形見人形編04 依頼拝聴①
太陽が中天を通り過ぎて一時間ほど。
俺は京都市左京区、宝ヶ池にある依頼社宅前に立っていた。
「えろう比叡山が近いなあ。家も大きいし……、ここ、京都とちゃうんちゃう?」
家も山も仰ぎ見るように、藍色の着物裾を揺らす少女が背を反らしていた。
京の町を北東から見下ろす比叡山。北西の愛宕山と対をなす蒼峰をバックにした邸宅は、なるほど、市内に建つ猫の額みたいな家屋が哀れになるくらい広々とした門構えだった。
「土地が比較的安いのか、はたまた開発ラッシュの初期で土地が余りぎみだったのか……。どちらにせよ俺たち貧民にはカンケーないさ」
「貧乏なんは孝助のせいえ?」
風に流れる黒髪の隙間から白い視線を送られたが、俺は断固として無視する。
何も返さない俺を見た少女は、少しむくれたようだ。
「……それにしても、おまえ、その格好は似合わんなあ」
「ほっとけ!」
俺の格好――いわゆる新卒が着るような紺のリクルート・スーツ。安物だが、そんな物でも大事な一張羅だ。
初夏の照り付けで、じわり背に汗が浮き出る。ああ、夏スーツが欲しい……。
額にハンカチを押し付ける俺の様子を、ランが一瞥する。
肌襦袢に長襦袢、絹の紬をきっちりと着付けた少女の姿も、夏の装いとしては重苦しい。けれども不思議と彼女に、熱気による不快感など見受けられない。
「暑そうやなあ。夏用のそれ、買ぅたらどない?」
「金があったらな……」
「貧乏は嫌やなあ」
頑なまでに無視。
「……さぁて、お宅訪問といきますか」
「人の話し、聞いてるん?」
チャイムを鳴らして出迎えに来たお手伝いさんへほどほどに挨拶をし、通されたリビングはやはり広い。2DKの俺の部屋がすっぽり入るんじゃないだろうか。
「客間ではなく、居間へお連れして申し訳ない。しかし、こちらの方が話は早いと思ったのでね」
この邸宅の主――九里屋茂さんが、ゆったりと頭を下げてきた。
俺のような小市民的な、コメツキバッタのごとき謝り方とは全く違う。これが金持ちの風格なのか。それとも九里屋さんみたいに四十代になれば、自然と身につくものなんだろうか。
「ええ、そのようですね。気にしないでください」
こちらも負けじと、できる限り余裕のある対応をしてみる。結果は、俺の隣に座るランの失笑で判明した。
即座に馬鹿らしくなって止めた。いやあ、巨岩の前の石ころな気分だ。張り合うだけ無駄。
「それにしてもすごいですね……」
そう伝えるしかないほど、リビングの中は異界だった。
右を向けば、金色に輝く小さな観音像から始まって、青銅の香炉、写し鏡、菩薩の絵画、注連縄を掛けたよくわからん石、榊の活けられた花瓶、等々……。
左を向けば、聖母マリアの木彫刻、ロザリオの首飾り、磔刑で血をダラダラ流した東洋人には理解不能な教祖像、銀の燭台、モザイクの宗教画、エトセトラ、エトセトラ……。
つまり、ソファやテーブルといった最低限の調度品以外の家具にはすべて、宗教色のある品々であふれ返っていた。壁にも掛け軸やお寺で見る五色布などが掛かり、壁紙が見えないくらいだ。
よくもまあ、こんなに節操無く集めたもんだとあきれるばかり。言葉が続かない。
「妻の趣味でね。いやはや、お恥ずかしい」
きまりが悪そうに、後ろ頭を掻く依頼者。まあ、俺も当人なら部外者にこんな部屋は見せないだろう。
「いえいえ、本当に気にしないでください。商売柄、慣れていますので」
「そう言ってもらえると、助かるよ」
九里屋さんは、本心から安堵したような笑みを浮かべる。その優しげな相貌は、向かい合う人間の心を解きほぐすようだった。
実のところ、俺はまだ仕事に慣れていない。それなのに、やたらとリラックスしてしまった。相手の懐深くに歩み寄る行為。これがスキルの一環だとしたら、すっかり術中にはまり込んだのだろう。豊かな口ひげを撫でている彼の姿からは、そんなこと想像できないが。
「……あら、もうお着きになったのね…………。遅れた無作法、申し訳ありません……」
扉が開き、九里屋さんより一回り若い女性が入ってきた。おそらく奥さんだろう。
化粧では隠しきれない、やせて青白い顔つきの彼女。目尻の冴えた美人さんだと思うが、ゆったりと構える夫と違って、奥さんはどことなく攻撃的に見えた。
「妻の千佳です」
九里屋さんの紹介で、ゆらりと千佳さんがお辞儀をした。俺も席を立って彼女にならう。
「この度はどうも。《雪士会》から派遣されました関屋孝助です。こちらは助手のラン」
隣に座る少女を手のひらで示すが、対象に動きなし。基本的に無愛想・無配慮の人形みたいな子がいた。頼むから頭くらい下げてくれ。
「旦那さんへお伝えしましたが、当依頼でお話される内容や生じる事態などは、後ほど《雪士会》へ報告することになります。しかし守秘義務がありますので、《雪士会》からもワタシからも外部へ漏れることはありません。それだけはご安心ください」
もはやマニュアル化した文言を一気にまくし立てた。我ながら手慣れたもんだ。
俺が感慨深げな満足感にひたっていると、面前の革張りソファに座る千佳さんが、旦那さんへ耳打ちしていた。
「…………ほんとにこんな子たちで大丈夫なの……? まだ高校生くらいじゃない……。片方は小学生ほどだし……。あなた、だまされたんじゃないの……?」
かすれ声なせいで少し聞き取りづらいが、しっかり丸聞こえだ。
よくあることなので、いかにも俺は「気にしてませんよ」という笑みで座り込む。説得材料を探していると、また扉の方から声をかけられた。
「この方達なら大丈夫ですよ、千佳さん」
首を回すと、お盆に麦茶の入ったグラスを乗せた老女がリビングへ入ってきた。彼女は門前で俺を出迎えてくれたお手伝いさんだ。互いの紹介は済んでいる。
「さあさ、ぬるくなったお茶を替えましょうね」
「あ、すみません」
老人はぬるい、というより空になった三つのグラスを取り替えてくれる。思わず俺は恐縮。
そして、千佳さんの前にもお茶が置かれる。奥さんは目をつむって微動だにしなかった。
「タエさん、大丈夫ってどういう意味だね?」
九里屋さんの当然の反応に、タエさんは少し当惑した顔つきをする。
「どうもこうも、この子たちは《雪使庁》の方でしょう? 昔、お世話になったのを、お忘れになったんですか?」
「……過去に世話になった?」
逆に今度、狐につままれた表情になるのは九里屋さんの番だった。しかし突然、お婆さんは両手で口元を隠す。
「あら、ヤだ! あの時って、まだ坊ちゃまが生まれる前だったわ!」
「おいおい……」
「やあねえ、ついうっかりして……年を取るのはこれだから……。それじゃあ、坊ちゃまも千佳さんも知るよしないわねえ」
おほほほ、とごまかすタエさんに対して、九里屋さんは困り顔で苦笑する。
彼女はムードメーカーなのか。なにやら場がにぎやかになり、つられて俺も笑顔に。とりあえず麦茶を手にしようと――。
「タエさん! 奥様、旦那様と呼ぶよう、いつも言ってるでしょっ!」
千佳さんがグラスをテーブルへ叩きつけた。激発の感情で肩を震わせる彼女の行為。中身の麦茶がこぼれないのが、不思議なくらいの勢いだった。
空気が凍りつく。
「……あ…………」
ぽつり、奥さんがつぶやいた。それ以上、何も言わずに身をよせて、うつむいてしまった。
俺はグラスを取ろうと前かがみになったまま。横目でランを見ると、少女は麦茶を飲む姿勢で固まっていた。小さなあご先に、口端から伝う茶色の水滴を丸くふくらませて。九里屋さんとタエさんも似たり寄ったりだ。
ともあれ、お茶が垂れ落ちる前に、と俺がハンカチを取り出す。それを契機に、時間が仕事を思い出したようだ。
「あ~、あ~、あっ……そうそう、タエさん、珍しい水羊羹があっただろう。あいつを持ってきてくれ!」
「そ、そうですね! それはいいですね。夏とはいっても、お茶請けがないのは寂しいですからねー」
冷や汗まじりの作り笑いで二人も動き出す。
俺がむずがるランの口元を拭いていると、思い出したように旦那さんは言葉を付け足した。
「あ、そうだ。タエさん、ついでに依頼品も見てもらおう。書斎に置いてある“アレ”を持ってきてくれないか?」
「あい、わかりました」
命を受けて老女が立ち上がろうとするとき、また千佳さんがぼそりと。
「…………“アレ”」
自然とひとつどころへ、場の注目が集まってしまう。
しかし意に介さないのか、奥さんはふらりと立ち上がった。
「……あなた、…………お義母様の“アレ”をお見せするのでしたら、私は下がらせてもらいます……」
「あ、ああ、仕方ないな。君はもう休みなさい」
夫の助言にうなずくと、彼女は俺とランへ一言。
「……ごめんなさいね…………」
謝罪は目も合わせずに行われた。しかし、言葉の端にさまざまな感情が垣間見えて、腹立ちすら起こらなかった。ただ、「理由はわからないけど、大変なんだなあ」と思うだけ。
「奥様、大丈夫ですか? 寝室まで付いて行きましょうか?」
「……結構です」
千佳さんはタエさんの介添えを断り、気力の枯れた陰鬼の歩みで部屋から出て行った。初めて相対したときより憔悴しているように感じられた。
見送るタエさんは、ほおへ手を当て軽く息をつく。
「しょうのないお人……」
「まあ、そう言わないでやってくれ。千佳もつらいんだ」
旦那さんの弁護に、タエさんは慌てて、ほおにあった手を口元へスライドさせた。
「あ、あら、ヤダ……。それじゃあ、わたしは取りに参りますねっ」
どうもうっかり口を滑らせたようだった。彼女はにぎやかな足取りで退出してゆく。
二人がいなくなってリビングは、しん……と妙な静けさに包まれた。
俺は目線を、正面に座る九里屋さんへ合わせられない。右へ左へ、部屋中をさ迷う。気まずい、の一言だ。唯一の助けは手元のグラス。いや~、茶がうまい。
場繋ぎに俺が麦茶をついばんでいると、やおら九里屋さんが両膝に手を置いた。その場で彼は頭を下げる。
「本当に申し訳ない。妻は元来気の強い人間だが、普段はああじゃないんだ。連日、夢にうなされていてね。心が休まる暇なく、心身ともに疲れきっているんだ」
一見して門前の小僧でしかない俺に、これほど素直な謝意を見せる人は珍しい。少しあっけに取られた。それに構わず、彼は続ける。
「すでに色々と策は講じた。なかには効果のある品もあったが、すぐにダメになった。人にも会った。その……君達よりもソレらしい格好をした霊媒師だ。しかし助けにはならなかった」
伏せられているので表情はわからないが、苦渋に歪んでいることだろう。声色で察せられた。
「途方にくれていた中、タエさんが君達――《雪士会》のことを思い出してくれたんだ。さっきみたいにね」
九里屋さんは頭を上げて俺を見る。そして隣のランを。彼の瞳は、炎で燃え広がった森を背にした獣のようだった。
「お願いだ、助けてくれっ、もう妻は限界だ。どうか、どうか……、夜毎うなされる悪夢の原因を取り除いてほしいっ!」
彼はもう一度、深々と頭を下げる。それこそ、膝頭を越えてテーブルへ額をぶつけそうなくらいに、深く深く。
一連の様子を見て理解した。
ああ、追い詰められているのは奥さんだけじゃない、この人もそうなんだ、と。
俺は手にしたグラスを置き、静かに語りかける。
「任せてください。ワタシでしたら、微力ながら助けになれる自信があります」
改めて室内を見渡す。洋の東西を問わない宗教関係の物品。
よく見ると、ところどころに異彩を放つ品が目に付いた。宗教の本流から外れたもの。荒縄を巻きつけた石地蔵や、動物の頭蓋骨といった呪的な道具。苦しむ依頼者が残した足跡だろう。
少しでもいいから、背の重みを引き受けてあげたいと思った。
「それにワタシの後ろには《雪士会》があります。ここには、いろんな得意分野を持つ人間がおります。技能の集合が組織の強みですから、怪事は必ず解消します。ですから……」
俺は身を乗り出し、いまだに下を向いたままの九里屋さんの片手を取り、伝える。「一緒に、夜明けまで歩きましょう」と。
彼が両手で懇願してきた。
「頼む……」
こちらも気持ちを伝えるように手を強く握り返す――が、しばらくして頭の熱が冷めた。「夜明けまで歩く」とかクサすぎるだろう、と。途端に羞恥が脊髄でほとばしる。
「な、なーに、なかば問題は解決したようなもんですっ」
こーなったらもう、隣の少女を巻き込むことにしよう!
俺は空いた片手で、静かに座るランの腕をつかんで引っ張る。黒髪を乱してとまどう女の子を、九里屋さんの前に引き寄せて言い放った。
「なんせこっちには、小さな女神さまが付いてますんで!」
ちょっとした静寂。
「そ、そうかい……」
間の抜けた夢から覚めたように、するりと旦那さんの手が俺から離れていった。
渦中の少女は、みるみる白肌を桃色へと変えてゆく。
「…………ウチ、オチ要員ちゃうえ……」
一応の信頼関係が築けたのか、九里屋さんと依頼以外の雑多なことも喋り合った。
彼の家は京都で有数の油問屋だったこと。タエさんにはオシメを替えてもらっていたので、今でも頭が上がらないこと。部屋にある山積みの物品は、多くが旅行のお土産であること。奥さんの珍奇な趣味の発端は、小学生の時分に流行ったオカルトブームだったこと……などなど。
俺の言う「男子は校庭で~」のくだりを、九里屋さんがやけにうなずいていて印象的だった。
オチ要員は暇つぶしにか、部屋中の品々を見て回っていた。ときおり小さな悲鳴が聞こえたが、楽しげな物でも見つけたんだと思う。
「はーい、お待たせいたしました」
話が盛りを過ぎた頃、ようやくタエさんが戻ってきた。
左手に、茶器と茶菓子が載ったお盆。右手には、くだんの依頼品――“アレ”と思しき木箱。両手に物を抱えた彼女は、ドアノブを器用にお尻で押しこんで室内へ。
部外者の前での横着に、少しだけ九里屋さんの顔が引きつっていた。箱を受け取ると、彼はそろりと脇へどける。
「せっかくだから、まずは水菓子を食べてからにしようか」
テーブルの上に置かれた、冷え冷えとして旨そうな水羊羹。ひとつ変わった点といえば、あずき色ではなく、焦げ茶色をしているところだ。
「これは珍しく、ほうじ茶の水羊羹でね。葉茶屋だが茶房も開いている一風堂の新製品らしい。おもしろい味わいで……、まぁ能書きはいらないな。さあ、食べた食べた」
旦那さんの勧めに、俺はありがたく頂こうとする。しかし隣に座る少女は、なんだか表情が硬い。
「一風堂かぁ……」
ぽそり、と、俺にだけ聞こえる小声でランがつぶやいた。そこには実に不満そうな響きがこめられていた。
ごちそうしてくれる相手へ失礼にもほどがあるので、彼女を肘でつつくと、それがスイッチだったかのように、また少女は小さく。
「ここ、代替わりしてから味落ちたんやわあ……」
口の中で溶け入るような、かすかな声。
面前の旦那さんに聞こえてないか、俺の心臓がバクバク音を立てる。ところが、話の内容自体には拍子抜けだ。
「なんだよ、その懐古趣味にとらわれた発言は」
黄金時代のまぶしさは人を魅了して放さない。だから過去を懐かしむあまり、前を見ようとしない人間ができてしまう。けれども、それではもったいない。
輝かしい歴史は大切にするべきだ。それに付け加え、今後へも目を向けて新たなモノを知ることも楽しみたい、と思う。
「ほんまえ? たしかに深い茶の渋みが、ぼやけ気味になって……、ほんでなあ――」
「それはお茶の話だろ? 茶菓子だと違うかもしれないぞ。とにかく食べてからにしようぜ」
やたらと言葉が続くランをほうって、俺は水羊羹を一切れ、口へ放り込んだ。
舌に滑り込んだ冷たさは、淡い甘みの細葛となって砕ける。その際に鼻を通る、かすかな芳香。ほうじ茶が焙煎されたときの薫煙は、残り香となって口内を包み込んだ。
「これは……」
知らず、タメ息がもれていた。
それを聞きつけた旦那さんが、興味深げな視線で茶菓子をつつく手を休める。
「どうだい?」
「お茶と甘味を同時に味わっているというか……なんとも妙味ですね。それに水菓子にしては、甘みはわずか。しかしそれが、逆に風味を引き立たせる。この非常に繊細な味わいは、とても印象深く心に残ります。また食べたくなりますね」
「ははは、そこまで言ってくれると、なにやら嬉しくなるね」
彼は満足そうに笑った。
ところで、ブツクサ文句をのたまっていた少女はというと――。
彼女の前にある皿の上は、キレイに何もなくなっていた。
「あれあれあれ~?」
俺のわざとらしい素っ頓狂な声に、ランは表情を難しくする。まっすぐな髪からのぞく小耳は、薄い紅葉色に染まっていた。
「……なんえ?」
「いえいえいえ、なんでもなんでも」
いやらしい笑みを張り付けて、俺が肩をすくめると、彼女は一層、顔を険しくゆがめた。そして、そっぽを向いてしまった。
思わず苦笑してしまう。
「ほんっと、子供みたいな性格だね、おまえ」
やりすぎた仕返しなのか、ランが無言で太ももをつねってきたので、こちらの降参でお開きに。
のちに感想を聞くと、「はんなりしてて、ええんちゃう?」とのこと。
百聞は一見にしかず、一食は百想に勝る、といったところか。