヶ月前の春のことだ。いろいろと人から教わっているが、できることなどわずかのみ。

 アドバンテージ……といえるのか知らないが、特技は、触れるだけでケガレの有無がわかる鋭敏な知覚力。そしてケガレへの高い耐性。しかしそれらだけでは、予想される問題の解決には役立たない。

 けれども、仕事は果たさねばならないのだ。《雪士会》の一員として。

 とにかく俺は、落ち込む旦那さんへ穏やかな声をかける。

「気を落とす必要はありません、九里屋さん。これで終わりにはしませんので。一緒に解決しましょう、とワタシが言ったのは本心です」

 顔を上げた彼へ、俺は安心できるよう笑いかけた。

「ワタシは怪異の原因を人形とは別のところに考えますが、九里屋さんは人形に対し、何らかの懐疑を持ったのですよね? まずは、それを話してもらえますか」

「そう……だったね、君はあの時……一緒にと…………」

 時を忘れたように、しばらく瞑目したままの九里屋さんだったが、ほんの少しだけ気の元が回った顔つきに戻った。

「よし、そうだな。タエさん、あの晩のことを話してくれるかい?」

 主人の言にタエさんが了解の意を示し、手にしていたお守りを胸元へ寄せる。

「……あの夜は梅雨が明けたのに蒸し暑くて、よく眠れませんでした。そんなわたしの耳に小さな音が聞こえたんです。コトリ、コトリ、まるで猫が歩くような、かすかな音でした」

 一度、彼女は息をついた。思い出すように視線を上へ向ける。

「用心のために廊下へ出るも、変わったことはありません。気のせいかと思って自室へ戻ろうとしたとき、旦那様方の寝室の扉から光が差しているのに気づいたんです。戸の隙間からは、うなされる奥様の声が漏れていて……、ただし言葉は悪いのですが、これは毎夜のことです。けれども珍しく旦那様も少しうなされていたので、気になって……」

「寝室を訪れたんですか?」

 俺の問いかけに、タエさんが硬い表情でうなずく。

「ええ、わたしは足を忍ばせて寝室へ近づき、中をのぞくと――」

 ぎゅうっとお守りの布に深いシワができた。

「そこには人形が――、奥様……いえ、大奥様の形見人形が立っていたんです。旦那様の枕元の傍でぼうっと妖光を放ちながら……」

 蒼い顔でゆらめき立つ老婆をかばうように、九里屋さんが肩を支えた。

「そこからは私が伝えよう。その後、タエさんは私を起こしてくれて、それまで書斎に飾っていた人形を木箱へ入れて厳重に縛った、というわけだ」

「なるほど」

 俺の応じを見て、彼は制止するように手のひらを前へ突き出した。

「これで終わればよかったんだが、話には続きがあってね……。箱の封もむなしく、夜になると人形は移動するそうなんだ」

「……する“そう”?」

「ああ。なぜだか人形は、私が起きている間は行動しないらしいんだ。現に私が夜通し起きていたときは姿を見せなかった。しかし廊下で音がするときは、私が寝ているときだ、とタエさんが教えてくれた。もうこんなことが数日間……いや、動く人形に気づいたのが数日前だから、実のところ一ヶ月間続いているのかもしれない」

 九里屋さんは嘆くように顔をしかめるが、俺はひとつ気になった。

「なぜ一ヶ月間も続いていると思うんです?」

「あの人形は母の形見でね。母が亡くなったのが一月ほど前。そして、あの人形を遺品として持ち帰ってから、ちょうど今日で一ヶ月というわけだよ」

「そういうわけですか……なるほど」

 得心した俺はあごに手をやる。

「夜毎、動く人形……。形見人形……。うなされる……。人形の怪異と命日、ふたつが重なるかもしれない……。う~ん……」

 さっぱり考えがまとまらない。とりあえず新たに浮上した、二つの疑問点から片付けていくことにする。

「九里屋さん、こちらのお宅では、国が推奨している常夜灯は設置しています?」

 十年前のある事件が発端となって、街の主要な地区や道路に特殊な街灯の設置が始まった。けれども世間の認知レベルの低さゆえに、それは一般行政の及ぶ範囲でとどまる。

 ちょっと前までは、常夜灯を導入する家庭など数えるほどしかなかった。

「消防法のアレかい? ここ数年、市行政がうるさく言うもんだから、わざわざ購入して、寝室や廊下などは絶やさず点けているよ。まあ、買った後にそのことを申請すれば、電気代が割り引かれるからいいけどね」

 しかし昨今、国を挙げて常夜灯の普及推進の動きが活発となり、あの手この手のキャンペーンが張られた。その結果が九里屋家の設置状況だ。役人たちの苦労が実ったといえる。

 そこまで彼らがやっきになった理由。それはひどく切実なものだ。

「常夜灯のことを確認するなんて、あのウワサは本当だったのかい? 世の中には摩訶不思議なモノが存在し……、ああ、これは形見の人形で身をもって知ったよ。そうではなく、実は“そういうモノたち”が人知れずあふれており、光にそれらの行動を抑える力があるという話。なにより…………行方不明者の増大と“ソレら”のかかわり」

「ええ、本当です。怪異の発生は一定の波長――太陽光に近いものに少し細工をすれば、抑制できるという研究報告があります。そして照射の効果が、“ソレら”の接近を阻むことも」

 隠り世の住人は、魂を包む肉皮が薄いらしい。現し世をあますところなく照らしだす、大神の威光には耐え難いようだ。人工の光だと、少々の加工が必要となるが。

「ですが、過大視はしないでください。日没後は外出しないこと。やはりこれがベターです」

 擬似陽光の恩恵といえど絶対ではない。襲撃者の強い執着や興奮などの条件で、効果はほとんど失せる。

 光の機能は、あたかも天狗の隠れミノのよう。

 相手に気づかれなければ、素通りされる。しかし、一度でも姿を見られたら――?

 だからこそ日が落ちたら、人工灯の囲いより一歩たりとも出てはダメなのだ。その一歩で生死が決まる。

 俺は《雪士会》の研修中に叩き込まれた内容を、思い出しては口にした。

「そして十年前とは比べ物にならない、ウナギ登りの行方不明者数。九里屋さんの想像通り、その原因の多くは“ソレら”による犠牲者だというのが政府の見解です」

 “ソレら”――つまりは闇に跋扈する魑魅魍魎。害意をもった怨霊、妖怪、荒ぶる神々、挙げればキリが無い。現在、この国の夜は彼らの狩場である。

 それらの事実をして、東洋の島国が「常陽の国」となった由縁。国家予算を切迫させても、為政者たちが特製街灯の大規模敷設から始まる、さまざまな諸案を決断した理由だ。

 思い当たった事実があって、俺は困ったように首をすくめる。

「とはいえ、今言ったことについて世間の認知は、まだまだなようですね。なにより各家庭への常夜灯を普及できたのは、ようやくこの数年。“ソレら”を前にした危険な問題に、えらくのんびりしたものです」

 実際は、のんびりどころではない。

 そもそも「ワケのわかんない怪物がいるんで、ここはひとつ」という議案提出で、街灯敷設の予算が下りたこと。それ自体が、ひとつの歴史的快挙だ。普通なら、「そんなの、言われた私にもワケがわかりません」と却下されるだけ。ついでに提案者は政界から永久追放。

 それだけ凝り固まった固定観念――「怪力乱神などありえない」という考え方は、ぬぐいがたい。怪異に直面した九里屋さんでさえ、半信半疑なところがある。

「まあ、明かりを点灯できるのなら問題ありませんが」

 晴れやかな表情を浮かべて一旦話しを終わらせたが、心はその逆だ。

 常夜灯の存在にも関わらず徘徊する人形。よほどの相手なのか。

 ひとつ目の気になる点は、消えることなく警戒意識を上げるだけで終わった。では、残るもうひとつ。

「そういえば、九里屋さんとタエさんの顔色はそれほど悪くはありませんね。あまり、うなされないんですか? 奥さんはひどくやつれている様に見受けましたが」

 俺の問いかけに二人が顔を見合わせる。

「わたしに限って言えば、旦那様方と比べてマシかもしれませんねえ……。人形が動くなんて知ってからは薄気味悪くて、いつも通りとはいかないですけど……」

 タエさんの言葉に九里屋さんも同意する。

「ああ、私もそれなりに眠れているようだ。夢見はいいとも思えないが……。それに引き換え妻はひどい。もう一ヶ月近く、まともに寝ていない上に、数日前から急激に身体を壊し始めてね……不憫でならない」

「それは大変だ。一月も眠れないとなると、やはり無理がたたるのでしょう。……ところで夢見のことですが、何の夢か覚えています?」

「うーん、日が経つと忘れてしまうな……。ただはっきりと覚えているものはある。母の姿と紅の振袖だ。その着物と同じ色をした」

 九里屋さんが人形を指差した。そこには若い娘が好きそうな、きれいな発色の赤い着物。

 旦那さんのお母さんが何歳だったかは知らないが、こんなもの着ようと思ったらさぞ勇気がいるだろうな、と思った。余計なお世話かもしれないが。

 黙り込んでこちらの出方を待つ九里屋さんたちを見ると、どうやら人形に関して、もう得るものは無さそうだった。

 あの人形は穢れを感じない。しかし、人形はこの上なく怪しい。まあ、とりあえず考えをまとめたい上に、情報が足りない気がする。

「この形見の人形については了解しました。あわせて他の要因も検討ついでに、邸内を歩き回りたいのですが」

「ああ、構わないよ。タエさんに付き添ってもらおう」

 俺の願いに九里屋さんはこころよく応じてくれた。その表情には、会話に入る前の焦燥とした感じが少しばかり薄まっているようだった。

 目立った進展は無い。ただし問題解決に向けて話し合うという行為が、案外と不安のガス抜きに役立ったのかもしれない。

 とはいえ結局のところ、何もわかっていない現状に気が重い。背中に張り付いた信用という名の重圧で、ひざが折れそうだ。

「なんか、わかったん?」

 非生産的でネガティブな考えに陥っていたら、横合いから少女が見上げてきた。不審半分、心配半分といったところだ。

 正直に伝えたいが成果など無いので、依頼者の手前よろしくない。そこで少女の小さな耳元へ口を寄せることにした。

「……ひゃぁん、もう」

 彼女の思わぬ嬌声に、こっちがビックリだ。

 ほんのり朱に色づいた首筋をのぞかせたランが、生ぬるい吐息をもらす。黒玉の瞳にしっとり水気をはらませて、妙な気分になる視線をこちらへ向けた。

「くすぐったぁ……おまえはスケベエやなあ」

「なぜにっ?」

「女の耳は敏感なんえ? ……こんな場所で恥ずかしいわあ…………」

 小さな女の子から出た不穏当な発言に、胃がきりきり締まった。

 見れば九里屋家の二人が、ひそやかに話し合っている。そして、やおら旦那さんがケータイを取り出した。

 やばいっ、くさいメシはご免だ!

「待ってください! 俺、変態じゃありません!」

「ロリコンは、みんなそう言うんえ?」

 のど奥で転がされる子悪魔の声は、心底、愉快な響きで満たされていた。でもなぜか少女の意地悪いまなざしには、優しさがほんのり色づいているように感じられた。

 もしかしたら、彼女は元気付けようとしてくれたのだろうか?

 だとしたら、ありがたい。その気遣いだけで、下り坂を転がっていた気分が軽くなってしまう。

「……でもさ」

 せめて、もう少し方法を選んで欲しいという思いのカケラが、ぽろりとこぼれた。


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